交差した道のその先は(2)
目が覚めると、まず天井が視界に入った。先ほどまでざわめいていた声はなくなり、静寂がカルロットを包み込んでいる。
上半身を起こそうとすると、頭に痛みが走った。頭に手を添えて、体を持ち上げる。
「もう少し横になっていた方がいいと思いますよ」
静かだったため、彼女の声はカルロットの耳に苦も無く流れ込んできた。顔を左に向けると、観客席に座って、本を閉じている赤髪の女性と視線が合う。
「セリオーヌ、俺はどれくらい気を失っていた?」
「一時間くらいです。団長相手の中では、短い方じゃないでしょうか」
「いや、長すぎだ。それに開始早々、すぐに叩きつけられた。酷い有様だ」
左首筋に手を触れると、痛みが走った。斬れてはいない。ルドリが鞘を使ってカルロットの左首筋を叩きつけたのだ。その衝撃で意識を失ってしまったようである。
ショートソードだけで相手をしていたから、舐められていると思っていた。だからかっとなった状態で、こちらから一方的に攻めていた。
しかし彼女はカルロットの予想を上回るやり方で、不意打ちを食らわした。右手にショートソード、左手に鞘という、二刀流に近いやり方をしたのだ。
二刀流なら、彼女の愛用の剣であり召喚物であるフランベルジェを使用しないのは当然である。あの剣は片手で扱える代物ではないからだ。
二刀流もできる騎士だというのは知っていたが、先の戦闘では完全に失念していた。
「団長は隊長を叩きつけた後、さっさとここを後にしました。去り際にこれを渡されましたよ」
折り畳まれた一枚の紙を手渡される。ある時間とカルロットにしかわからない名称が書かれていた。
「クラルは急に仕事ができてしまったので、部屋に戻っています。フリートも同じですね」
「そうか……。すまんな、セリオーヌ。俺が起きるまで、ここにいてくれたんだろ」
「ちょうど読みたい本もあったので、別にいいですよ。この後の予定、無くなってしまいましたから」
少し寂しそうな表情を見て、薄茶色の優男の青年を思い出す。
カルロットは視線を彼女とは逆側に向けて、口を開いた。
「――お前ら、結婚するのか?」
ちらりとセリオーヌの表情を盗み見ると、目を丸くしていた。
(俺が気づいていないとでも思っていたのか?)
セリオーヌとクラルの仲がいいことは、随分前から知っていた。
第二部隊とのやりとりとをセリオーヌに任せていた影響もあっただろうが、おそらくそれより前に二人は親しく話す仲にはなっていた。歳が近く、若い幹部職同士というのも要因にはあるだろう。
決定的に距離が縮まったと察したのは、月食時に大怪我を負い、カルロットが目覚めた後だった。クラルがやけにセリオーヌのことを心配して話しかけていたのだ。彼女が重傷を負ったのを目の当たりにして、心境の変化でもあったのかもしれない。
だから二人がその先の関係に進むのも、時間の問題だと思っていた。
そして今日の二人の表情と、休日に団服ではない余所行きの服を着ているのを見れば、おおかたわかるというものである。
「……すみません、本当はクラル隊長がいるときに、カルロット隊長にお話をしようと思っていたのですが」
「どうして揃って報告する必要がある。そういうのは親くらいで充分だろ。俺はお前の口から聞ければいい」
「クラル……いえ、ハントスが、隊長にもきちんと話をしたいと言っていたのです。一番お世話になっている人だからこそ、一緒に言いたいと」
「あいつは本当に真面目だな。俺とは正反対だぜ」
カルロットは頭をかきながら、セリオーヌを見る。彼女は少し寄っていたのか、距離が近くなっていた。
「時間があるときにでも、あいつからも聞いてやるよ。――式は盛大に挙げるのか?」
「いえ、時間もないので、身内だけの簡略的なもののみです。私の姓は変わりますが、皆さん下の名前で呼んでいるので、大丈夫かと思います。特に大きな変化はないでしょう」
「そうか。……なあ、クラルに第二部隊に来いとか言われていないのか?」
「言われましたが、断りました」
「断っただと?」
間の抜けた声を漏らすと、セリオーヌは目をぱちくりさせた。
「ええ。私、還術はできますが、得意ではありません。私が還術部隊に入れる実力なんてないんですよ。第三部隊にいて、勝手気ままに戦術を組んだ方が性にあっています」
「お前を戦場に立たせることを、クラルは嫌がっているんだろう? なら――」
「騎士団に所属していたら、戦場からは逃れられませんよ。先日の戦いで思い知ったじゃないですか。前線に出ていようが、後方で支援しようが、命の危険に晒されるのは同じです」
セリオーヌは淡々と言葉を述べる。彼女の言うとおりだった。
カルロットやセリオーヌたちが魔宝樹を取り戻すためにアスガルム領に訪れている最中、クラルがいたミスガルム王国でも多大な被害を受けた。話を聞けば、道を逸れていなければこの世にいなかったという。
大陸を滅ぼすほどの圧倒的な力を持つ相手を前にして、前も後も関係なかった。
「隊長の言うとおり、ハントスは私を自分の傍に置きたがっていましたよ。ですが、それを決して強制しようとはしませんでした。私は彼のそういう気の使い方が、気に入ったんです」
頬を緩めながら、セリオーヌは微笑む。
二人ともお互いのことを尊重し、想い合っているということが、今の言葉だけでもよくわかった。
彼女は腰に手を添えて、くすりと笑いながらカルロットを見てきた。
「ただし隊長の下が嫌になったら、いさぎよく第三部隊は去らせていただきますね。他の部隊からもお声はかけてもらっているので、行き先には困ることはないんですよ」
「自慢なのか、圧力かけたいのか、何したいんだよ、お前……」
「どっちでもいいじゃないですか。ほら、私を幻滅させないためにも、少しは書類の山を崩してくださいよ」
カルロットのことを引いたり押したりして、隊長としての地位を下から支えてくれている。本当に頼れる、有り難い部下だ。
クラルには悪いが、第二部隊に行かないときっぱり言ってくれて、嬉しかった。
* * *
ざわめき声が聞こえる酒場のドアを開けると、いっそううるさい声が耳に飛び込んできた。奥を見れば、丸机を前にして一人で椅子に腰をかけている長い黒髪の女性が、酔っぱらった男たちに声をかけられている。
「お姉さん、一人? 俺たちと飲まねぇ?」
「あいにく連れを待っているところだ。遠慮しておく」
「まだ来てないじゃん。それまでの間、少しくらいいいだろう?」
男が女性の肩に手を乗せると、彼女はその手を取って逆手で握り返した。
「いたた……! 何するんだ、この
「そっちこそ、こちらが断っているのに絡んでくるとは、どういう了見だ?」
立ち上がった女性は、小柄な男たちを見下ろした。彼女の口元がにやりと笑みを浮かべた。男を握っている手がさらに捻られる。
「くそっ、女だからっていい気になりやがって!」
男は右手で拳を作り、女性の顔めがけて殴ろうとした。だが彼女は易々とそれを受け止めて、逆にその拳を握り返す。
「喧嘩を売ってきたのはそっちらだ」
女性が足払いをすると、いとも簡単に男は床に尻餅を付けた。
一部始終を見ていたカルロットは頭をかきながら、その二人に近づいた。
「おい、やめておけ。お前が殴ったら殺しかねん」
左目の脇にほくろがある女性は、固めていた拳を緩めた。
「そうだったな。つまらないものを殴るところだった。止めてくれてありがとよ」
その言葉を聞いて頭に血が上った男性は、立ち上がって殴ろうとしてきた。それをカルロットがあっさり受け止めて、睨み返した。
「俺の連れに何のようだ?」
いつもよりも睨みを増して男に突きつけたためか、彼はビビりながら下がる。そして「覚えていろよ」などという、三流じみた台詞を吐いて、店から出て行ってしまった。
そのすぐ後に店員が外に顔を突きだして、男たちに向かって叫んでいた。どうやら勘定はまだだったようである。迷惑をつけた駄賃として、あとでそいつらの分も払っておこうと、カルロットは思った。
「遅かったな」
長い黒髪の女性――ルドリは何事もなかったかのように、席に腰を下ろして、グラスを口に付けていた。
「これでも急いだ方だぜ。お前が容赦なく叩き落としたから……」
カルロットは適当に酒を頼んでから席に付いた。
「てか、女っぽい格好していると、さっきみたいな奴がまた寄ってくるぞ」
「別に寄られようが関係ない。邪魔なら潰すまでだ」
酒が入ったグラスを片手に、物騒な言葉をさらりとこぼす。何もせず、黙ったままならいい女に見えるものの、もったいない。女だが並の男よりも遥かに逞しかった。
「……それで何のようだ? 見習い時代によく来た酒場で」
「久々に店主に会いたいと思ってな。――元気そうで良かった」
カルロットの酒を持ってきた、髭を生やした白髪の老人はにこりと笑った。
「ルーちゃんと会えて、わしも嬉しいよ。武勇伝はよく聞くが、実際に会わないと、やはり実感が湧かんからな」
「私の武勇伝ではありません。部下たちの功績です。私は彼らが死なないよう、立ち回っているだけですよ」
表情を緩めながら話す姿は、城内や戦場では見せない穏やかな笑みだった。
「謙虚な姿勢は昔から変わらないなぁ。今日はゆっくりしていってくれ。荒れくれ坊主も一緒だし、楽しい夜になりそうだ」
「坊主って、俺はもうそれなりの歳だぜ」
「わしにとっては、いつまでも坊主じゃよ」
笑いながら店主は隣の注文を受けにいった。
この店はカルロットとルドリが、若き騎士時代によく訪れた酒場である。
二人は四歳差だったが、カルロットが十八歳で騎士になった年に、彼女も騎士になった。
彼女は見習いに入った直後から、ずば抜けた才能を見せながら剣を振り回していた。幼い頃から鍛えられていたらしく、既に周囲から将来有望な人間だと言われていた。そのため座学をそこそこ学んだら、騎士になるための試験を意図も簡単に突破してしまったのだ。
だからカルロットと歳の差はあるが、同期なのである。出世の程度は格段に違うが。
騎士に成り立ての頃は給金も少なかった。息抜きに城下町に出ても、そこまで贅沢はできない。そのような中で出会ったのが、この酒場だった。
金がないと言ったら、出世払いでいいと言って料理を出してくれた、気前のいい店主である。払える保証などないのに、いつもたくさん振る舞ってくれたのだ。
二十代の頃はつけていた分をちまちま支払うためによく訪れていた。しかし三十代になると忙しくなって行く日が減り、階級が上がると尚更足が遠のいた。今回もカルロットが前回訪れてから、一年以上経過している。
一方、適当なカルロットとは違い、ルドリは非常に義理堅い女性だった。遠征に出ることが多い彼女だが、年に一回以上はここに顔を出しているようだ。
ルドリは先に注文していた肉の揚げ物を食べながら、酒を飲んでいる。普段は張りつめた空気を出し、部下から恐れられている人物だが、このときだけは違う一面を見せていた。
「食うか?」
肉を差し出されて、カルロットは頷いた。
「もらう」
口の中に入れると、肉汁が飛び出てくる。熱々で口の中が火傷しそうだが、それがまたいい。騎士になった頃から味はほとんど変わっていない、店の人気メニューだ。
「なあ、どうして俺を誘った? 一人でも来れるだろ?」
ジョッキを口に付けてから、言葉をもらす。
「落ち込んでいると思っただけさ」
「は?」
「可愛い部下が男にとられて」
「……あいつはそういう対象じゃねぇ」
「ああ、言い方が間違っていたな。有能で歳の離れた妹みたいな部下が、自分より弱い男にとられるのが受け入れがたかった。だから喧嘩をふっかけたんだろう?」
カルロットは再びジョッキに口を付けて、一気に中身を飲み干した。店主にお代わりを要求する。
「結婚はめでたいことだぞ。祝ってやれ」
「当たり前だ、祝福はする。ただ相手がどれくらいの力があるか、気になっただけだ。あいつが戦う姿、ほとんど見たことがなかったからな」
「お前な、男だからって武器を使った戦いで、強さを語れるわけじゃない。これからの世界は血生臭い戦場で活躍する人間よりも、頭を駆使したやりとりができる人間の方が重宝されるぞ」
「つまり俺はお払い箱か」
「私もいずれはそうなるだろう」
グラスを口に付けて、ルドリはゆっくり酒を飲んでいく。グラスの持ち方、酒の飲み方はあの時と変わっていなかった。
カルロットとルドリが仲間以上の関係で飲みに行っていた、あの日から。
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