第19話 幼馴染

 時は今から10年前に遡る。


「薪苗君!こっちこっち!」


 少女の明るい声が公園に響く。俺がその方向を振り向くと黒い髪を肩口で切りそろえた少女、呉宮聖美がいた。


 俺と呉宮さんとは家が隣になったことで仲良くなった。それが幼稚園に入る前だからさらに三年以上前になるだろうか。


 隣になってからというもの毎日のように俺たちは一緒に遊んだ。その頃はこれが当たり前でこれからもそれが続いていくものだと思っていた。


 幼稚園の卒園式の日。俺は呉宮さんに卒園式が終わってから二人でよく遊んだ公園に来るように言われた。


 そして、式が終わってすぐに俺は走っていつもの公園に向かった。公園に着くとそこには呉宮さんの姿は見当たらなかった。俺はすることもなく、暇だったので近くのブランコに座って両足をブラブラと揺らしていた。


 それから少しして呉宮さんがやって来た。


「薪苗君、わざわざ来てくれてありがとね」


「ううん、それくらい全然いいよ。それよりどうしてここに俺を呼んだの?」


 俺をここに呼んだ理由わけを聞くと呉宮さんは口を一文字に結んで俯いた。


「えっと、ちょっと言いづらいんだけど……」


 呉宮さんは言葉に詰まっている様子だった。暫くの間、静寂が訪れた。俺は待っている間、手の組む位置を何度も変えた。そして、呉宮さんが再び口を開いた。


「私ね、明日引っ越すことになったの」


「……!」


 俺はあまりに突然のことに驚いてしまって何もいう事が出来なかった。


 結局、俺は何も言えないまま時間だけが過ぎていった。その後、お互いの母親が迎えに来てそのまま呉宮さんとは別れた。


 俺はとんでもなくヘタレだ。翌日、呉宮さんが引っ越す時にも何も言う事が出来なかった。本当は『また会おうね!』と言いたかった。しかし、のどの奥でその言葉が引っかかって出てこなかった。


 一方の呉宮さんは『薪苗君!バイバイ!また会おうね!』と言ってくれたのにだ。俺ときたら黙って手を振っただけだった。


 俺は何も言えなかったことを後悔した。結局、下の名前で呼ぶことは一度もなかった。ずっと名字呼びのままだった。その事も心残りとなった。


 それから九年後。つまり去年になる。


 高校の入学式の日。式が終わり、教室に入った。その後は担任の先生の挨拶を聞いた後、出席を取ることになった。


 男女混合で五十音順に名前が読み上げられていく。俺は薪苗だから最後の方だ。俺はずっと窓の外を眺めていた。


 そして、『く』まで進んだ時、聞き覚えのある名前が聞こえてきた。


「呉宮聖美さん」


 先生がある女生徒の名前を呼んだ。俺は耳を疑った。


「はい」


 はっきりとした声でその女生徒は返事をした。


 俺は自分の心臓の鼓動が徐々に高まっていくのが分かった。俺はその直後から彼女の事がどうしても頭から離れなかった。


「……君。……直哉君。薪苗直哉君!」


 俺は先生に名前を呼ばれてハッと我に返った。


「……あ、はい!」


 俺は慌てて返事をした。返事をするために顔を上げた時、呉宮さんとほんの一瞬だが目があった。どうやら向こうも驚いているらしかった。


 教室のあちこちからクスクスと笑う声が聞こえてくる。もしかすると俺の事を笑っているのだろうか?


 しかし、俺はそんな事よりも呉宮さんの事でとにかく頭がいっぱいになっていた。どう声をかければいいのか。そればかりを考えていた。


 さらに呉宮さんが引っ越していくときに何も言えなかったことも思い出した。そのため俺の頭の中はますます混沌を深めていった。


 一通り出席確認も終わり、その日はそれで解散になった。


 俺は結局呉宮さんに話しかける勇気もなく、教室から逃げ出す様に帰路についた。


「あれ?兄さん?」


 俺が信号待ちをしていると、紗希に話しかけられた。


「そういえば、中学の方は昨日が入学式だったか」


「うん、そうだよ。ちなみに今日は授業初めだから午前中までだったんだよ」


 俺と紗希は話をしながら、無事家へと帰った。


 俺は家に帰ってからというもの呉宮さんの事ばかり考えていた。別にことを考えていたわけではない。どうやって話しかけるのか、とかそう言った類のものだ。


「……はあ」


 俺はため息をついた。一体、今日だけで何度ついたのだろうか。全く分からない。


 そんな時、コンコンとドアをノックする音がした。


「兄さん、入ってもいい?」


「……ああ、大丈夫だ」


 俺がそう言ったのと同時に静かにドアを開けて紗希が入って来た。


「どうしたんだ?紗希。何かあったのか?」


「うん、兄さんがね……」


 ……ん?……俺、紗希に何かしたっけ?


「何だか悩んでる様子だったから。やたらとため息つくし、高校で何かあったのかな~って思ったんだけど……」


「紗希、よく俺が悩んでるって分かったな」


 紗希は俺を見てからため息をついた。


「だって兄さん、顔に『俺は悩んでます』って書いてるんだもん」


「えっ!?そんなに顔に出てたのか?」


 俺がそう言うと、紗希はコクリと首を縦に振った。どうやら紗希に隠し事はできないらしい。


「それで?何があったの?」


 俺は紗希に呉宮さんの事を包み隠さず話した。


「そうだったんだ!それじゃ、明日にでも話しかければいいんじゃない?」


「いや、でもなあ……」


 相変わらず俺は優柔不断にも呉宮さんに話しかけるかどうかで迷っていた。


「兄さん。たぶん聖美先輩、そこまで気にしてないんじゃないかなあ。とりあえず、話しかけてみたらいいんじゃない?」


 俺はそこまで言われてもまだ悩んでいた。随分と情けなくはあるが。


「じゃあ、明日ボクも付いて行くよ」


「えっ!?」


 俺は驚きのあまり声を上げた。


「兄さんが一人で話しかけるのが怖いんだったら、ボクも一緒に行くよ」


「いや、そもそも紗希は高校には入れないだろ」


 それに高校と中学校の間にはかなりの距離がある。そんなことをすれば紗希が遅刻してしまう。しかも紗希は小学校の頃から学校を休んだことがない超真面目だ。


「別に高校の中に入らなくても校門の前で……」


「分かった!ちゃんと明日話しかけるから!ついて来なくていい!」


 俺は全身全霊の土下座を行った。その効果もあってか紗希も納得したようだった。


「それじゃあ、明日話しかけて連絡先も交換してきてね♪」


「いや、さすがに連絡先までは……!」


 俺がそう言うと紗希はニコッと笑った。俺は直感で悟った。"これはヤバい”と。


「兄さん。無理だったら木刀で五月雨突き喰らわせるからね♪」


「……ぴえん」


 紗希の表情とセリフが全く噛み合っていない……。それはともかく、俺の人生は明日、呉宮さんに話しかけて連絡先を交換できるかで決まる。それだけは確定した。


「それじゃあ、頑張ってね!」


 紗希はニコニコしながら出て行った。俺は明日が怖くて仕方がなかった。


 ――――――――――


「あれくらいきつく言わないと兄さん一生話しかけないだろうからなぁ……」


 そう紗希は部屋を出てからポツリと呟いた。


 ――――――――――


 そして、運命の朝がやって来た。俺は誰よりも早く教室に入って呉宮さんが来るのを待った。


 すると、男の話し声が廊下の方から聞こえて来た。そして、乱暴に教室のドアが開いた。


 教室に入って来たのは……呉宮さんだ。それと男子が三人。


 三人組の真ん中のリーダー格の男子生徒がどうやら呉宮さんに言い寄っているようだ。しかも、驚くことに俺がいることに全く気付いていないようだ。


「ねえ、呉宮さん。俺と付き合おうよ。俺、一目惚れしちゃったんだ」


 さっきからそのリーダー格の男子生徒が一方的に話しかけている。しかし、呉宮さんは無反応だ。そして、席に着くやいなや本を読み始めた。


「ねえ、聞いてる?俺と付き合ったら~こといっぱいしてあげられるよ?」


 リーダー格の男子生徒は中々気持ち悪いことを言っている。俺みたいな陰キャが言うと警察行きなものだが、悔しいことにあの男子生徒の顔立ちはイケメンと言っても差し支えないだろう。


 そろそろヤバそうだったので俺が先生を呼びに行こうとしたまさにその時。リーダー格の男子生徒が呉宮さんの読んでいた本を取り上げた。そして、本のページをパラパラとめくっていく。


「これエロ本じゃん!よく陰キャが教室の端で呼んでるやつ!」


 そう言って両隣のやつに見せびらかしている。


「えっと、それ返してくれないかな?」


 呉宮さんがようやく口を開いた。


「どうしようかなぁ?俺と付き合ってくれるんだったら返してもいいけど?」


 男子生徒がそう言っている間にひょいっと呉宮さんが本を取り返した。


「なあ、何ちゃっかり取り返しちゃってるんだよ」


 リーダー格の男子生徒は突如、ドスの聞いた声で呉宮さんを威嚇した。おそらくこっちが本性なのだろう。


「えっと……それは……」


 呉宮さんが声を震わせている。表情を見ても明らかに怯えている。


「なあって聞いてるんだよ!」


 そして、は呉宮さんの右手を無理やり掴んだ。


「痛い!放してよ!」


 俺はもう我慢できなかった。


「断る!さっきから舐めた態度ばっか取りやがって!」


 は右手を挙げた。おそらく張り手でもする気だ。こうなったら先生を呼んでいる時間はない。そう思うと自然に体が動いていた。


 予想通りは右手を呉宮さんの頬に向けて振り下ろした。間一髪のところで俺はの右手首を掴んだ。


「お前、どこから出てきたんだよ。いいからその汚い手を離せよ」


 は俺を睨みつけてくる。いつもだったら怖くなって逃げ出しているが、今は不思議と怖くなかった。


「……だが断る。俺がこの手を離したら呉宮さんに当たるだろ」


「ちっ!」


 が左の拳を動かしたのが見えた。呉宮さんではなく、俺の腹に叩き込むつもりだろう。だが、叩きこまれる前に足蹴りを叩き込んでやった。


 え?どこにかって?そりゃあ、男のに決まってるだろ。だって、ガラ空きだったし。弱点を突くのは当たり前のことだからな。


「痛ってぇ…!」


 ……計画通り。


 他の二人は心配そうにに付き添っている。


 その間に俺は呉宮さんに声をかけた。


「呉宮さん、大丈夫?ケガとかはない?」


「あ、うん。おかげさまで。…っ!」


 明らかに気を遣っている。掴まれた右手首を抑えている。


「早く保健室に行こう!」


 俺は呉宮さんの右腕を引っ張って教室を出た。


 その後、保健室で呉宮さんの手当が終わるのを保健室の外で待っていると誰かが知らせてくれたようで、担任の先生がやって来て色々と事情を聞かれた。


 事情を説明した後は、授業を受けた。授業自体は午前中だったので昼過ぎに下校することになった。


 春の暖かい日差しを身に浴びながら、自転車を押して校門へと向かった。


「薪苗君!」


 校門を出たとき後ろから誰かに呼び止められた。


「あれ?呉宮さん?」


 振り向くと呉宮さんがいた。


「えっと、その……一緒に帰らない?」


「あ、ああ。じゃあ、一緒に帰るか」


 随分と呉宮さんは耳まで赤くしていた。余程恥ずかしかったのだろう。


「あの、朝は助けてくれてありがとう。その、お礼まだ言えてなかったから」


「全然大した事してないよ。だから、気にしなくていいよ」


 改めて話すとなるとやっぱり緊張するな。


「とりあえず、歩きながら話そう」


「うん、そうだね。積もる話もあるし」


 俺と呉宮さんは歩きながらお互いの身の上話をした。そうして話しているうちに突然一軒家の前で呉宮さんが立ち止まった。


「どうしたの?呉宮さん」


「私の家、ここだから」


 そう言って、一軒家を指さした。


「あ、ここが呉宮さんの家か」


「そうだよ。ついでに上がっていく?お父さんと茉由も薪苗君に会いたいと思うし」


 一瞬、どうするか迷った。でも。


「……ごめん。上がりたいのはやまやまなんだけど、家に帰って昼ご飯作らないといけないから」


「……そっか、残念。あとこれ!」


 そう言って呉宮さんはポケットから紙を取り出して俺の前に手渡してくれた。


「……これは?」


「連絡先。時間あるときにでも登録しておいてね」


 ミッションクリア!やった、これで紗希の五月雨突き喰らわずに済んだぞ!


「ありがとう。帰ったらすぐ登録するから。それじゃあ、また明日!」


 俺はそう言って自転車に跨って、ペダルを漕いだ。


 チラッと後ろを振り返ると、胸のあたりの位置で手を振ってるのが見えた。


 その後、俺は無事五月雨突きを喰らうこともなかったとさ。めでたしめでたし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る