6-8 過去の清算
ティアマトの真下に辿り着いた私達は両の足に力を込める。
”これで、決めるわよ!”
(はい!)
二人の脳裏に浮かぶのは、最後の失敗。弾かれて失敗して食いちぎられたアナスタシアさんの亡き様。
それを、繰り返すわけにはいかない。
最後の結末さえ変えれば、それさえ変えればいい。
私は全力で上段から槍を振り下ろす。
ティアマトの無防備などてっばらの下の方をちょっとだけ切り裂いたところで、止まった槍を支点にして飛び上がる。
後は夢の中の再現だった。
空に向かって前転を繰り返しながら胴から首を伝ってハリネズミのように駆け上がる。
人間風情が、母なる神のティアマトの肉体に傷をつけているというのに、私には何も感慨なんて受けることは無かった。
ただ、それはまるっきり夢と同じで。
ティアマトの巨大な、大きくて荘厳なその尊顔を上から眺めるのも、また夢と同じで。
ティアマトの頭よりも上空まで勢い良く飛び上がった私は、その槍の切っ先を邪竜の額に定める。
これから行うのは最後の一撃。
《小賢しい!!》
ティアマトの口が開き、こちらを捉えようとする。
あたかも私を呑み込もうかとするように、その実、口の中には今にも吐き出されんばかりの黒い何かが溜まっていた。
”ごめんね、ナナエ”
イナンナ様の言葉で私は覚悟を決める。
気付いてしまったから。
前回と同じ動き故に、私にも理解できたから。
間に合わない。
私が一撃を撃つ前に、ティアマトの放射の方が先に来る。
それならばそれと、覚悟を決めてしまえばいい。防いで耐えればいいのだ。耐えた後でうまく口中を突き破れば勝ち目も増えるだろう。
出来るか出来ないかじゃなくて、やるしかないという強い意志と共に落下を開始しながら、私は全身の魔力を槍に集中させる。
ティアマトの口が私の落下コースと重なりかける。
そのタイミングで、咆哮は放たれる前に動きを止めた。
《人神!!!!》
代わりに放たれたのは一言の叫び声のみで、私のはるか下方、ティアマトの首の根元には遠距離から投げられた錫杖が突き刺さっていた。
感謝しかなかった。
虚実織り込んで、ギルガメッシュ様は徹頭徹尾仕事に徹してくれたことに。
それを言えばイナンナ様もだ。
交わす言葉こそ少なかったけれど、彼女は私の魔力の調整や回復等のサポートを適切に行ってくれていた。
その甲斐があって、今このチャンスがある。
(これで最後!!)
”やってしまいなさい! ナナエ!!”
愚を承知で私は対象を額に定め、空を掛ける。
喉奥よりも頭を直接破壊した方が良いと私の中で何かが告げていた。もしかしたらそれはアナスタシアさんの記憶のせいだったのかもしれない。
けれど、私はその思いに従って、働いているかもわからない重力と、どうやっているかもわからない空中疾走で速度を最大限に上げ槍を構える。
ここまでは、焼き直しだった。
そして、一つだけ違うのは、振り下ろしではなく、突きである点。
考えるまでも無い。衝撃力をそのまま一点に集中させるだけなのだから。
勢いづいた私の槍の切っ先は、狙い通りティアマトの額に突き刺さった。
だがしかし、わずかな亀裂が入ったのみでそれは止まり、全力で槍の柄を握っていたものの、反動で体は後ろに滑っていく。
失敗? ううん、違う。
一撃でやれるなんて思ってもいない。
だから、私はもう一つ奥の手を用意している!
反動での位置調整は完璧だった。ほぼ柄尻に近い位置まで来ていた私は後手の左手を放し指を丸め、右手は柄を握ったまましっかりと槍を抑え続ける。
これから放つのは、私が私として出来る唯一の魔法。
魔法なんてものじゃなくて、単なる魔力の爆発と評されるだけの酷い代物。
子供の頃によく使っていた、《どん》と魔力を爆発させるだけの魔法だった。
それを今この場で、全力を以って撃つ!
(イナンナ様、お願いします!!!!)
左肘を折りたたみ、槍と一直線に構える。
左腕と槍の柄を結ぶように魔力のパイプが浮かんだ。
それは、言ってしまえば、工事用の杭打機だった。ただし、神を殺す用の。
パイプは衝撃や魔力を外に逃がさない為のもの。そして、私の丸めた掌には本当に全力の魔力塊。
槍にも私の魔力が充填されている。
体に魔力なんてほとんど残っていない。でも、これで終わるならそれでいい。
口から言葉は出なかった。
ただ、私は無言のまま左手を押し出し、魔力を槍の柄尻に叩きつけ、そこで爆発させた。
私の中に存在していたイナンナ様の半分の力。それらを注ぎ込んだ一撃は、その力を全て推進力へと変換して、前方へと進まんとする槍の切っ先は亀裂を深めていく。
爆発の反動を受けた私の左手は、治癒に回す魔力すら無く消し飛んでしまっていた。けれど、無い左手でダメ押しとばかりに押し込みを掛ける。
額の堅いうろこについた小さな亀裂は、次第に広がり、深まる。
微かだったものがわずかになり、少しからはっきりへと変化する。
一とも零ともわからない次の瞬間、剛質の額はパックリと割れ、槍はティアマトの頭の中へと吸い込まれていった。
《………………!!!!》
その声を聞きながら、私は地面へと落下を始める。
限界をとっくに超えた体はもう指一本動かなかった。ああ、左手は肘から先、動かすところが全部なくなっていたけれど。
でも、私は満足していた。
体は地表を目指す中、空を向いたままの私の目は、ティアマトのその巨体が崩れ行くのを目にしていた。
”よくやったわ、ナナエ。そして、本当にありがとう”
私の中のイナンナ様からも覇気は既に無く、根も疲れ果てた声を出していた。
頭の回転もおぼつかない私は、(ええ)とだけゆっくりと反応を返してから、一つだけ大事な事を思い出して聞いてみる。
(着地お願いしたいんですけれど、無理ですよね?)
背中から落下する私の速度はそれなりに上がっていた。
”ええ、無理よ。もう私もカラよ”
知っています、イナンナ様の
高層ビルより高い所から現在進行形で落下していたけれど、私には恐怖心は無かった。麻痺してしまったのも事実だし、成し遂げた以上、後悔は無いのも事実だけれど、それ以上に信じているものがあるから。
かくして、地表に激突する前に、私の体はギルガメッシュ様によって抱き留められたのだった。
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