番外編5 近くて遠い護衛対象

近くて遠い護衛対象(上)

 論理的に動いているように見せて、実は誰よりも感情的で、頭より先に体が動くのを止めている、金髪で緑色の瞳の少女。

 彼女を初めて見たのは、騎士団の叙任式後の晩餐会だった。国王の後ろにいる淡いピンク色のドレスを着た少女は、貴族界のお偉いさんたちに向けて精一杯挨拶をしていた。

 そんな彼女を目に留めつつ、同期の新人騎士と会話をし、皿に乗せた食べ物を口に入れていた。そしてある程度腹が満たされたところで、デザートをとってくることにした。

 机の上に並べられている大きな皿の上には、果物がたくさん乗った美味しそうなケーキが一個だけ残っている。とても凝った作りのケーキだったため、ついつい手が伸びていた。それとほぼ同時に、小さな手が左側から伸ばされていた。

 視線を向けると、金髪の少女と視線があった。彼女は頬を赤らめて手を引っ込める。少し逡巡した後に、彼女のお皿にそのケーキを乗せてあげた。

「貴方の分は?」

「大丈夫です。自分は他のを頂きますので」

「……ありがとうございます。……お名前を伺ってもよろしいですか?」

 少女がおずおずと聞いてくる。まだ人慣れはしていないようだ。

 右手を胸に添え、軽く頭を下げてから名乗った。

「初めまして。本日の叙任式で騎士に任命されました、スキールニル・レイフと申します。近衛騎士として配属されますので何かとお目にかかることもありますが、よろしくお願い致します、ミディスラシール姫」



 * * *



「……自分、ですか?」

「ああ。入団時に座学も剣術も抜群に成績が良かったお前なら、皆も納得してくれるだろう。難しい年頃だから引き続き父親以上の年齢の人間にしてもよかったが、動き回る姫様についていけるかどうかわからなかったから、あえて若手にしてみた」

 スキールニルが二十二歳になった頃、近衛騎士団長から直々に呼び出しを受けた。内容は姫の専属護衛騎士になれというもの。

 今までは前線を引退した老騎士が、勉強を教えるがてら護衛をしていた。しかし最近姫は表に出ることが多くなり、さらに老騎士も隠居すると言い始めていたので、いい機会だから護衛を変更しようという話になったのだ。そこで何人か候補が挙がった結果、スキールニルに声がかけられたのである。

「なぜ自分が選ばれるんですか。役付きの人に頼んだ方がいいと思います。お恥ずかしながら今の自分の実力では、何かあった場合、姫を無傷で護りきれるとは断言できません」

 騎士になってまだ四年しかたっていない。姫の護衛など平の騎士がするには荷が重すぎる。

 しかし近衛騎士団長は、スキールニルの言葉をすらすらとひっくり返していった。

「外に出るときは、他にも護衛を付ける。状況によっては私も出るから安心して欲しい。むしろどうにかして欲しいのは、城内にいるときだ。最近は真面目に家庭教師に勉強を教えてもらっているが、昔は勉強が嫌いだったらしく、よく部屋から脱走していたらしい。これから大事な時期になってくる。少しでも彼女の動きを封じられる、動ける人間の方がいいんだ」

「……そんな女性でしたか?」

 スキールニルが噂で聞いていた人物とはかなり違う気がする。美しく凛々しく、さらにはお淑やかで可憐な華のような存在だと聞いていた。

 にも関わらず、今の言い分だけを聞いていると、ある言葉がふと浮かんでくる。

「失礼なお言葉となりますが、実はお転婆少女だったんですか?」

 近衛騎士団長は腕を組み、唸りながらも首を縦に振った。



 とりあえず会ってこいと言われて、スキールニルは図書室にいる姫のもとに向かった。

 図書室を覗くと、彼女は椅子に座り、多数の本を机の上に積んで、一冊の本を開いていた。それをさらに別の本と交互に見ながら、頭をかかえている。

 今は自由時間だ。その時間まで図書室に通い詰めるなど、勉強熱心で真面目な姫ではないか。

 スキールニルが本棚の陰からゆっくり近づいていくと、突然彼女は机の上に手を突きながら、勢いよく立ち上がった。その衝撃で椅子は倒れ、静かな図書室の中に倒れた音が響く。彼女は頬を赤らめて、慌てて椅子を持ち上げた。清楚で可憐な女性と聞いていたが、やはり少し事情が違うのかもしれない。

 スキールニルはさりげなく姫に近づき、彼女の机から落ちていた一枚の紙を拾った。

「すみません……」

 近付いた彼女に手渡した紙には、古代文字の固有名詞の訳が書かれていた。『樹』や『宝珠』、『過去』、『未来』など、断片的だがスキールニルも多少知っている単語だった。

「古代文字の訳ですか?」

「ええ……。あら貴方、もしかしてスキールニル・レイフ?」

 姫はスキールニルを見ると、目を丸くしていた。むしろこちらが驚く方だ。眉を軽くあげて姫を見返す。

「知っているんですか、自分のことを」

「知っているも何も、近衛騎士の人だし、一度会ったでしょう。あの時譲ってくれたケーキ、とても美味しかったわ、ありがとう。――私、なるべく騎士たちの顔は覚えるようにしているの。私たちを護ってくれている、大切な人たちだから」

 口元に笑みを浮かべながら、彼女はきっぱりと言う。彼女の誠実さが垣間見えた気がした。

「それでどうかしたの? 貴方は王族とは関係のない部署の護衛のはず。誰かから言伝でも受けてきたの?」

「……そのようなところです。姫、古代文字を訳すための辞書なら、もっとわかりやすい本を知っています。ただいま持ってきますよ」

「本当? 助かるわ」

 ころころと表情を変える姿を見ていると、記憶の彼方にある少女のことを思い出してしまう。その記憶から避けるかのように、スキールニルは辞書がある棚に歩いていった。



 * * *



 スキールニルは医者の家系の次男坊だ。長男である兄が診療所を継ぐため、医者になる必要はなかったが、医術には興味があった。それを少しでも生かす将来はないかと悩んでいると、父が騎士を強く勧めてきたのだ。

 モンスターが溢れる世界で、傷つきながらも戦い続ける騎士たちの中に、医術の知識がある者がいた方がいいと。

 スキールニルは父からその話を昔からよく聞かされており、他の人よりも運動神経が良かったため、自然と見習い騎士になるための門を叩いていた。

 座学ははっきり言うと簡単だった。医術書を読んでいた方が遥かに頭を悩ます。教師ももはや教えることはなく、試験さえ受ければいいと言っている状態だった。

 実技はさすがに努力を要したが、座学で余裕がある分、時間をかけられた。それゆえ騎士昇格への試験はすべてにおいてトップ通過だったのは、言うまでもない。

 人付き合いはあまり得意ではなく、見習い時代から一人で黙々と剣を振り続けていたためか、騎士になった今、あまり友と言えるような人間はいなかった。

 だが実家に帰れば、心を開ける環境はあった。

「あれ、スキールニル? 久々ね! どうしたの?」

 ミスガルム王国から少し離れたところにある町に、スキールニルの実家はある。そこで出迎えてくれたのが、幼なじみで快活な女性のヴィオレだった。

「父上はいるか。まとまった休暇をもらったから帰ってきた」

「いるよ。ただ話の長いおじいさんの診察にあたっているから、しばらく顔は出せないと思う」

「そうか。なら先にマルールのところに行ってくる」

「奇遇ね。私もマルールちゃんのところに行くつもりだったの。お花もあるし、一緒に行っていい?」

 スキールニルは頷くと、彼女と一緒に歩き始めた。

 マルールは町の裏手にある丘の上にいる。いくつも並んだ墓標の一つに『マルール・レイフ』という名は書かれていた。ヴィオレがその上に明るい色でまとめあげた花束を置いた。

 スキールニルの四歳下の妹で、八年前スキールニルが十四歳の時に流行病によって亡くなった。当時は見習い騎士の頃で、妹の容態が悪化し、王都から急いで家に戻ってきたときは、死の淵にまさに立つところだった。辛うじて最後の言葉を聞くことができ、それから間もなくして息を引き取った。

 病弱な妹だったが、父が面倒を見ていたため、大丈夫だろうと思っていた。だがその年の寒波はマルールの体を容赦なく襲ったのである。

「マルールちゃん、騎士の服を着たお兄ちゃんに会いに行くんだってよく言っていた」

「ああ、そうみたいだな」

 騎士になると決めた時、マルールは目を輝かせながら飛びついてきた。かつて町に訪れたかっこいい女騎士を見て、憧れを抱いたという。その人と同じ服を着られる兄をいつも羨ましそうに見ていた。

「……マルールに次の俺の仕事を言ったら、また喧しく追求されそうだ」

「仕事内容変わるの? 近衛騎士だってすごいのに?」

「その中でもさらに稀有な立場になる」

 スキールニルはしゃがみ込み、墓石と視線の高さを合わせた。

「姫の護衛騎士にならないかっていう打診がきている」

 ヴィオレは目をぱちくりした後に、スキールニルに飛びついてきた。

「す、すごいじゃない! お姫様と一緒に行動するってことでしょ!? 今日はご馳走を作らなきゃ!」

「まだ受けるかどうか決めていない」

 きっぱりと言って、立ち上がる。そして墓石に向かって一礼し、踵を返してから歩き出した。ヴィオレが慌てて後ろから駆け寄ってくる。

「どうして? 即答していいじゃない。滅多にない機会よ」

「護れるかどうか自信がない。ころころと表情を変える、お転婆少女だ。俺の手で護れるかどうか……」

 後ろを歩いていた女性が足を止めた。スキールニルは不思議に思いながら振り返ると、彼女は目をすっと細めて、こちらを見据えていた。

「マルールちゃんの影でも見たの?」

「……は?」

「いつもの貴方なら難しいことはむしろ喜んで引き受けていた。それなのに躊躇っているのは、マルールちゃんとお姫様が似ているからじゃない? スキールニル、昔からマルールちゃんが絡むと、冷静な貴方はどこかにいって、人が変わったように焦るから」

 幼き頃から自分を見続けていた女性は、スキールニルの心の中を遠慮なく言い放ってきた。

 雰囲気が似ているのは否定できなかった。軽く拳を握り、視線を下に向ける。

 ヴィオレは前にきていた髪を後ろに払った。

「似ているのなら尚更その任務を受けるべきよ。マルールちゃんもその方がきっと喜ぶ。それに貴方のためにも、受けるべきだと私は思う」

「俺のためだと?」

 視線を上げると、ヴィオレは微笑んだ。

「妹みたいな存在だからこそ、貴方は守り抜けると思うの。いなくなってしまった人を蘇らせることはできないけど、生きている人間なら必死になって護るでしょう?」

 彼女は歩み寄り、すれ違い際にスキールニルの肩に軽く手を乗せた。

「スキールニルならできる。貴方はそういう人だって私は知っているもの」

 そして彼女はスキールニルのことを追い越していった。スキールニルは澄み渡る青空を見上げる。同時に自分の考えをゆっくり整理していく。その途中で笑っている姫の顔が思い浮かんだ。彼女の笑顔を護るためにはどうすればいいのか――。それをよく考えてから、町の中へと戻っていった。



 王国に戻ってきた早々、スキールニルは近衛騎士団長に専属騎士の任務を受ける旨を伝えた。

 それから数日たたないうちに、生きていれば妹と同じ年齢の少女と行動し始めるようになる。

 団長の言うとおり、王国外に出ることはあまりなかった。護衛よりも、彼女に勉強を教える機会の方が多かった。そこそこ古代文字が読めたのは大きな利点だったようで、よく彼女から質問を受けていた。

「スキールニル、私より頭いいんじゃない? 医術的な知識を加えられたら、貴方の知識量には到底かなわないわよ」

「適材適所という言葉があります。姫は医術の知識は基礎的なところだけで充分です。それよりも政治的な部分を学んでほしいものです。なのに貴女様は……古い歴史を漁って、いったい何がしたいんですか」

 肩をすくめて聞くと、彼女は指を唇にあてて、にっこり笑った。

「秘密」

 距離を徐々に縮めていけば、話してくれるだろうか。そんなことを考えながら、スキールニルは今週の姫の予定を脳内に巡らせた。

 今週は城から出て、少し離れたところにある町に向かう予定だ。そこの町長と会い、今後の城との関係を協議した後に戻る日程だった。その役割は姫でなくてもよかったが、久々に外に出たいと姫が懇願したことで、彼女が出向くことになっている。

 森の中を通る道のりだが、昼間であれば問題なく抜けきれるだろうと、そのときは思っていた。



 * * *



 スキールニルがミディスラシールの護衛をしている中でもっとも大きな失態は、モンスターと盗賊の両方から襲われ、姫を連れ去られてしまった事件だろう。

 不意打ちだったとはいえ防げなかったのは、自分たちのせいである。援護に来たカルロットたちや新しい騎士たちのお陰で最悪の展開は免れたが、己の弱さを痛感した出来事だった。

 その後、ある手紙を用意して近衛騎士団長のもとに向かっていると、途中で金色の長い髪を軽く巻いている少女が現れた。彼女は腰に手を当てて、スキールニルに向かって顔をつきだした。

「どこに行くの?」

「姫には関係ないでしょう」

 彼女の姿を見て、とっさに握っていた封筒を背中に隠したが、目ざとい彼女はすぐにそれを指してきた。

「それ何? まさか辞表じゃないでしょうね」

「――辞表です。私の後任にはもっと立派な人が付いてくれるよう、団長には言っておきます」

 頭を下げてから、姫の横を通り過ぎると、彼女は背中越しで言葉を発してきた。

「私は貴方がいい。何でも知っている、学問でも剣でも頼りになる貴方が」

「私は現場経験が少なすぎます。またこの前のような事件が起こりかねません」

「いいわよ、それでも。私も何とかするから」

 彼女の言葉に、耳を疑いそうになった。眉をひそめて振り返ると、彼女は勝ち誇った表情をしていた。

「人生、失敗してからが勝負よ。私はこれから自分の身を完璧に護れるくらい強くなる。だから貴方はこれから私の周りに寄ってくる悪い奴らを、すべて排除してちょうだい。わかったわね?」

「ですが……」

「男なんだから、うだうだ言わないで! ――ねえ、これから町に出たいと思っているの。ちょっとついてきてくれる? 貴方がいないと、私一人で行くことになるんだけど?」

 他人を強引に振り回してくる少女。妹の影が脳裏によぎる。それを打ち消すかのように、スキールニルは辞表を入れた封筒を破った。悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなった。過去をいつまでも悔いても仕方ない。

 スキールニルは徐々に女らしさを身につけている姫に向かって片膝を付き、右手を胸に添えて、頭を下げた。

「わかりました、姫。貴女様を護る騎士として、二度とあのようなことは起こさないようにいたしましょう」

 その公言通り、大樹がないモンスターの狂乱期であっても、姫が誘拐される事態はすべて阻止していった。


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