5-6 神話

「はぁ……辛いなぁ」


 時間が過ぎて、冬の短い太陽はとっくに沈みこんでいる。明かりをつけた部屋で、私は勉強用に用意してもらっていた机に突っ伏しながら色々な事を考えていた。


 イナンナ様にあんな事を言ったのは良いけれど、全然手掛かりなんて思いつくものでもなくて、どうしようかなってのが一番の事で、二番目三番目は置いておいて、四番目ぐらいに今日の晩御飯どうしようかな……って。


「明日もこんな感じで自由がなさそうだし、動けるのは学校の中だけだとすると、図書室ぐらいかなぁ? 15年前の事なんてどう調べればいいんだろう。昔の新聞のスクラップとかあったらいいだけど……」


 独り言タイムで考えをまとめながら、視線は夕食のメニューに釘付けになっていた。


 どれもすごく高くて、文字ばかりで皿のイメージは出来ないものだけれど、昼のご飯を考えたら美味しいんだろうなぁって思ってしまう。


 払わなくてもいいって言われてもこの金額はやっぱり気が引けるよね……

 うーん、でも美味しかったしなぁ。


 相反する思いがどんどん募っていき、真面目な内容よりもお腹の方に意識が集中していく。


”なんでもいいけれど、食事はちゃんと食べてね? 言わなくてもわかるでしょうけれど、さっきの一食だけじゃ体のエネルギー足りていないのよ?”


(わかってます)


 机から顔を上げた私は、とりあえずと淹れた緑茶を飲んだ。部屋に備え付けであった緑茶のティーバッグは淹れるのは簡単だけれど、味は酷いもので、私からするとこれは本当に泥水だった。


 お父さん、お茶と茶菓子にはいつも力抜かなかったもんね。と、そんなことを懐かしみながら、お茶請け替わりにと田中さんからもらったクッキーバーの袋を開けてお茶と一緒にそれを食べる。


 お茶が無いと口の中の水分がとられてパッサパッサになりそうだとは思ったけれど、思ったよりそれは柔らかくて美味しかった。

 甘すぎず、どちらかと言うと素朴な味わいで、粗茶とはよく合う。


 ふむ。ふむ。


 とりあえずお茶が美味しくないからもう一本食べよう。一緒に食べれば少しはましになる。

 二本入りで一袋に入っていて、パッケージには二袋それが入っていた。

 一本半食べたところでお茶が足りなくなったから、新しくティーパックを開けてお茶を作る。一緒に飲み食いしたら今度はお茶が余ったのでもう一袋……


 田中さんが言っていたのも間違いではなかったらしく、一箱食べ切ったあとには私のお腹にはそれなりな満腹感が出来上がっていた。

 

”まさか、食事それで終わりとかではないわよね?”


(ええ、もう一箱食べます)


”……”


 意外とこれ、飽きない味で美味しいかもしれない。


 テーブルの上に置いておいたもう一箱に手を伸ばそうとして、私はクッキーの箱の下に置いてある、もう一つ別の物も一緒に手に取った。


 それは、大体ホテルとか旅館の部屋の机に入ってるってよく聞くけれど、ここのホテルも例外ではなかった物。


 ベール教の聖典、エヌマエリシュの写本。


 私はそれをルームサービスのメニューを探していた時に見つけていた。


 私にとっては見慣れたものだし、特に気になるものでもなかったけれど、なんとなくそれをめくっていく。


 最初の二神の話。

 神々の創生。

 大神マルドゥク様の生誕。

 邪竜討伐。

 人類創造。


 いろんな話がそれに乗っているけれど、相変わらず聖典の方は小難しくて途中で飽きてしまう。

 それよりも私は子供の時に読んだやさしい話の方が好きだった。

 家が燃えた時に焼けてしまってその本は失ってしまったけれど、いまだに思い浮かべることができるそのお話。


****************


 遠い遠い昔の話です。


 何もない世界で、沢山の神が居ました。

 男の神様も、女の神様も、良い神様も、悪い神様も。


 マルドゥクと言う名の神様が居ました。

 その神様は、神の中で一番強くて賢い神様でした。


 長くて辛い戦いの末に、マルドゥクは悪しきティアマトを引き裂いて、その躰で地上を造りました。


 そして、マルドゥクはティアマトの身を使い、沢山の神を造り、世界を造り、人を造りました。


 人間は自然を使い、動物を殺し、生き物を食べ生きることを覚えました。

 火を覚え、鉄を使い、神様に祈ることで魔法と呼ばれる力も使うことができるようになりました。

 神様は人間を使い、素晴らしいものを作りました。


 人は幸せに生きて、人生を全うして死に逝きます。

 大神マルドゥク以下、様々な神様は私たちを見守って、時には助けてくれるでしょう。

 私たちが祈り、敬う限りは、ずっと、ずっと。


****************


 目を閉じて昔の光景を思い出す。

 昔はこれを聞いて育って、神様にお祈りをしていたんだよね。


 今の閉じた眼の内にあるのは別の光景。

 神が管理する大きいけれど小さな箱庭。それがこの世界。


(イナンナ様、これ、本当の話なんですか?)


”ええ”


(私はそんな世界の人間なんですね)


”ええ”


(イナンナ様はそんな世界の神様なんですね)


”ええ、そうよ”


 神話が現実だなんて、誰が知っているんだろうか?

 信じている人居ても、知っている人はいるんだろうか?

 百聞は一見に如かずって、誰が本当に知っているのだろうか?


 神様が降りてくるってこういう事なんだって、今更ながらに実感していく。


 それでも、私は気後れすることも後悔することもなかった。

 知れば知るほど状況は複雑になっているのはわかっているけれど、私には何をしなければいいのかちゃんとわかっている。


(……私、頑張りますね。イナンナ様のお手伝いもちゃんと出来るぐらいには)


”……頑張って。ナナエ”


 目から……ちょっとだけ涙が零れ落ちそうになる所を私は掬い取った。


 きっと私には泣いている時間はない。


 きっとこれからもっと大変なことが私達に降りかかってくるだろうから。


 そんな予感に身を任せながら、涙を隠さんとばかりに私はもう一つのクッキーバーのパッケージを開けて勢いのままに貪る事にした。

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