第4話  ―実― 十余三<とお あまり みっつ>




ある時、人は空腹で動けなくなった。

足元に倒れる兄を、弟は救いたかった。


木は、葉を落とした。

兄は食べなかった。

次に枝を落とした。

兄は食べなかった。


木は、兄が流した涙を思い出し、己もそれを流そうとした。

すると、枝の先から白く小さな五つの羽が生え、円を描くように開いた。

それはたちまち枯れ落ち、代わりに緑色の丸い物が生えた。

丸い物は握りこぶしのように固く閉ざされていたが、やがて大地の色に変わるころには優しく開き、中から小さな実が姿を現した。


木は、それを落とした。

兄はその香ばしい匂いに誘われ、それを食べた。

木は喜んだ。

人は喜んだ。


人はそれを”なみだの実”と名付けた。





「いただきます」


 食卓を囲む皆の声が重なる。


「うわー、今日はすごく豪勢だなあ!」


 漉慈ろくじが感激したように言いながら、真ん中の大皿に盛られたイロハドリの塩焼きに手を伸ばした。


「漉ちゃん、掴みばさみを使いなさいって、いつもお婆様に言われているでしょう」

「はいはい。本当にうるさいな、葵は……」


 横目でじろりとあおいを睨みながら、漉慈は皿のそばに添えられた掴みばさみを手に取った。


「たくさん食べるんだぞ。今日はイロハドリとアマウナギが大漁だったらしくてな、狩り役から獲りたてを譲ってもらったんだ」


 籐馬とうまの父親、綾竹あやたけがにこやかに言いながら、陶器の杯に口をつける。茶褐色に焼けた腕は大きく盛り上がり、とても強そうだとしずくは思った。


「おじさん、子どもの時はどんな修業をしていたの?」


 食べることも忘れ、雫が尋ねる。


「うん? まあ、子どもなりに色々やった記憶はあるが……。お前たちの年頃なら、狩り役にこっそりついて行くのが一番の修業だったよ。なにせ、森には恐ろしく強い獣がうようよしてるからな。奴らを撃退したり、時には獲物を取り合ったり……それだけで質の高い戦闘力はついたと今でも思ってる」

「へえ、狩りかあ」

「……雫、言っておくけど、親父のやり方は規則違反だからな。感心していいもんじゃないんだぞ」


 うっとりと瞳を輝かせる雫に、籐馬が冷静に横やりを入れる。綾竹は杯を傾けながら、籐馬のその指摘に軽く何度も頷いた。


「籐馬の言う通り、これは邪道も邪道だ。だからちゃんとした刀の稽古は、村で一番強い護り役につけてもらっていたよ」

「強い護り役!? 誰、誰?」

「今の村長むらおさの事だよ。俺は、村長の一番優秀な弟子だったんだ」


 一番の問題児だったくせに、と妻に後ろから小突かれたが、綾竹は聞こえないふりをして杯をあおった。


「村長の……。そっか」


 雫の声が少しばかり沈む。籐馬はそれに気付き、箸を止めた。


「雫、お前まさかまだ諦めてなかったのか」

「え……、いや、そういうわけじゃ……」

「村長に駄目だって言われたんだろ。刀は女には触らせられないって。弓の稽古だけで我慢しろよ」


 籐馬に畳み掛けられ、更に小さくなる雫。

 籐馬は以前から、雫が武芸に興味を持っていることが気に入らなかった。自衛力を付ける為の体術ならともかく、いざという時に男を援護できるようにと弓を習っていることにも眉をひそめている。雫をあまり危険な目に遭わせたくない、という思いでつい強く当たってしまうのだが、雫にそんな胸懐きょうかいが伝わるはずもなく、この件で籐馬に指摘を受けると雫はいつも萎縮してしまっていた。


「何だ、雫は刀士になりたいのか?」


 綾竹が雫に問いかける。雫は綾竹の赤ら顔をちらりと見やってから、小さくうなずいた。


「……でも、村長は刀の事は教えてくれなくて」

「刀は近接武器だからなあ。敵がそこまで女に近づくなんてことは俺たちがさせないし、覚える必要は確かにないだろう」

「……」

「まあでも俺なら、何かあった時の為に教えておくけどな」


 にやりと綾竹が笑みを浮かべる。雫はぱっと顔をあげ、期待を込めた瞳で綾竹を見つめた。それを横目に、籐馬は呆れたようにため息をついた。


「親父、いいのか?」

「何がだ? 俺は何も言ってないぞ。なあ、雫」

「うん、何も聞いてない!」

「……どうなっても知らんからな、俺は」

「ああ、そうだ。籐馬、明日の刀の稽古はハルナキ滝のそばでやろう。野良仕事が終わったら、すぐに来い」


 雫は危うく返事しそうになるのを何とかこらえ、代わりに大きくうなずく。


「じゃあ明日に備えて、しっかり腹ごしらえしなきゃな。ほら、雫もしっかり食うんだぞ」

「分かった!」


 今度はしっかり大きな返事をした。


「なあに、何のお話?」


 すっかり元気を取り戻した様子の雫に、漉慈に箸の持ち方を指南していた葵が尋ねるが、雫はニコニコしながら「ひみつ!」と答えるのみだった。






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