5-15 戻れない決断

 田中さんを見送った後、私はつっかえそうになる長物を斜めに傾げてドアを潜り、一旦部屋に戻った。


”よっぽどの業物ねそれ”


 イナンナ様は私を休ませる気はなく、それの開示を暗に求める。

 視界にはずっと魔力感知のフィルターを掛けたままだった。

 日はかなり落ち始め、部屋の中が暗くなっているのにもかかわらず、その中は煌々と異色の魔力を放っている。


(開けてみますね)


 袋自体は市販のもので、上部の紐を解いた後はジッパーを下げるだけでその全体が露わになる。

 それは、金属と言うよりは白い光沢のある柄を持っていた。穂先にはさらにカバーがついていたが、薙刀と言うにはちょっと短めで、きっとと私は感じていた。


”魔力の保持量が異常なぐらい高いわね。ナナエとの相性で考えると他には考えられないぐらいピッタリの代物だわ”


 イナンナ様の評定を聞きながら、私はそれを両手で持ち、家具に当たらないように部屋の真ん中で軽く振り回す。

 穂先は当然ながら少し重かったが、柄の真ん中程で持つと前後のバランスが良く、全体としては重いけれど振り回す分にはさして影響はなさそうな感じがする。


 ……バランス?

 

 持ち手を移動させる際に、部屋の壁に二、三回穂先のカバーを当ててしまったけれど、私は柄尻の方を持って石突を確認する。


”なるほど。至れり尽くせりであなた仕様になっているわけね”


(どういうことですか?)


 石突には、柄よりも多少大きなぐらいの球体がついていた。材質も柄とは多少違うようで、表面には色々と文字が透けて見える。

 普通にみれば重心を取るための重りにしか見えないのだけれど、魔力を感知できる私の目には、そこにも大量の魔力があるように見えた。


”それ単体としては魔力を吸収して保持してくれる機能を持っているわ。そして、そこの石突には基本的な魔術の動作と射出機能がついている。

 おそらくはナナエの人間離れした魔力もほとんど受け止めることが出来るし、私が魔力行使をする際にそこの石突はいい助けになるでしょうね”


 イナンナ様の総評を聞いてから、もう一度、私の胴を中心にそれを回転させ中腰に構える。


(普通の薙刀では無いって事ですよね、完全に)


”ええ、普通どころか、神の代物、聖遺物とかのレベルね。あと、薙刀では無くて槍よそれは”


 ……薄々だけれど、私はこれが槍だと気付いていた。


(イナンナ様、これが何か知っていますか?)


”今言ったじゃない。銘まではわからないわ。でも銘が無いなら打ちたくなるぐらいの美品であるのも事実ね”


(どうしてわからないのですか?)


”私とて万能ではないわ”


 ……


”それと、ナナエ。唐突だけれど、あなたは今すぐに二つ決断する必要があるわ”



 次の瞬間、遠くで聞こえる爆発音と共に部屋の窓ガラスが揺れる。


 急いで槍を置いて窓際に走りよると、そこに見えたのはやや遠くに一筋の煙と火事のような明かりだった。


 あの方向って……?


”おそらくは龍神教の施設のある所よ。彼らが自分でやったか、あなたに与する側が攻撃したのかはわからないけれど、何かがあったのね”


 魔力感知で見る視界には、以前よりもずっと激しく魔力が流れていて、そしてそれらは明らかに爆発した方へと向かっていた。


 私は置時計の方を振り向いて時間を確認する。

 今は四時を少し過ぎていた。


「……夜野さん? もしかして……?」


 頭の中に蘇るのは、小学生の時のトラウマだった。教室のいたるところに撒き散らされた怖いものと言う名前の血だまり。

 もし、あそこに彼女がいたら……?

 次に記憶で呼び起こされたのは、燃え盛るクラスメイトの形相。


 恐怖は私の体を固くしていくのがわかる。


”ナナエ、一つ目の決断よ。

 あなたは助けに行く?”


 視界から色が抜けた。火災の煙も輪郭を残しほぼ動きを止める。


”行けばあなたはおそらく無傷では済まないと思うわ。それに、私の力を幾ばくかでも使えば、寿命が縮まる事になるのは間違いないわね。

 その代償として得られるのは、あなたのお父さんを殺したかもしれない相手への復讐と、もしかしたらあなたの友人を助けられるかもしれない事だけよ。

 でも、あなたの復讐相手がそこに居るかどうかはわからないし、あなたの友人もそこに居るか居ないか、生きているか死んでいるかもわからないわ。

 それでもやる?”


 突きつけられる事実を前に、私の心は固く凍り付いていく。


 寿命が縮まる事なんて、望む望まないで言えば望まない。

 復讐は自分の手で果たしたいけれど、今の状態ならば居るかどうかもわからない。

 夜野さんも助けたいけれど、今の状態はわからない。

 わかるのは、行けば私は災厄に巻き込まれるという半ば事実のような確信。


 こんな状況で、誰がやるというのか。


 おそらく現実では恐怖で手が震えているのだろう。でも、この白黒の世界ではそれさえも許されなかった。


 けれど、そんな酷い状況が揃っているのにも拘らず、私の心は選択する猶予を必要とはしない。


(やります)


 イナンナ様の言葉は、私に対して事態を再認しただけにしか過ぎないのはわかってる。そして、最初から心は決まっていた。


(お父さんの仇を取れる可能性があるなら、夜野さんがもしあそこにいる可能性があるなら、私は行きます。

 少しぐらいの寿命ならそのために失っても後悔はしません)


”……そう”


 諦めにも似たその言葉は、私の事を思ってくれているからだと知っている。


(我が儘ですみません)


”いいわよ。わかっていたもの”


 ふーっと一息、実体がないのに彼女のため息が聞こえた。


”じゃあもう一つの事を聞くわ。

 ナナエ、あなた、私に体を明け渡すつもりはない?”


 ……


 このタイミングでこの言葉は、驚かなかったと言えば嘘になる。

 その質問は、私とイナンナ様が最初に会話した時に言った事と同じだった。


 あの時は半分冗談だったと思うけれど、今彼女がそれを言うって事は……?


”ええ、今回は冗談ではないわ。

 今の中途半端な状態ではなく、ナナエが体を全部私に渡してくれれば、私が全ての問題を解決してあげるわ。

 あなたのお父さんの仇も討つし、手の届く限りあなたの身内に危害は加えさせない。降臨体として何不自由ない生活も保障するわ。

 それにそうね、ナナエの意識も極力残してあげるわ。今の私とあなたの位置が逆になると思えばいいぐらいよ。それに、人の一生分ぐらいの時間はこっちにいてあげるわ、あなたが寿命で消滅するまでは看取ってあげるわよ”


 その真意が読めなかった。ただ、一つだけわかるのは、彼女は私欲の為に言っているのではない事だけ。


”私の方がきっとうまくやれるわよ。この先起こる問題は全て私が解決してあげるわ。なんてったって神ですもの。正真正銘の”


 どうしてだろうか、その言葉に含まれてるのは高揚させるような雰囲気ではなく、悲しみの感情の方なのか。


(イナンナ様)


”何?”


(言わないとダメですか?)


”ええ、言わないとダメ。ちゃんと言って”


 ここがもし現実の時間ならば深呼吸を三回はしたい所だった。この思考が加速された時間だと、それは瞬き一瞬にしかならない時間であっても。

 お互いに答えのわかりきった茶番だったとしても、それを迎える準備は必要になるのだから。


 三回深呼吸を心の中で行った後、私は信念を彼女に伝える。


(私は、イナンナ様に体を明け渡すつもりはないです。

 手伝っては欲しいです、でも、全ての事は私の手で行います)


”わかったわ。たとえそれが茨の道であっても、大変な困難であってもやり通せるのね?”


(はい)


 ああ、と、ここで私はイナンナ様の真意に目星がつく。

 これから起こりうることに対して、私を守ろうとしてくれたんだって事に。


 もう大変な事が起きるの確定か……って諦観するしかなかった。背水は既に濁流で後戻りなんて出来なくて、前に進むしかない現状。

 うまくいく自信なんてなかったけれど、恐怖で怖気づくこともなかった。いざ決めてしまえば心は穏やかに醒めている。


”じゃあすぐに用意して”


 その言葉で体が動き出した。視界に色が戻るかと思ったけれど、そっちの方はうっすらとだけ。


”すぐに魔法を使うから、このままで居るわ

 コート着て、貰った荷物全て持って用意して”


(はい!)


 その言葉に従って私は40秒で支度する。嘘、多分本当はもう少しかかったのだけれどね。


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