静かなる旅立ち(4)

 * * *



 誰もが予想していたことだった、この道を通る時に、必ず何かがあるということは。


 ショートスピアを召喚させたリディスは、唇を噛みしめながら目の前にいる漆黒の軍団を睨み付けていた。スピアの先端は以前から使い続けている切っ先のみである。四大精霊が宿っている魔宝珠は体に負荷がかかり過ぎるため、今は付けていない。

 ミーミル村で戦い、苦戦もした漆黒の軍団――デーモンが十体、トンネルの前に立っていた。人間のような体をし、羽根を生やしたモンスター。鋭い角や耳、大きく裂けた口から見える前歯、そして赤い瞳を見れば、たいていの者は恐れをなしてその場から立ち去るはずである。

 だが、このトンネルを通るために、無謀にも戦いを挑んだ者がいたようだ。デーモンの周りには数名の人間が乾ききった血だまりの中で転がっていた。ぴくりとも動かず全身が真っ赤に染められたその姿から、事切れていることが容易に想像できる。

 トンネルを通る人たちを無差別に襲うよう仕組んだのか。

 怒りではらわたが煮え返りそうになったが、フリートがリディスの左肩を握りしめたことで我に戻った。険しい表情をした彼も同じ想いを持ちつつ、必死に耐えているようだ。

「同志の人たちが待ち構えていると思ったけれど、まさかモンスターを置いていくなんて……私たちも舐められたのかしら」

 メリッグは溜息を吐きながら、いつでも戦闘態勢に入れるように水の精霊ウンディーネを召喚していた。だが、幾分顔色が優れないように見える。召喚すること自体、依然として厳しい状態なのかもしれない。

 フリートも傷が癒えていない体で、無理をしてバスタードソードを召喚している。

 デーモンがリディスたちを見つけると、持っていたトライデントを向けてきた。矛先は鋭く尖り、刺されば人間の体など軽々と貫通させてしまう代物だ。

「こいつらの特徴としては、速さと強力な一撃。そしてやたらと統率力が取れているところだったな。それなら個々に相手をしながら確実に――」

 フリートが踏みだそうとすると、バンダナを巻いた背の高い大柄な青年と、眼鏡をかけた青年が前に立ちはだかった。

「トルに、ルーズニルさん……?」

「ここは僕たちに任せてほしい。旅の途中で、誰かが疲れて倒れるということは避けたいからね」

「そうそう、この前の戦闘では活躍できなかったからな。これくらいさせろ」

 頼もしい発言をした二人だったが、リディスとフリートは止めようとした。体力が万全であっても、数が多いデーモンを二人だけで相手をするのはかなり荷が重い。

 メリッグは笑みを浮かべ、覗き込むように二人を見た。

「二人だけで倒せるの? だってガルーム相手に手も足も出なかったんでしょう?」

「そうだね。けど、僕は一度見た相手には負ける気がしないよ」

 ルーズニルが拳を構えて、にこりと微笑む。

「二度目の手合せなら大丈夫ということかしら? ……わかったわ、二人に任せる。ただし無理と判断したら介入するわ。この土地なら私が一番力を発揮させやすいから」

「メリッグさん、何を言っているんですか!」

 承諾したメリッグを見て、リディスは驚きの声をあげた。彼女が発した内容はリディスやフリートにも手を出すなと暗に言っている。リディスが詰め寄ろうとすると、メリッグは横目で見てきた。

「召喚使いがこの場にいないってことは、単純な行動しかできないってことよ。たまには大人しく見ていましょう。いいわね、フリート。賛同するなら、状況が読めていないリディスを抑え込んでいなさい」

「わかった」

 すぐ脇にいたフリートが肩をすくめると、リディスの左手を引いて後ろに下がらせた。突然引っ張られたため、足下がもつれそうになるが、どうにか耐える。リディスは眉間にしわを寄せて、黒髪の青年を見上げた。

「フリート……!」

「信頼できる仲間なら、黙って見守ることも上に立つ者としての判断だ。それくらい少しはわかれ」

 口調こそ厳しいが、フリートの表情は緊張感に満ちたものではなく、やや頬を緩ませていた。その姿は焦っていたリディスの心を少しずつだが落ち着かせてくれる。

 リディスが反対の声をあげなくなったのを確認すると、ルーズニルはデーモンの集団に踏み出した。相手側も同様に踏み出す。

「あいつらの狙いはわかるよね、トル」

「ああ。近づいてくる奴らを抹消することだろう?」

「そういうこと。基本的には僕が還すよ。それでいいね?」

「むしろその方が有り難い」

 数回言葉を投げ合った二人が口を閉じた。ルーズニルがさらに一歩、一歩デーモンに向けて歩み始めると、やがてそれは速足となり、集団に突っ込んでいく。その後ろからトルが続いた。

 十体のデーモンは近づいてくるルーズニルに襲いかかる。

 その一部始終をリディスは祈りながら見守ることにした。



 * * *



 ヘラとガルームとの戦闘の後、トルはルーズニルにこっそり呼び出されたことがあった。他の人に立ち聞きされにくく、中から見えない診療所の裏手にて。

 その時のルーズニルは笑みを浮かべておらず、真顔でトルのことを見て、ある事実を突き付けてきたのだ。


 前回の戦いでわかったとおり、実力を最大限に発揮されたら、おそらくルーズニルとトルは、未知なる能力を秘めているリディスはもちろんのこと、広範囲に精霊召喚を発動させることができるメリッグや、何度も死線をかいくぐってきたフリートとはかなりの実力差が開くことになる。

 これからは彼、彼女らがその力を出さなければならない戦いがいくつも待ち構えているはずだ。すなわち死闘に何度も直面するということ。

 それを踏まえた上で、今後もリディスたちと共に行動をするのか――と。


 トルは躊躇いもせずに首を縦に振った。

 そのために来た、仲間が危険な目にあっているのに放っておけないと言い返すと、ルーズニルも同意するかのように頷いた。それからルーズニルはある一つの提案をしたのだ。


 力が足りないとは言っても、できることはある。

 例えば三人が弱っている時に彼らを護ったり、三人が時間を必要としている時には時間を稼ぐ。そして三人の体力を温存したい時、かつ、トルたちでも充分渡り合える相手には、積極的に攻撃を仕掛けることを――。

 つまり特に城に戻るまでの間、先日の戦いで怪我を負い、疲弊した三人にはなるべく戦わせないようにしよう、というものだった。

 最初の難関は、おそらくこのトンネルだろう――、それを覚悟してトルはここまで来ていた。



 案の定、トンネルの前にはモンスターの中でも強敵の部類に入るデーモンが待ち構えていた。五人で戦えば確実に勝てるだろうが、ルーズニルはその考えを振り切って、二人で相手をしようと言った。

 以前のトルであればおそらく恐怖のあまり足が竦んでしまっただろう。

 だが、モンスターで溢れるこの大地を一人で歩いていると、たとえ無謀であっても、目的を遂行するために立ち向かっていかなければならない時がある、ということを痛感したのだ。

 一方、ルーズニルはトルよりも遙かに頭がいい。勝率があると見込んで、今回は二人でと言ったはずだ。

 彼の言葉を信じて、トルは自分の背よりも少し短いウォーハンマーを果敢に振り回しにいった。

 デーモンは先に進んでいたルーズニルを素早く取り囲む。彼の逃げ道がなくなると、デーモンは一斉にトライデントで突いてきた。

 ルーズニルは寸前に風の精霊シルフの力を使って、軽やかに頭上へ飛び上がる。突く相手を失ったトライデントは、音をたてながら互いに交錯した。

 デーモンたちが背を向けている隙に、トルはウォーハンマーのハンマー部分をその背に向かって振り回す。すべてかわされたが、それも想定済みだ。

 ルーズニルを囲むように作られた円は崩れ、バラバラになったデーモンは再び集合し出す。その前に空中から落下したルーズニルの足が一体のデーモンの頭に乗る。降りた後に、デーモンはよろめきながら振り返ると、彼は右手で作った拳を胸の辺りに入れ込んだ。

「還れ!」

 衝撃と共にデーモンは崩れ落ち、黒い霧となって消えていく。ルーズニルは見届けることなく、高速で移動してきたデーモンの攻撃をかわしていった。

 槍の一種であるトライデントは長さがあり、攻撃を受ければ三か所も刺さるため、厄介な武器である。だが接近戦を主とするルーズニルにとっては、懐にさえ潜り込めば、あとは簡単なものだった。

 突きをすれすれのところでかわし、相手の懐に入って頭を握り、そのまま地面に押し倒す。

 トルは背中が空いたルーズニルを守るために、組になって襲おうとしていたデーモンにウォーハンマーを振って、散り散りにする。その隙にルーズニルはもう一体還していた。

 いつもは微笑んでおり、虫も殺さないように見えるルーズニルが、デーモンに対して容赦なく還術を繰り広げている姿を見ると、この人が本当にフリートたちよりも劣っている人物なのかと疑問に思ってしまう。

 ミーミル村であった前回のデーモン戦では、彼は妹と共に塔の中にいたので、このモンスターの相手はしていない。もしあの場にいたら、彼の力だけでも多くのデーモンを還すことができたのではないだろうか。

 しかし、ルーズニルからトルに打ち明けられたある事実を思い出し、それはなかっただろうと思い直す。


『一度モンスターと遭遇をし、その特長や弱点がある程度わかれば、僕だってそれなりの戦いはできる。けど初めて相見あいまみえるものには、苦戦する可能性が高い。なぜならリディスさんやフリート君のように感覚で動くタイプじゃなくて、脳内できちんと処理をしてから動くタイプだから、どうしても行動に遅れが生じてしまうんだ。それは戦闘の中ではかなり不利だろう?』


 それを言われた後に、ルーズニルから今まで遭遇したモンスターの特徴などを記したノートを見せられた。

 彼が気づいたことや、他の人から聞いたことが詳細に書かれているものである。簡単なモンスターの絵を描き、どこに衝撃を与えれば簡単に還すことができたか、どこを叩けば動きが鈍くなったか。そして攻撃パターンがいくつも載っていた。

 目に見えない努力が、学者という立場だけでなく、モンスターと対等に相手をできる武道者という立場も手に入れたのだろう。

(俺ももっと努力しねえとな)

 トルは改めて心に誓った。

 デーモンについては、他のモンスターより量は少ないが、ノートには書かれていた。フリートやロカセナたちに聞いただけでなく、文献などを読み漁った内容も入っている。

 特筆すべき点としては、移動速度が瞬間的に速くなること、基本はトライデントを用いて攻撃をすること、羽が生えていることから飛ぶことも可能だが、基本は陸上主体ということ、そして――統率力が取れすぎているということだった。

 人間からの特別な介入がなければ、集団でいるデーモンたちは統率の取れた行動をするらしい。言い換えれば、その統率を崩せば隙は生まれるのだ。

 トルは還術に関しては不安が残る部分はあったが、攪乱という作業ならば造作もなく行えた。相手の注意を最大限に引きつけ、ハンマー部分を振り回す。時にはピックを用いて、傷を負わしていく。

 全身でデーモンの気配を察知しながら、トルは自分がやるべきことを実行し続けた。

 周りを改めて見ると、既にルーズニルが半数ほど還したようだ。動きを止めているデーモンは二人のどちらに攻撃をしようか考えているようにも見える。だが角が少しだけ大きいものが標的をルーズニルに定めると、他のものたちも一斉に彼に向かっていった。

 トルよりも遠い場所にいたルーズニルは自分に向かってくるデーモンを見て、若干目を丸くしていた。

 しかし、すぐに相手を迎え撃つ態勢を作る。トルは加勢するために、慌ててデーモンたちの背中を追った。

 一点だけトルの頭の中で引っかかったことがあった。角が少しだけ大きなデーモンの動きが、他のものとは若干違うようなのだ。

 例えば動き方。小刻みに足を動かすのではなく、やや大股に歩きながら足を動かしている。その動きは――あの謎の老人ゼオドアと似ていた。

 三体のデーモンは地に足をつけてルーズニルを突き刺そうとし、他の二体は飛び上がって空中から刺そうとしている。その攻撃をかわそうとするルーズニルだったが、トルが奇妙だと思ったデーモンが突然彼の股に突きを入れてきたのだ。ルーズニルはかわした衝撃でバランスを崩しそうになったが、なんとか持ち堪える。

 トルの中でぼんやりと思い浮かべていたことが、はっきり言葉に表すことができた。

「……火の精霊サラマンダー

 呟くとウォーハンマーの先端部分がうっすらと赤色に染まる。還術は得意ではないが、ルーズニルが相手側の動きを読めていないならば、トルが動くしかない。

 他のデーモンが駆け寄ってくるトルに気がつくと、すぐさま移動してトライデントを四方八方から突き刺そうとしてきた。軽傷を負いながらも、それを感覚のみでかわす。

 そして、やや後ろに下がっていた少しだけ角が大きなデーモンに、ウォーハンマーのピック部分を向けた。かわされて風を切る形になるが、逆方向から今度はハンマー部分を振り返した。それを繰り返しながら、牽制していく。

 不意にトルが僅かな隙を見せると、相手側から突きを入れてきた。トルはハンマーを持っている手の位置を上に移動させつつ、相手の胸元に入り込んだ。

 決まった長さでしか攻撃してこないと思っていたデーモンは判断が遅れる。遠心力が減少するため威力は半減するが、火の精霊の加護を付けているこのウォーハンマーであればそこまで力は衰えないだろう。

 後ろに他の四体が迫ってこようが関係ない。こいつを今叩き潰す。

 ルーズニルが何か叫んでいたが、集中しているトルの耳には入ってこなかった。

 デーモンの目の前に来ると、ピック部分を顎に向けて下から振り上げた。

「還れ!」

 ピックが深々と刺さると、そのデーモンは黒い霧となり始める。同時に周りにいた四体も動きを鈍らせた。その隙にルーズニルが次々と還していく。

 やがてその場にいたデーモンは、すべて地上からどこかへ還っていった。

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