32 絶望の使者

絶望の使者(1)

 フリートの視界を奪うほどの目映い光は、ほどなくして無くなった。頭上に浮かんでいる人間らしきものを、目を細めて見る。

「あれは……」

「ラグナレク。人間たちの負の感情の固まりでもあるモンスターよ。まさかこれほどとは」

 リディスが眉間にしわを寄せて、ラグナレクを睨み付けている。呼吸は荒く、スピアを地面に刺すことでどうにか立っていた。

 そのショートスピアの切っ先の根本部分からは、それぞれ鮮やかな色で染まった四つの尖った石が浮かんでいた。それを中心として、二人を包むように薄らと結界が張られている。

 ミディスラシールが全体に結界を張ったのに、なぜさらに結界を張る必要があるのか――そう思い、視線を横に逸らすと、フリートはそこに広がる光景を見て愕然とした。

 姫の上にロカセナが覆い被さっている。彼は全身傷だらけで至る所から出血していた。フリートが付けた左腕の傷など霞んで見えそうだ。

 彼は攻撃がやんだのを確認すると、呻き声を上げながら起きあがる。下からはいでてきた金髪の娘はあまり傷を負っていなかったが、顔は酷く強ばっていた。

「ありがとう……、ロカセナ」

「いえ、むしろ申し訳ありません。時間がなくて完全にかばうことができず……」

「かすり傷程度だから、気にしないで」

 そう言って、小さな傷が多数付けられた右手をひらひらと振りかざした。二人の視線は上空に向く。

 どうやらほぼ無傷で済んだのは、機転を利かして自己流で結界を張ったリディスとその隣にいたフリート、自ら追加で結界を張ったメリッグと彼女の両脇にいたルーズニルとトルだけだ。ヘラやガルザ、他の騎士たちはカルロットも含めて重傷者はいないものの、多数の傷を負っている。

 ミディスラシールが結界を張ったにも関わらず、この有様だ。もしも結界が張られていなかったら、死者が出てもおかしくない。

 少し離れたところでは、横になっているニルーフの姿があった。一瞬どきりとしたが、傍にニーズホッグが彼を守るかのように翼で覆っているのを見て、ほっと息を吐いた。召喚者が亡くなれば必然的に召喚物も消える。黒竜は自らの体を張って、術者を助けたようだ。

 ゼオドアは足を引きずりながら、よろよろとラグナレクの真下まで歩いて行く。帽子はぼろぼろ、眼鏡も割れている。涼しい顔をして皮肉を言っている姿はどこにもない。口元がにやけているのだけは、変わらなかった。

「おお、素晴らしい。これが大陸を滅ぼすと言われている力……!」

 暗くなった上空に浮かんでいる一体の生き物。昇り始めている満月がその姿を露わにしてくれた。


 そこにいたのは男性のような体格をしたものだった。

 闇に溶け込みそうな長い黒髪を一本に結っている。全身黒ずくめの服で、黒いマントがはためいていた。腕を組んで下を眺めている姿は、まるで地面に這いつくばる人間たちを見下しているように見える。

 一見して人間にも見えたが、発せられる身の毛も凍るような殺気や表情の無さは、人間とはかけ離れていた。


 フリートたちが睨み付けてもまったく気にする様子もなく、視線を上げて正面を見据えていた。見据えた先にあるのは、この大地の端だろうか。

 相手が動かない今こそ攻撃を仕掛けるべきだが、あまりに得体がしれない相手のため、迂闊に動けなかった。

 視線をラグナレクの奥に向けると、辛うじて形を維持していた扉の枠が壊れていくのが見える。そこから黒い空間が円を描きながら出てきた。それは出現するモンスターの大きさに合わせて自由自在に変化していく。巨大なドラゴンのようなものから、小柄な人型のものまで様々である。

 さらに黒い空間からはモンスターだけでなく、数枚の枯れ葉が落ちていった。

 ラグナレクが復活したのに、レーラズの樹がこの地に降りていない。なぜだ。

 そのような疑問を抱いたのはフリートだけでなく、リディスも舞い散る枯れ葉を気にしていた。

「樹が枯れ始めるほど、力が衰えている? だから樹はこの地に降りることができない……?」

「なら、樹はどうやったら戻せるんだ? 俺たちの目的はそれが第一だろう」

「外からが難しいのなら、内側から押し出すとか? でもやり方がわからない」

 枯れ葉は地面につくと、すぐに消えてしまった。本体がなければこの大地に触れることはできないようだ。

 一同がその場で立ち尽くしている中、ゼオドア一人だけがラグナレクに近づいていく。ラグナレクはその存在に気づいたのか、胡乱気な目で見下ろす。真下に来ると、眼鏡をかけた老人はうやうやしく頭を垂れた。

「初めまして、ラグナレク様。私はゼオドア・フレスルグと申します」

「何者だ」

 威圧的な口調に、聞いているだけでも体を震わせてしまう。ゼオドアは怯むことなく、笑顔で口を開いた。

「あなた様をこの地に降ろすために尽力した者です。五十年、いえ、このように完全な状態で現れたのは何百年ぶりではないでしょうか。久々の外の世界に対し、引き続き遠慮なくお力をお使いくださいませ」

 ラグナレクは表情を変えないまま、ゼオドアの全身をくまなく見ていく。

「お前はなぜ私に力を使えと言っている」

「あなた様の成り立ちを考えた上でおっしゃっているのです。人間の負の感情が集まってできたあなた様。憎悪、嫉妬、強欲など、人間は常にそれらの感情を抱き、発散する場を見つけては吐き出しています。――あなた様はある意味で言えば、人間の移し身。代わりにそれを為すべきなのです」

 ラグナレクは切れの長い目をさらに細めた。

「私のことをわかったような口の利き方だな」

「今、この地で生きる人間の中では、もっともご理解している方だと思います」

「ならば私が求める人間もわかるだろう」

「あなた様のお役にたつ者でしょうか」

「違う」

 ラグナレクが右手の人差し指を伸ばすと、その先から光の線がでてくる。それは一直線にゼオドアの左胸を貫いた。

 目を丸くしてゼオドアは自分の胸を、そしてラグナレクを見る。胸と口から血がこぼれ始めた。

「な、なぜ……」

「私が求める者は私に力を与える者、つまりは激しい負の感情を抱いている者だ。お前もたしかにミスガルム王国に対して、激しい憎悪を抱いているのは理解した。だが私を召喚した時点でその感情は消え去り、嬉しさへと変化している。そのように私に利にならない者はいらない。そして私に指図をする者もいらない」

 光の線がゼオドアの胸を抉りながら引き抜かれる。

 瞬間、鮮血が胸から激しく飛び散った。動脈を切られたのか、見たことのない血の量が放出される。

 惨状を目の当たりにしたフリートは顔をひきつらせ、リディスは視線を逸らす。

 老人はその場に無惨に倒れ伏した。驚きに満ちた表情で、目を開けながら彼は絶命した。

 フリートたちはおそるおそる視線をラグナレクに移す。

 何を考えているのか、まったく読めない。どう攻撃してくるのかわからない。鍵と見破られれば、ゼオドアと同じ道を辿るだろうリディスの前に、ラグナレクの視線から遮るようにして、フリートは立った。

 ラグナレクがくぼ地の中にいる人間を一人一人見定め始める。

 ロカセナの背中を支えていたミディスラシールは、彼の耳元に顔を寄せていた。話を聞いた彼の目が大きく見開く。決意を固めた表情をしているミディスラシールと視線を合わせると、お互いに頷きあった。

 何か作戦でも立てたらしいが、今の状況では近づいて聞き出すことは難しかった。

「……ねえ、フリート」

「何だ」

 背中越しから聞こえてくる震える娘の声に、いつも通りの素っ気なさで返す。

「忠誠を誓ってもらった、私からの命令」

 その言葉を出されて、思わず眉間にしわが寄る。

「お前、それを覚えていたのか。記憶を失っている時の話だろう」

 記憶喪失だから言えたもので、素の状態のリディスにはあまりの恥ずかしさに言えるものではなかった。

「記憶が戻る直前だったからか、そこら辺の記憶は断片的に残っているのよ」

「……それで命令って何だ」


「私より先に死なないで」


 ラグナレクの視線がフリートの後ろにいるリディスに向かれた。

 同じ手を食わぬよう、動きをじっくりと見極める。

「――お前、あの時封印してきた女と同じ雰囲気を発しているな。今度もまた封印してくる気か。そうはさせん。次は確実に息の根を止めてやる」

 指が伸ばされるのを見て、フリートはリディスの手を引いて右横に飛んだ。

 次の瞬間、二人がいた場所に光の線が突き刺さる。動き出した勢いのまま、ロカセナたちの方に向かった。

 ラグナレクの攻撃をすべて避けながら移動する。途中でメリッグが召喚した氷の槍を投げつけてくれたため、意識が少し逸れた。その隙に久々に肩を並べた相棒に話しかける。

「おい、何いい方法は思いついたのか?」

 彼はフリートに剣を向けることなく、淡々と言葉を並べた。

「扉を再度作り直す」

「還すんじゃないのか?」

「この状態だと樹をこの地に戻せない。扉という目印があることで、樹を正しく導いて、この地に降ろすことができるんだ。だからまずは扉を作る」

 ロカセナは胸元から、二枚あるうちの一枚の羊皮紙を広げた。フリートには理解できない古代文字で書かれている。

 ミディスラシールは杖をロカセナの背中に軽く乗せて、フリートたちに言葉をかけた。

「そちらは手はず通り、還すことを目的にして動きなさい。ただし絶対に無理はしないで。命があってこそ、どの作戦も完遂することができるのだから」

 ロカセナの体の周りが薄い膜で覆われる。彼は微笑みながら礼を言った。

「お手数をおかけして申し訳ありません、姫。僕、結界はどうにも苦手で」

「いえ、たいした結界を張れなくて、こちらこそごめんなさいね。あまり威力は強くないから、狙われたら逃げてちょうだい。――フリート、ちょっといいかしら」

「何でしょうか?」

 ラグナレクが頭上に右手を掲げる。するとそこから黒色の小さな球が現れた。それは即座に巨大化し、四人を軽く包むほどの大きさになる。

「たしかにラグナレクの能力は桁違いだけれども、あれはモンスターよ。私の考えが間違っていなければ、適切に攻撃を繰り返して致命傷を与えることができれば、還せるはずだわ」

「そうですね。ただ傷を負わせられるかどうかが、まず問題になるでしょうが……」

 剣を握りしめた騎士が二人、高々と飛び上がり、左右から奇襲を仕掛ける。ルーズニルが援護して風で彼らを舞い上げたようだ。さらにラグナレクの後ろには、精霊使いの騎士が背中を狙って力を溜めている。

 二人の騎士の剣がラグナレクに触れようとしたのと同時に、もう一人の騎士が火の球を放った。

 ラグナレクは振り返ることなく、黒い球をフリートたちに投げつける。姫に薄い結界を張ってもらった四人は左右に飛んだ。

 ラグナレクに近づこうとした二人の騎士は、見えない壁に阻まれて跳ね返される。騎士が放った火の球も壁に当たると、倍の大きさとなって放った本人に返された。すぐに避けたため直撃は免れている。

 フリートたちを狙った黒い球体は地面に触れるなり、重しのごとく見る見るうちに地面にのめり込んでいった。それが消えると巨大な穴ができあがっていた。

 あの球に直撃したら、骨ごと粉々になり、無残な惨殺死体がその場に散らばっていただろう。

 僅かな判断の間違いで、一瞬で命が奪われる。死と隣り合わせの状況を見て、フリートは唾を飲みこんだ。速くなる鼓動を落ち着かせながら、今度はリディスと共にカルロットの傍まで移動した。

「よう、よく生きていたな。しかもまだ無傷か」

 左腿から出血をしているカルロットが羨ましそうに呟く。

 双剣の片方をラグナレクに向けているセリオーヌに守られながら、報告を手早くする。

「リディスのおかげです。それと相手の変化を辛うじて感じることができたからです。相手が攻撃する直前、微妙に温度が高くなったり、風の流れがやや変わりました。視覚だけではなく、五感を使えば避けることは可能だと思います」

「なるほどな。それだけ知れば充分だ。あとは避けきってやる。……さてと、フリート、見ればわかるだろうが……」

 カルロットの視線が、様子を伺いながらも攻めている騎士たちに向けられる。

「この場にいる奴ら、全員殺すつもりっぽいぜ」

 連打で放たれる黒い球から逃げ遅れた騎士の一人が剣で受け止めようとするが、剣は耐えきれず呆気なく消えて魔宝珠に戻っていく。

 そこでできた僅かな時間で、ルーズニルが風を使って騎士を押し出す。だが、完全に避けることはできず、左腕がぱっくりと抉られ、大量の血が飛び散る。耳に突き刺さるほどの声が上がった。傍にいた騎士が彼を抱えて、その場から離脱した。

 第三部隊の中でも選りすぐりの彼らが、まったく歯が立たない。

 ラグナレクは軽く手を振ると、大量のモンスターを召喚した。地に足を付けるものはその場に降り立ち、近くにいる騎士たちに牙を向ける。飛べるものは一同の頭を悠々と超えて、森の先に進んでいく。同時並行で、通常のモンスターも還さなければならなくなった。

 ラグナレクが攻撃対象を見定めている間に、ルーズニルが息を切らせながら駆け寄ってきた。

「ルーズニルさん?」

「フリート君、それにカルロット隊長。これは推測ですが、もしかしたら戦いの突破の糸口になるかもしれません」

「手短に言え」

 セリオーヌがちらりとカルロットたちに視線を送ってから走り出す。自らラグナレクの気を引き付ける役割を引き受けたようだ。彼女の後ろ姿を見つつルーズニルは話を続ける。

「こちらから攻撃するだけでなく、相手に力を使い続けてもらうことで、体力は減少していくはずです。減少しきったところを狙えば、還せるかもしれません」

「それを根拠とする理由は?」

「先ほどゼオドアは、ラグナレクに負の感情を発散するために力を使うべきだと言いました。負の感情とはすなわちモンスターを形成している元。力を使うことで発散してもらえば、必然的に能力も劣ってくると思われます」

 カルロットはこくりと頷いた。

「通常のモンスター討伐でも還せる能力がない奴には、持久戦に持ちこむのが常套手段だ。攻撃をかわし続けるのも、立派な戦法だと言っている。それがこいつにも当てはまるってことだな」

「良かった、モンスターに関してはあまり知識がないので自信がなかったのですが、どうやら正しそうですね。――ただ一点注意があります」

 フリートたちも耳を澄まして聞きいる。

「負の感情が出てくれば、それが周りにいる生き物に入り込む可能性があります。樹が正しく機能していない状況では、浄化は期待しない方がいいでしょう。つまり攻撃に踏み込んだ後は、それも考慮しなければなりません」

 セリオーヌが隙を見て、携帯していたナイフを数本投げつける。あっさりと消されるが、彼女は勢いを落とさず走っていく。だが突然立ち止まった。表情は歪み始めている。ラグナレクからの攻撃が放たれているのに、動こうとはしない。

 カルロットは息を吸い込み、大きな声で一喝した。

「何動きを止めているんだ、セリオーヌ!」

 はっとしたセリオーヌは、その場から即座に動いた。光の線が彼女のいた場所に刺し込んでいく。カルロットは胸をなで下ろしつつ、舌打ちをした。

「戦闘に集中できなくなる可能性があるな」

「それだけならまだいいでしょう。発狂、苦しみ……、下手をしたら同士討ちや自害も考えた方がいいです」

「人を厳選しておいて良かったぜ。これは数が多ければ勝てるってものじゃねえな」

 後退したセリオーヌは膝を付いて呼吸を整えている。ほんの僅かであるが、ラグナレクと地面の距離は縮まったように見えた。

 ふと、ラグナレクの視線がフリートたちではなく、森の先に向けられているのに気付く。西の方角だ。

 そこにある町を想像して、顔が蒼白になる。

 リディスをカルロットとルーズニルに任せて、フリートは駆け出していた。

 しかしその行動もむなしく、ラグナレクの指先は西に向けられると、そこから物体を貫く光が線上に放たれた。


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