静かなる旅立ち(5)
* * *
陽の光も当たらない鬱蒼とした森の中で、目の前を歩いていた帽子を被った老人が突然立ち止まった。モンスターが大量に生息しているこの場で歩みを止めるとは、自殺行為にもほどがある。
「どうしましたか?」
ロカセナは眉をひそめながら、ゼオドアの背中を見る。彼はくっくっくっと笑って、顔を向けてきた。
「いやはや、思ったよりも簡単に私の罠が突破されてしまったようですよ。しかも召喚の残滓から判断すると、あの三人は戦闘には出ていないようですねぇ。鍵か予言者が精霊召喚をしたら、あまりの威力の大きさにすぐに気づくでしょうから」
「簡単に突破できる罠だったんですか」
「いえいえ、それなりのものは仕掛けましたよ。以前の皆さんならかなり苦戦したでしょう。どうやら一度学ぶことで大きく飛躍する人がいるようですね。……罠の指揮官はわからないように混ぜておいたのですが、どこで気づいたのでしょうか……戦闘の勘がいい人もいるみたいで、少々厄介ですね」
ゼオドアの言い分から推測すると、ルーズニルとトルで彼が仕掛けた罠――おそらく召喚した何らかのモンスターを還したのだろう。
フリートの才能と努力によって積み上げられた剣技や、メリッグの
しかし、僅かでも共闘したことがあるロカセナにとっては、むしろ今後脅かす存在になるのはルーズニルやトルではないかと思っていた。
幅広い範囲で膨大な知識を持っているルーズニル、そして荒い戦闘を繰り広げるが、それなりの戦闘の型を持っているトル。知識の放出を戦いに重きを置いたり、荒さがなくなり冷静さを兼ね備えるようになれば、二人は見違えるような戦い方をすると思われる。
ゼオドアは鼻歌をしそうな雰囲気で、再び歩き始めた。簡単に罠を突破されたことに対し、嬉しがっているようにも見える。予測不可避な出来事が起こった方が、彼としては張り合いがあるのだろう。
ロカセナは目を細めて頭上を覆う枝葉を睨み付けながら、皆の顔を思い出していた。
彼ら、彼女らがいくら力を付けたとしても、絶望の道を歩んでいるのには変わりない。
既に道は定まっている。
リディスやフリートたちは知らないが、ある人が出した予言通りに事は進んでいた。それをひっくり返すような出来事が、今後起こるとは到底思えなかった。
ある地点までロカセナとゼオドアは同じ道を歩いていたが、途中で二人は別れを告げて、反対方向に歩き始めた。そしてお互いに薄暗い森の中に消えていった。
* * *
「とても無謀で、危なすぎる戦闘を見させて頂き、勉強になりました。今後の参考にさせて頂きます」
「おい、まだ言うのかよ、その台詞……」
トルがうんざりとした表情でメリッグを横目で見ていた。その様子をリディスたちは乾いた笑いをしながら眺めている。
デーモンを還した後、一同は無事にトンネルを通り抜け、夕方過ぎにミスガルム領に入っていた。そして領に入ったばかりの村で、一晩を過ごすことに決めたのだ。
ミスガルム領に入った瞬間、リディスはほんの少しだけ緊張感を緩めることができていた。
ニルヘイム領はどこを歩いていても気が抜けず、殺伐とした雰囲気が漂っていた。全体的に心に余裕がない人が多かったようにも思われる。メリッグによれば、モンスターから身を守る結宝珠がニルヘイム領にはあまり流通しておらず、明日を生き抜く術を常に模索しているところらしい。
結宝珠が当たり前のようにあったリディスにとっては、考えられないような環境だった。
食事をすませ、宿で大部屋を借り、部屋で今後の指針を決めようとした矢先に、メリッグの厳しい指摘がトルに突き付けられていた。
「何度でも言うわ。隙を見せてはいけない相手に、貴方は何の躊躇いもなく背中を向けた。もしもあの指揮官を還した後でも、他のデーモンたちが平然と動き続けていたら、貴方確実に死んでいたわよ」
「止まるって思ったんだよ。いいじゃねえか、結果が良ければ。……てか、メリッグ、心配してくれるって事は、俺に死んで欲しくなかったのか?」
トルがにやにやと笑みを浮かべるが、メリッグは無表情のまま即座にその言葉を両断した。
「まさか。貴方が死んだら、こっちに火の粉がかかるでしょう。特にルーズニルはただでは済まなかったはずよ。……相手も倒さずに勝手に死ぬなんて、迷惑にも程があるわ」
容赦のない言葉を受けたトルは、開いた口をぱくぱくと動かしていた。結局言い返しもせずに、その場でがっくりと
「……共闘を持ちかけた僕にも非がある。あとで反省会を開いておくよ」
ルーズニルは苦笑いをしながら、話の路線を元に戻した。
「さて、今後の予定だけど、できれば荷馬車に相乗りしながら、目的地に向かおうと決めたね。でも、村民から聞いた話によると、どうやら村や町同士の交流は以前よりもかなり激減しているようだ。ここから目的地に直接向かうのは難しそうだよ。どこか大きな町に出て、馬車を探すのが早いと思う」
「ルーズニルさん、王国行きなら、この村くらいの規模でもあるはずだが……」
ミスガルム王国には、村長や町長たちが与えた許可証を持つ者ならば、自由に露店を広げられる場所がある。そのため多くの品を売るために、遠方から遥々城下町を訪れる村民たちはたくさんいた。
それをフリートは指摘をしたのだが、ルーズニルは目を伏せて静かに呟いた。
「――ミスガルム王国全体が戦乱の場所となっている。そんな場所に好んで来る人は少ないだろう」
「何だって……!?」
フリートは信じられないといった表情で、ルーズニルを見た。彼は視線を合わせず淡々と続ける。
「連日連夜、モンスターがミスガルム城を襲っているらしい。当初は城下町の方を襲っていたらしいけど、どうやら城側が何らかの手を回したらしく、今は城が戦場となっているようだ」
「無事……なのか?」
皆既月食時の被害ははっきりとわからないが、おそらく多数の騎士たちが怪我をしただろう。
その状況下で何度もモンスターに襲われる状況になったら、さすがに大陸で最強と呼ばれているミスガルム騎士団でも厳しい戦闘になる可能性がある。
沈痛な表情をしているフリートの問いに対して、ルーズニルは表情を緩めて返した。
「どうやら大丈夫なようだよ。そんなに強いモンスターは来ていないらしいから。ただ数が多いので、油断はできないらしい。そういった事情から、騎士団の主力部隊が外に出るのは難しいみたいだ」
ミディスラシールからの手紙は、このことを予見していたのかもしれない。
フリートはルーズニルにつられて、眉間に寄っていたしわを緩ましたが、それでも完全には消えなかった。唇をぎゅっと噛み締めている。一刻も早く城に戻って、加勢したいのかもしれない。
「――というわけで、ミスガルム王国が大変な状況になっているから、そこに荷馬車を出す町も限られているというのが現状だ。この付近で王国まで馬車を走らせているのは、ラウロー町くらいかな。領の北方にある町で、結構栄えている町だから」
ラウロー町――リディスも数回父親の付き合いで訪れたことがあった。ルーズニルの言う通り、ミスガルム領内では五本の指に入るくらい繁栄している町だ。商売好きの貴族が町を納めているため、そう簡単にミスガルム王国への物資輸送をやめることはないと思われる。
距離的にもラウロー町に行くのが最も推奨されるが、リディスとしてはこのまま首を縦に振るわけにはいかなかった。
「……ルーズニルさん、一つ提案があります」
「なんだい、リディスさん」
柔らかな笑みを向けられたが、リディスの表情は固かった。
「――シュリッセル町に行きませんか?」
その言葉を聞いた、フリートの目は大きく見開いた。メリッグは表情を変えず、トルはミスガルム領の地図を見て首を傾げた。
「その町もでかいのか? でも、ここから少し離れてないか? 二日くらい余計に歩きそうだぜ……」
「リディスさん、たしかにシュリッセル町も大きいけど、ラウロー町ほどではないよ。確実性を言うのなら、近くて大きな――」
「ルーズニルさん、行かせてほしい、シュリッセル町に」
リディスが口を開く前に、隣にいたフリートが念を押した。主張した意図に気づいてくれて、内心とても嬉しかった。ルーズニルはフリートをちらりと見てから、リディスに視線を向ける。
「理由は。僕たちにはあまり時間はないんだよ?」
「父に会いたいんです。育ての父親に」
ルーズニルとトルは、二人であっと声を漏らした。そして納得した表情で首を縦に振ってくれた。忘れていても仕方がない。リディスがその町の出身と言ったのは、出会った時くらいだ。
意を決してリディスは想いを述べていく。
「個人的な用事ですみません。でも父の口から真実を聞きたいんです。私はまだ自分が‟ただの町貴族の娘ではない”ということが信じられません。第三者であるロカセナの口からしか聞いていないんですよ、嘘の可能性だってなくはない……」
口ではそういったものの、嘘である可能性はまずないだろう。フリートを通じて間接的にとはいえ、ミディスラシールからも言われているからだ。
だがリディスとしては、今までの人生の中で最も長い時を一緒に過ごしてきた、オルテガから直接聞きたかった。
「荷馬車はシュリッセル町発のものはないかもしれません。でもそうなった場合には父に掛け合って、どうにか手配をしてくれるよう頼みますから。迷惑かけてばかりで、すみません。でも――お願いします」
リディスの頭の中には、諦めるという言葉は浮かんでこなかった。もし、このままシュリッセル町に寄らずに、城に向かってしまったら、もう二度とオルテガに会えない気がしたのだ。
ありのままの想いを伝え、視線を三人に向けると、ルーズニルは優しげな微笑みを浮かべていた。ロカセナとは違い、何の混じりけのない笑みだった。
「僕は構わないよ。他の人もいいよね」
「俺は全然歩けるから、少し遠回りでも構わないぜ」
「こんな奔放な娘を育てた父親に興味があるわ。いいんじゃないのかしら、別に」
リディスは次々と肯定の意を発してくれる仲間を、そして最後に隣にいる黒髪の青年を見た。視線があった途端、小さく肩をすくめられる。
「……どうせ頑固なお前は駄目だと言ったら、一人でも行くんだろう。それなら皆で一緒に行った方が安心だ。行くぞ、シュリッセル町に」
「ありがとう、みんな……」
否定されることも覚悟で言ったが、全員が同意を示してくれた。安堵の息を吐くと共に、疲れが急にどっと出てきた。力み過ぎて話していたようだ。
素敵な仲間に囲まれて道を歩んでいることに感謝しつつ、今後の詳細な動きについて引き続き話し合いを進めたのだった。
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