静かに擦れ違う関係(2)
「リディス、顔色が悪いけど、何かあった?」
ウェーブがかかった長い金色の髪の女性は、俯いたまま座り込んでいるリディスの傍に寄って、そっと声をかけてきた。窓から射し込んでくる光によって、部屋の中は適度な温かさと明るさで保たれている。
リディスに話しかけた女性は、部屋の中央に置かれている丸テーブルの周りにある椅子に腰をかけた。そして予め侍女に用意してもらった紅茶をカップに注いでいった。首からは淡いピンク色の石がぶら下がっている。
「外の方が良かった? ごめんなさい、今日は私としては中で話をしたくて……。……調子が悪いなら、また後日でもいいわよ?」
女性の心配そうな声を聞いたリディスははっとして、首を激しく左右に振った。
「大丈夫ですよ、ミディスラシール姫。体は元気です!」
「それならいいけど……。あら、また姫って付けたわね。二人でいるときは姫を付けるなって前々から言っているでしょう。こっそり外に出た時、姫付けで呼ばれた際、どれだけ気まずかったか覚えているわよね?」
「そうでしたね、以後気を付けます、ミディラルさん」
「なんならお姉ちゃんでもいいのよ?」
「さすがにそれは遠慮しておきます……」
苦笑いをしたリディスは、ミディスラシールから紅茶が入ったカップを受け取る。
顔を上げると、どことなく顔の輪郭や目元が似ている女性が視界に入った。
二人の関係は姫と貴族間での親しい仲と言っているが、本当は血の繋がった姉妹である。とある事情のため、それを明るみにすることは永遠にないが、何かと折り合いを付けて、二人でお茶をするようにしていた。お喋りをする穏やかな時間は、リディスにとって幸せなひとときだった。
紅茶を飲んで、リディスは少しずつ平静さを取り戻していく。ミディスラシールはお茶菓子のクッキーを食べると、じっとこちらを見つめてきた。
「それでどうしたの? この世の終わりみたいな顔をしているけど。どうせまた面倒なことを一人で抱え込んでいるんでしょ。ここで思い切って話しなさい」
探りもせず、真っ直ぐ本題を聞いてくる。リディスは机の上で両手を握りしめながら口を開いた。
「……実は先日シュリッセル町に戻ったら、縁談話を持ち出されまして」
「いい歳だものね。その話、受けるの? フリートいるのに」
「結論は次に町に戻ってきた時で大丈夫だと言われたので、保留にしてきました。……オルテガお父様はフリートと将来のことを考えているのであれば、縁談話は断っても構わないと言いました」
「なんて娘想いのいい父親なのかしら。羨ましい」
リディスは何も言わずに聞き流す。ミディスラシールの父であるミスガルム国王は非常に有能で、平時は家族想いの人間であるが、極限状態に陥ったときは国王としての立場を優先する傾向があった。それゆえ無条件で娘の将来の幸せを考えられないのである。
「フリートにはそのこと話したの? いくら鈍感で恋愛下手な男でも、恋人に縁談話がきたら慌てるでしょう」
「……実はまだ話をしていません。話そうとして、機会を逃したと言いますか」
ミディスラシールの目が丸くなる。リディスは視線を逸らして紅茶をすすった。
「さっき廊下でヒルダさんという方に出会ったんです。歳は十九で、本人曰くフリートとは将来を誓い合った仲だと言っていました」
「……はい?」
間の抜けた言葉と共に、首を傾げられる。ミディスラシールも知らないことらしい。
リディスは感情を入れずに続けた。
「話を聞いてみると、フリートが見習い騎士になる前、つまりお屋敷にいる時にヘルギールさんが会食を開いたらしく、そこで仲良くなった二人が将来を誓い合ったと言っていました」
「それ本当なの?」
「フリートは断固として否定していましたが、ヒルダさんとそちらのご家族はその約束をはっきり聞いたと言っていました。さらに詳しく話を聞きたかったのですが、フリートは彼女に連れられてどこかに行ってしまいました」
震える手でカップを握りしめて、リディスは紅茶を飲む。ミディスラシールは相槌をせず、神妙な面もちでクッキーを口の中に入れていた。
「フリートのお父様はその約束を覚えていないの?」
「そのような記憶はないらしいです。ただ十年以上前のことですし、その間にシグムンド家は色々とありましたので、たとえ約束をしていたとしても、忘れてしまったかと思います」
「覚えていろっていうほうが、難しいかもしれない。――年端もいかない子供同士の約束なんて、書面でも残っていない限り簡単に破棄できるわよ。それにも関わらずフリートがその子を邪険に扱えないのは……相手の両親が貴族でもかなり位が高いから?」
的を突いた発言にリディスは渋々頷いた。
「ヒルダさんのお父様は、ミスガルム王国とムスヘイム領の間の取引をしている貿易商の中でもとても偉い人だそうです。普段は王国から一番近い港町であるラルカ町にいるみたいです。……政治畑のヘルギールさんと比べにくい存在ですが、シュリッセル町を納めるオルテガお父様よりは領全体に影響力のある人だと思います」
ミディスラシールはその話を聞いて眉間にしわを寄せた。そして腕を組んで、背もたれに寄りかかる。
「あの人の子供か……。今の話題に出た父親と、何度か会ったことがある。私としては苦手な種類の人間だったわ。打算的でいつも媚びを売って、へらへらした笑顔が胡散臭くて。はめられて潰された商人はたくさんいるでしょうが、功績を挙げているのは事実なのよね。……まったく厄介な人の娘に目を付けられたわね」
ミディスラシールは肩をすくめた。フリートがヒルダと約束したかは、この際どうでもいい。相手側からの一方的な話になり、それを止められる術がないのが問題だった。
「フリートってもてるんですね……」
ふと、ヒルダが猛烈にフリートに迫っていた場面が思い浮かぶ。彼が粗雑に扱わなかった様子を見ると、位云々がありつつも、少しは気があったのではないかと勘くぐってしまう。
それを聞いたミディスラシールは、軽く首を傾げていた。
「もてるってほどではないわ。たしかに以前よりは柔らかくなって、話しかける女性も増えてきたって聞くけど、あの頑固でうるさい性格についていけない人が大多数よ」
「たしかに面倒な性格はしていますね」
「……おそらく、こんな状況になってしまったのは私のせいでもあるわね、ごめんなさい」
「え……?」
ミディスラシールは姿勢を正し、リディスに向けて口を開いた。
「彼が私と近すぎるからよ。姫と騎士ではなく、話しやすい友人的な立場になりつつある。あの人への手紙をいつも頼んでいるせいもあるでしょうね。その隙間に……彼女たちは入り込みたいのかもしれない」
「まさか」
「ヒルダという女性がフリートのことをどの程度愛しているかはわからない。もしかしたら地位を狙うためにわざと慕っているように振る舞っているのかもしれないわ。……まあ彼女の思惑はどうあれ、あの父親であれば、私とフリートの間に付け込みたいと考えるでしょうね」
ミディスラシールの話を聞いたリディスは、三年前に別れた紺色の髪の女性の言葉を思い出していた。
『それなりの地位の貴族の父親がいて、お姫様との繋がりもあったら、政治的な意味合いで取り入ろうとする人がいてもおかしくないわ』
まさしくその通りの状況になっていた。
リディスの顔色がどんどん青くなっていく。リディスとフリートに別々に縁談話が持ち出されている。しかも相手は二人よりも身分が上の人間。なぜこんなに面倒なことになってしまったのだろうか。
「……貴族として育ったこと、そして貴族出身の男性を好きになったことを後悔しているの?」
リディスは考えた後に、俯きながら首を横に振った。
彼と出会い、旅をし、そして絶望の使者と立ち向かって、彼のために一度は命の灯火を消そうとしたことを、後悔などしていない。ただ、彼と共に歩むために、今、どう動けばいいかわからなかった。
黙り込んでいると、立ち上がったミディスラシールはそっとリディスの肩を叩いてきた。
「……世の中を安泰にさせるために、いくつかの政略結婚は必要な事ではある。でも、リディスたちはそれをしなければならないという立場ではない。お互いに話し合って望んでいない結婚など嫌だと言えば、物わかりのいい父親たちはわかってくれて、何らかの手を打ってくれるわ。ヘルギールさんやオルテガさんは子供たちの幸せを第一に考えているから」
果たしてそうだろうか。断ればお互いの家族に悪い影響が及ぶ可能性がある。そんな危険を冒してまで、二人はリディスやフリートの未来を願ってくれるだろうか――。
姫はリディスに背を向けて、窓に寄った。そして窓枠に手をかけながら、背中越しから口を開く。
「そう、私のように逃れられない縁談話ではない」
「縁談話きているんですか?」
「――バナル帝国の第五皇子から縁談話がきている」
リディスは目を大きく見開く。思わず立ち上がると、振り返ったミディスラシールと視線が合った。彼女は感情を表に出さないまま続けた。
「昔は魔宝珠を狙って攻めてきた国が、ようやくそれが不毛な行為だと気づいたらしいわ。むしろ仲良くした方が利はあると思ったようよ。その足掛かりとして出されたのが今回の縁談話。あちらにとっては息子を人質として渡すから貿易をしようという狙いが、こちらにとっては人質を得ることで、今後帝国からの脅威もさらに薄れさせようという狙いがある」
姫の縁談話で思考が固まったリディスには、淡々と紡がれる内容をすぐに理解することができなかった。
バナル帝国はドラシル半島北部の細い道の先にある、広大なバルヘミア大陸の中心都市の一つだ。
ドラシル半島上にあるミスガルム領を含めた五つの領と、バルヘミア大陸の上にある他の国や領とでは、地理的なこと以外で大きな違いがあった。
それは魔宝樹による恩恵だ。ドラシル半島以外でも魔宝樹から生み出される魔宝珠を使用することで、物を召喚することは不可能ではないが、樹から一定の距離がつくと、召喚ができなくなると言われている。おそらく精霊の加護が樹の周辺にしかないのが原因だろう。
そのためバナル帝国は魔宝樹の恩恵を受けるために、土地や宝珠を奪いに攻めてきた過去があった。
それに対し、ミスガルム王国とアスガルム領民が力を合わせ、さらに魔宝樹や精霊の力添えを得ることで、どうにか退けていた。大樹を触れる直前、樹により拒絶されたという逸話もある。
それらの経緯から、魔宝樹による直接的な恩恵は受けられないと悟ったようだ。ならば、せめてドラシル半島との温厚な関係と、その土地で作られた物を入手したい、という考えに及んでもおかしくない。
「ルドリ団長に頼んで帝国で売っている品を見せてもらったけれど、こちらで作った物の方が断然質は良かったわ。剣一本とっても耐久性がまったく違う。それに気づいて貿易話に乗り出してきたようよ」
「製鉄の際に使用する、
「あとはいい鉄を使用しているかというのもあるでしょう」
ミディスラシールは窓に背中を付けて、視線を天井に向けた。
「他に狙いがあるのかと勘くぐって、国王はしばらくこの話を伏せていたわ。でも皇子一人と十人程度のお付きの者ができることなんてたかがしれている。潰そうと思えばいくらでも潰せる。新たな貨幣と人質が得られる大きな利点の方が、多少あるリスクを遥かに上回っているのよ。だから私にこの話を持ち出してきたわけ」
「その話、受けるんですか?」
そう聞くと、ミディスラシールはくすりと笑みを浮かべた。
「断る理由ある?」
「ありますよ! だってミディラルさんはロカセナのことを――」
ずっと想い続けているんですから――。
声に出すのははばかられる内容なので、途中で言葉を飲み込んだ。
ミディスラシールは首もとにあるピンク色の石にそっと手で触れた。今は城にいない銀髪の青年から贈られたものだ。それを未だに大事に付けている。
「……さっきも言ったでしょう。世の中には必要な政略結婚がある。それがこの縁談話なのよ。私個人の想いを聞いてくれるはずがない」
「それでも――」
「無理に決まっているでしょう! 好きになった時点で叶わない恋だったのよ!」
ミディスラシールが声高くして言い張る。彼女の口元は震えていた。
「私は一国を束ねる姫で、あっちは今は樹を見守る人間だけれども、過去に大罪を犯した元騎士。一度は交わったけれど、今後は絶対に繋がりあえない関係なのよ……」
無理に微笑んでいる姿が痛々しかった。ミディスラシールはリディスの横に来て、一通の手紙を渡してから数歩先に進んだ。
「……私は彼が生き続けてくれれば、それでいい」
そしてドアを開け、外で待機していた薄灰色の髪の近衛騎士スキールニルを伴って去っていった。
リディスは呆然とその後ろ姿を見送った後に、視線を手紙に落とした。
真っ白い封筒の中に入っている、分厚い手紙。
彼女が誰よりも生き続けてほしい青年宛の手紙だった。
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