歴史を見守る大樹(6)

 魔宝樹の存在に圧倒されながらも、リディスは口を動かした。

「ノルエール・ミスガルム・ディオーンとは、もしかしてノルエール女王なのですか? そしてつまり……」

「そう、私は女王であり、貴女の産みの母親。貴女の活躍は時折精霊たちから聞いていますよ」

「精霊たち……?」

 するとノルエールの横に土の精霊ノームが一体現れた。それはノルエールの肩に腰をかけると、彼女は軽くその頭を撫でた。

「精霊たちの主な役割は、樹を護ることです。普段は樹の傍にいますが、人間たちに呼ばれた際には空間を移動し、彼ら、彼女らの前に現れて、手を貸しているのです。そのように空間を行き来しながら、精霊たちは大切な世界の循環の一つを作っているのですよ」

 何気なく出された内容だが、リディスにとっては初めて聞く内容であった。メリッグやルーズニル、そしてミディスラシールなど、精霊召喚に精通した人であれば、知っていて当然のことなのだろうか。

「ちなみに、今話した内容は召喚の原理を根底から知っている人でなければ、知らないと思われます。ミディスラシールも知らないかもしれませんね」

「どうしてそんな大事なことを教えてくれるのですか? 私たちをどうしてこの地に? そもそもこの場所はどこですか? そして――どうして貴女がここにいるのですか?」

 次々と質問をつぎ込んでしまい、頭が悪い発言をしたなと思ってしまう。

 しかし、今尋ねなければきっと後悔する。真っ直ぐ視線を向けると、ノルエールは儚げな笑みを浮かべた。

「どんな状況でも自分の意志を持って動いているところは、私たちによく似ていますね。……どれから話せばいいかわかりませんが、まずこの場所について説明しましょう。ここは扉の先にある魔宝樹がある空間です。この空間の周りには数多あまたのモンスターがいますが、樹の加護のおかげでモンスターは近づいておりません」

「そんな場所が、扉の先に……」

「次に私が二人を呼んだ理由は、私がもうこの地にはいられなくなるから、その前に知っていることをお話しようと思ったからです」

「いられなくなる? どうしてですか?」

「そういう条件で精霊たちに力を貸してもらったからです」

 ノルエールは視線を魔宝樹に向けた。陽の光を浴びて仄かに煌めいている。

「魔宝樹に祈りを送る者は代々続いており、従来はアスガルム領民の血を引く者が行っていました。アスガルム領が存在していた時はその領民たちが、あの大地から領が消え去ってからは現国王の母、つまりリディスラシールの祖母であり、アスガルム領民である女王が祈りを送り続けていました。その方が祈ることで、扉の先に消えてしまい不安定な状態であった樹を、辛うじて落ち着かせることができたのです。けれども、彼女が亡くなったことで、再び不安定な状況になりました……」

 ノルエールの表情に陰りが一瞬見える。彼女は樹に向かって一歩近づくと、そよ風が吹いた。そしてちらりとリディスと視線を合わせた。

「樹がこの地にある限り、誰かが祈りを捧げ続けなければなりません。そして本来ならば次の祈り人は……リディスラシール、貴女でした」

「私が?」

 思わず聞き返すと、ノルエールは首を縦に振った。

「その事実を伝えられたのは、貴女が生まれて間もない頃。物心が付かないうちから祈りを始めるなど、私は母として許しませんでした。その代わりに、私は自分から進んで祈り人になることを志願しました。――この地で二十年近く精神体として祈り続けることを」

 リディスとフリートは目を大きく見開いた。目の前にいる二十代半ばの女性は足もあり、全身も見ることができる。精神体と言われても信じられない。

「今の姿は樹や精霊の力を借りて実体化しています。――フリート君、おかしいと思いませんか? リディスラシールの母である私が、この子とたいして歳が変わらない格好をしているのを」

「……若作りかと思っていました」

「あら、フリート君はお世辞がお上手ね」

 ノルエールはふふっと笑みをこぼす。その笑い方はミディスラシールとどこか似ていた。

「安心してください、リディスラシール。扉の向こう側にある樹に祈りを送り続けることは、アスガルム領民の血が混じっている貴女であれば、行動制限はあれど、肉体は消失せずに、ドラシル半島から祈れると言われています。先代の女王である貴女のおばあ様も、ミスガルム城で祈り続け、そして息を引き取りましたよ」

「そうなのですか。まったく知りませんでした……」

「当り前ですよ。貴女は最近まで姫であることすら、知らなかったのですから」

 こちらの心も穏やかにするような笑みをノルエールは浮かべる。

 ふと、リディスはある事実に気づいた。

 本来であれば、樹のために祈り続けるのはリディスの役割であったはず。

 しかし、リディスは生まれて間もなかったため、かわりにノルエールが肉体を犠牲にしてまで祈り続けていた。

 その事実に気づくと、視線が少しずつ下がっていく。

 つまりノルエールはリディスのせいで――


「――貴女のせいではありませんよ、リディスラシール。これは私が進んで選んだ道です」


 すぐ傍から声が聞こえる。顔を上げると、美しい女性の顔が視界に入った。彼女の右手が左頬に触れてくる。

「むしろ私は貴女に謝らなくてはなりません。私がこのように余計なことをしたために、貴女に辛い運命が突きつけられてしまったのです」

 そして、リディスはノルエールに優しく抱きしめられた。実体化しているとはいえ、既に肉体は死んでいる。感触はあるが、とても冷たかった。

 ノルエールから悲痛そうな表情で発せられた言葉を聞き取り、リディスは自分がこれから歩むだろう道を確信していた。

 ここで一度、確認のために口に出さなければならない。しかし、そうなると隣にいる青年にも聞かれることになる。どんな表情をするだろうか。歪んだ顔をしそうである。その顔を見たとしても、感情を入れずに淡々と述べれば、揺らぐ感情をどうにか抑えられるはずだ。

 リディスはノルエールの腕の中で少しだけ間をとった。


「――辛い運命というのは、私がこれから精神的にも肉体的にも、大きな負荷がかかるということですか?」


 ノルエールの体がびくりと動いた。フリートの眉間にしわが寄る。リディスは自分が得た情報から、ある程度結論を導き出していた。

「ノルエール女王が思っている以上に早く循環は乱れ始め、さらには扉が現れたことにより、不安定さが増してしまった。もしかしたら、もう少し早くアスガルム領民の血を引く私が魔宝樹に対して祈りを送っていれば、ここまで循環が不安定にならなかったかもしれません」

 黙っているノルエールを見ながら、リディスは続ける。

「その不安定さを解消するには、大きく二つ方法が考えられるでしょう。一つは扉を閉じ、樹があるこちらの世界で永遠に祈り続けるようにすること。二つ目は、扉を一度完全に開いて樹を私たちがいる大地に降ろし、その後封印が解かれたモンスターを再度封印しつつ、扉を閉めること。どちらの方法を取っても、肉体的にも精神的にも相当な負担はかかる――」

「……ごめんなさい。私の力がもう少し強ければ、ここまで不安定な状態になることはなかった。出しゃばらずに、物心が付いたリディスラシールが祈り続けていれば、ここまで犠牲になることは……」

 ノルエールがすすり泣く声が聞こえてくる。自分が犠牲になることで、娘の未来が明るくなるだろうと思っていたが、それは逆だった。何ともやるせない思いでいっぱいだろう。

 だが、リディスは結果よりも、その過程が非常に嬉しかった。

「謝らないでください。ノルエール女王が私の身代わりになったのも、ミスガルム国王が城から遠ざけてくれたのも、すべては私のその瞬間の人生を想ってくれたからですよね。二十年も先のことを誰が予想できますか? ――私はシュリッセル町に行って、本当に伸び伸びと楽しませて頂きました。ここ数ヶ月は特に刺激的でしたし。そのような日々を過ごせたのなら、私は――」

「俺は許さねえぞ!」

 黙り込んでいた黒髪の青年は、怒りを露わにして口を挟んでくる。リディスはノルエールから離れ、彼を驚きながら見返した。

「勝手に自分の人生悟って、それしか道はないって決めつけるな。他の道があるかもしれないのに、探さないのか!?」

「だって本来は私がやるべきことだったし……。これは二十年も自由に過ごさせてもらった代償よ……」

 視線を逸らして、リディスは答えた。

 自分のせいで扉が開き、マデナをはじめとして、多くの人が亡くなっている。その状況をすぐに止めるには、本来の運命通り、リディスが行うのが最善だ。他に考えなど思いつかない。

 フリートは視線を逸らしていたリディスの両肩を持つと、無理矢理視線を合わせてきた。


「自分はいなくなっても構わないって? 残された身になってみろ! 誰かの犠牲の上に人生があるなんて、俺はもう真っ平御免だ!」


 リディスは一瞬、フリートが十歳前後の少年に見えた気がした。母にかばわれたことで、命を救われた少年。それにより彼の心の中には、常に後悔の念が渦巻いていた。やがてその想いは強くなり、騎士になって多くの人を護ろうという想いに変化したのだ。

 もう選択肢はないと思っていたが、力強い瞳を持つ彼が言うと、他に何か手があるのかもしれないと思えてくる。

「……ノルエール女王、何かないんですか。他の方法はないんですか!?」

 フリートはリディスから手を離し、藁にもすがる思いで、ノルエールのもとに歩み寄った。


 ロカセナは予言から生まれた運命の道を示し、その道を踏み締めながら、最後までじっくり過ごそうと提案してくれた。

 一方、フリートは運命の道の存在を知りつつも、最後まで足掻き、他の道を模索しようと提案してくれた。

 どちらもリディスのことを想ってくれている点では変わりない。

 状況から判断して、運命の道通りに進む可能性は高かった。

 だが、どちらの方が充実した人生を送ることができるだろうか――。


「私には何も思いつきませんが……」

「つまり他の誰かに心当たりがあるのですか!?」

「辛うじてありますが、あれから二十年もたっているので、はっきりとは言えません。それに今はとにかく時間がありません。十日後の満月の時に、私の祈りの力は完全に消え、扉が無造作に開き切ってしまいます。そうなれば、開閉するという行為すら難しくなります」

「あと十日もあるんですね、わかりました。それで心当たりというのは!?」

 フリートの勢いに圧倒させられながら、ノルエールは口を開こうとしていた。おそらく彼女は言うつもりはなかったのだろう。リディスが結局は犠牲になるという、ぬか喜びを防ぐために。

 だが、この前向きな青年の瞳に射ぬかれた彼女は、言葉を続けていたのだ。

「ヨトンルム領にアスガルム領民の生き残りがいると言われています。その中にかつて樹に祈りを捧げていた血筋の者がいるかもしれません。その方に聞けば、何か知っている可能性があります。ただ、すべては可能性の話。見つけ出せなかったり、その人たちが何も知らないまま過ごしているかもしれませんから、それは覚悟してください」

「わかっています。教えてくださり、ありがとうございます」

 光が宿ったその瞳を見ると、リディスは自分の胸が高鳴っていることに気づいた。

 いつの間にか、立場は逆転していた。

 かつてはフリートを導いていたつもりだったが、今ではリディスが導かれる立場になっていた。彼は必死になって、暗闇の運命に一筋の光を射し込もうとしている。

「リディス、ヨトンルム領ならまずミーミル村に行って、ヴォル様に聞けばいいんじゃないか? かなり危険だが、陸路から最短距離で馬を飛ばせば、三、四日くらいで行けるはずだ」

「そんなに近いの?」

「実はな。アスガルム領の跡地の傍を通過するから、モンスターも多くて、かなり危険な道のりだが……」

 危険とわかっていても、その瞳に陰りが見えることはなかった。

「リディス、行くか?」

 リディスの道が変わる可能性は限りなくゼロだろう。

 しかし、この青年と最後まで一緒にいられるのなら、僅かな希望を追い求めてもいいかもしれない。

「――そうね、行きましょう。ぼんやり過ごすのも、動いているのも同じ一日だからね」

 リディスは微笑みながらフリートを見返す。彼はほんの少しだが、ほっとしたような顔つきになった。

 その様子を横から見ていたノルエールは、まるで聖母のように静かに笑みを浮かべていた。自分の役割はほぼ終えたと言わんばかりに、肩の荷を降ろしているようだ。

 唐突に背中越しから眩しい光が射し込んできた。ノルエールがその光をしみじみと見ている。

「……そろそろ時間のようですね。私がお話できるのは以上となっています。ごめんなさい、たいしたお話もできなくて」

「いいえ、方向性を示してくれただけでも、助かりました、ノルエール女王」

「もう女王ではありませんよ、フリート君。すみませんが、リディスラシールとミディスラシールをよろしく頼みます」

「はい、とても世話のかかる姉妹ですが精一杯支え続けます」

 フリートは凛々しい顔つきで、ノルエールに対してきっちり礼をした。彼女の穏やかな顔はリディスに向けられる。

「わざわざ呼ばなくても良かったかもしれませんね。頼れる騎士が傍にいるんですから」

「そんなことはありません。ノルエール女王とお話できてとても嬉しかったですし、この樹を間近に見ることができて、良かったと思っています」

 リディスは目を細めて、青々とし、すべてのものに癒しを与えてくれる魔宝樹を眺めた。

「……これを大地に降ろすことができれば、不安定さは完全に払拭されるのですね」

「そう言われています。魔宝珠を生みだし、使われた魔宝珠は返すことで肥料になるという、循環が再び生まれるわけですから。しかし樹が降ろされれば、非常に強力なモンスターの封印も解けてしまいます。それを再度封印するとなれば、予想を遥かに上回る莫大な負担が誰かにかかります。あまり現実的な判断とはいい難いでしょう」

「わかりました、ありがとうございます」

 リディスはノルエールに視線を戻す。そして最後に小さく笑みを浮かべた。

「お母様、私を生んでくださり、そして私の代わりに祈りを捧げ続けてくださり、ありがとうございました」

 深々と頭を下げて上げると、ノルエールが目を潤ませながら口元に手を当てていた。

「ありがとう、そう言ってくれて、私も救われるわ。――では、お行きなさい。リディスラシール、いつまでも元気で」

「お気遣いありがとうございます。それではお母様もお元気で」

 そしてリディスはフリートを連れて、再び光の道へ戻っていった。それをノルエールはいつまでも、いつまでも見つめていたのだった。



 * * *



「光の道はどこに通じているのかしら。願わくば、二人、いえ皆に幸福が訪れますように。――精霊たちよ、どうかあの子たちをお助けくださいませ」


 魔宝樹へ祈りを捧げながら、金色の髪の女性は独りでに呟く。

 ここからは見えないが、樹の一部は急速に枯れ始めていた。共に封印したモンスターの影響が色濃くでてきているようだ。大陸内を安定化させれば、この状況もある程度は進行を抑えることができる。しかし、それは抜本的な解決とは言えなかった。


 誰も犠牲にならない未来を、彼はどういう手段であみだしてくるのか。


 決して折れない光の青年をささやかに期待しながら、ノルエールは樹の中心部にゆっくり再び歩み寄った。


 

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