33話目 乾いた銃声

「さあ、10万円でその生命が助かり、地球人が助かるなら安いものであろう」

「さっさと渡せ」

「たかが10万円で、命を張ることもあるまい」


 イカ3匹がまくし立ててくる。


「たかが10万円というなら、天下の往来で、銃で人を脅しながら、戦争をちらつかせないでくださいよ」

「この期に及んで、まだ詭弁を弄するか」


 気づくと、周囲から人々が遠ざかっていた。何か物騒なことが起きていることを察知したらしい。


「宇宙警察とか来ないのかな」


 ササキに問うた。


「来ませんよ。民事不介入ですから」


「公共の場で銃を撃ったり、人を撃っても民事?」

「はい。銃を持つことも、人を撃つことも、別に犯罪ではありませんから」


 宇宙では、どういうケースが犯罪になるのか気になるが、今はそれを確認している場合ではない。

 警察が来ないとなると、この状況を自力で解決せねばならない。


「ぶつぶつ言ってないで、さっさと10万円を渡せ」


 頭に強い衝撃が走り、直後に痛みが襲ってきた。どうやら銃のグリップで殴られたらしい。相変わらず、イカの動きは素早い。

 殴られた箇所に手を当ててから、その手を見ると、赤く染まっていた。


 このイカどもめ。こっちが、おとなしくしてれば調子に乗りやがって。


「あいにく、バカイカ3人衆に渡す10万円はないんですよ。この場で3人とも塩辛にして差し上げます」

「貴様!」


 1匹が銃の引き金を引いた。

 パン、という乾いた音が響く。どうやら、地球の銃と同様、火薬を使って弾を発射するタイプの銃のようだ。宇宙人だけに、光線銃なのかと少し期待していたが。


 続けざまに、数回、銃声がした。しかし、弾は一向に当たらない。それもそのはずで、銃口がしっかりとこちらに向けられていない。


 イカどもは、銃をこちらの目線の高さで構えていた。そのほうが脅しの効果が高いと踏んだのだろう。しかし、そのせいで狙いが付けられないのだ。なぜなら、イカどもの目はもっと低い位置、こちらの腰あたりにあるからだ。

 人間で言えば、頭上に挙げた右手で銃を撃っているに等しい。狙いなど付けられるはずがない。


「銃を撃つの、下手ですね」

「うるさい! こうなったら容赦せんぞ」


 イカどもは、銃を、彼らの目線の高さに構え直した。

 その瞬間、俺は、右足首に絡みついている触腕しょくわんを、左足で思い切り踏みつけた。


 右端のイカが、痛みで怯んだすきを突いて、その背後に回り込んだ。ここなら、このイカが邪魔で、他2匹もそうそう発砲できまい。

 俺は、目の前のイカの胴と足の境目に、右アッパーをねじ込んだ。


 右腕が充分深くまで入ったことを確認してから、大きく前後左右に動かして、胴とワタのつなぎ目をはがした。


「ぎゃあああああ!」


 イカの断末魔の悲鳴がこだました。


 躊躇することなく、今度は両手で胴の縁を掴み、そのままべりべりと持ち上げると、中から、茶色い輝きを帯びたワタがぬるりと現れた。


 少々大きくとも、所詮はイカだ。さばきかたさえ知っていれば、実行するのはそれほど難しくはない。

 幸いなことに、こちとら、魚屋に勤務するサラリーマンなのだ。イカのさばきかたくらい、嫌というほど知っている。


「あああああ! ブラザーが、ひんむかれてワタ出されちまった!」

「おのれ! これでも喰らえ!」


 1匹が、こちらの顔をめがけてスミを吐いてきた光景を最後に、視界が真っ暗になった。


 しまった。油断した。

 何も見えない。目を閉じてるのか開けてるのかすら分からない。


 再び、頭部に衝撃と痛みが走る。


「よくもブラザーを!」

「なぶり殺しにしてやる!」


 続けざまに、身体からだ中を殴られた。


 声の位置から察するに、どうやら2匹は、俺を挟むように立ち、両方向からタコ殴りにしているのだ。いや、イカ殴りか。


 腕、肩、背中、腹、どこを殴られて、どこを殴られてないのかも分からないほどに滅多打ちにされた。


「そろそろ終わりにしてやる」


 いよいよ、銃でとどめを刺すつもりらしい。

 まずい。もはやこれまでか。


 覚悟を決めてしばらく待ったが、撃たれなかった。その代わりに、イカの悲鳴が聞こえてきた。


「ああ! ブラザー!」


 気づけば、すぐ近くを誰かが歩いている音が聞こえる。


「イカ風情が、あたしのデートを邪魔しようとは、いい度胸してるじゃないか」


 あれ、この声は。


「げえっ! ステンノ!」


 そう言ったイカの声には、絶望がにじんでいた。


「な、なんで、あなたがここに」


 イカが、震える声を絞り出した。


「言ったろ。デート中でね。これからショッピングでも行こうかってところで、気づいたら、愚劣なイカどもが、あたしのダーリンに暴行を加えてるじゃないか」

「い、いや、すみません。でも、なぜ、あなたが、地球人と」


 ぼんやりと視界が戻ってきた。ステンノの赤いドレスと、その横に、ビクビクと震えるように動く、イカらしきシルエットが見えた。

 後ろを見ると、銃を構えたらしい格好で、微動だにしないイカが立っていた。色から察するに、どうやら石化しているらしい。


「あんた、大丈夫かい」


 前方を見ると、ステンノがこちらに歩いてきて、目の前で膝をついた。少しずつ明瞭になる視界の中で、保護グラスをしていない彼女の顔が見えた。


「へへ。聞きましたよ」

「ん、何をだい」


「あたしのダーリンって」

「……!」


 ステンノが慌てて保護グラスを顔に着けると、その奥で、小さな輝きが明滅した。


「き、聞き間違いだろう」


「ステンノさんは、分かりやすくて、かわいいですね」

「バカ言うんじゃないよ」


 次の瞬間、パン、と乾いた音が鳴り、俺の目の前で、ステンノの赤いドレス、その胸の部分に穴が空いた。

 彼女の背後に、銃を構えたイカが立っていた。


--------------------------------------------------------------------


 さて、どうする?

 ステンノが無事か確かめる? それとも最後のイカを殺す?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る