連鎖する事件(5)
* * *
レリィに言われた集落まではほとんど言葉をかわさずに、三人の青年たちは走り続けていた。途中でトルが持ってきたパンを食べながら、ひたすら進んでいる。
今のロカセナは先の戦闘時のような怒りを滲みだしつつ、冷酷なことをするような雰囲気はまったく発していない。眉間にしわを寄せているフリートを宥めているといった、いつもの状態に戻っていた。ほっとしつつも、感情を押し殺しているようにも見えて怖く感じる。彼の底知れぬ怒りを気に留めながら、大地を駆け抜けた。
森を抜けると、背丈の高い草原が視界いっぱいに広がった。それをかき分けながら進んでいく。
「今じゃここを通る人なんて滅多にいないからな、荒れているのはしょうがない」
「昔は通行量がそれなりにあったのか?」
「かつて集落があったって言っただろう。その言葉通りで、十年前まではそれなりの大きさの集落だった。だけど十年前に珍しくモンスターが現れて、荒らしていったらしい。その上モンスターが住み着くものだから、誰も寄りつかなくなったのさ。まあ今はいないから、安心しろ」
「いないの、モンスター?」
ロカセナがフリートと同じ疑問を口にすると、トルは振り向きもせずに返す。
「いない。代わりに悪さをする人間は増えたけどな」
苦笑いをしながら、トルは草をかき分け続ける。
さらりとトルから出された言葉に、思考の片隅に残っているものが再び戻ってきた。
(ミスガルム領よりムスヘイム領の方が、モンスターは少ないが悪事を働く人間は多い。これは偶然か。それとも関連があるのか?)
すぐに答えが出せない疑問のみが次々と出てくる。いつかは調べる必要があるが、それは落ち着いてからだ。
程なくして、草が刈り取られた開けた場所に辿り着いた。目の前に広がるのは鬱蒼とした雰囲気を漂わす、雨風に曝されて朽ちている家々。普通なら誰もこのような地に近寄らないだろう。だが、進んでここを根城とする者がいるのが現実である。
レリィが言っていた屋敷、すなわち集落にとって重要な施設と考えられる建物は、警戒の意味を考えて奥まったところにあるはずだ。
「お前たち、どうやって助け出すつもりだ?」
朽ちた集落を眺め、腕を組んだトルは質問を投げかけてくる。
「さすがに正面はないよな。リディスが人質として捕えられているんだから」
「当たり前だ。相手側に刺激を与えたり、待ち構えられている可能性がある。こっちは人数が少ないから余計な戦闘は避けたい。裏側から侵入するっていうのが定石だが、そんな隙を与えてくれるかはわからないな」
「なんだ、ここまで来て手詰まりかよ」
「悪かったな。陽が暮れてから事を起こすくらいしか、俺には思いつかない」
二人で溜息を吐いて、肩をがっくりとさせる。リディスがいる場所の正確な情報がもう少しあれば、考えを巡らすことは可能だが、今の状態ではなかなか難しい。
「すぐに実行に移せるのは、古典的なやり方くらいじゃない?」
ロカセナがフリートに向かってある物を投げつける。それを片手で受け取った。
「動く前にリディスちゃんがいるところくらい、検討は付けておこうか。一番大きな屋敷の居間か、寝室か。それとも地下に部屋があったら、そこも考えられるね」
「地下に部屋があるとか、聞いたことがないな。どこかの寝室とか倉庫じゃないか?」
トルが答えると、彼に対してもロカセナはある物を投げる。
「フリート、途中で囲まれたらどうする?」
ロカセナは目を細めてフリートに視線を向けると、それに応えるかのように二人の顔をしっかり見た。
「リディスを奪還したら、とにかく強行突破だ」
言葉に想いを込めて、はっきりとした口調で言うと、二人は笑みを浮かべて頷き返してくれた。
もう少し状況が知りたいと思い、集落に近づこうと提案した矢先、突然黒々とした煙が視界に入った。ほんの僅かな時間、その場で立ち尽くす。そして我に戻って顔を見合わした三人は、その現場まで急行した。
集落の中は何本もの黒々とした煙が昇っており、焦げ臭さが一帯に充満していた。顔を腕で覆いながら注意深く歩いて行く。思わぬ展開にフリートは小声で悪態を吐いた。
「どうなっているんだ!?」
「領主が奇襲をかけそうに見えなかったから、ギュルヴィ団を取り締まりたい自警団の仕業とか?」
ロカセナは目を細めて状況を見つつ、自分なりの考えを言う。だが、脇にいたトルが固い表情のまま首を横に振っていた。
「それはない。たしかに自警団は取り締まりたがっているが、行動に移そうっていう話は聞いたことがないぞ。何かするなら、俺たち傭兵にも声をかけてくるはずだ。団を潰すのに、まず人数は欲しいからな」
トルの言葉は説得力があるものだった。数で圧倒するのが、戦闘で勝利するための常套手段。人数が少ない場合も動き方次第では勝てる。しかし、相手の人数がおおよそ判断できるのならば、それ以上の数を揃えたいところだ。
誰がこの行為をしたのか気になるが、それよりもフリートはリディスの身を案じていた。熱を出し、怪我もしている。そしておそらく縄で縛られている状態では何もできない。もしかしたら煙を吸うといった、危険な状況下に置かれている可能性がある。
三人がその場に留まっていると、煙の向こう側から誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。察知した三人は足早に大通りから家々の間に滑り込む。息を殺して現れる人たちを眺めた。
黒色のバンダナを巻いた男たちが、フリートたちがいた道の真ん中で落ち合っている。筋肉質の男は腰が低そうな男に強い口調で言い放つ。
「火事の出火元はどこからだ!」
「それがわからないんです。燃えていたので消そうと思ったらその前に消えて、代わりに他の場所に火がついて……」
「火がついたり、消えたりしているだと? 誰かが
「わ、わかりました!」
返事をした男は、フリートたちがいる場所とは逆方向に駆けていく。直近の難を逃れられて、一息吐きつつも、すぐに気持ちを引き締めた。
この火事はフリートたちの力によるものではない。だが黒色のバンダナを縛った男たちが、彼らと面識のない青年たちを見つければ、その人たちが犯人だと決めつける可能性があった。
状況的にはあまりよくないが、場が混乱している時は、人々の視界は狭くなりやすい。フリートは小声で二人に向けてぼそっと呟く。
「この火事がいつまで続くかわからない。だが逆に考えれば好機だ。急いで事を終わらそう」
「そうだね。やり方は違うにしろ、似たようなことは考えていたんだから」
ロカセナは手元にあった黒色の球状のものを握りしめる。それは煙幕の元であり、火を付ければ発生する代物だった。
「大きい屋敷だ、行くぞ」
フリートを先頭にして、建物の合間を縫いながら探していく。すると思った以上に早く目的の屋敷の傍に着いた。他の大きな建物は軒並み煙が上がっていたが、その屋敷だけ火の手が上がっていなかったからだ。
散らばっていたギュルヴィ団員たちも集まっている。人数にして二十人くらいだろう。強面の男たちが大半を占めており、迂闊には近づけない雰囲気を出している。
物陰から様子を伺うと、その屋敷のドアが開き、口にピアスを刺した青年が出てきた。その後ろから出てきた男は、目を布で覆われ、猿ぐつわを噛まされた金色の髪の少女を連れている。フリートは思わず声を発したい衝撃に追い込まれたが、ぐっと押し殺した。
右肩の白色の布に染まる赤い血が痛々しい。立つのも辛いはずなのに、覚束ない足取りで無理矢理立たされている。その上、視界まで奪われていた。精神に多大な負荷がかかっているのは、容易に想像することができた。
「団長、もうこの屋敷しか残っていません!」
ぼろぼろの服を着た少年が、ピアスの男に向けて悲鳴に近い声を出す。
「落ち着けって指示を出しただろう! いいか、俺たちは嵌められたんだよ。ここでお前らがこの家に避難すればこんな適当な火事じゃなくて、本気で燃やしてくる。そうすれば一網打尽だろう! ――畜生、スルトの奴、人質まで殺す気か!」
吐き捨てる言葉を聞いて眉をひそめる。フリートたちがここに来る前に、スルトがここに攻め入るよう指示を出したのだろうか。しかも火の精霊を操る人間を使って。
「俺が知っている中で精霊召喚をする傭兵はいるけど、ここまで使いこなす奴は聞いたことがない」
トルがフリートの思考を読んだかのように答えてくれる。
「じゃあ、この火を放ったのはいったい誰だ? そいつが味方か敵なのかわからないと、動けないぞ」
「フリート、そう焦らないで。まだ様子を見る段階――」
ロカセナは頭に血が上っているフリートを落ち着かせようと声をかけた途中で、大きく目を見開いた。彼の視線の先をフリートとトルは追う。
建物の間から、フードを被った背の高い男が現れていた。ギュルヴィ団が集まっている場所に近づいていく。ギュルヴィ団はその男の存在に気づくと、武器を取りだし警戒心を剥き出しにした。
「お前、何者だ!?」
「別に名乗っても意味ねえだろう」
団員たちは見下された言い方をされ、むっとした顔をする。だが彼らの表情はすぐに凍り付いた。
「――すぐ死ぬ奴には」
次の瞬間、男の周囲にいた十人のギュルヴィ団員たちが、体のあちこちから血を吹き出しながら地面に伏した。血の海が地面の上に広がり始める。
男は血だまりの中心地で口元に笑みを浮かべ、血が滴っている湾曲した長い剣を握りしめていた。
フリートはごくりと唾を呑み込む。
剣を抜く瞬間が見えなかった。あまりにも速過ぎる。
男は赤く染められた大地の上を歩きながら、一歩一歩屋敷の前にいる団長に近づく。そこにはリディスの姿もあった。
保たれていた理性が一瞬で吹き飛ぶ。
「待て、フリート!」
その場から飛び出した黒髪の青年に向かって、ロカセナは声量を気にせず叫ぶ。だが、フリートの耳の中にその言葉は入ってこなかった。
非常に険しい表情で駆けているせいか、敵であるギュルヴィ団員でさえも勢いに押されて道を開けてくれる。フリートは走りながら剣を召喚し、リディスと男の間に入り込んで剣を構えた。
フードを被っている男の後ろには、動かなくなったギュルヴィ団員が多数転がっていた。男はフリートを見るなり首を傾げる。
「なんだお前? その格好、ここらの奴じゃねえな」
「何が目的か知らないが、ここを通すわけにはいかない」
久々にフリートの声を聞いたリディスは、猿ぐつわを噛まされた状態で言葉にならない声を発する。それを聞いてフリートは少しだけ安心した。
フードの男はリディスとフリートを見比べると、にやりと笑った。
「お前、そこの嬢ちゃんの連れってわけか」
「だったらどうした!」
「そんで、その剣に付いている地の印から察すると、ミスガルムの騎士ってことが考えられるな。巷でも有名な騎士団員の腕前は――どの程度だ」
言い終わるや否や、男の体と気配が一瞬で消えた。
瞬間、
男の口元が歪む。フリートは息を呑み込みつつ、思いっきり振り払った。
切っ先が当たったのか、フードが破れ、男が跳び退いた時に顔が露わになる。鳶色の短髪、褐色の肌に鋭い目。右頬には大きな切り傷があった。
男はフリートから離れると、警戒をしつつ睨み付ける。
「一振りだったが、いい動きをするんだな。だが――」
口を大きく釣り上げた。
「その程度か」
言葉と同時にフリートの左肩に激痛が走った。左肩付近からぱっくりと傷口が開き、血が流れ始めている。あの僅かな攻防で斬られたらしいが、まったく斬撃が見えなかった。
あまりの痛みに膝を付き、剣を地面に刺して右手で柄を握りしめる。苦々しい表情で斬りつけた男に鋭い視線を突きつけたが、彼は目も留めずにフリートの横を通り過ぎようとした。
「おい、待てよ……!」
「うるせえな。たいして強くない奴が騒ぐな。――消えろ」
剣を持ち直し、切っ先をフリートの首に当てようとする。だが突然男は血相を変えて、回りながら剣を横に振り抜いた。甲高い音がし、何かが地面に落ちる。
フリートの視界に入ったのは、水色のリボンと先端が鋭く研がれたスピアの先。
「目も見えねえ口も開けねえ状態で召喚して攻撃するとは、なかなかやるじゃねえか、嬢ちゃん」
男の表情が嬉しそうににやけていた。不意打ちを仕掛けた少女は肩で呼吸をしながら、その場で蹲っている。
「おいお前、死にたくなかったら、その嬢ちゃんの顔を俺に見せろ」
隣にいたギュルヴィ団長は、震える手でその指示に従った。猿ぐつわが外れるとリディスは大きく呼吸をし始める。目隠しを外されると、目を細めてフリートの横にいる男を見据えた。
「何のつもりなの、貴方……」
「勇ましい嬢ちゃんもいいねえって思っただけさ。顔もなかなかいいじゃねえか。俺は女をいたぶったり、遊ぶ趣味は基本的にねえから安心しろ。男とか、自ら攻撃を仕掛けてくるやつは別――」
「彼に手を出さないで!」
どこにそんな体力があるのかわからないほどの大声をリディスは発した。今にも倒れそうな少女にフリートの視線が向く。
「これくらいの能力の男をどうして庇う?」
「……私が不甲斐なかったから。私がここにいなかったら、彼が傷つくこともなかったからよ!」
持てる力の声を使って叫ぶ姿が、フリートの胸に突き刺さる。
「そういえば嬢ちゃん、ここじゃ見ねえ髪と目の色をしているな。この男と一緒にミスガルム領から来たってところだな。……なあ、嬢ちゃんを人質に取れば城くらい脅せるか?」
「それは無理な話よ。私はただの町の貴族。脅せるなんて……」
「そうか。なら、ここの領主くらいは脅せるか?」
男がリディスに近づいていく。フリートは立ち上がろうとするが、リディスが目で制してきた。
手を出すな、自分でどうにかすると言っているようだ。その目力に圧倒されて立ち上がるのを僅かに躊躇う。
屋敷の入口にいるリディスに寄ると、男は彼女の顎をぎゅっと握った。彼女の顔が強ばる。
「オレ、この団長が領主から奪ったのが欲しくて来たんだ。だがな、様子を見ていると、どうやらそれはまだ奪っていねえようでな。もし持っていたら、こんな火事なんか一瞬で消せるはずさ。つまりまだ領主が持っているってことだ」
男はじろじろとリディスを見る。
「他の領の女に万が一のことがあったら、さすがに領主も慌てるだろう。――いいだろう、お前の連れの命を取らない代わりに、お前を借りる。交渉の材料にさせてもらうぜ」
「えっ……」
男が口笛を吹くと、一頭の馬が駆け寄ってきた。動かない団員たちを躊躇いなく踏んでいく。馬が男の前で止まると、男は抵抗ができないリディスを軽々と持ち上げて馬に乗り込ませ、自分も飛び乗った。
そして思い出したように、団長に見下ろしながら、笑みを浮かべた。
「俺が
「何様の――」
言葉が途中で途切れた団長の左胸に一本のナイフが突き刺さっていた。目を大きく見開いたまま仰向けに倒れる。悲鳴を上げたリディスを抱えて、頬に傷がある男は一瞥もせずに彼女を連れ去っていった。
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