第179話 世界一の幸せ者

 俺たちは今、港町アムルノスにいる。だが、到着したのはほんの一時間前。到着した時点で、すでに陽が落ちて夜だったために明日の早朝に船に荷物を積み込むんだそうだ。そして、昼過ぎに港を出航するのだとユーリさんから説明を受けた。


 俺たち来訪者組はリラード伯爵邸の別館に再び宿泊することになった。とはいえ、呉宮さんから言われるまで、以前に泊った日から一か月近くが経とうとしているなど到底信じられないことであった。


 今回の部屋割りは俺と呉宮さん、紗希と茉由ちゃん、洋介と武淵先輩ということになった。俺と紗希が未だに仲直り出来ていないことから、同じ部屋には出来ないということでみんなが気を利かせてくれたのだ。


 クヴァロテ村での一件から二週間以上経つが、紗希とはあれから未だに口一つ聞いてもらえていない。はてさて、どうしたものか……


 そんなことをソファに腰かけて考えを巡らせていると、トントンと呉宮さんに肩を優しく叩かれた。


「ねぇ、直哉君」


「……呉宮さん?どうかした?」


「直哉君に相談したいことがあって……」


 ……俺に相談したいことというのは一体何だろうか。本音を言えば、紗希との仲直りをどうするのかを考えたいところだったが、先に呉宮さんの相談とやらに乗った方が良さそうだ。


 呉宮さんは俺の座る隣に腰かけ、俺の方へ顔を向けた。その時になびいた髪から漂ってきた良い香りが鼻をくすぐる。そんな香りに惑わされながらも、話を振っていく。


「……で、相談したいことって?」


「えっとね、茉由の誕生日の事なんだけど……」


 茉由ちゃんの誕生日……確か、4月1日だって前に呉宮さんから聞いたことがあるな。えっと、紗希の3月14日の誕生日から二週間くらいしてからだから……


「もしかして、茉由ちゃんの誕生日って明日とかだったりする?」


「そう!直哉君、茉由の誕生日覚えてくれてたんだね……!」


 俺が茉由ちゃんの誕生日を覚えていたのが、よほど嬉しかったのか、呉宮さんは嬉しそうに微笑んでいた。でも、茉由ちゃんの誕生日を覚えていても、今日が何日かが分からなければ、分からないところだった。


「ということは、呉宮さんの相談したいことって茉由ちゃんの誕生日プレゼントのことだったり?」


 呉宮さんはこくこくと頷いていた。どうやら当たりらしい。本当はここに来る道中でプレゼントを買えれば良かったんだろうが、急に決まった遠征だったうえに、ここに来る道中に誕生日プレゼントになるような代物を売っている場所など無かった。


 ……となれば、何としても明日の昼の出航までに港町アムルノスでプレゼントを用意しておく必要がある。


 正直、早朝から探すのもアリだが、まずもって店が開いていないだろう。ゆえに、店が開いてから昼までの数時間でプレゼントを買わなければならないのだ。


 ならば、今出来ることと言えば、どんなプレゼントにするのかを大雑把でも良いからイメージを固めておくべきだろう。選んでいる時間もなさそうだし。


「呉宮さん、茉由ちゃんが好きなモノは?」


「……守能君かな?」


「プッ、さすがに寛之を茉由ちゃんの誕生日プレゼントにするのは無理だな!」


 冗談だったのかは分からないが、呉宮さんが茉由ちゃんの好きなモノとして寛之を出してくるとは思わなかった。笑いを止めようと思ったが、中々笑いというモノは堪えるのが難しい。俺はしばらく笑い続け、ようやく落ち着きを取り戻した。


「直哉君、だ、大丈夫?」


「ああ……!もう大丈夫。というか、笑ったりしてごめん」


 俺は笑いが収まったことをちゃんと言葉にして伝え、話を本題に戻した。


「私、茉由が好きなモノじゃなくて、必要なモノとかをあげた方が喜ぶんじゃないかと思うんだけど……どうかな?」


 俺は「どうかな?」と首を傾げながら提案してくる呉宮さんを可愛いと思いながら、会話の内容を頭の中に取り込んだ。


 とはいっても、茉由ちゃんに必要なモノ……それこそ寛之ではないのか?


 そんな解答として出すには恥ずかしいことが頭の中に浮かんで消えていったが、好きなモノより必要なモノをあげた方が喜ぶと考えた呉宮さんはスゴイと思った。何せ、俺にはそんな視点でプレゼントを選ぶという選択肢が無かったのだから。


 にしても、茉由ちゃんに必要なモノとなると……それまた難しそうな話になってきた。


「呉宮さん、茉由ちゃんに必要なモノって具体的にはどんな物?」


「えっと、これから戦いに行くから御守り……とか?」


「なるほど……」


 ということは、戦闘で役に立ちそうな魔道具とかが良さそうだ。だが、魔道具となると予算の面が心配だ。元より、遠征に行くのにそこまでの大金は持ってきていない。はてさて、どうしたものか……。でも、資金面を除けばナイスアイデアだと思う。


「じゃあ、呉宮さん。明日は魔道具の店に行って、茉由ちゃんのプレゼントを探すっていうのはどう?」


「うん!そうしよっか!」


 とりあえず、明日の事は決まった。魔道具の店の場所は明日、伯爵家の人に聞いてみよう。


 ――コンコン


 俺と呉宮さんの話が終わったタイミングで、部屋のドアがノックされた。俺がドアの元へ向かうよりも早く、呉宮さんがドアの元まで駆けていった。俺はその後に付く形となった。


 呉宮さんがドアを開けると、そこには茉由ちゃんと武淵先輩、紗希が居た。紗希に関しては、俺と目が合うなり視線を勢いよく逸らされてしまった。


「お姉ちゃん、今からお風呂に行かない?入るなら今の内だってメイドさんが」


「う~ん、それじゃあ、入ろうかな」


「じゃあ、お姉ちゃん。着替えとか用意してきて?」


「うん、分かった」


 バタン!と音を立ててドアが閉まる。呉宮さんはドアを閉めるなり、こちらへと振り返った。


「直哉君。私、お風呂行ってくるね!」


 呉宮さんはドアからベッドの方へと走っていき、着替えなどの入浴の準備を素早く用意していった。


「それじゃ、行ってくるね!」


「ああ、行ってらっしゃい」


 俺は呉宮さんの一連の行動と共に出発を見送った後、ベッドで横になろうと寝室へと向かう。だが、その道中に予想外の代物を見つけてしまったのだった。


 それは寝室に入ってすぐの床に落ちていた。白い布切れだったが、広げてみればあら不思議、おパンツの形になった。


 まず、状況的に間違いなく呉宮さんのモノだ。あれだけ大急ぎで準備をしていたのだ。寝室を出る時に何かのはずみで落としてしまったのだろう。


 俺はその白いおパンツを近くの椅子の上に置いた。さすがに床に戻すのだけは気が引けたからだ。


 それから迷いに迷った末に、部屋の外に呉宮さんがまだ居るかもしれないと思い、寝室を出て部屋の外の廊下を目指した。もちろん、おパンツを持ったまま部屋の外に出るのは気が引けるから、置きっぱなしである。


 ――ゴン!


 ドアに手を伸ばし、開けようとした絶妙なタイミングで開かれたドアに頭をぶつけてしまった。


 俺が額を押さえてうずくまっていると、心配そうな表情の呉宮さんが目の前に居た。


「な、直哉君!?大丈夫……?」


「大丈夫大丈夫。それより呉宮さん、忘れ物したんじゃ……」


「そうそう!ごめんね、先にそれだけ取ってくる!」


 呉宮さんは思い出したように手をポンと叩いて寝室へと向かっていった。着替えを何も持っていないところを見ると、誰かに預けてきたんだろうか。


 そんな呉宮さんはものの十秒ほどで寝室に入って、早足で出てきた。その手には例の落ちていたものを持っていた。が、そのまま俺の横を素通りしていく。


「直哉君。もしかしなくても見た……よね?」


 俺の横を通り過ぎた後、緊急停止した。その際の声は俺には怒っているように感じられた。まあ、乙女の下着を見たのだ。ここは大人しく、報いを受けるとしよう。


「ごめん、見た」


「そう……なんだ」


 何やら落ち込んでいるような声のトーンに俺は何やら心配になり、顔を上げた。


「えっと、呉宮さん?」


「良いよ。直哉君とは付き合ってるし、いつかはその……全部見せるわけだし」


 俺は一瞬思考が止まった。呉宮さんが何を言おうとしているのか。それも特に後半部分。


「それって……」


 俺が呉宮さんが言おうとしていることを予想し、言い当てようとしたのだが呉宮さんに物理的に口封じされてしまった。


「だ、だから、下着くらいは……ね?」


 呉宮さんは顔が真っ赤だ。耳まで赤くなっていて、見ているこっちも呉宮さんが言おうとしたことが頭の中を巡りに巡って恥ずかしくなってくる。呉宮さんも自分で言ったことを脳内でループさせたのか、恥ずかしそうであった。


「呉宮さん。俺はキチンと日本に帰って、呉宮さんのお父さんに挨拶してからじゃないと、そういう事はしないから!」


「へっ……?」


 俺は気づけばそんなことを口走っていた。呉宮さんは驚いたように口を開けた。だが、その数秒後には床にしゃがみ込んでいた。しかも、プルプル肩を小刻みに震わせていた。


「呉宮さん……?」


「直哉君がそう言って、手を出してこないのは嬉しい。私の事ちゃんと考えてくれてるんだって思えるから。でも、そんな言葉を聞いたら直哉君になら委ねられると思っていた自分が恥ずかしく思えて来て……それで……!」


 呉宮さんは赤くなり、熱を帯びる頬を手で押さえている。本当にその時の呉宮さんは早口で、頭の中で生成される言葉を思い浮かべるままに口にしているようだった。


「呉宮さん……」


「何か、私、ふしだら?だよね……?」


「ううん、呉宮さんだけがふしだらなんじゃないよ。俺だって、呉宮さんとそういう事している妄想することくらいはあるからさ」


 呉宮さんの顔から湯気が出そうなほどに熱を帯びているのが近づいて分かる。というか、言っている俺も恥ずかしくて恥ずかしくて、どうにかなってしまいそうだった。


「とにかく!呉宮さんが自分でふしだらとか言うことない!呉宮さんは優しいし、髪結んでても下ろしてても可愛いし、俺が好きなアニメとかラノベの話に合わせてくれたりするし、俺の事いつも心配してくれてる。呉宮さんは俺の誇れる立派な彼女だから、自分で自分を貶めるような事は言わないでほしい」


 俺は呉宮さんの正面に回り込み、思ったこと全部を勢いに任せて心の外へと放出した。呉宮さんは唇を噛みしめながら、俯いていた。その目から透明な雫がポロポロと零れ落ちる。


「えっ、俺、何かマズいこと言った……!?」


 唐突に涙をこぼした呉宮さんを見て、俺は焦った。何かやらかしてしまったのではないのか……と。


「ううん、これは涙だけど……悲しいからじゃないよ。嬉し涙だから」


 その言葉を聞いて俺はホッと一息つくことが出来た。正直、どうなることかと思って焦った。


「直哉君、私のことを大事に思ってくれてるのが今の言葉でこれ以上ないくらいに伝わって来たから。涙が抑えきれなくて……」


 俺は呉宮さんにハンカチを渡して、落ち着くのを待った。


「どう?落ち着いた?」


「うん。ありがとね」


 呉宮さんはニッコリと笑顔を浮かべながら、勢いよく立ち上がった。


「それじゃあ、今度こそ行ってくるね!」


 呉宮さんは部屋を出た後、敬礼しながらドアの隙間から顔を覗かせた。その時の弾けるような笑顔を見れて俺は心底嬉しかった。


「ホント、呉宮さんみたいな彼女を持てた俺は世界一の幸せ者だ」


 そんな世界一の彼女を守れるように、俺はまだまだ強くなりたい。そのためにこんなところで立ち止まっていられない。俺はもっともっと強くならなければいけないのだ!


 ――そう、改めて決意を固めた出来事だった。

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