後日談3 過去から広がる波紋

過去から広がる波紋(1)

 会合前日、つまりミディスラシールが移動する日、リディスはロカセナと共に先にラルカ町へ訪れていた。

 詳細な場所までは聞けていないが、どうやら会合場所はここから少し離れた屋敷のようだ。その周囲には万が一のことを考えて結界を念入りに張っているらしい。それだけ言われれば大方予想が付く。昼に探索した結果、屋敷の場所の候補はいくつか絞られていた。

 夕方過ぎに宿に向かい、以前ラルカ町で寝泊まりした宿を訪ねた。運良く二部屋空いており、リディスはすぐにその部屋を取り押さえた。部屋に向けて移動していると、ロカセナが後ろでにやりと笑みを浮かべていた。

「お金もかかるから、ダブルベッド付きの一部屋でも良かったのに」

「……馬鹿なこと言わないで」

 素っ気なく返し、リディスは部屋の一つに入ろうとすると、いきなり手首を掴まれた。そしてロカセナに無理矢理部屋の中に連れ込まれる。ドアを閉められると、近くにあった壁に背中を押しつけられた。

 すぐ目の前には薄茶色の瞳が近づいていた。今にも吐息がかかりそうである。

「ロカセナ?」

「リディスちゃん、油断しすぎだ。僕だって男だよ。女性と二人でいたら、何をするか――」

 ロカセナの言葉を聞き、リディスはくすっと笑みを浮かべる。虚をつかれたロカセナは握る手を緩めた。リディスは軽く手を払って、彼の拘束から逃れた。

「貴方はそんなことしないよ」

「どうして断言できるの?」

 試すかのような言いように、リディスは端的に答えた。

「他人に対して誰よりも気を使って接しているから。理由がなければ他の人が嫌がることはしないでしょ。三年前未遂も含めて私に対してしたことは、すべてフリートに向けた嫉妬からの嫌がらせ。違う?」

 覗きこむように言うと、数瞬ロカセナは目を点にしていたが、すぐに吹き出した。

「もうかなわないな、リディスちゃんには。いつのまにそんなにしたたかかになったの? 昔なら顔を真っ赤にして、全力でばたついていたのに」

「ロカセナの奥底が見えてきたから。前は表面しか見えなくて、どう反応すればいいかわからなかった」

 リディスはドアを開けて、彼を廊下へと導いた。

「夕飯時になったら、ご飯を食べに行こう。美味しい店を紹介してもらったから、フリートと一緒に三人で。いいよね?」

「それでいいよ。ではまた後ほど」

 ドアを閉めて、リディスは耳を澄まして彼が隣の部屋に入っていくのを聞き入っていた。隣のドアが閉まるのを聞き終えると、手を胸に当てて息を吐き出した。

 平静を装っているつもりだったが、緊張の糸が緩むと途端に呼吸が速くなってしまう。ロカセナに伝えた言葉は嘘ではない。かつての彼よりも何を考えているかは多少わかるが、わからない部分は当然あった。

 想い人から別れの言葉を告げられ、それを大人しく聞いていたロカセナ・ラズニール。

 かつて感情的になり、目的の為だけに突っ走っていた頃を知っているリディスには、今の彼が何を考えているのか、まったく予想が付かなかった。

「お互いに想い合ったまま別々の相手と一緒になるなんて、考えたくもない……」

 リディスはその場にうずくまり、首から下げている若草色の魔宝珠と鍵のペンダントを握りしめた。



 * * *



 会合当日、リディスはロカセナと町の中心部からやや東にある噴水の前でフリートと落ち合った。朝早いためか、噴水の周りにはまばらにしか人がいなかった。フリートはリディスの傍に寄ると、ロカセナのことを警戒した目で見る。

「どうしたの、フリート。ああ、昨晩のことが気になっているの? あの後部屋に戻ったら、リディスちゃん寂しくなって僕の部屋に――」

「根も葉もないこと言わないで。夕飯の後は会っていないわよ。話も盛り上がって、随分と遅くなったからね」

「リディスの言うことを信じる。馬鹿な妄想をする男が言うことは無視する」

 ロカセナの発言を二人でばっさり打ち切る。からかいきれなかったロカセナは口を尖らせていた。

 ここで立ち話をすると聞き耳を立てられる恐れがあるため、リディスたちが泊まっている宿に移動することにした。リディスは歩き出す前に、フリートに問いかける。

「フリート、時間は大丈夫なの?」

「ああ。最終確認の会議までには時間があるし、副隊長に一言伝えて出たから、わかってくれるだろう」

「……ねえ、彼女の様子はどうなの?」

 フリートは後ろを歩いている銀髪の青年を見ながら言った。

「落ち着いた様子で、話す内容を読み返している。表向きは会議みたいなもんだからな、きちんと段取りに沿って話す必要があるって言っていたぞ」

「会議の際、何人か他の人も同席するのよね?」

「ああ。頭が回る若い貴族を何人か連れてきている」

「無事に終わるといいね」

「大丈夫だろう。先方は騒げる立場でもないからな」

 大通りよりもやや狭い通りに移動していく。さすが大きな町とあって、人の量が極端に減ることはなかった。

 少し進んで、急にリディスは言葉にできない違和感がして、思わず立ち止まった。フリートとロカセナも気付いたようで、お互いに怪訝な顔をしている。しかし一般の町民たちは平然と歩いていた。

「何だろう……すごく不快な気分。まるで脳内に何かが潜り込んでくるような……」

 以前、脳内に衝撃的な映像が流れた時のことを思い出した。あの時それを召喚した青年は、リディスと同じように訝しげな表情をしている。彼の仕業ではないのは明らかだ。

 ではいったい何が起こっているのだろうか。まるで誰かがリディスたちを挑発しているようである。

 胸に手を当てて、息を吸って吐いた。ふと、ある地点の気配が微妙に違うのに気付く。

 リディスは数歩進むと、一気に駆け出し始めた。フリートとロカセナも慌てて追いかけてくるが、先に走り、行くべき場所が明確なリディスとの距離はなかなか縮まらなかった。

 狭い路地裏の前で足を止め、護身用に腰に携えている短剣に手を触れながら踏み込む。昼間なら光が射し込んでくる道だが、雲がかかっている早朝では光を求めるのは困難なことだった。

 何かいる。感覚的に一番近いのは、人ではなくモンスター。

 結界が張られている町の中に、なぜいるのかはわからない。ただ目の前にいるだろう、それに向かって突き進んだ。

 すると不意に耳元で小さいが小気味のいい音が聞こえた。途端に四肢の自由が奪われ、意識が遠のいていく。

 罠だったか――そう思いながら、思考を巡らすことなく、リディスはその場に倒れ伏した。



 先に進んでいたリディスが何の前触れもなく倒れたのを、フリートとロカセナは目撃していた。突然のことにフリートはその場で僅かに動揺してしまう。

 その間に、リディスの後ろに黒いローブを羽織った男が現れた。フードを深く被っているため顔は判断できないが、佇まいから手練れだと感じ取れる。男はリディスの顔に向けて、細いナイフの先端を突き付けた。

「これ以上近づくな。近づけばこの女を殺す」

 低くはっきりとした声を聞き、動こうとしていた足が止まった。ごくりと唾を飲み込む。

 よく見ると、リディスは気を失っているが、全身が痙攣していた。

「……何をした」

 抑揚なく一言だけ述べる。その一言が限界だった。一言でなかったら感情的に言い放っている。

「大人しくしてもらっただけだ。お前らが何もしなければ、今は殺しはしない」

「殺さない程度にいたぶる気か?」

 語尾が思わず強くなる。隣にいたロカセナが軽く首を横に振っていた。感情的になるなと視線だけで訴えてくる。

 フリートは心の中で舌打ちをしつつ、肩で呼吸して脳内に酸素を行き渡らせた。

「いたぶるか、それもいい考えだ。若く美しい女性の悲痛な表情は見ていてぞくぞくするからな」

 握りしめた右の拳が飛び出しそうになったが、ロカセナが手を使って制する。そして彼はフリートの前に出て目を細めた。

「要求は何だ。何が目的で彼女を襲った?」

「この女は俺たちの目的を遂行するために、都合がいい立場の人間だからだ」

 フードでほとんど見えないにも関わらず、男の口元が大きくにやけた気がした。

 男は屈み、リディスの頬をそっと触れる。そして動けないフリートたちを一瞥して彼女のことを担ぎ上げた。

「お前らに一つだけ教えてやろう」

 体を横に向けて、男は口を開く。


「お前たちが三年前に行ったのはただのきっかけだ。そのきっかけが周囲に波紋を呼ぶのは必然のことさ」


 意味深な言葉を脳内でフリートは復唱しつつ、あっという間に走り去っていく男の背中をじっと見つめていた。

 消えたのを確認すると、すぐ横にある壁を思いっきり叩く。怒りを逃すための措置だったが、それでも沸き上がる自己嫌悪はまったく消えなかった。

「何だあいつは!? 直接触れることなく、リディスは気を失ったぞ」

 吐き捨てる言葉に対して、ロカセナが感情を入れずに淡々と答える。

「相手の素性はわからない。でもこれは言えると思う。――他に狙われているものがいるって」

 フリートは拳を壁から離して、眉をひそめた。

「どうして断言できる?」

「まるでリディスちゃんを取引の材料として使いたがっているみたいだから。そこから取引対象がもう一人、もしくはもう一つあるって考えられる」

 もう一人という発言を聞いて、フリートは真っ先に金色の髪を巻いている女性を思い浮かべた。それはロカセナも同様なのか、いつになく眉間にしわが寄っている。フリートは力が入っている彼の肩を軽く叩いた。

「……今は護衛と一緒に宿にいる。安心しろ」

「そうかな。今起こったことを考えると、油断はできない」

「この件、伝えておくか?」

「……リディスちゃんのことを考慮すると、あまり目立った行動はできないし、あの人に余計な心労が増えるだけだから、僕としては避けたい。今は下手に動かない方がいいと思う」

 ロカセナに諭されるように言われるが、フリートとしては今すぐにでも町の中を駆け巡って、リディスのことを探したかった。痙攣していたのが非常に気になる。毒でも回っていたら、手遅れになる可能性もある。


 姫を護衛する騎士としての役目を果たすか、一人の男として愛する人を助ける行動に出るか――。


 リディスが連れ去られた方向を見つめていると、背後から声が投げかけられた。

「またくだらないことで悩んでいるんでしょう」

 若干棘が含まれている、凛とした声を発する女性。久々に聞く声を耳にして、目を丸くしながら振り返った。

 以前は紺色の長い髪を先で緩く縛っていたが、今では首もと当たりで結んでいる女性がいた。その後ろにはさらに逞しい顔つきになり、バンダナを結んだ青年が立っている。

「リディスの気配が小さくなって、さらに遠ざかったわ。何があったの? 教えなさい」

 有無を言わせない口調で、予言者のメリッグ・グナーは三年ぶりにフリートたちに言い放った。

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