近くて遠い護衛対象(下)

 * * *



 一緒にいて、少しでも姫の心が落ち着けばいいと思い、スキールニルなりに気を使って接していった。

 活発に動き回る、明るく元気な彼女に、妹以上の想いを抱いていたのは、自分自身気付いていた。

 だが彼女がもっとも心を許していたのは、自分ではなかった。

 ある夜、城内の巡回当番だったスキールニルは、通路が交わるところで金髪の少女が左から右へ駆けていくのが目に入った。彼女はあっという間に走り去ってしまい、追いかけた時には階段を駆け上がるところだった。

 就寝時、姫の部屋の前には、護衛が一人付いているはずである。彼と一緒に行動していないところを見ると、脱走でもしたのかもしれない。精霊召喚を使って隣の部屋へ移動して抜け出すなど、彼女であればやりかねなかった。

 怒られることを承知で脱走した彼女の動向が気になり、こっそり後をつけた。

 着いた場所は城の屋上。夜風が冷たい場所だった。そこで金髪の少女が銀髪の少年へと歩み寄っていた。

 スキールニルはすぐに彼の顔から名前を思い浮かべる。ロカセナ・ラズニール――癖の強い第三部隊の新人騎士だ。先日のミディスラシール姫誘拐事件を解決する際、活躍した少年でもある。

 二人は手すりにもたれながら並ぶと、話をし始めた。何を話しているかはわからないが、表情を見ていると楽しい部類のものだと考えられた。

 だがふとミディスラシールの表情に影が入った。手すりをぎゅっと握りしめて、言葉を吐き出している。

 ロカセナが口を開くと、彼女の表情が緩んだ。その表情を見て、スキールニルは胸が微かに引き締められた。

 彼女が自分に見せていた表情は、あくまでも外面の明るい部分だけ。

 悲しみ、落ち込む様子を見せられるのは、自分ではなく彼のようだ。

 傍にいる時間が長いから心を許してくれている、というのはただの幻想だった。

 和やかな表情で語り合う男女を見ながら、スキールニルは音を立てぬよう、階段を降りていった。



 それからは自分だけができることはないかと常に自問自答しながら、姫と接していた。

 ある日を境にして彼女の表情が曇ることが多くなっていた。だが、首にかけられた小さなペンダントに触れると、表情が和らいでいた。色は姫の服と合っているが、質の観点からすれば見遅れするものである。それを肌身離さず下げているのを見ると、不思議と感情が高ぶりそうだった。

 やがて多少は弱音を吐いてくれる姫と護衛の関係になった頃、城に一人の少女が現れる。姫と同じ金髪で緑色の瞳の持ち主。彼女を見て、姫が驚いていたのは明らかだった。

「ねえ、スキールニル、あの子のことを調べてくれる?」

「構いませんが、どのようなところまで?」

「普通に知れる範囲でいいわ。ただしこのことは他の人には黙っていて」

 それ以上追求せず、スキールニルはリディス・ユングリガを調べるという任務を承った。



 真実を聞かされたのは、月食時の事件が起きる直前だった。公にはできないが、スキールニルには教えるべきだと思ったらしい。こちらとしては事前に戦闘になることを教えてくれて助かっていた。リディスのことは最重要機密事項だが、彼女の本当の立場を知らなければ、思うように動けなかっただろう。

 ただ、真実を知ったとしても、スキールニルがするのは姫を護ることである。リディスに関しては、こちらがそれなりに認めているフリートが護衛に入るのだから、大丈夫だと思いたかった。

 話を聞いている中で、一つだけ疑問が浮かび上がった。ロカセナ・ラズニールの名前が出てこなかったのだ。

 シュリッセル町からリディスを連れてきた青年も、何らかの立ち位置で彼女を護っていいはずである。

 気になって問いかけたが、姫には曖昧な表情で誤魔化された。

 その表情の意味を、事件後に知ることになる。



 一度だけ、月食の事件後に姫の部屋で問いつめたことがあった。

 裏切られ、王国を滅茶苦茶にし、実の妹を殺そうとした男のことを、どうして切り捨てられないのかと。

 彼女は窓に寄りかかり、視線を逸らして、今も首からかけている淡いピンク色のペンダントに触れながら答えてくれた。

「私にはあの人が心の底から悪になって事件を起こしたとは思えないから。きっと何か事情があって、事を起こしたのよ」

「姫、事情があったとしても、何も知らないこちらから見れば、彼はただの罪人です。貴女があいつのことを……大切な人間として接していようが、その事実はひっくり返りません。逆に貴女のお心を苦しめる存在になります」

 ミディスラシールは目を見開き、スキールニルを見つめてきた。瞳には明らかに困惑した色が映っている。そして首をふるふると横に振られた。

「姫……」

 寄ろうとすると、彼女が右手を前に出して、スキールニルを制してきた。左手で髪を耳にかけて、口を開く。

「……にさせて……」

「姫?」

「一人にさせて、お願い。今すぐ部屋から出ていって!」

 見れば彼女の目からは大粒の涙が流れ出ている。一瞬立ち尽くしていたが、すぐに我に戻ると、足早に部屋から出ていった。出る間際、彼女はその場に座り込んで、両手で顔を覆っていた。

 外に出ると、姫に会いに来たセリオーヌと鉢合わせる。

「どうしたのスキールニル。姫は?」

「……自分は姫の触れてはいけない部分に触れてしまいました。しばらくは一人でいたいとのことです」

「そう。今の姫の立場を考えれば、感情を爆発してもおかしくはないわ。……ありがとう、スキールニル」

「なぜお礼を言われるのですか」

「一度泣いてすっきりしてもらった方が、こちらとしては楽だからよ。一国の姫であるけれど、一人の女性でもある。前に進むには感情の整理が必要なのよ」

 その時のスキールニルには、セリオーヌの言葉の意味はわからなかった。だがその後の姫の態度の変化を感じて、おぼろげながら察することになる。

 ロカセナを止められなかった過去を悔いるのではなく、彼が行うことをどう阻止し、どのようにすれば皆にとってよりよい未来を開けるかと、考えるようになったのだ。



 ロカセナと再会し、絶望の使者との死闘時に、彼が死に急いでいるのを察して、やるせなくなった。

 姫はお前のために涙まで流して、心を痛めていたのに、最後はその行為を無にするような道を選ぶのか。

 攻撃を受けた彼の左脇腹からの出血は酷かった。表面を一気に擦られたために、一時的に出血は多くなったようだ。重要な血管は切れていないのか、その後の出血量は思ったよりも多くはない。

 だが絶対安静すべき傷の具合だった。それでも行くと言った彼を見て、呆れると同時に何とかしなければと思った。

 行くのを止めることはできないが、姫のためにも死なせるわけにはいかない。

 召喚をする際、普段とは違うことをするため、心拍数が上がり、血が早く巡ってしまうのは自明のことだった。

 だからスキールニルは分厚い布を渡して、いくつか助言をしたのだ。

 特に強調したのは召喚に関して。召喚すれば、間違いなく彼は死ぬ。

 はっきり言い切ったことでいくらか抑制できたのか、彼はその言葉の重みを受け止めているように見えた。

 ある程度、生への執着心を持ってくれれば、生きられる確率は高くなる。体は気力からくると言われているからだ。

 そしてフリートに任せて、彼らを魔宝樹がある地へと送り出した。


 二人の背中をじっと見つめ続けていた、姫と共に。



 * * *



 死闘が終わり、王国の復興が進み出してからは、以前と同じようにミディスラシールと共に行動していたが、ほとんどの内容が彼女の予定管理となっていた。もともと城外に出て、モンスターを還す立場の人間ではない。ここ数ヶ月が異常すぎたのだ。

 剣を握る機会は、腕が鈍らないよう護衛外の時間で素振りをするくらいとなっていた。時々フリートが模擬戦を申し込んでくるので、それを受けたりもしている。

 以前に彼とは剣を交じり合わせたことはあったが、かつてよりも格段に力を付けていた。大半の試合をぎりぎりのところで勝利を収めているも、日に日にスキールニルの勝率は下がっていた。

 今回の死闘までの戦いで、最も力を付けたのはフリート・シグムンドだろう。

 剣の力量も、戦況の見極め方も、挫折した時からの復活の仕方も、すべての点において伸びていた。

 今の彼なら姫の護衛が充分務まる。模擬戦の後にその旨を伝えたが、スキールニルが薄々予想していたようにきっぱり断られた。タオルで汗を拭って、彼は理由を述べる。

「姫は大切な存在だが、いつまでも護れるわけでもない。王国に居住を構えている、包容力のある人がいいと思う。俺には荷が重すぎる」

「今は護るというよりも、姫の予定管理が主な仕事だ」

「予定管理ということは、予定がかぶった場合には交渉をする必要があるだろう。それをするのは冷静に物事を対処できる人間の方がいい。貴族のじいさんたちと会った瞬間、剣呑な空気になってしまう俺では無理だ」

「なら、誰が適任だ?」

 フリートは視線を空に向けて呟いた。

「普段は感情的にならず、いざというとき姫のことを体を張って護れるのは、今はここにいない、あいつくらいじゃないか?」

 姫と文通している、あの青年のことか。

 たしかに悪くない。フリートとの決戦でもいい動きはしていた。あのとっさの機転や動きは、騎士の中でも上位に入る。凶悪な敵と対峙したとしても、倒せずとも姫を逃がすことはできるだろう。

 ただし問題はある。今の彼は騎士という身分ではないということだ。またたとえ戻ってきたとしても、反感を抱く人がいてもおかしくない。彼は城に多大な被害を引き起こした者たちの一人だからだ。

 人不足が嘆かれている中、少しでも有能な人物は引き入れたいが、時期的にまだ無理だろう。

「あ、リディスだ。誰か連れているな」

 フリートが軽く手を振ると、城下町の方から二人の女性が歩いてくるのが見えた。金色の髪の女性が大きく手を振り返している。彼女の隣にいる人物を見て、スキールニルは思わず立ち上がった。その人物はスキールニルを見るなり、表情を緩ませている。

 リディスが彼女を連れてくると、紹介される前に女性が寄ってきた。

「よかった、すぐに見つかって。リディスさんがスキールニルのことを知っているって言うから、案内してもらったの」

「突然どうした、ヴィオレ。来るなんて聞いていないぞ」

「ちょっと話を聞いて欲しくて。――ありがとう、リディスさん。お忙しいのに、すみません」

 お礼を言われたリディスは首を横に振った。

「いえ、私も探し人を見つけたところなので。――フリート、暇? 城下町に美味しそうなお店が開店したの。行ってみない?」

「今日は非番なのを知って来たんだろう。少し待っていろ。着替えてくるから」

 そう言って、黒髪の青年は更衣室に向かって走って行った。

 スキールニルも汗をかいている。着替えにいこうかと思ったが、軽く袖を引っ張られた。

「実は買い出しの合間に来たの。だからすぐに戻らなくちゃいけなくて……」

 ヴィオレが珍しく遠慮がちな声を出している。スキールニルは上着を羽織ると、彼女を連れて歩き出した。

 しばらく黙っていたが、彼女がちらりと背後にそびえる城を一瞥すると、ようやく口を開いた。

「スキールニルって、ずっと姫の護衛でいるの?」

「いや、遅くとも三十になる前には後任に引き継ぐ」

 銀髪青年に引き継ぐかはわからないが、彼の事情を差し置いても、三十前には退きたいと思っていた。それが自分なりのけじめだと思っている。

 一度は淡い感情を抱いた女性を、伴侶を迎えて幸せになっていく姿をずっと見続けられるわけがない。

 それに自分としては彼女の護衛以外の仕事もしてみたかった。

 ヴィオレは足下を見て、ぼそっと呟く。

「……ねえ、私がこっちに越してきたら、一緒にいてくれる?」

 一瞬耳を疑った。目を丸くして、頬を赤らめている彼女を眺める。

「私ね、貴方が姫の護衛につくことを薦めたけど、本当はすごく怖かったの。この前、死線をかいくぐったって聞いて、心臓が止まるほどだった。私にとって貴方はとても大切な存在なんだって、そこで初めて気づかされたの」

 彼女は顔を上げて、まっすぐスキールニルを見据えてくる。

「だから少しでも傍にいたいな……って」

 真っ赤になりながらも、彼女は言い切ってくれた。

 戦地を駆けずり回っているとき、脳裏によぎったのは傍で皆に護られている姫ではなく、生まれ育った町で帰りを待ってくれる両親や幼なじみであるヴィオレだった。

 姫は確かにとても大切な人間だ。護らなければならない人である。

 しかし、彼女には他に護ってくれる人が大勢いる。スキールニルがいつまでもその勤めを果たさなければならない理由はない。

 だがヴィオレはどうだろうか。

 明るく活発的な彼女を見て、スキールニルは唐突に気づかされた。

 妹を影にして姫を見ていたのではなく、ヴィオレを影にして姫を見ていたのだ。

 それなら姫に対し妹以上の感情を抱いてもおかしくはない。

 雲が太陽の光を遮る。日陰に入っていたため、さらに辺りが暗くなった。そんな中でスキールニルは彼女の体を引き寄せて、そっと抱きしめた。ヴィオレは驚きつつも、抱きしめ返してくれる。

 懐かしい優しい抱きしめ方をされ、昔のことを思い出す。

 あのときは妹が亡くなり、涙が出ないときだった。だが彼女に抱かれたことで、涙を流すことができた。

 昔から、そしてあの日からもずっと彼女は自分を見ていてくれたのだ。

 見守り続けてくれた彼女に感謝の意を込めながら、そしてこれからは彼女のことを守り続けたいと願いながら、スキールニルはしばらく彼女を抱きしめ続けていた。




番外編五 了

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