好きです
***
結菜の誕生日当日の朝、美波は結菜への手紙を書いている芽衣に話しかけた。
「芽衣、マジックペンない?」
「あるよ」
芽衣にマジックペンを借りた美波は、牛のストラップの模様を直し始めた。
「そのストラップ、本当に返さないの?」
「返すよ、だから綺麗にしてあげてるの」
芽衣は驚いて、思わず大きな声を出してしまった。
「どんな心境の変化!?」
「うわ! いきなり大きな声出すから、牛の目変な方向向いちゃったじゃん!」
牛の目は、右目が右斜め上、左目が左斜め下になってしまった。
「ま、まぁ、それはそれで可愛いんじゃない? で? その心変わりはなんで?」
「輝久に優しくされた時、今の自分が嫌いになったの。ずるいやり方しかできない自分がね‥‥‥」
「気づけたならよかったんじゃない?」
「うん、芽衣の気持ちが分かった気がする。輝久は好きだけど、結菜に酷いことしたくない‥‥‥芽衣にも、いろいろ言っちゃってごめんね」
「いいよ、私もごめん‥‥‥どう? 私と同じような気持ちになってみて」
「辛いね‥‥‥」
「だよね‥‥‥」
そんな会話をしながらも美波は、マジックペンで牛の柄を復活させて満足していた。
その後、芽衣も手紙を書き終えて準備万端だ。
***
夕方六時になり、僕と芽衣さん、そして美波さんの三人は結菜さんの家にやって来た。
チャイムを鳴らすと、結菜さんではなくて宮川さんが出てきた。
「まさか三人も誕生日会に来てくれたんですか!? どうぞ上がってください!」
「おじゃましまーす」
宮川さんはすぐに誕生日のお祝いだと気づいてくれ、家に上がらせてもらったが、結菜さんの姿が無かった。
「宮川さん、結菜さんはいないんですか?」
「少し出かけて来るって言ってました。すぐ帰って来ると思うので、くつろいでてください!」
宮川さん達は、みんな楽しそうに誕生会の準備をしていた。
※
だが七時になっても、八時になっても、結菜さんが帰ってくることはなかった。
僕は、気づかないうちに結菜さんが部屋で寝てたりしないか、結菜さんの部屋にやってきた。
相変わらず殺風景な部屋だ。
なんだろこれ。
部屋の床に、一枚の紙が置かれていた。
殺風景な部屋ではやけに目立つ。
その紙を広げると、結菜さんの字で文字が書かれていた。
【直接お礼と別れを言えないことを許してください。面倒を見てくれてありがとうございました、私は家族のいる場所に行きます。ごめんなさい】
なんだこれ‥‥‥遺書?
とにかく、結菜さんに電話をかけたが、やっぱり繋がらない。
GPSで居場所を確認しようとしたが、それもダメだった。
多分、結菜さんの携帯の電源が切れているんだ。
僕は急いで階段を駆け降り、エプロン姿の宮川さんに遺書を見せた。
「宮川さん! 大変です!」
遺書を見た宮川さんは、血の気が引いたような顔をして、家中の人に結菜さんを探すように指示を出した。
美波さんと芽衣さんも、手分けして探すと言って家を飛び出していった。
「宮川さん! 僕達も探しましょう!」
「はい! 今車を出します! 一緒に乗ってください!」
「はい!」
それから車に乗り、街中を探しても結菜さんは見つからなかった。
僕は、ふと結菜さんのお姉さんが自ら命を絶ったことを思い出して、必死に運転をする宮川さんに聞いた。
「宮川さん! 結菜さんのお姉さんが命を絶った場所知ってますか?」
「知ってます! 向かってみましょう!」
その現場に着くと、すでにパトカーが沢山停まっていて、ビルの真下は大きなブルーシートで一部覆われていた。
野次馬も沢山いて、なにがあったのは一目瞭然だった。
僕は嫌な予感がして、慌てて車を降り、ブルーシートに走った。
「結菜さん!! 結菜さん!!」
「なんだ君は! 近づいちゃダメだ!」
一人の警察に止められて、ブルーシートに近づけない。
「僕は結菜さんの恋人です! 行かせてください!」
もうパニクってしまい、絶対に結菜さんだとしか思えなくなったってしまっている。
「落ち着きなさい! 君の恋人は生きてる! 上を見るんだ!」
上を見ると、十一階建てのビルの上に結菜さんが立っていた。
一歩進めば落ちてしまう場所で、追い風が吹くだけでも危険だ。
すると警察の人が、スピーカーで結菜さんに呼びかけた。
「君の恋人が来たぞ! 一度落ち着いて、恋人と話をしてみないか!」
結菜さんからの返事は無いが、警察の人が僕をビルの屋上まで案内した。
屋上までは、非常階段を登るしかなかったが、僕は止まることなく、必死に走った。
そして屋上の扉を開けると、十人以上の警察が結菜さんに優しく声をかけていた。
「なにかあったなら、おじさん達に話してごらん! 大丈夫だよ!」
結菜さんの後ろ姿を見て、僕は思わず声をかけた。
「結菜さん!!」
結菜さんは振り向かずに小さく言った、
「輝久くん?」
「そうです! 僕です! いったいなにしてるんですか!」
結菜さんは何も言わなかった。
このままでは本当に結菜さんが死んでしまうと感じた僕は、一方的に気持ちを伝えることにした。
「結菜さん! 聞いてください! 僕は結菜さんが好きです! 正直言って、結菜さんのことを好きかどうか分からない時がほとんどでした! むしろ解放されたいと思う気持ちもありました。でも!」
警察が、いきなり話に割り込んできた。
「何を言ってるんだ君は! 刺激しちゃダメだ! 大丈夫だよ結菜さん! 君の恋人は、ちゃんと好きだって!」
僕は柄にもなく怒鳴り声を上げた。
「ちょっと黙っててくださいよ!!」
警察はすぐに静かにしてくれて、僕は話を続けた。
「でもね結菜さん! さよならって言われた時、僕は結菜さんが好きなんだって、やっと気づいたんだ! たまに見せる結菜さんの笑顔が好きです! 楽しい時とか嬉しい時、ニコニコしながらテンションが上がる結菜さんが好きです! 結菜さんは一人じゃないです‥‥‥こっちに来てください」
「私は欲張りすぎたんです」
「そんなことないです!」
「家族を失って、それでも周りにいてくれる人がいて、お金もあって、よく考えたら、それなりに幸せなんだと思います。でも私はその幸せに気づけなかった。自分は不幸だと思ってました。でもそれから輝久くんと出会って、お付き合いするようになって、幸せを感じることもありました。それでも、家族がいないと‥‥‥一人を強く感じてしまうんです。だから輝久くんを強く求めたんだと思います。本当はそこそこ恵まれているはずなのに、欲張りすぎました」
「だからって死ぬ必要はないです!」
「私の欲張りのせいで、周りの人を沢山傷つけました。その事実にぶつかった時‥‥‥もういいやってなってしまったんです‥‥‥私も大人しく、家族の所に行こうと思います」
「‥‥‥結菜さんって‥‥‥意外と馬鹿なんですね」
「君!!」
一人の警察が僕を止めようとしたが、他の警察が、止めようとした警察を止めてくれ、僕は一歩一歩、ゆっくり結菜さんに近づきながら話を続けた。
「結菜さん、聞いてください」
「‥‥‥」
「僕達って婚約者なんですよね、今だって指輪してるじゃないですか。婚約者は結婚すれば家族になります。僕はもう、ほぼほぼ結菜さんの家族みたいなもんです!!」
その言葉を聞いて、結菜さんが初めて振り向いた。
その顔は、涙を流しながらも、希望を見つけたような明るい表情だった。
だがその時、結菜さんはよろけてしまい、ビルから落ちそうになった。
それを見た僕と、屋上にいた警察は一斉に結菜さんに向かって走る。
「結菜さん!!!!」
結菜さんは目の前でビルから落ちてしまい、夜の街に野次馬達の悲鳴が響いた。
僕はその場で腰を抜かして泣き崩れてしまった。
「なんで‥‥‥最後の最後で僕を一人にするんですか‥‥‥」
その時、ビルの下から警察の声がした。
「大丈夫だ! 意識はしっかりしている!」
警察にベルトを掴まれながら、恐る恐るビルの下を覗き込むと、結菜さんは大きなクッションのような物に乗っていた。
そのまま一度病院に運ばれて、僕と宮川さん、芽衣さんと美波さんも急いで病院に向かった。
※
病室では事情聴取が行われていて、それが終わるまで、僕達は病院の待合室の硬いソファーに座って待つことになった。
その間、美波さんはずっと泣いていた。
「ごめん‥‥‥ごめんなさい‥‥‥私があんなこと言ったから‥‥‥」
宮川さんは、涙を流す美波さんに優しく声をかけた。
「何があったか分かりませんが、大丈夫ですよ。結菜お嬢様は謝れば必ず許してくれます。優しいお方です」
「早く謝りたい‥‥‥」
そこに、見覚えが無く、声だけは聞きなれた女性が駆けつけた。
「君達! 何があったの!」
「どちら様ですか?」
「先生です! 莉子です!」
莉子先生はいつもと雰囲気が違い、髪をまとめて、ジャージ姿でメガネをしていた。
学校ではあんな綺麗な人なのに、休日の先生は年齢十歳増しに見える。
女性のスッピンは怖い。
莉子先生に事情を説明すると、莉子先生は真剣な顔をしてため息を吐いた。
「そっか、そんなことがね、じゃあ輝久くん達は、結菜さんの過去を知ってるんだね」
「はい」
「私もね、二十歳の時にお母さんを病気で亡くしてるのよ。親がいなくなるって、すごく辛いの。私の場合、お父さんがいるからまだマシな方かもしれないけどね? みんな、結菜さんには優しくしてあげてね」
そこで宮川さんが勢いよく立ち上がった。
「先生、素敵です!」
「え!?」
莉子先生は露骨に顔を赤くして慌て始めた。
「も、もっとちゃんとした格好で来ればよかった」
「先生、人は辛い過去があるほど輝くものです! でも輝ける人間は前に進んだ人だけ! 先生は立派な方です」
「あ、ありがとうございます!」
「是非、今度お食事でも」
「い、行きます!」
僕達三人は、目の前の光景を冷たい眼差しで見つめていた。
莉子先生がその視線に気づき、また慌て始める。
「先生だって年齢的に必死なのよ!」
必死な先生に、芽衣さんが冷たい声で聞いた。
「へー、先生って何歳なんですかー?」
すると莉子先生は、いきなりウィンクしながら聞いてきた。
「いくつに見える?」
僕、芽衣さん、美波さんの順番で答えた。
「三十七」
「三十五」
「四十八」
「まだ二十八よ!!!!」
年齢を聞いた宮川さんは、不安そうな表情になった。
「私は三十四歳なんですが、先生は年上とかって‥‥‥」
莉子先生は目を輝かせ食い気味に言った。
「大好物です!!」
うわー、莉子先生、本当に必死だ。
ちょっと引く。
莉子先生と宮川さんは、連絡先を交換して満足そうだった。
もう完全に付き合う流れじゃん。
※
みんなと話しながら時間を潰していると、病室から警察が出てきた。
「終わりましたので、もう大丈夫ですよ。会ってあげてください」
僕達が病室に入ると、結菜さんはベッドに座り元気そうだった。
「ご心配をおかけしました。ごめんなさい」
次の瞬間、美波さんが結菜さんに抱きついて涙を流し始めた。
「ごめんね結菜、ごめんね」
「いいですよ」
「私のせいで結菜を追い込んじゃった‥‥‥ごめんね‥‥‥」
「もう大丈夫ですよ、仲直りです」
「もう結菜を傷つけたりしない。この際だから、全部謝りたい‥‥‥」
「なんですか?」
「ストラップ盗んでごめん! 酷いこと言ってごめん‥‥‥嘘ついてごめん‥‥‥輝久とディープキスしてごめん!!」
「なっなっなっなっなっ!? なに言ってんの!?」
一旦逃げよ。
「宮川さん、輝久くんを抑えなさい」
「は、はい!」
「宮川さん! 酷いです!」
「すいません輝久さん。結菜お嬢様のお願いなので」
結菜さんは立ち上がり、ゆっくりと僕に近づいてくる。
するといきなり、みんなが見ている前でキスをしてきて、激しく濃厚に舌を絡めてきた。
「んっ!?」
次の瞬間、病室に莉子先生の怒鳴り声が響き渡った。
「こら! 不純なことは許しません!」
結菜さんはキスをやめて、莉子先生を見つめた。
「さっきの廊下での会話、丸聞こえでしたよ? 先生もいずれは宮川さんとするんですよね。ディープキス♡」
宮川さんと莉子先生は顔を見合わせ、顔を赤らめて顔を逸らした。
「そ、そ、そんなことしません!」
「そうですよお嬢様! 変なこと言わないでください!」
「あら? キスを通り越して、子作りに集中したい。そういうことですね♡」
結菜さんのその言葉に、莉子先生は顔から煙が出る勢いで顔を赤くして倒れてしまった。
すると宮川さんが僕の体を離し、莉子先生を支えた。
「先生! しっかり!」
こんなに騒がしい病室があるだろうか。
続いて結菜さんはまた美波さんに近づいて、いきなり目を大きく見開いた。
「仲直りはなかったことにしましょう、輝久くんとディープキス? 私の輝久くんを、その汚い唇で汚さないでください。許さない。許さない許さない許さない」
そこに、宮川さんと同じように結菜さんの家に住む一人の男性が、リンゴと小さなナイフを持ってやってきた。
「失礼しまーす! 入院って言ったら、やっぱりリンゴですよね!」
「あら、いいところに来ましたね。そのナイフを貸してください」
「は、はい」
結菜さんは小さなナイフを受け取り、美波さんの首に当てがってしまった。
「ねぇ、死ぬ? ねぇねぇねぇ、輝久くんを汚したんだもの、死ぬのが妥当ですよね?」
「結菜!? 許して! プレゼントがあるの! 今日誕生日でしょ!?」
「プレゼントですか?」
結菜さんはテーブルにナイフを置き、大人しくベッドに座った。
すると美波さんはポケットから、綺麗になった牛のストラップを取り出した。
「はい、紐とかは綺麗にできなかったけど、これプレゼント! てか、返す」
結菜さんは、さっきの怒った顔が嘘のように嬉しそうな表情になった‥‥‥と思ったら、牛の顔を見て無表情になってしまった。
「牛はこんな気持ち悪い顔してません」
「そ、それは描いてる時に芽衣が話しかけてくるから!」
「なんで私のせいなの!?」
でもやっぱり嬉しかったのか、結菜さんは無表情だった顔が緩み、優しい表情に変わった。
「でも、ありがとうございます」
「喜んでくれてよかった! ほら、芽衣と輝久も渡しな!」
「あ、僕、結菜さんの家に置いてきちゃいました」
「私もだ」
結菜さんは凄い勢いで立ち上がり、目を輝かせて僕に顔を近づけてきた。
「輝久くんからプレゼントですか!? 今すぐ帰りましょう!」
「入院するんじゃないの!?」
「怪我もしてないですし、大丈夫ですよ!」
その時、優しい表情をしたお医者さんが病室に入ってきた。
「今日は入院してもらうよ。頭を打ってるかもしれないからね。明日の検査が終わったらすぐ退院していいからね」
結菜さんの悲しそうな表情を見た芽衣さんは、結菜さんを元気つけようと、肩に手を置いて言った。
「それじゃ、仕切り直して明日誕生日パーティーしようよ! 私もプレゼント用意してるからさ!」
「芽衣さんのプレゼントですか? わーい、楽しみですー」
「なんでそんな棒読みなの! そして先生はいつまで倒れてるんですか!?」
莉子先生は意識がしっかりしているのに、ずっと宮川さんに体を支えられていた。
それからしばらく経って、莉子先生は明るい未来を見つめるような明るい表情をして帰って行った。
宮川さん達は、僕達を気遣って待合室で待っていてくれている。
そして結菜さんは、皆んなの分のリンゴを剥いてくれている。
「結菜さん、僕が皮剥きますよ」
「大丈夫です。私、好きなんですよ、剥くの」
「そ、そうなんですか」
変な意味に聞こえたのは、僕だけだよね!?
僕の心が汚いからだよね!?
「輝久くんのも剥いてあげますからね♡」
リンゴのことだよね!?
そうだよね!?
美波さんが引き気味に僕を横目で見つめている‥‥‥。
「へぇー、やっぱり輝久って包け‥‥‥なにその顔、怖い」
「僕、今どんな顔してますか?」
「怒ったフクロウ」
すると結菜さんが、リンゴを剥きなが爆弾発言をしてしまった。
「輝久くんは被ってますよ♡ 可愛いです♡」
言われたくないことを二人の前で言われた僕は、立ち上がり、勢いよく結菜さんを指差して言った。
「おいお前ー!! 言うな!? そういうこと言うな!?」
慌てる僕を見て、美波さんが僕を哀れみの表情でなだめてきた。
「大丈夫、もうみんな、合宿の時に見てるから‥‥‥輝久? またコケシみたいな顔になってるよ」
まぁ、ダビデ像も被ってるもんね。
僕はダビデ像と同じ。誇りに思っていいことだよね。
するといきなり、結菜さんが嬉しそうに笑った。
「へへ♡ お前って言われちゃいました♡」
「好きな人にお前って言われるの、なんか嬉しいよね!」
「はい♡」
芽衣さんが結菜さんに共感して、まさかの美波さんも共感しだした。
「分かるー! 普段言わない人からだと、言われた瞬間、キュン♡ってするよね!」
「なりますね♡」
三人とも、すっかり仲良しだな。
ヤンデレ気質なところ、結菜さんが楽しそうにしてるところを見ると、いつもの結菜さんだなって思って安心してしまう。
それから皆んなでリンゴを食べて、結菜さんを病院に残して、明日の夕方、結菜さんの家に集合の約束をして解散した。
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