鍵が導く大樹の帰還(6)――終わりなき愛

 * * *



 フリートは明るくなり始める空を背景にして、金色の髪を輝かせている娘を惚けて眺めていた。それは他の者も同様で、じっと彼女のことを見つめていた。

 やるべきことをすべて成し終えた娘の表情は満足そうであり、非常に美しい。文字通り絵になる光景だった。

 いつも喧嘩ばかりしていた相手だろうかと、フリートは疑ってしまいそうだ。

 ショートスピアの召喚を解いた娘は、両手で何かをすくっている格好をしながら徐々に高度を下げていく。彼女の手のひらからは、粉のようなものが風に乗って消えている。その粉が流れるたびに、リディスが降下する速度が増しているように見えた。

 しばらく思考を止めていたが、それらの現象が何を意味しているのか薄々察したフリートは、重い体を叩いて、リディスのもとに走り出していた。

 くぼ地の中を飛び降り、太い根の上を駆けていく。リディスは先ほど軽々と進んでいたが、見た目よりもかなり難しい。体幹が良くなければ即、足を踏み外すだろう。

 中心に近づくにつれて、根は徐々に太くなり足場が広がる。そのため、さらに速度を増して駆け寄ることができていた。だがリディスの降下も速くなっていく。彼女は自身に起こっている異変に気づいていないのか、手のひらを哀愁漂う表情で未だに見つめ続けていた。

 やがて手から粉が無くなると、一瞬だけ空中に止まった。フリートはその現象に目もくれずに、全速力で彼女の着地地点に急ぐ。

 リディスは手から何もなくなったのを見ると、「ありがとう」と呟いた。

 次の瞬間、彼女は支えを失った物体のように一気に落下する。叫ぶ暇すらもなく加速していくのが、フリートの真上で起こっていた。彼女の落下位置を正確に判断し、両足と両手を広げる。

 そして腕を通じて体全体に激しい負荷がかかりながらも、リディスのことをしっかり受け止めた。足下がもつれて、彼女を落としそうになるが、そこは顔を真っ赤にしながらも気合いで踏ん張る。

 地面に衝突すると覚悟し、目を瞑っていたリディスは、衝撃がないことに気づくと、ゆっくり目を開けた。フリートと視線が合うなり、目を丸くする。

「フ、フリート!?」

「……あのな、お前、本当に馬鹿だろう! 加護を受けて飛んでいたんだ、それが無くなったら落下することくらい予想しておけ!」

「わかってはいたけど、根に降りるまでは大丈夫かな……って」

「そんな考えだけで動くな! お前は考えなしで、動きすぎなんだよ!」

「わかっているよ、ごめんって……」

「謝って済む問題か! 本当に……心配の種が尽きねえんだから……」

 フリートはその場にしゃがみこみ、リディスを根の上に腰を下ろさせた。

 目の前には護ろうと決めた娘がいる。何とか彼女の未来を切り開くことができて、安堵の息を吐いた。

 怒声が飛んでくると思っているのか、彼女の顔は逸らされている。それが若干ながら苛立ちを助長させた。

「リディス、ちょっとこっち向けよ」

「ごめんって、本当に心配かけてごめんって!」

「いいから、こっち向け!」

 両手で肩を掴むと、リディスがぎょっとした表情を向けてくる。

 自分の背丈近くあるスピアを振り回していたとは思えないほど、強く掴めば壊れてしまいそうな華奢な体。

 強敵から鋭い視線を突きつけられても、決して怯むことなく突き返す瞳を持つ、美人の部類に入る整った顔。おそらく育ての父に跳ね除けられただろうが、彼女には今まで多くの求婚があったと察することができる。


 だがその外見以上に、フリートは彼女の内面に惹かれていた。

 気高い誇りを持ち、多くの人を愛し、自分以上に他人の未来を考え続ける彼女のことが――。


 自分の勢いに任せたまま、フリートは彼女の背中に腕を回してぎこちなく抱きしめた。小刻みに打つ鼓動が直に聞こえ、体温が伝わってくる。この地に彼女がいることを、身を持って感じることができた。

「フリート、どうしたの?」

 戸惑いの声が返された。フリートは息を吐きながら、背中に回していた手を再び彼女の肩に優しく乗せる。緑色の瞳を見つめて、意を決して口を開いた。

「お前、実は意外と内面も弱いくせに、色々と抱え込んで、勝手に一人で終わらせようとしてきただろう、今回に限らず」

「否定は……しないけど……」

「一人で何とかしようとしている姿が、本当に見ていられなかった。だからいつもお前のことを気にかけて、目で追っていた。――そして、いつしかお前のことを第一に考えるようになっていた」

 フリートを見つめるリディスの瞳が大きく見開いた。


「そう、俺にとってお前が一番大切な存在になっていたんだよ」


 目を逸らさず、秘めていた想いを口に出した。


「愛している、リディス」


 一瞬リディスの顔が固まったが、すぐに彼女は表情を緩めて微笑み返してくれた。


「私も愛している、フリート。貴方のことが他の誰よりも」


 フリートは右手をリディスの腰に回し、左手で自分に体を預けてくれている彼女の顔を引き寄せる。

 彼女の瞳が閉じられると、拙いながらも唇を重ね合わせた。

 二人の吐息がゆっくり入り合っていく。お互いの存在を確かめ、そして想いを伝いあうために――。

 唇をゆっくり離すと、フリートはリディスのことを今度は力強く抱きしめて呟いた。

「もう二度と離さない」




「なんかさ、話しかけようにも、話しかけられねえ雰囲気だな。俺たちのこと、完全に視界に入っていねえぞ」

「たまにはいいんじゃないの? 今までこちらがヤキモキしている状態だったんだから」

「こういう時は見守るのが一番。ようやく自分たちの責務から解放されたんだから、ゆっくりさせてあげよう」

 抱擁している男女を、トルは腕を組みながら近くの根の上から眺めていた。当初は唖然としていたが、徐々に頬が緩んでくる。

「ルーズニルの言うとおり、さっきまで生きるか死ぬかの瀬戸際だったから、多少いちゃつくくらいいいか。リディスは本来ならここにいるべき人間じゃなかったんだしな」

「あら、そうとも限らないわよ」

 メリッグは水晶玉を召喚する、やや青みがかった透明な魔宝珠を手にした。

「リディス・ユングリガが犠牲になるとは、誰も予言していないのよ。鍵を使って扉を開くということ。そして鍵の運命は周りによって大きく左右されるということくらいしか、あの子に関連した予言はされていないわ。都合のいいように解釈すれば、今の状況になることも考えられたのよ」

「……何でもありだな、予言って」

「そうよ。予言なんて解釈次第でいくらでも内容を変えられるわ。予言者は詐欺師と紙一重の存在なのよ」

 メリッグは苦笑しながら、風によって揺れる紺色の髪を軽く押さえていた。その横顔が驚くほどに美麗で、柔らかな表情は誰よりも魅力的に見えた。トルは一歩彼女に近づくと、口を尖らせながら聞いてみる。

「……これからお前はどうするんだ?」

「怪我の治療をしてもらうために城に戻るわよ。こちらだって無償で力を貸したわけではないの」

「治療……って、そうじゃねえ。その先だよ。また旅でもするのか?」

 トルが思い切って尋ねると、メリッグはほんの少しの間を置いてからにやりと笑った。

「どうしようかしら。世界の転換点を見られて満足しているけれど、実はやりたいことを思いついたのよね」

 メリッグの意味深な言葉は、トルの脳裏にひっかけるには充分だった。その先を聞こうと何度か問いかけたが、笑って誤魔化される。そして彼女はリディスたちから離れるように、くぼ地の外側に向かって歩き出した。

 それを見たトルは、先を行く彼女を慌てて追いかけた。

「これからいいことが続きそうだよ、スレイヤ。さて、僕も一歩踏み出そうかな」

 ルーズニルは男女の様子を眺めながら、帰りを待っている妹の顔を思い浮かべた。




 ミディスラシールはリディスがフリートによって無事に受け止められたのを見て、胸を撫で下ろしていた。

 精霊による加護が正しく働いていない中、精霊たちが独自に残した欠片を用いての召喚は、その欠片に対して大きな負荷がかかるとわかっていた。だから宙に浮かびながら還術をした後の出来事は、ある程度予想が付くものだった。

 それに気づいていたのは、知識を持っていながらも、怪我や疲労で動けなかったミディスラシールとロカセナくらいだろう。

 愛する者を見続け、直感の赴くままに駆けだしたフリートは例外だが。

 妹と気の知れた青年が、お互いを想いながら抱きしめ合っている。ようやく通じ合えた二人の様子を見ていると、思わず目元に涙が浮かんだ。それをそっと拭うと、隣で静かに微笑んでいる銀髪の青年と視線があった。

「終わりましたね、ミディスラシール姫」

「そうね、一段落は付いたわ。けれど新たな日々の始まりでもある。怪我を治したら、また忙しくなるわよ」

「無理はなさらないでください。貴女が元気でいることが、皆にとっては何より嬉しいことですから……」

「ありがとう。――ねえ、ロカセナ・ラズニール……」

 視線を下げつつ、ミディスラシールは呼びかけると、彼は小さく返事をしてくれた。

 その声に何度励まされたことか。人生の歩み方について悩んでいる時に言葉をかわし、その時も静かに相槌あいづちを打ってくれた。

 彼自身、過酷な人生を過ごしていたのを隠すかのように、優しい笑みを浮かべてくれたのだ。

 そんな彼に向かって、凛とした声ではっきりと告げる。


「――生き続けて、罪を償いなさい。幸せを噛みしめながら、苦しみ続けなさい」


 ミディスラシール個人としての想いを秘めつつも、一国の姫としての発言だ。陽の光が自分たちの顔を輝かせてくれる。それに押されながら、目を大きく見開いているロカセナに言葉を投げかけた。

「貴方はしてはならぬことをいくつもしました。その事実は揺るぎません。ですが危機を救ったのも事実です」

 いつも以上に緊張しながら言葉を並べていく。

「優しすぎる貴方は生きていれば、自分がした罪の重みをさらに感じることになるでしょう。幸せだと感じるほど、罪を犯したことを後悔するでしょう。それを一生感じながら苦しみの中で生きるのです。そして――」

 一拍おいてから口を開いた。


「暗い過去を知る者として、未来へと事実をきちんと伝えなさい。それが貴方の役目なのですよ」


 ロカセナの目から涙が一筋だけ流れる。そして深々と頭を下げ、口を震わせながら返した。

「ありがとうございます……。姫様の言葉に従いましょう……」

 ミディスラシールはそんな彼の頭を腕でそっと包み込み、微笑みながら囁いた。

「戻りましょう、一緒に。貴方は決して一人ではないわ」



 フリートの鼓動が直接リディスの体に伝わってくる。

 少し強すぎる抱きしめ方、真っ直ぐすぎる告白、そして慣れない口づけは不器用な彼らしい。だからリディスは素直に想いを返すことができた。照れもあったが、それよりも伝えたいという想いの方が上回っていた。

 無理だと思っていた。この人と共に魔宝樹を背景にして、朝日を拝めることが。

 しかし幾度もなく死闘を繰り広げた結果、こうして二人は陽の光を浴びることができている。

 フリートだけでなく、すべての人に感謝しながら、リディスは彼に体を委ねた。涙が自然と零れてくるが、この状態であれば彼には見えない。

 そして聞こえるか聞こえないか、むしろ自分だけのために小さな声で呟いた。

「もう貴方の前から消えない――」

 じっくりとお互いの存在を確認しあったところで、リディスはフリートの耳元に口を近づけた。

「戻りましょう、還るべき場所に」

 フリートは腕を緩ませて、リディスを真正面から見た。穏やかな表情で首を縦に振られる。

「そうだな。還ろう、皆のもとに」

 足下に注意をしながら、手と手を取り合って二人で立ち上がった。

 空を眺めると、二羽の鳥がさえずりあいながら飛んでいる。片方が先行し過ぎたら、その場で留まって相手を待っていた。そして再び並んだ二羽は、陽の光が発せられる方へ飛び立っていった。

 それを見届けてから、リディスとフリートは待っている人々の元に向かって歩き出した。


 多くの人から出された道標(みちしるべ)を辿りながら、自らが切り開いた道の上を――。



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