其の九「校門の先」

 山吹色の月光が校庭を仄かに照らす夜。普段よりも少しだけ不気味なそんな夜に、暗闇から浮き上がるような校舎がそびえ立っている。


 なんてことのない、いつもの校舎がその上部だけを照らされ、校庭から見上げると圧迫感すら感じられるほどだ。


 この異常な夜の校庭に人影が二人…… いろはとナヴィドは保健室の窓から下り立ち、周りを確かめるように見回していた。


「やっぱり金魚の数は減っているみたいだね。今のうちに校門を確認しちゃおうか」

「…… そうですね」


 いろはの目線の先には水の中でもなく、地面の上を浮遊し、滑るように泳ぐ・・3m弱の金魚がいた。


 赤一色の綺麗な個体もいれば、白や黒の混ざった個体もいる。黒一色の影のように塗りこめられた金魚も一匹だけ混ざっているようだ。それらは決して彼女たちに目を向けず、自由気ままに空を泳いでいる。


 最初は警戒していた二人も、襲って来る様子がないことを確認するとあまり気にしないようにしたようだ。しかし、触れるとどうなるかは分からないことから巨大な金魚に触れないようにして移動して行く。


 彼女らが歩いていると時折頭上にかかる黒い影があったが、いろはが見上げるとそこには手の届かないところを泳ぐ巨大な亀のような形をした影があった。影と言うものは通常地面にあるものである。空中を自由自在に動き回る影には違和感のようなものがあるが、いろははそれを眺めて眉を顰めるだけで特に反応はない。


 逆にナヴィドのほうがその影を食い入るように見つめていたが、やがて興味を失ったように視線を前に向けた。


 金魚に混じり、分かりにくいがひときわ大きな姿が一つ。


 6mはあろうかという巨大な錦鯉が校舎周りを回遊するように泳ぎ、地面の上には五羽の鶏がそれぞれ好きなように動いている。しかしよく見るとそのうちの一羽には首から上が存在していなかった。


 ピチャリ、ピチャリと血を垂らしながら歩いているその鶏が山吹色の月光に照らされ、校庭を余計に不気味な物へと変貌させている。



「キンギョにカメに、ニワトリ…… あとコイ。全部学校で飼われている動物ですね」

「ふむ、ということはどこかに大きなカナヘビなんかもいるかもしれないね。確か男の子達が生物室で飼っていたような気がする」


 歩きながらそう言うナヴィドにいろはが首を傾げて指折り数え始めた。


「いち、に…… さっきまではもっといたけれど今はキンギョが7匹にカメが1匹。コイも1匹でニワトリは5羽。そのうち1羽は首切り死体。去年死んだ数と大体一緒ですね」


 いろははキンギョやカメなどの浮遊する物体を目で追いながら素早く数え、結論を出している。そんな彼女の姿を見ながら、ナヴィドはうわ言のように 「結構な数だね」 と呟いた。


「そういえば…… ニワトリの首切り事件は怖いから噂になりましたけど、それよりも桑の木に作った鳥の雛のほうが噂されてましたね。まったく、怖いより面白い方がいいんですよ。子供って単純ですね」


 さらっと衝撃的な事件を言ってのけた彼女の瞳にはなんの感慨も浮かんでいない。事実を事実だとただ受け入れ、淡々と認識しているだけのようだ。そんな彼女に眉を顰めたナヴィドは苦笑いをして彼女に質問をした。


「キミは鶏を可哀想だとか、犯人は誰だとか…… 小鳥に夢中になった他の生徒になにか思うところはなかったのかい?」

「特に…… ですけど、別に悲しくないとかそういうことではなくてですね、ただわたしは笑顔で見送ることにしているだけなんです。悲しんでも、犯人を糾弾してもニワトリは帰ってきませんからね。忘れられるのは悲しいことですけれど…… それならば、わたしにできることをするだけですよ」


 彼女の回答を聴いたナヴィドは複雑そうな顔をして自身の薄い髭をザラリと撫でた。


「キミってすごく大人びているよね…… 自分も高校生なのに、子供は単純なんて言っているし」

「高校生はまだ子供ですよ。馬鹿騒ぎして、くだらないことで喧嘩して、大笑いしたり大泣きしたり…… 表情がクルクル変わる。友達だってすぐにできますし凄いですよね」


 どこか遠いところを見るように、透明な笑みを浮かべたいろはは胸に手を当てた。

 それを見て不思議そうな顔をしたナヴィドが前を向き、歩きながら疑問符を浮かべる。


「キミだって沢山友達がいるだろう? 同じ学年の子とは大体知り合いでよく他のクラスの子とも話したり食事してたりするじゃないか」


 そうナヴィドが言った瞬間、苦々し気な表情になったいろはが目を細めて拳をぎゅっと握りしめた。ナヴィドはその様子に気が付かない様子で、彼女はそれにほっとしたように息を吐いてから返答をする。


「…… そうですね。友達、ですよね。ええ、分かってますよ」


 どこか確かめるように呟いた彼女は暗いトーンのままちぐはぐな笑顔を浮かべる。抑揚のない、その声は普段よりも少しだけ寂しそうに吐き出されていた。


 彼が気づかぬようにとナヴィドの後ろをついて行くいろはは口をはくはくと上下させて言葉にならない言葉を紡ごうとしたが、それも失敗に終わる。


「目もちょっと死んでるのに、いつも笑顔でいるからって先生方の間でも評判がいいんだよ。成績もいいし、大抵の話題にはついて行けるみたいだし、本当に評判がいいよ。だから友達も多いんだろうね」

「目は死んでません、辛うじて生きてます。見てくださいよこの生き生きとした目。ほらほら…… 今は少し、ただ眠たい目をしているだけですよ。多分、きっと、恐らく」


 ずずいっとナヴィドの前に回り込んできた彼女は 「心外な」 とでも言いたげに人差し指で目じりを上に引っ張り、しっかりとハイライトの入ったその瞳を見せる。


 それに少しだけのけぞったナヴィドはがくがくと頭を縦に動かし、困ったように頷いた。


「うん、そういう切り返しが上手だからきっと好かれるんだろうね」

「目は死んでません。声はちょっと自信ないですけど」


 殆ど抑揚のない声でそう言った彼女の表情はしっかりと感情に溢れている。


 それに複雑な表情を浮かべていた彼はしっかりと見つめてからやれやれと頭を振った。考えるだけ無駄だと割切ったのか、目前に迫った校門に手をかけ、勢いよく開く。


「開いた?」


 ―― チリン


「っ、先生!」

 校門が開いたことに驚いた彼が一歩踏み出した瞬間、それをぼうっと眺めていたいろはに涼やかな鈴の音が聞こえた。それは彼女自身の警鐘だったのだろうか。


 鈴の音にハッと目を見開いた彼女はすぐさま彼に向かって手を伸ばした…… しかしそれも虚しく、届かなかった手は空を掻き、その次の瞬間には既に彼の姿は消えていた。


 いや、彼の姿が消えたのではない。


「また……」


 周囲の景色は一変していた。


「プール……か」


 足元の湿ったプールサイドと、妙に重苦しい雰囲気に包まれ、一面の苔によって不気味な様相となっている水面。時折風もないのにチャプチャプと音を立てるその水はまるで生きているかのようだった。


 まだプールの授業が終わってからそう日は経っていないが、明らかに半年以上は掃除されていなさそうな水面を見て彼女は溜め息を吐いた。


 そう、移動してしまったのは彼女の方なのだ。


 不気味に揺らぐ水面が一際大きく揺れ動き、その水を割って立ち上がったものに彼女は一歩、足を引いた。


 ドロドロとしていて、5メートル近もある細長い物体。一見、苔だらけになった物干し竿のようにも見えるがそんな可愛らしい物ではない。


 それが経験則・・・によって分かってしまった彼女は素早くトートバッグに手をかけたが、水面から伸びた〝 それ 〟の細長い腕に片足を取られ、転倒する。


「あ」


 そしてその拍子にトートバッグから飛び出したスケッチブックはプールの外へと落ちてしまった。


「これは…… どうしよう……」


 ズルズルと水面に引き寄せられていく自身を他人事のような目で見ながらそう、彼女は呟いた。

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