第116話 死神VS.覇王
大地が裂けるほどの強力な一撃が振り下ろされる。ウィルフレッドはこれをやっとの思いで回避する。
レイモンドとウィルフレッドの激闘はかれこれ数十分ほど続いていた。それによって、周囲の地面は天変地異でも起こったかのような有様であった。
レイモンドの大剣捌きは20年前に比べても遥かに上達しており、これにはウィルフレッドも目を見張るものがあった。
さらに、大剣のリーチが長いこともあり、ウィルフレッドの拳が届くことは無かった。無論、レイモンドの攻撃に当たるほどウィルフレッドも間抜けでは無かったが。
「オラァ!」
レイモンド全力の薙ぎ払いはウィルフレッドが軽やかに上へと跳んだことで回避されてしまっていた。回避するままにレイモンドの背後に回ったウィルフレッドが拳を打ち出すも、すれすれのところでレイモンドが体をひねったことでかわされてしまっていた。
お返しとばかりにレイモンドから大剣での斬り上げが見舞われるも、ウィルフレッドには楽々と回避されてしまっていた。
お互いに決定打どころか未だに一度も攻撃を当てられていない。だが、攻撃の威力は双方ともに人間の中ではトップクラスである。そのために地面がえぐれ、裂けてしまっているのである。並みの人間が戦ってこんな有様になることなどまず、あり得ない。
「ウィルフレッド……いや、オリヴァー殿下。ここはオレの顔に免じて退いてくれ」
「それは出来ないな。私の仲間たちが頑張っているんだ、そんな中でマスターである私だけが戦いを放り出すわけにはいかないのだ」
「そうか。だったら、アンタはここでオレが捕縛して陛下の御前に突き出させてもらうぜ!」
レイモンドはウィルフレッドの返答にニヤリと笑みを浮かべた後で、一息間合いを詰めて大剣を首元へと薙いだ。
だが、大剣のフルスイングはウィルフレッドの同化魔法によって、すり抜けられてしまった。その隙に放たれたウィルフレッドの拳がレイモンドの頬を穿った。
ウィルフレッドの拳を受けたレイモンドは体勢を崩した。そこへ立て続けにウィルフレッドの回し蹴りが飛来する。
しかし、その回し蹴りはレイモンドの腕で受け止められてしまったうえ、レイモンドの怪力ではじき返される形となった。
横方向へと吹き飛ばされたものの、ウィルフレッドは地面に2本の線を引きながら勢いを殺し、体勢を立て直した。だが、そんなウィルフレッドの頭上から大剣が落下してくる。
これは横に跳ぶことで回避することが出来たが、地面は直線状に裂けてしまっていた。
「ついに使ったか。あの魔法を……!」
ウィルフレッドが言っているのはレイモンドの魔法である筋力強化魔法。これは純粋に攻撃力を底上げするものである。純粋な力は強化ナシでも人類トップクラスであるレイモンドがこの魔法を使った時点で、力で並ぶものはこの世に存在しなくなるのだ。
そんな状態のレイモンドの攻撃をまともにくらえば、無事では済まない。ウィルフレッドの魔力が無くなれば、万が一の時の同化魔法が使えない。それはつまり、ウィルフレッドの敗北を意味する。
ウィルフレッドがレイモンドに勝つには長期戦だけは避けなければならない。対して、レイモンドはウィルフレッドの魔力切れを待つだけであるから少々有利ではある。
「第二ラウンドの始まりだぜ!」
ウィルフレッドは次々と放たれる斬撃をかわすことしか出来なかった。レイモンドの大剣をかわすこと自体はウィルフレッドにとっては造作も無いことだったが、現在のレイモンドが放つ斬撃は並外れた破壊力を誇っていた。
通り過ぎていけば、そこにある大気を抉っていくような暴風が吹き荒れたからである。この風が斬撃をかわしたウィルフレッドを吹き飛ばしてくるのだ。
この追加攻撃が最も厄介なところであり、ウィルフレッドがレイモンドに近づくことが出来ない唯一の理由であった。
ウィルフレッドはその後も避けることだけに専念していたが、次第に魔力が底をつき始めていった。
「どうだ?そろそろ、降参しとくか?」
レイモンドは肩に大剣を担ぎ、勝ち誇ったように息切れしているウィルフレッドを見下ろしていた。
ウィルフレッドは息切れが酷かったが、戦いを諦めたわけではないことだけは眼を見ればすぐに分かる。ゆえにレイモンドも戦闘態勢を解くような真似はしなかった。
「いや、そろそろ私も勝利をこの手で掴もうかと思っただけだ」
少し間が空いて、レイモンドの言葉にウィルフレッドは答えた。レイモンドはウィルフレッドの答えに満足げであった。
「よし、良いだろう。その口が動くということは、体力も底をついたわけではないという何よりの証拠だからな!」
レイモンドが話し終えると同時に大剣はウィルフレッドの居た地面を叩き割った。その衝撃波は数メートル離れた場所に立っている木々をへし折るほどだった。
「ハッ!」
瞬間的にレイモンドの側面へと回り込んだウィルフレッドは神速の拳を打ち出した。その拳はレイモンドの鳩尾に鈍い音を立てながら食らいついた。
ウィルフレッド全力の攻撃にレイモンドは数メートルの後退を余儀なくされた。その後退した後の地面は2本の直線状のくぼみが形成されていた。
「へっ、やっぱり今までの攻撃は本気じゃなかったみてぇだな……!」
それでこそ自分と同じ八英雄と呼ばれる者だ、とレイモンドは嬉しそうに表情を崩した。
「戦場でにやけているとは、随分と余裕があるな!」
今度は頭上からのウィルフレッドの攻撃をレイモンドは慌てて飛び退いて、緊急回避した。ウィルフレッドの拳と衝突した地面は半径2メートルほどのクレーターが出来ていた。
レイモンドの攻撃に比べれば威力は可愛いものだが、人間一人を戦闘不能に追いやるのには十分な一撃である。
「ウィルフレッド、どこにそんな力を隠してたんだ?」
「最初から本気なんて出すわけないだろう。お前相手に」
これはウィルフレッドの挑発である。そのことはレイモンドも頭の中では理解できている。だが、レイモンドの性格上、挑発に耐えることは感情が許さなかった。
「テメェ、今なんて言った?もういっぺん、言ってみろや!」
レイモンドが挑発に弱いことはウィルフレッドも把握済みだ。何せ、レイモンドは自分の強さに自信がある。それゆえに自分の強さをけなされると怒りという感情が独り歩きしてしまうのだ。
キレたレイモンドの攻撃は威力が落ちるどころか上昇しており、地面を踏み込む力も跳ねあがっていた。だが――
「力の無駄づかいが多すぎる」
レイモンドの斬撃を上に跳んで回避したウィルフレッドは落下しながら、その重力を活かして全力の拳打を見舞った。後頭部に痛恨の一撃を受けたレイモンドは地面へと顔面から叩きつけられた。
「“覇王”とはいえ、感情のままに暴走すればここまで弱くなるのか。あっけない物だな」
ウィルフレッドが立ち去ろうと数歩歩いたタイミングで嫌な予感を感じ、振り返ると同時に反射的に腕を胸の前で交差させた。刹那、大気を裂いて突き進んできた拳がウィルフレッドを10メートルほど一直線に吹き飛ばした。
「危ねぇ、危ねぇ……!お前にガツンと一発貰ったおかげで目が覚めたぜ」
ウィルフレッドが痺れる腕を振りながら、顔を上げると後頭部から血を流しているものの、ピンピンした様子のレイモンドの姿があった。
「ウィルフレッド、まさか俺があんなへなちょこパンチでくたばると思ったのか?」
ウィルフレッドはレイモンドの言葉と状態が一致していないのを鼻で笑った。出血量とその言葉にギャップがありすぎる。
「ウィルフレッド、まだ戦いは終わってねぇぜ!」
レイモンドは地面に転がった大剣を拾い上げて、ウィルフレッドへと猛進していった。その勢いのままに大剣を薙ぎ払うと、周囲の樹木が数十本まとめて半ばから切断された。
ウィルフレッドは身を伏せたために直撃は免れたのだった。レイモンドが大剣を引き戻す間にウィルフレッドは開けた場所へと移動し、機を窺った。
レイモンドが現在、大剣を引き戻しているために背がガラ空きになっているが、それが誘われているということだけは容易に理解できた。
「何だ、来ねえのか?」
レイモンドは大剣を持った状態でウィルフレッドの方を振り向いたが、仕掛けてこないことを意外そうにしていた。
「ああ、ぶった切られると分かっていて飛び込むなんて事は私はしないさ」
ウィルフレッドは澄ました表情でレイモンドへと言葉を投げるが、レイモンドはフッと笑みをこぼした。
「ああ、そうかい。来ねぇんだったら、こっちから行かせてもらうぜ!」
レイモンドはしびれを切らし、ウィルフレッドへと刺突から斬撃までバリエーション豊かな攻撃を繰り出すも、ウィルフレッドの素早い動きの前では無駄な事であった。
「何!?」
レイモンドの大剣はウィルフレッドの蹴りによって、打ち砕かれた。ウィルフレッドが狙っていたのはこれであった。
自分の攻撃よりもリーチが長い大剣を砕いてしまえば、レイモンドを自分の得意分野である近接格闘術に引きずり込むことが出来るのだ。ゆえに、レイモンドの大剣の腹に蹴りを叩き込める機会を待っていたのだ。
「オラァ!」
「チッ!」
だが、ウィルフレッドの認識は甘かった。レイモンドも王国騎士団に所属している以上、近接格闘術は基礎から叩き込まれている。しかも、一撃のパワーはレイモンドの方が遥かに上であった。
そこからはウィルフレッドの技がレイモンドの純粋な力に弾き返されるという戦況に陥っていた。そんな中、ウィルフレッドの頭の中に“敗北”の二文字が浮かび上がった。
(いや、ここで私が負ければ次に攻撃を受けるのはバーナードたちだ……!)
いくら
つまり、ここでウィルフレッドが敗北することは戦況が圧倒的に王国騎士団優位に進んでしまうということを意味する。
もう、ウィルフレッドに負けることは許されない。現在、迷宮に入っている者たちの退路を確保するにはウィルフレッド自身がレイモンドを撃破するのは必須条件だ。
そう意気込んだウィルフレッドには闘志の炎が燃え盛った。『何としても勝つのだ』という固い意思を感じさせるような、そんな眼をしていた。
「ハッ!」
「卑怯だぞ!ウィルフレッド!?」
ウィルフレッドが狙ったのはレイモンドの左膝の部分。膝に横からの強い衝撃が加わると人間は体勢を崩してしまう。これを経験から熟知していたウィルフレッドは即座に実行に移した。
こんな技は王国騎士団では教わることは無い。騎士たちの間では卑怯だと言われる技であるから、そもそも誰も使わない。そんな技を王族であるウィルフレッドが用いるなどレイモンドは夢にも思っていなかったのであった。
驚きに包まれる中で体勢を崩したレイモンドの顎の部分に凄まじい衝撃が脳天へと突き抜けた。
「最終的に……勝てばよかろうなのだァァァァッ!!」
ウィルフレッド渾身のアッパーカットがレイモンドを空中へと浮かび上がらせた。レイモンドは宙を舞って地面へと叩きつけられた。レイモンド自身、先ほどのアッパーカットで気を失っていたために動くことは無かった。
「さっきの言葉、直哉が私とボードゲームをした時に卑怯な手を使いながら、よく言ってたなぁ……」
ウィルフレッドは昔を懐かしむような遠い目で空を見上げていた。
「……さて、まずは反対側の入口に向かわないといけないな」
現在のウィルフレッドには、すでに走る体力は残っていなかった。ゆえに、歩いて反対の入口へと向かった。そして、道中に見たのは100名近い騎士が地面に倒れている光景だった。その奥には鎧の隙間から血を流しているロベルトの姿があった。
ロベルトは俯いているために表情が見えなかった。右手に持つ大戦斧は地面に突き立っている。ウィルフレッドは不安に駆られ、残り僅かな体力を使ってロベルトの元へと駆け寄った。
「おい、ロベルト!」
声をかけるが、反応が無い。それによって、不安は焦りへと転じた。
「……マスターか」
「ロベルト、この傷は……!」
ウィルフレッドの焦りを帯びた言葉にロベルトは何のことを言っているのか分からないと言った様子でキョトンとした表情をしていた。
ロベルトがウィルフレッドの指さす場所を見ると、鎧の隙間に血がべっとりと付着していた。
「ああ、これは騎士の腹に拳を叩き込んだ時に騎士が吐き出した血じゃよ。ワシは傷の一つも負っておらん」
ロベルトの近くに倒れている騎士の口元には血が付いていた。
「戦いの最中にうっかり、力加減を間違えてのう」
ロベルトは豪快に笑いながら、後頭部を掻いた。これにはウィルフレッドも呆れ顔を浮かべていた。
「して、レイモンドとやらは倒したんじゃろうな?」
「ああ、もちろんだとも」
ロベルトは得意げなウィルフレッドの肩をバシバシと叩きながら無事を喜んだ。ウィルフレッドに倒れていた理由を尋ねられたロベルトは、戦いの後で疲れて眠っていただけだと言った。これで、ウィルフレッドも心の底から安心したと言った様子だった。
その後、談笑した二人はバーナードたちの向かった反対側の入口へ、再びゆっくりと歩いて行ったのだった。
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