聖夜の宴会 其の五
鏡の扉を抜ければ、そこかしこに雪が降り積もった万屋と、その奥に見える屋敷があった。
庭木にもイルミネーションが飾り付けられ、全体的に赤と緑と白で構成されたクリスマスカラーが派手派手しく主張している。
「あら、こんばんは紅子。それと、人間さん」
大きな耳あてをした少女が振り返ると、その顔に見覚えがあった令一が 「鈴里さん」 と声を漏らす。
夜市を取り仕切るさとり妖怪も今日、この場は挨拶回りに来ているようだ。
「こんばんは…… 言っておくけれど、お酒は飲まないからね」
「分かっているわ。無理には誘いません」
このさとり妖怪はいくら飲んでも潰れない、所謂〝 ワク 〟というやつである。酒好きな鬼相手でも平気で飲み交わすので、実はとんでもなく長命なのかもしれない。紅子も令一も他人に年齢を尋ねるような性格ではないので、真相は闇の中だ。
「お、来たな! 本日の主役だぜ!」
「待っていたよ二人共」
今朝も紅子に絡んできた亡霊魔女のペチュニアと文車妖妃の
これでは本当に主役のようだ。今更ながら他人のフリをしたくなった紅子だが、それをぐっと堪えて溜め息をつく。
「溜め息なんかついてると幸せが逃げるぞ」
「やかましいよ」
誰のせいだと思っているんだ誰の、と眉間を揉むように顔を手で隠す。
「んきゅー!」
と、そこへ全力で飛び込んでくる赤くて小さな塊が一匹。
「リン! ここにいたのか」
「きゅいきゅい、きゅうん!」
「どこいったのかと思ったよ。里帰りか?」
「きゅうん」
「そうか、よかったな」
側から見れば話が通じているのではないかと思うくらいの会話だ。
リンが直接話さなくともニュアンスで理解できれば、まあなんの問題もないのだろうなと遠い目をする。きゅうきゅう言っているドラゴンと今朝の姿は幼気な雰囲気は変わらないが、態度にギャップが存在する。
多分、ここまで甘えるのは令一にだけなのだろう。
「やあ、令一ちゃん! 今日はオレ達の宴会に来てくれてありがとうね。ゆっくり楽しんで行ってよ」
「ああ、そうするよ。そうだ、これ参加費なんだけど…… あ、アルフォードさんはこっちな。辛いのが好きって聞いて分けて作ったんだよ」
「わー! 令一ちゃんありがとう! できる主夫は違うね!」
「主夫じゃねーから!」
「うんうん、いいツッコミだね。これは美味しくいただくね! それじゃあごゆっくりー」
万屋としての主催だからか、アルフォードはそのまま流れるように会場内を練り歩き始める。そこかしこでテーブルに着いている者がいたり、ゴザを敷いて樽から一気飲みをしている鬼連中がいたりとなかなか混沌としている。
這い寄る混沌も喜びそうな宴だが、生憎と彼は招待さえされないのでこの場にはいない。
ざまーみろとでも思っているのか、少しだけ剣呑な表情になってその光景を眺めていた令一は隣の紅子の視線に気がつくとへらりと笑って手を引いて歩き出す。
「っとと、お兄さんどこいくの?」
「適当に座ろうよ。ほら、リンにも辛いミートパイあるからなー」
「きゅーい!!」
リンの喜びように微笑ましく思いながら紅子は取られた手を振り払い 、「一人で歩けるよ」 と肩をすくめてみせる。
子供じゃあるまいし、迷子になるわけはないのだ。むしろ迷子になるとしたら屋敷内に慣れていない令一のほうである。
あちらこちらに人のようで人でない者達がいる中、唯一の人間である令一がテーブルを探していると手招きする人物がいた。
「こっち空いてるぜ」
その人物は長い癖毛気味の黒髪を後ろで一本に束ね、同じく真っ黒な翼を背もたれで圧迫しないよう横に広げてスペースを取っていた。それでも窮屈そうだが、それが精一杯の譲歩なのだろうことが伺える。人好きのする笑みで手招きする彼に、紅子と令一はお互いに目配せしてから問題ないと判断してテーブルに近づいていく。どうやら、他に同席している者はいないようだった。
「えっと、確か新聞記者の鴉天狗…… だったかな」
「御名答。俺は
「え、俺か?」
「そ、あんただあんた。正確には俺の新聞は副業なんだが…… 最近はこっちのがメイン収入になっちまってるしな。名もそっちで知られてるし、新聞記者の鴉天狗として覚えておいてくれ」
印象はとくに悪くなく、新聞記者にありがちな強引な態度や鼻持ちならない態度は見当たらないようだ。紅子は横目に会話する二人を眺めながら席を立ち、三人分の飲み物を持ってくる。
刹那の分もカップに残っていた色から勝手に判断して同じものを用意してくると、二人して 「ありがとう紅子さん」 「お、悪ぃな」 と感謝の言葉が返ってくる。
刹那がする取材は言いたくないことは言わなくても良いと前置きしてから始まった。
彼の主人に関する真面目ないくつかの質問と、そうなった簡単な経緯。それから好きな食べ物や好みの女性のイメージのような必要あるのか分からない質問まで様々だった。
特に好みの女性の質問に関しては紅子が 「キミもか」 という視線を向けると 「ちっと下世話か」 と中断してみせた。空気の読める記者で助かる限りである。どこかの亡霊や付喪神とは大違いだ。
「…… さて、次で最後の質問だな。なあ、あんた。今までどっかで逸れの鴉天狗なんかを見たりしなかったか? 金目の鴉天狗なんだが」
「…… いや、鴉天狗にあったのは烏楽さんで始めてのはずだ」
「アタシもないねぇ」
「そうかい…… 変なこと訊いて悪かったな。ただ、どっかで見つけたら俺に知らせてほしい。探しカラスなんだよ」
冗談かなにかを言うように軽い口調で言って刹那は話を締めくくる。
男であり、気安い口調であるからか、令一も自然と会話が弾む。たまに噛み合わないこともあるが、それは人とそうでないものの価値観故のことなのでお互い気にしていない。
そのうち令一との知り合いがこちらのテーブルにやって来てはミートパイやらケーキやらを持っていき、作ってきたものは残り僅かとなる。
様々な種族が入れ替わり立ち代わりでやってきては、やはり酒を勧めてくるがそのことごとくを紅子は受け流し、令一は断りきれなくなって飲まされている。そのせいか、段々と夢見心地になってきているようだ。普段は猫のようなつり目だが、今は見事に半分蕩けてまるでマタタビに頭の八割を占め切られた猫のような表情に変化している。
大分刹那が酒を引き受けてくれたものの、令一はどうやら存外酒に弱いようでぐでんぐでんだ。
対して刹那はまだまだ平気である。天狗と鬼は基本酒に強いらしいと言うので、種族特性だろう。あちらこちらで樽のままイッキしている鬼がいる時点でさもありなん。
「だ、だいたいなぁ…… 俺だって有能なほうなんだぞ…… あいつの無茶ぶりに対応できてるしぃ、料理だって覚えたんだぞ…… 死なないためにこちとら必死でさぁ…… なのにあの野郎、なにが絶望だよ。そんなものなくても生きてける癖によぉ、んぅ、いつか殺す……」
「あー、見事に出来上がっちまってるなこりゃ」
「お兄さんは延々と愚痴を垂れ流すタイプなんだねぇ……」
せっかくの宴会だというのに愚痴大会に発展していて紅子は苦笑いを零す。
現在進行形で醜態を晒す令一を微笑ましげに見守る刹那は止める気など毛頭無いようで、ただ頬杖をついてときおり相槌を打ってやっている。
とことんまで付き合ってくれるようだ。紅子だけでは気苦労が増えていたのでありがたいことだった。
「俺…… あの頃はこんな風になれるなんて思ってなかったよ」
「んん? どうしたの、お兄さん」
静観する態勢に入っていた紅子の肩に両手を置き、真正面から見つめてくる彼は自分の代わりに酒を飲んでいたのだ。
「この酔っ払い」 などと悪態をつくわけにもいかず、ただ紅子はどうしようかと悩むばかりで令一の真意を探る。
なにか言いたいことがあるのなら聞くべきだ。ただ、ギャラリーが増えている気がするのが気になってしようがない。
「こんな風にさ、大勢で騒ぐなんてもう二度とないんだって思ってた。皆、皆、あいつに殺されて…… なにもかも取りあげられて…… なんにもなくなって…… ずっと一人で耐えてあいつに一矢報いる覚悟はあったけど、きっといつか気力が尽きて死んでたかもしれないからさ」
寂しげな顔でふにゃりと笑う。
「紅子さんに会わなかったら、きっと俺はここにいなかったんだと思う」
確かに、彼を同盟に誘ったのは紅子だけだ。
「だからさ、ありがとな。紅子さん」
純粋な感謝の気持ちが真っ直ぐに紅子へ向けられる。
まさかただの愚痴りから、こんな展開になるなどと思っていなかった彼女は肩をすくめ、無意識に長い黒髪を手遊びしながら 「どういたしまして。お兄さんのことは嫌いだけど、役に立てたならなによりだよ」 と返した。
目線は不思議と合わせられなかった。
「俺、どうしようもないけどさ…… 紅子さんは恩人だと思ってるから…… んぇ、ねむ……」
「ちょっ、お兄さん!?」
そのまま倒れこむように意識を失った令一を、刹那が受け止めるより先に紅子がそのまま支えるように肩を掴む。
「あのねぇ…… 相変わらず世話の焼ける……」
「ははっ、目出度いねぇ」
「え?」
「ん? ほら、周り見てみなよ。俺が新聞に書かなくてもこりゃあっという間に広まるぜ」
紅子が令一を支えながら周囲を見渡せば一斉に目を逸らされる。
そういえばここは宴会の場だったなと自覚すれば、一気に恥ずかしさがこみ上げてきて 「お兄さんなんか嫌いだ、ほんと嫌いだよっ」 と言いながら縮こまる。
彼女も実年齢が19歳と、かなり年若い怪異である。イレギュラーや予想外の出来事には殊更に弱い。
眠ってしまった令一を突き飛ばすわけにもいかない真面目さで、その場から逃げ出すこともできずに全力で見ないふりするしかないのだ。
「ほらほら! あんまり注目しないの! 宴会に戻った戻った!」
アルフォードの声が鶴の一声のように響き渡り、そこからまた波紋を広げるようにガヤガヤと喧騒が戻ってくる。
紅子はアルフォードに感謝しながら、顔の熱を冷ますように冷たいジュースを一気に呷った。
「もう…… なんなの…… 喜んでくれたなら、良かったけれどね……」
なるべく先程のことを触れぬよう接する刹那と会話に興じながら、紅子自身も再び喧騒の一つとなって宴会は続いていく。
早々にダウンしてしまった令一を起こしたら、なにか文句の一つでも言ってやろうと心に決めてからも夜は深まっていくのだ。
「お兄さんへのクリスマスプレゼントに、なったのかな……」
相手は年上だと言うのに、自分がサンタになる羽目になるとは思いもよらなかった。
ただ、まあ、紅子にとっても感謝されること自体は満更でもないのである。
そうして、クリスマスの夜は騒がしくも楽しく、過ぎ去っていくのだった。
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