相見える光と闇(4)――交差する道
* * *
感情など一切消さなければ、できない行動だった。
背中を預けてもいいと思った相棒を傷つけることを。
気持ちを許しかけた娘の命を消すことを。
卑劣、冷酷、悪魔――そう言われてもおかしくない行為をしたのに、二人は再会した時にくすんでいない瞳で僕を見つめてきた。
欲してやまない、大樹の下で。
敵味方を明確にするために、こちらから宣戦布告をしたのに、逆に心を揺らされるきっかけを作られた。
兄のことを知っている口振りをされ、さらには心惹かれている娘の顔を思い出すような言葉をかけられる。
話題に出された二人は、自分にとって人生の中でかけがいのない人間だ。
そして目の前にいる二人も、人生を語る上で大切な人間だった。
そう思ったとしても決して口にすることはなかった。
兄から受け継いだ使命に従い、加護を受けていない人にも未来を与えたいと思ったがために――一人の娘を確実に不幸にする方法で、大樹を大地に戻すと決めたのだ。
しかし、もしその行いを全力で止めてくれたり、別の観点から未来を切り開くと言われたら、その時は――。
* * *
次に起こる光景が脳裏によぎり、リディスは手で顔を隠しそうになった。だが寸前で止めて、両手を胸の前で握りしめる。最後まで二人の青年の戦いを見届けるための、自己をただ抑制する行為だった。
フリートとロカセナが、ほぼ同時に相手に向けて剣を振った。フリートは下から突き上げるように、ロカセナは上から叩き斬るように。
次の瞬間、甲高い音が辺りに響き渡った。剣が一本飛ばされ、地面に突き刺さる。
そして数瞬の間をおいて、銀髪の青年が左腕から血を流しながらその場に片膝を立てた。
フリートはバスタードソードをロカセナの喉元に突きつける。お互いに肩を上下させながら、睨み合った。
ロカセナの武器であるサーベルは、遠く離れた地面に刺さり、程なくして瑠璃色の魔宝珠に戻っている。
フリートが下から突き上げた剣は、ロカセナがこちらの左肩を狙うよりも速くサーベルを跳ね上げ、その勢いのまま左腕を斬ったのだ。
ほんの僅かな時間の差で付いた決着、と傍からは見えるだろう。
しかし、フリートはロカセナが直前になって剣を振り上げる速度を遅めたのに気付いていた。
つまりフリートが躊躇わなければ、勝負は初めから決していたのである。
剣先を突きつけてもロカセナは取り乱したりはせず、肩の荷を降ろした表情でフリートを見ていた。
「完敗だ。さあフリート、早く殺してくれよ。僕は武器がなく、左腕に傷を負っている。さらには召喚し過ぎたのか、体力も限界だ。これ以上の機会はない」
フリートはロカセナの腰に視線を軽く移す。騎士時代なら必ず携行していたショートソードがそこにはない。戦闘中にサーベルの召喚が解けたときの繋ぎとして、常にあるはずだ。
それが始めからないのは、サーベルを手放した時点で勝負あったということなのだろうか。それとも他に隠している手でもあるのだろうか。
疑心暗気になりながら、じろじろと見ていると、ロカセナは軽く両手を開いて持ち上げた。それは降参を表している行動だった。
「サーベルの他に武器はない。お前に向けて、あの映像を召喚する気力も体力もない。抵抗はしないから、早く殺してくれよ。……僕に構っている暇はないはずだ。あのモンスターがこの地に降り立つぞ」
最後の言葉を強調させられ、握る手に思わず力が入った。彼の言葉を聞いていると、今まさに目の前に現れそうな勢いである。
「……なあ、お前が死ぬ必要はあるのか?」
「僕は反乱を企てた危険分子だ。つまり王国に行けば極刑になる。それならここで殺してくれた方が嬉しい。――ここで止めを刺さないと、封印をするために鍵を使う可能性が残ってしまうんだぞ」
「鍵を使うなんて、本当にする気なのか?」
「ああ、もちろん」
「それなら……どうして泣いているんだ?」
途端にロカセナの肩がぴくりと動いた。彼は右手を自分の目元に触れる。その手には涙がついていた。
騎士時代では見たことがなかった、ロカセナ・ラズニールの涙だった。
よく微笑んでいたが、それは本性を隠すための行為。
時に厳しく、冷酷な表情をしている姿もあったが、それらすべてをひっくるめて彼なのだ。
「……お前がやった行為は、決して許される行為ではない。だが今は死ぬべき状況じゃない。過程はおいておいて、樹を戻すことが目的なんだろう!? そう簡単にその目的を放り出すな! 今のお前は周りを散々振り回して、他の人の未来を何も考えず、死という結末で勝手に終わらそうとしている、自己中心的な奴だ!」
静寂を打ち破る勢いで言葉を放つ。それを聞いたロカセナは、目を剥いて言い返す。
「勝手に好き勝手言って……! 僕がどんな覚悟で道を逸れて、限界まで状況を見極めて、目的を達成するのが厳しいと悟った気持ちがわかるか!? ……姫様には他に案があるんだろう、僕は放っておいて、それにお前は大人しく従えばいい。それで君たちにとって、望んでいる未来が手に入るかもしれない」
「いや、手に入らないな。姫が考えている未来には、お前がいる未来も含まれているからな!」
フリートはロカセナに近づいた。
「どうにかしてお前のことをわかりたいが、所詮赤の他人だ、全部わからない。お前の家族が志半ばに逝ってしまった時の感情もわかるわけがない。だがこれだけは言える。お前が不幸な人生を歩んだまま終わる未来を望んでいない者もいるってことをな!」
剣を鞘に納めて、フリートはロカセナの胸倉を荒々しく掴んだ。彼は顔を引きつらせている。
「強い信念を元に、道に沿って歩くことも必要かもしれない。だが状況によっては、その道を変える勇気も大切だ。――時は流れている。冷静になって状況を見極めてみろ。お前の真の目的は何だ、自分にとって護りたい人間は誰だ、意志を受け継いだ人々は何を願っていたのか――」
淡々と、だが力強く想いをぶつけた。
「ロカセナ・ラズニール。運命とか予言とか抜きで、自分の頭で考えろ!」
ロカセナの目が大きく見開いた。その表情を一瞥して胸倉を乱暴に放す。彼は唇を閉じ、小刻みに呼吸しながら、右手で瑠璃色の魔宝珠を握りしめた。
土を踏み分ける、二種類の音が後ろから聞こえてくる。フリートは予想した面々の顔を、横目でさりげなく確認した。左には穏やかな表情をしているリディス、そして右には緊張した面もちのミディスラシールの姿があった。ロカセナは感情を押し殺しながら口を開く。
「リディスちゃんにミディスラシール姫……、こんなに近づいては危ないですよ。狼はいつも獲物を狙っている存在なのですから」
「なら、どうしてショートソードを持っていないの? 旅している時はいつも持っていたよね?」
リディスはフリートが疑問に抱いていたことを容赦なく言いきる。ロカセナはバツが悪そうな表情をして俯く。やはり意図的に外していたようだ。
そしてもう一人の金髪の娘が半歩だけ前に出た。
「ねえロカセナ、死ぬ気なら、さっきの私の話に乗らないかしら?」
「モンスターを還すってことですか?」
「そうよ。死ぬつもりなら無謀な話に乗ってもいいじゃない? もしその過程で私やフリートが死んだら、リディスを使って封印しても構わない。いえ、むしろそうしてくれなければ困る」
さらりと物騒な言葉を出す、ミディスラシールの気がしれなかった。
ロカセナは溜息を吐いて、首を横に振る。
「お二人がいなくなったら、城の跡継ぎはどうするんですか。以前も言ったかもしれませんが、もう少し命を大切にしてください」
「あら、これでも充分大切にしているわよ。今までだって用事がない限り、王国の外に出なかったわ」
「そう言いつつ、訪れても訪れなくてもいい村に行った帰りに、賊やモンスターに襲われたでしょう、貴女は」
「そんなに昔のことを話題にあげないで欲しいわ」
くすりと笑みを浮かべるミディスラシールの姿に、ロカセナもつられて表情を緩める。穏やかな空気になり始めたところで、フリートは一歩下がろうとした。
だが上空から、あざ笑う声が聞こえてきた。空気は即座に引き締まり、一同の視線は上へ向かれる。
「はっはっはっ……! おおっと失礼。再び芽生え始めた仲はいいですねえ、と思っただけですよ」
飛んでいるニーズホッグの背中の上に、ゼオドアが立っている。召喚者であるニルーフはぐったりとした状態で横になっていた。少年の体力はもはや限界だった。
「ゼオドア・フレスルグ、何か用ですか」
ミディスラシールは敵意を剥き出しにし、杖を召喚して、いつでも戦闘に入れるよう構えていた。しかし彼はまったく動じていない。
「本当に血気盛んな人ですね。王は何を考えているかわかりませんが、貴女はわかりやすくて本当にやりやすくて助かる」
「話を逸らさないでください。今は私たちがロカセナと話している時です。用もなく邪魔をしないでください」
「邪魔? むしろ有り難い助言をしようと思っただけですよ? それこそ鍵のために」
「私の?」
ショートスピアを再度召喚したリディスはほんの少し眉をひそめた。ゼオドアが人差し指を扉へ向ける。
扉の奥は真っ暗で、少し前まではその中からモンスターが飛び出たり、転がり落ちたりしていた。だが今は何も出現せずに、ひっそりと静まり返っている。
「知っていますか? 扉が完全に開いた時点で、既に封印は解けてしまっているのですよ。ノルエール元女王の力も及ばずと言ったところでしょうか。ロカセナが望んでいる封印はもうできないのです。……おや、その様子だと知らなかったようですね」
顔を強張らせているロカセナを、ゼオドアは肩をすくめて見下ろす。
「まったく、先日の月食時に躊躇わずに扉を開き、樹を降ろして封印していれば、大地が荒廃するのも最低限に済んだはずなのに」
「それはゼオドアが途中で介入したからだろう! 深追いをする時期ではないから、自分が現れたら扉の開閉は中断しようと言ったじゃないか!」
「はて、そんなこと言いましたか? そうだったとしても結局貴方が躊躇したのだから、あの時点で樹は降ろせませんでしたよ。そして――今も」
「それは……違う!」
「いいんですよ、もう」
ゼオドアは口元に笑みを浮かべて、ロカセナを見据えた。
「この際ですからはっきりと言いましょう。私が貴方に力を貸していたのは、魔宝樹をこの地に降ろすと同時に現れるというモンスター、ラグナレクをこの大地に呼びたかったからですよ。負の感情を増やしてもらったのは、樹が耐えきれなくなって、扉が勝手に開くのを早めるためです。本当ならばそのような面倒なことをせずに、扉の開閉を貴方にやってもらおうと思っていましたが……、土壇場になって一時の幸せのために扉を閉めると言いかねないと思い、そのようなことを指示させて頂きました」
「無理矢理扉を開けたり、もしくは壊したら、モンスターを封印できないだろう!」
「ロカセナ、私たちはモンスターを封印することが目的だったでしょうか。目的は樹をこの地に戻すことですよね? ――大丈夫ですよ、樹はこの地におそらく戻るでしょう、枯れた状態で」
ロカセナとゼオドアの間で辛うじて繋いでいた糸が、目の前で切れたような気がした。
突然リディスがスピアを支え棒のように持ちながら、その場にしゃがみ込んだ。あまりに真っ青な顔色に、扉が壊れた時の様子を思い出す。
フリートはリディスの傍に駆け寄ると、彼女の全身は激しく震えていた。
「どうした!?」
言葉をかけるが、フリートは自分も手が震えているのに気づく。今まで経験したことのない殺気が全身に走り渡る。リディスがちらりと視線を送ってから、上空に向けた。扉の奥から黒い霧が漏れ出ている。得体の知れないものがそこにあると確信した。
「ロカセナ、貴方がやりたいのであれば、今すぐにでも封印の儀式を始めるべきですよ。まあ失敗する可能性も高いですが……。扉を再度召喚するのに貴方の体がもつかどうか、そして封印をする際に貴方や鍵の体と精神が持つかどうか。――見物ですねえ」
ゼオドアが高々と笑い声を上げる。銀髪の青年はよろめきながら立ち上がり、フリートたちに背を向けて扉の奥に視線をやった。そしてポケットに入っていた羊皮紙を軽く取り出し、一瞥してから中にしまった。
「残念だけど扉を作るか、封印をするか、どちらか一つしかできないんだよね、体力的に。途中で力尽きたら迷惑だから……、今は姫様の案に乗るしかないか。緑で覆われた大樹を戻すためには」
フリートの後ろから、大量の人間が駆け寄ってくる。皆、既に武器を召喚していた。
リディスはフリートの肩を借りて体を持ち上げる。
そして二人のすぐ傍に来たミディスラシールが、頭上に何重にもなる円を杖で描き始めた。
「
言葉と共に結界が形成されている最中に、扉の奥からゆっくりと黒い物体が現れた。
少しずつ明らかになるその物体がはっきり見え、僅かに温かくなった瞬間、フリートたちの視界は激しい光に包まれた。
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