第52話 この思いを君に

「……あ、兄さん。目、覚めた?」


 紗希は壁にもたれかかって片膝を立てて座っていた。


「……ああ。ここは……馬車の中?」


 起き上がって辺りを見回すと、木製の床に壁。簡単な窓も付いており、そこからつい明かりが差し込んできている。


「そうだよ、もう夕食も食べ終わって、みんな寝ちゃってるよ」


「そうか……紗希は寝てないのか?」


「ううん、今さっき聖美先輩と交代したところだよ」


「そうか」


 夕食を食べ損ねたのは残念だったが、今日は特に腹も空いてないしちょうど良いか。


 そんな時、俺はある一つのことを思い出した。


『直哉君』と呉宮さんが言っていたことだ。まあ、俺もさっきまで寝てたんだから夢の中の話か。全く、俺は何て妄想をしてたんだ。


「ボク、聖美先輩起こすね。兄さんが起きたら知らせてほしいって言われてたから」


 そう言って紗希は静かに近くで寝ている呉宮さんを優しく起こした。


「……紗希ちゃん?」


「兄さんが起きましたよ」


「えっ!?」


 呉宮さんは最初、寝ぼけていた様子だったが黒の瞳を大きく見開いて俺の方へと素早く這い寄ってきた。


 ……あの~呉宮さん、そんなにじっと見られても困るんですが。


「えっと、呉宮さん。俺の髪に芋けんぴでも付いてた?」


「あ、違う違う!別に何かついてたってわけじゃなくって……」


 呉宮さんはそう言った後、ゆっくりと立ち上がった。


「直哉君、ちょっと散歩に付き合ってくれる?」


 呉宮さんは腰に左手を当て、その反対の右手の親指を背後、馬車の外の方に向けていた。


「もちろん、付き合うよ。それじゃあ、紗希。呉宮さんと散歩に行ってくるから……」


 俺が紗希の居る方を見るとすでに床で横たわるそれはもう無防備な妹の姿が。


 俺は自分にかけられていたブランケットを紗希の腹部に被せた。


「よし、それじゃあ行こうか」


「うん」


 こうして俺と呉宮さんは夜の散歩へと向かった。


 馬車は川の近くの草原に停められている。


「直哉君、ほんの数時間前ここで膝枕したんだけど……」


 ……待ってくれ。まさか、あの呉宮さんの膝枕と直哉君呼びは夢じゃなかったということなのか!?


「そういえば、直哉君に私のこと下の名前で呼んでって言って、その後にカタコトで呼んでくれたっきりだから……」


「そういえばそうだった……」


 俺、頭がオーバーヒートしたんだっけな……。まあ、仕方ないだろ。普通、好きな子から下の名前で呼ばれたら頭の中くらい真っ白になるってものだろう。


「じゃあ、今呼んでみるよ。さ、さ、さと、さと……」


 ……『聖美』って言うだけなのに!噛みまくって言えない!しっかりしろ、薪苗直哉!お前ならたぶん出来る!


「直哉君、深呼吸、深呼吸!」


 息を吐いて、吸って、また吐いて、吸って。これを5回ほど繰り返した。


「よし、しゃとみ……」


 また噛んだ!もう嫌だ!穴があったら入りたい!いや、穴が無くても穴を掘ってでも隠れたい!


「……直哉君、いったんそのことは置いておこうか」


「……ごめん」


 俺と何ともやりきれない思いを胸に呉宮さんに並んで川辺を歩いた。冷たい夜風は肌を撫でていく。その風は何だかとても心地よかった。


「そういえば、呉宮さん。ずっとその格好なの?」


「……うん、これしか手元にないからね。街に着いたら、代わりの服とか買わないとね。えっと……直哉君たちが今拠点にしてる街ってなんていう名前だったっけ?」


「ローカラトだよ」


「その街に着くまでは紗希ちゃんと茉由が服を貸してくれるって」


「そっか」


 夜の川の水面は月の光に当てられてキラキラと星のように輝いている。そんな川を見ながら俺たちは地面に腰を下ろした。


「ねえ、昔もこんな風に二人で夜の景色とか眺めたりしたよね」


「ああ、神社の境内から見下ろした街の景色も綺麗だった」


 俺と呉宮さんはそれからも10年前のことや去年のこと。学校のことや家で会ったこと。お互いにいろんなことを話した。


「そうだ、俺、呉宮さんに言いたいことがあるんだけど……」


「うん、言ってみて」


 呉宮さんはこっちを見て、それ以上の言葉は返してこなかった。


「俺、のこと10年前からずっと好きだった」


 よっしゃ!噛まずに言えた!勝ったッ!第3章完!


「えっと……」


 冷静になって呉宮さんの顔を見ると、時間でも止まったかのように呉宮さんは固まっていた。


 ……まさか、引かれた……?もし、そうだったら……!何だろう、そう考えると背筋がゾッとする……!


「えっと、呉宮さん?」


「……ズルい」


「えっ!?」


 ズルいってどういうこと?俺、まさか何かやらかした感じか?


「私も直哉君に言いたいことがあったのに……」


「……と、言いますと?」


「私も10年前から直哉君のことが好き……だよ」


「……ッ!」


 ということは、これは……?


 俺と呉宮さんの間の時間だけが停止したようにお互いに俯いてから一言も話さず、微動だにしなかった。心臓は微動どころか、跳ね上がりまくっている。そのうち体を突き破ってどこかに行ってしまいそうだ。


 この時に、俺はある一つのことに気が付いた。


 そう、勢いで好きだと伝えたはいいが、次。そこからどうするのかを全く考えていなかった。どう返事をされたら良かったのか、全く考えていない。例えるなら『練習問題を作ったけど答えまで考えてなかったわ、テヘペロ♪』……といった所だろうか。


 ――どうしよう。この言葉だけが頭の中を走り回っている。


 よし、一旦落ち着こう。こういう時ほど落ち着かねば……!


 俺には思考をリセットすることが出来る技があるのだ!


 それは……何がとは言わないが、大きいものを頭に浮かべるのだ。こうすることで、気分が萎えるので頭の中も感情も静かになるのだ。


 ……よし、落ち着いたところで状況を整理することにしよう。


 ・俺は呉宮さんが10年前から好きだったことを伝えた。


 ・呉宮さんも10年前から俺のことが好きだったことも分かった。


 俺が今、困っているのは着地点をどうするか……ということだ。


 好きだと、両思いだと分かったからどうするのだ?


 この場で『結婚してください』はいくら何でももろもろの過程をぶっ飛ばし過ぎている。それこそ時を2,3年は消し飛ばしてしまっている。


 なら、その手前の段階の『付き合ってください』になるわけだが……どう伝えればいいんだ?


 ここが日本だったら、『あ~3年B組~、Go〇gleせんせ~い!』が使えるんだが……スマホはこっちに来る前に遺跡の落下した泉の中でお沈みになっておられることだろう。あそこで俺の現代文明を教えてくれる物スマホは死んでしまったのだ。


「……直哉君?」


 俺はそう言われて不意に肩を叩かれ、ビクッとしてしまった。


「どうかした?呉宮さん」


「直哉君、何か苦しそうにうんうん唸ってたから、大丈夫かな?と思って」


「ああ、そういうことか。うん、大丈夫、何でもないから」


 それから再び沈黙が訪れる。ホント、早く何とかしないとな……。


「あの、呉宮さん」


「……?」


 ……うっ、沈黙に耐えかねて声をかけてしまった。今日は頭と口が別行動でもしてるのかと言いたくなるほど口が勝手に動くな……。


 これ以上、長引くのは良くないな……精神衛生的に。こんなに心臓が暴れまくられたら持たないだろうな。


 覚悟を決めて、一息に終わらせるんだ!薪苗直哉、お前なら出来る!


「呉宮さん、一回しか言わないからよく聞いて欲しいんだけど」


「うん」


 呉宮さんは先ほどとは違い、目を逸らすことなく真っ直ぐに俺の目を見つめている。これは俺も逃げられないな。……いや、逃げるつもりは無いけど。


「おじいさん、おばあちゃんになっても、ずっと、一番側にいてほしい」


 ……よし、別行動だった口もちゃんと思ってたように動いた!


 俺の言葉を聞いてすぐの時は呉宮さんは顔色の一つも変えなかったため、どうしたものかと焦ったが、5秒ほどしてからみるみる顔を紅色に染め上げ、合わせていた目を伏せた。


 呉宮さんは左右の人差し指どうしをツンツンと突き合わせている。


「えっと、それって……」


「付き合ってくれって事」


 ここは押し切るべきだろう。どうせ、今ここにある恥ずかしさなど来年には忘れているだろうから。


 ――何より、二度と相手がいる時に想いを伝えなかったことを後悔したくないから。


 俺は静かに月明りで照り返す、川を尻目に呉宮さんの返事を待った。


 呉宮さんは小さくコクリと小さく頷き一言。


「こ、こち、こちらこそよろしくお願いします……!」


 それを聞いた俺は肩から、いや全身から力がフッと抜けた。抜けた勢いで地面に膝をついた。


「直哉君、ホントに私で良いの?」


「……ああ、呉宮さん以外の選択肢はないから」


 呉宮さんは顔の熱が冷めぬままに川辺の丘に腰かけた。


「……膝枕、する?」


「それ、夕方にもやったけど……」


 俺がそう言うと、呉宮さんは頬を少しだけ膨らませていた。


「つ、付き合った記念に!」


「お、おう。じゃあ、お願いするかな」


 俺は乱雑に呉宮さんの膝枕を頂戴した。


「直哉君、今日は月が綺麗だね」


「そうだな」


 ……思いを伝えたこともあるのか、本当に月が綺麗に見える。


「……人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」


「それって、太宰治の『斜陽』だったっけ?」


「そうそう。『月が綺麗』って呉宮さんが言ったので思い出したんだ」


「フフッ、何だか懐かしいね」


「呉宮さんと会うさらに1年前だから……2年前だったか……」


 その後は思わぬところでアニメの話が弾み、時間はあっという間に過ぎていった。


 いつの間にか話し疲れたのか、俺も呉宮さんも眠りへと誘われていた。


「……朝か」


 俺は眩しい朝日を右の手で遮る。顔を上に向けるとまだ目を閉じて眠る呉宮さんの姿が。朝日に照らされ白く光る肌に朝の爽やかな風に揺られる黒い長髪。思わず、俺はその姿に見惚れてしまった。


 俺は呉宮さんを起こさないようにそっと体を起こした。


「おはよう、兄さん」


「おう、紗希か」


 後ろを振り向くと寝間着姿の紗希がいた。


「ゆうべはおたのしみでしたね。兄さん」


「俺は昨日、宿屋には泊ってないぞ」


「知ってるよ。聖美先輩の膝に泊まってたもんね♪」


「……紗希以外に俺が呉宮さんの膝で寝てたのを見たやつはいるのか?」


「ううん、ボクだけだと思うよ。こんな朝早くから活動してるのは」


 そういう紗希の手には木刀が握られている。朝練をするためにこの辺りまで来たのだろう。


「毎日欠かさず稽古するとか凄いよな」


「……そうかな。当たり前だと思うけど」


 ……こんな朝早くから起きようとか俺ならあり得ないな。


「それに、ボクはまだまだ強くならないといけないからね」


「紗希はもう十分強いと思うけどな」


「ううん、ボクはまだまだだよ。ホントにまだまだ強くならないと」


 そういう紗希の目は確固たる意志を感じた。本人がやる気なのを止めるほど俺は無粋ではない。


「頑張れよ、紗希」


「……兄さんも一緒にやってくれたら、もっと頑張れるんだけどなぁ……?」


 急接近+上目遣い。これは俺のようなDTには破壊力が高すぎるな。だが、安心してほしい。俺は妹に欲情するするほど落ちてはいない。


「……はあ、それじゃあ、俺も朝練に付き合うよ」


「うん、じゃあ、厳しくやっていくから覚悟してよね」


 ……マジですか。俺、適当にやるだけのつもりだったんだが。


「それじゃあ、早速今日、今からやろう!」


 紗希の潤んだ目はキラキラと輝いている。


「よし、分かった。でも、『今日から』ってのは止めてもらっていいか?」


「どうして?」


 今の首をゆっくりと傾げるリアクションからして紗希に俺と呉宮さんが付き合うことになったことはまだ知られていないようだな。


 ……よし、ちょっと驚かしてやろう。


「俺、呉宮さんに告白して付き合うことになった」


「へぇ、そうなんだ」


 ……あれ?あまり驚いてない?てっきり、『ヘタレな兄さんに限ってそんなことはありえない!』とか言うと思ったんだが。


 俺が紗希をチラリと見てみると身動きせずに固まった状態だった。


「……紗希!?どうした!?」


「……あ、ごめん。驚きすぎてボーっとしてたよ」


「……それなら良いんだが」


「……で、兄さんが告ったの?ホントに?」


「ああ、付き合おうと言ったのは俺からだが」


 俺がそう言うと、紗希はほっと胸を撫で下ろしたようだった。


「いやあ、兄さんにそれだけの度胸があったとは思わなかったよ」


 俺はその言葉を聞いて「だろ?俺の度胸も結構捨てたもんじゃないだろ?」と返したのだが、紗希は否定すること受け入れたものだから俺も調子が狂った。


 その後、起きてきた呉宮さんに紗希が「お姉ちゃん!」と言って抱きついたもんだから呉宮さんがあたふたして大変だった。


 ――かくして、俺は世界を超えて幼馴染を救って、その幼馴染と付き合うことになったのだった。


     第3章 聖美救出編 ~完~

     to be continued……

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