幕間4 気になるモノは気になる
「部隊ごとに手分けして武具を馬車に積み込め!そこ!食料の調達はどうなっている?」
慌ただしい様子の夕刻の王国軍兵営前。そこではフィリスが四方へ檄を飛ばしていた。それに従って、兵士たちが怒られながらも何とか言われたことをこなしていく。
現在、王国軍は南大陸への遠征に向けて大急ぎで部隊の編成から何までを急ピッチで進めていた。
「フィリス様!兵糧の積み込みが完了しました!」
「よし、それではいつでも出発できるよう、運送班に準備しておくように伝えておいてくれ」
「ハッ!」
フィリスの指示に弓を離れた矢のように目的地へと駆けていく兵士。新入りにしては動きが良い事をフィリスは良い事だと思っていた。
「フィリス様、来客です」
「何、来客だと?それは一体誰だ?」
「クラレンス殿下です」
「殿下が?親衛隊の者たちは?」
「お見えになっておりません」
兵士とフィリスの短い言葉での一切間を入れないやり取り。フィリスはどうしてクラレンスが一人でやって来たのかを考えてみるものの、まったく思い浮かばなかった。
「殿下はどこにおられる?」
「総司令の執務室に」
「分かった。引き留めてしまって悪かったな」
「いえ!これにて私は失礼します!」
フィリスからの言葉に兵士は両手を胸の前で振った後、慌てて一礼して去っていった。フィリスは兵士が去った後で、足早に執務室へと向かったのだった。
「遅れて申し訳ありません、殿下」
「いえいえ、こちらこそ突然訪問した無礼をお許しください」
部屋に入るなり謝罪の言葉と共にお辞儀するフィリスに対し、クラレンスも突然押し掛けたことを素直に謝罪した。
「それで、こちらへ何用で参られたのですか?遠征の準備であれば滞りなく進んでおりますが……」
「いや、遠征の話ではない。その、何だ……」
フィリスの思っていた話ではないと否定したクラレンスだが、そこから後ろの言葉に詰まっていた。いつもハキハキとモノを言うクラレンスのしどろもどろな様子にフィリスは新鮮さを覚えていた。
「殿下、一度落ち着いてください」
フィリスに促されるまま、深呼吸をし、ようやくクラレンスは落ち着きを取り戻した。
「フィリス、先の遠征において港町アムルノスに行ったと聞いた」
「はい、確かに行きましたが……それが何か?」
「……そこで薪苗紗希という少女には会わなかったか?」
フィリスの頭は混乱した。なぜ、そこで来訪者たちの事ではなく、中でも薪苗紗希のことをピンポイントで聞いてくるのか。
その辺りをフィリスは考慮した結果、あっさりと答えは導き出された。
「殿下、もしかしなくとも薪苗紗希のことがお好きだったりなされますか?」
「なっ……!」
フィリスにとっては、恋は暇人がする者だという価値観があった。フィリスとて恋とは無縁の人生を歩んできたが、たまにではあるが恋愛の話などを小耳にはさむくらいの事はある。どこの誰が誰と結婚するだの、そういった話だ。
たとえ、そういった話を聞いていなかったとしても、わざわざ異性を名指しで聞いてくる時点で後はお察しの通りというヤツであった。
また、先ほどのフィリスの言葉の中での後半部分にあたる『薪苗紗希のことがお好きだったりなされますか?』のところで、クラレンスの顔がボッと火が出るように赤くなっていた。
「別に私はあの少女が好きなのではなく、謝りたいだけなのだが……!」
「謝りたいだけ?一体、何をなさったんですか?」
とても謝りたいだけとは思えない。そう思いながらも、フィリスは会話を先に進める。
「彼女が毒によって受けた傷を癒やす薬を口移しで飲ませたことだ」
「なるほど。口移しで薬を……」
フィリスは右から左に流しそうになった言葉を一時停止させた。特に引っ掛かったのは『口移し』という部分。
どういう状況なのかを脳内で思い浮かべてみたところ、フィリスまで恥ずかしくなって顔が赤くなってしまっていた。
「殿下!もう少し詳しく説明を!」
フィリスは食いついた。『恋など暇人がするモノ』という価値観は自分という軸を恋に流されないようにするための防波堤のようなモノであった。ゆえに、恋バナなどは興味がないわけではないのだ。
余りにも唐突に話に食いついて来たフィリスに驚きながらも、頬を赤く染めながらクラレンスはぽつぽつと起こった出来事を話し始めた。
「なるほど……ですが、殿下。薪苗紗希たちは王城での戦いの後、数日の間はこの王城に滞在しておりました。話す機会などいくらでもあったのでは……?」
「それもそうなのだが……どうにも避けられてしまっているようなのだ」
クラレンスは正直に打ち明けた。フィリスの話す機会などいくらでもあったのだが、顔を合わせるたびに紗希に敏捷強化魔法まで使われて、脱兎のごとく逃走されたのだ。
「それは……」
「とても話など出来る状態ではない」
クラレンスの話を聞き、フィリスは話が出来ないという事に納得せざるを得なかった。フィリスとて、紗希が敏捷強化魔法を使った時の移動速度を一度だけ見せてもらったが、速さの次元が違った。
……そんな速度で逃げられれば捕まえることは本当に不可能だ。
フィリスは少し、クラレンスの感情が理解できたような気がしたのだった。
「そうか。それで話しかけられなかったから、私から薪苗紗希の情報が欲しかったということでしたか」
「ああ、そういうことになるな」
すっかり、赤くなっていた顔も元の色白の肌に戻っており、貴公子モードに突入していた。
その後のフィリスは港町アムルノスでの紗希のこと……だけでなく、その他もろもろのことを隠すことなく話した。特に紗希が海賊団ケイレスとの戦いにおいて、負傷した上に人質に取られた話にはクラレンスの食いつきようが異常であった。
そんなクラレンス相手にタジタジになりながらも、紗希は無事にケガが治っていることなどを伝えると、安心したように胸を撫で下ろしていた。
「フィリス王国軍総司令。今日は忙しい中、話をしてくれたこと感謝する」
「いえ……どういたしまして」
クラレンスは満足したのか、爽やかな笑みを浮かべながら執務室を去っていく。後に残されたフィリスは今までの疲れがどっとのしかかってくるような感覚に襲われたのだった。
「……いかん、まだまだ私にはまだやらなければならないことが……」
フィリスは頭痛がする頭を抑えながら、必死に荷物の積み込みを行なっている兵たちの元へと急いで戻ったのだった。
◇
クラレンスは心が躍るような気分だった。直接会ったというフィリスから紗希の話を聞くことが出来た。
何だかそれだけで嬉しく、幸せな気分で満ちているようであった。普段はそこまで笑みを浮かべることのないクラレンスだが、その時だけは違っていた。
その時は一度として人とすれ違うことなく、王国軍総司令の執務室から自室に戻れたのは幸運だった。恐らく、その時のクラレンスの様子を見れば、表情がほぐれる薬でも盛られたのではないかと思われても仕方が無いほどの表情をしていたからだ。
そんなクラレンスが今まで生きてきた中で、これほどまでに気になる女性は今まで居なかった。
あの王城が襲撃された夜。毒のダメージが残る紗希に唇を重ねた。その時は何とも思っていなかったが、それからふとした時に思い返すたびに紗希のことが気になって仕方なくなっていた。
自室に戻ったクラレンスは外出用の服装から室内用の服装へと着替える。そこまでが、クラレンスの一日である。
フィリスと話をする前に夕食を済ませていたことから、朝になるまで自室で眠るだけ。とりあえず、ベッドで横になるものの、まったく寝付けそうになかった。
そこへ、ドアをノックする音が響く。
クラレンスは誰かと思い、部屋のドアを開けてみれば純白のネグリジェを身に纏ったエレノアだった。そんなエレノアがなぜ、夜に自分の部屋を訪ねてきたのかが分からなかったが、彼女の手には一通の手紙が握られていた。
「エレノア、それは?」
「ローカラトの町から殿下宛に。手紙に細工がされてないのは、すでに探知魔法の使える宮廷魔導師たちが調べてくれたから大丈夫みたい」
「……分かった。一応、気を付けて目を通しておく」
クラレンスはエレノアから手紙を受け取る。手紙の差出人の欄には薪苗紗希の名がこの国の言葉でたどたどしく記されていた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
クラレンスは差出人の名前を見て、浮かれる自分を戒めながらエレノアと別れた。部屋のドアを閉め、机の上で手紙を開封する。そこには差出人の名と同じくらいの拙い文字で手紙が書かれていた。
『拝啓 春風が心地よく感じられる季節となりました。クラレンシュ殿下におかれましては、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。この度は王城でのことをお詫びいたしたく手紙を送らせていただきます。その前に、兄が負傷した際には王城の一室を貸し与えてくださったこと感謝しております。さて、本題になりますが、私がクラレンス殿下にお会いするたびに魔法まで使って逃げ出してしまったこと、大変失礼を致しました。もしかすると、殿下は私が殿下のことを嫌っていると思っておられるかもしれませんが、そのようなことはありません。むしろ、命の恩人を嫌う理由などどこにもありません。ですから、次にお会いすることがありましたら、逃げるという失礼な態度は取りませんので、気兼ねなく接していただければと思います。末筆ながら、クラレンス殿下のいっそうのご活躍を心よりお祈りいたしております。季節の変わり目ゆえ、くれぐれもご自愛くださいませ。 敬具 薪苗紗希』
クラレンスの名前のところで『シュ』と『ス』の綴りが間違っているが、他は丁寧な文体で書かれていた。その手紙を読めば、顔は見えないにせよ慣れない言語で一生懸命手紙を書いたことは十分すぎるほどに伝わってくる。
とはいえ、クラレンス個人の感想としては『もっとくだけた文章でも良かったのに』ということだった。
……そうはいっても、紗希とクラレンスはそこまで親しく話したことはないため、丁寧で固い文章になってしまうのは仕方のないことではあるのだが。
とりあえず、嫌われていないことは手紙とはいえ、本人から伝えられたのはクラレンスにとっては大いに安心できる内容であった。
それからクラレンスは、紗希からの手紙を穴のあくほど読み返した後、角が曲がったりしないように気を遣いながら封筒に直し、机の引き出しに大切にしまった。
「……出来れば、次に会う時は落ち着いて話がしたいものだ」
クラレンスはそう独り言ちて、一人の少女への想いを胸の内に抱えながらその日は眠りについたのだった。
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