第178話 南の大陸を目指せ

 ここは王都から南東へ200キロほど離れた場所。フィリス率いる王国軍七千が徒歩で行軍して一週間。それほどの距離の場所にある海岸にスカートリア王国水軍の基地があった。


 大陸の形状的に王都の近くだけ海が近づいてきているように凹んでおり、水軍基地を比較的近くに構えることが出来ていた。その海軍基地から港町アムルノスまでは順調に進めば11日半ほどで辿り着く。


 そして、海軍基地へと差し掛かったフィリスたち王国軍の進路の脇に一人の少女が剣を佩いて眠っていた。


 その少女の髪は銀色で、どこか王家の人間を彷彿とさせる雰囲気があった。その場の兵士たちは何とも思っていなかったが、フィリスだけはそう感じていた。


「貴様、一体何者だ?名を名乗れ」


 フィリスからの相変わらずの相手を射抜くような声は、少女を夢の世界から現実へと引き戻した。


「アタシはアシュレイ。名もない剣士よ。あなた、お名前は?」


 その銀髪少女の口の利き方に近くに居た兵士たちは腰の剣へ手をやった。しかし、それはすぐさまフィリスによって、制された。


「私はフィリス・オルガド。スカートリア王国軍総司令を務めている」


「へぇ、王国軍総司令って平民出身者しかなれなかったはずよね?」


 アシュレイの物言いに部下たちは眉をピクピクと痙攣させながら、怒りを堪えていた。この無礼者をいつ成敗するのか……と。


「私の母が平民出身でな。それで貴族ではあるが、特例として王国軍総司令として認められたのだ」


「そうだったのね。それで一つ、あなたに聞きたいことがあるのだけれど」


「何だ?」


「あなた、強いの?」


 余りに直球な質問内容にフィリスは戸惑ったが、すぐ後にはクスッと笑みをこぼしていた。


「ああ、そうだとも。もちろん、王国軍の中では一番強い。とはいっても、まだまだ騎士団長の方々や殿下には敵わないが」


「だったら、勝負してよ」


「おい、貴様!いい加減に――」


「構わない。受けて立とうじゃないか」


 フィリスは怒りに任せて剣を引き抜いた部下を止めながら、馬を降りてアシュレイの前に立った。


「総司令、このままでは到着が遅れてしまいます」


「何、すぐに片を付ける。お前たちは黙ってそこで見ていろ」


「「ハッ……!」」


 到着まで一時間ほどの猶予があることから、フィリスもそれまでにケリを付けて行こうと決めた。


 それに、ここでこの少女の挑戦を受けなければ、王国軍総司令としての恥となる……ということもあるが、ここまで自信ありげな様子のアシュレイに私的な興味を抱いたというのが一番の要因であった。


 そうして、道の真ん中でフィリス、アシュレイ双方は剣を構えた。


 数秒の間が空き、二人の周囲の草木が風で揺れ始めた刹那、肉薄。凄まじい剣撃の応酬が繰り広げられ、遠巻きに見ている兵士たちはあっけに取られる。


 フィリスの剣術の技量は彼らもよく知っているところだが、驚いたのはそこではない。彼らが驚いたのはアシュレイの剣の腕前だ。


 スカートリア王国でも5本の指に入る剣の腕前であるフィリスと真正面から斬り合っている。それも防戦一方などではなく、攻防バランスよく行なっている。


 名前すら聞いたことの無い少女が王国軍総司令と剣の腕前に関しては互角の勝負を演じているのだから、もはや驚かない方が無理というものであった。


 こうして戦いはもつれにもつれ、何百合と剣を交わしたところで、双方引き分けという形になった。


「アシュレイ。貴様は思っていたよりも強いな。正直、想像以上だ」


「お褒めに預かり光栄です」


 フィリスからの言葉にアシュレイは礼儀正しく頭を下げた。


「それでだが……」


「総司令。そろそろお時間が……」


「……分かった、先を急ぐとしよう。アシュレイ、機会があれば王都まで来てくれ。その時にでもゆっくり話をしようじゃないか」


 フィリスは副官からの進言に従い、即座に自らの馬にまたがり、海軍基地へ定刻通りに到着するべく、進軍を再開しようとした。


 しかし、アシュレイはその前に立ちふさがる。とはいえ、騎士のように礼儀正しく、片膝を付き、剣先を地面へ向けて頭を深く垂れている。


「フィリス王国軍総司令。アタシ……いいえ、わたくしめを遠征軍に加えていただくことは可能でしょうか。加えて頂けたあかつきには、この剣をもって戦勝に貢献致したく存じます」


 出会った時とは大違い、礼儀正しいアシュレイの姿にフィリスは心打たれた。それに何より、これほどの剣の使い手をここで見過ごすのは惜しかった。


「おい、貴様!剣の腕が立つとはいえ、無礼が過ぎるぞ!我々は先を急いでいるのだ!」


 何度目か分からないほどに声を荒げる副官の指示で、兵士たちがアシュレイを退かそうとした。それをフィリスは一喝。


「皆の者!この少女、アシュレイを今回の遠征軍に加える」


「しかし……」


「これは王国軍総司令としての命令だ。異論は認めん!それに何より、このアシュレイが問題を起こすようであれば、私自らが斬り捨てる」


 フィリスの双眸にキッと睨みつけられた副官は黙るしかなく、渋々兵士たちに命じてアシュレイに手出ししないようにさせた。


「来い、アシュレイ」


「ハッ!フィリス王国軍総司令の仰せのままに」


 こうして、フィリス率いる王国軍は進軍を再開し、ギリギリではあったが定刻通りに水軍基地へと到着することが出来たのであった。



 フィリスたちの到着した水軍基地には40隻ほどの大型船が停泊していた。そんな水軍基地に駐屯する王国水軍の兵数は一万八千という数になる。それも海上戦においての精鋭ぞろいである。


 そして、そのうちの一万二千が遠征に参加し、さらにその中でもフィリスたちに同行するのは一万八百という数である。残る千二百は後続のクラレンスたちと共に進軍する手はずとなっている。


 今。そんな王国水軍を束ねる水軍司令アランとフィリスは対面していた。


「よう、俺がアランだ。よろしくな!」


「私が王国軍総司令のフィリスだ。こちらこそ、よろしく頼む」


 アランは親しみやすい雰囲気の男であるが、正式な場での発言と態度がどちらもマズかった。


 王国水軍自体、王国軍に入っているので王国軍総司令であるフィリスが上官ということになるのだが、アランにはそれを意識している様子は見られなかった。


 フィリスは快活な男であるアランに船に乗る上での諸注意を受けた後、兵士たちを次々に乗船させていった。もちろん、その後に食料といった必要物資も。


「フィリス総司令はこちらへ」


 アランに導かれるまま、フィリスは戦闘を行く船へと乗り込んだ。その後ろには護衛としてアシュレイが続いていく。


「アラン水軍司令、港町アムルノスにはどのくらいの日数がかかる?」


「そうだな……何事も無ければ、12日後には到着できると思うぜ」


 アランからの返答に対して、フィリスは短く「そうか」と返すだけに留まった。


「そういや、フィリス総司令が海賊団ケイレスを討伐したんだってな」


「ああ、急行軍として鉄騎兵だけを連れて討伐に向かった。とはいえ、討伐出来たのは来訪者たちが協力してくれたおかげなのだが」


 海面を見つめるフィリスにアランは絵画のような美しさを感じつつ、彼女の隣に並んだ。


「海賊団ケイレス、あいつらは本来、俺たち水軍が片付けるべきだったんだが、肝心な時に動けなかった。その件に関しては本当に悪かった!」


「いいや、謝ることではない。船が故障していたのだろう?それはすでに報告を受けていた。だから、私が動いただけのこと。アラン水軍司令が謝ることではない」


「だが、それでもだ」


 頑なに頭を下げたまま、上げようとしないアランだったが、顔をフィリスの両手で挟まれたことによって強制的に顔を上げさせられた。


「私はもうその事についての謝罪はいらないと言っている。それ以上、ムダな謝罪を続けるのは許さん」


「……ああ、分かったよ。悪……」


 アランはまたしても謝りそうになったために口元を手で押さえ、言葉が出ないように抑え込んだ。


 その後、アランとフィリスは8年前の海賊団ケイレスとの戦いで王国軍総司令と水軍司令が同時に死亡したことで、互いの人生が一変したことなどの話をしていた。


「アラン水軍司令が王国水軍に入ったのはちょうど21年前の魔王軍との戦争があった頃か」


「ああ。でも、あの頃は本当に入りたての新兵だった。それから3年後の戦いの時では船一隻の指揮を預かれる立場にまで出世したんだが、結局、水軍は二回ともお呼びがかからなかったんだよ」


 21年前の魔王グラノリエルスとの戦いと、18年前の魔王ヒュベルトゥスとの戦い。そのどちらも陸地で行なわれた戦いであったため、水軍は物資の搬送などの後方支援に徹したのみであった。


「私は二度の対戦の時、まだ子供だったから戦場に出ることは出来なかった。出られていれば、この剣を役立てられたのだろうが」


 腰に佩いた剣に手をかけながら、その剣へと視線を落とす。その時にチラリと視界の隅に移ったアシュレイが沈んだ表情をしているのが気になった。


「アシュレイ、そんな浮かない顔をしてどうかしたのか?」


「いえ、かつての魔王軍との激戦からそんなに時間が過ぎたのか……と思っていただけです」


 アシュレイの返答に疑問符を浮かべたような表情をするフィリス。それもそのはず、アシュレイの年頃の少女がさも対戦を見たことがあるかのような発言をしたのだから。


「アシュレイ、年はいくつだ?」


「18才ですが……」


「そうか」


 ちょうど魔王ヒュベルトゥスとの戦いのあった年に生まれたのか。フィリスはそんなことを思っていた。


「だったら、アシュレイはオレのちょうど半分の年齢ってことになるのか」


 アランはアシュレイの肩にポン!と手を置きながら、軽いノリで話しかけていた。それをアシュレイは苦笑しながら、応対していた。


「水軍司令!準備が完了しました!」


「よし、出航だ!」


 アランは部下と短い言葉のやり取りの後、すぐさま船団を出航させた。ここから長い船旅が始まるのだと思うと、ワクワクする気持ちと戦いまでのカウントダウンが始まったという緊張感が同居したような気分が船に乗る全員の心に宿った。


 ◇


 船団が水軍基地を発ってから12日。予定からほとんど遅れることなく、無事に港町アムルノスへと到着することが出来ていた。


「船はオレたちの乗っている船だけを港につけるんだ!残りの船はオレが戻るまで、錨を下ろして待機だ!」


 アランが流れるように指示を出し、アランとフィリス、アシュレイたちが乗っている船は港へと停泊した。


 船の停泊後、港までやって来たリラード伯爵へ挨拶を済ませ、その後は今回の遠征の計画などをフィリスから改めて伯爵へと説明がなされた。


 そうして、停泊から1時間ほどが経ち、フィリスたちは船へと戻った。


「リラード伯爵、やっぱり良い人だったぜ。何年か前にも来たことがあったが、あの時もこれ以上ないくらいの歓待を受けたもんだ」


 フィリスはアランの話す内容を話半分で軽く聞き流し、ついに南の大陸が近づいてきたことで緊張が高まって来ていた。


「アラン水軍司令、ここから南の大陸まではどれくらいかかりそうだ?」


「順調にいけば、7日くらいで着くだろうな。まあ、海の上で魔王軍に襲われないことを祈るばかりだぜ」


 アランは船の帆を撫でながら、呟いた。いかにアランたちが水上戦に長けているといっても、それは人間相手の話。魔王軍の猛攻を浴びせられれば、木製の船では沈没されるのがオチだ。


「そうだな。私も海上で敵襲を受けないことを願うばかりだ」


 現にフィリスたちが南の大陸へ辿り着くためには魔王城のある魔族領の真横を通り抜けないといけないのだ。そのことを考えても、不安な要素しかない。


 そんな時、リラード伯爵から伝言を預かって来たというアシュレイが甲板に姿を現した。


「フィリス総司令。ローカラトからの軍勢は3日後にここ、港町アムルノスに到着するとのことです」


 ――3日後。少なからず、それまでは援軍は望めないということになる。後から続いてくる予定のクラレンス率いる騎士団の方もいつになるかは具体的なところは何も分からない。


「フィリス王国軍総司令、オレたちは三日は援軍は望めない。それはあくまで最低ラインの話だ。下手をすれば、何週間も援軍が来ないかもしれないんだぜ?怖くないのかい?」


「……怖くないと言えば噓になる。だが、総司令である私が怖がっているなど許されない。それに、この作戦の結果が今後の動きに大きく影響を及ぼすことになるだろう。それはいい意味でも悪い意味でも……だ」


 フィリスは水平線の彼方を見やりながら、アランに対して言葉をかける。その表情は希望に見ていているようで、恐怖などどこかへ押し込めてしまったようだった。そんな言葉を隣で聞くアランはフッと笑みをこぼし、背後でアシュレイは目をつむって静かに耳を傾けていた。


「さあ、アラン水軍司令。出航の合図を!」


「ああ!」


 ――フィリスの言葉に弾かれるようにアランは出向命令を出し、一行は港町アムルノスを発ったのだった。

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