火の加護を受ける国(4)

 どのようにしてヘイム町まで行くのかとフリートが尋ねると、トルは顔色一つ変えずに「徒歩」と答える。それを聞いたリディスの顔が微かに引きつったのを、フリートは見逃さなかった。以前五日程度歩けたのだから体力はあるだろうが、あの表情から察すると、できれば避けたいのだろう。

 いい案はないかと考えつつ町から出ようとした矢先、乗馬用の馬が並べられているのが見えた。特定の持ち主がいない馬のようである。手前には、椅子に座った男性がどっしりと構えていた。もしやと思い、トルに確認を取ってみる。

「あの馬を借りることはできないのか?」

「ああ、貸馬屋だな、できるよ。お金を渡せば馬を借りられる。馬に乗れる人は使っているな。まあ馬に乗ってどこかの山に逃亡しちまう奴もいるから、素性がはっきりしている人しか使えないが……。そっちの領ではないのか?」

「町村が多くて、徒歩や馬車でも充分移動できるから、貸馬屋はほとんどない。――船が発達したのもその地形の影響か」

「そうそう。ほとんどの町が海岸寄りにあるから、水上関係が発達するのは当然だろ?」

 話では聞いていたが改めてこの地に降り立ち、見て、地元の者から話を聞くことで、脳内への情報の入り方が違っていた。自然と知識が蓄積されていく。五感から知るのはこんなにも違うのか、とフリートは実感する。

「地図で見た限り、ここからヘイム町までは砂漠はないはずだ。馬で行った方が速い」

「確かにそうだが、俺、乗れないぜ」

 予想された返答だったので、あまり驚きはしなかった。騎士団員は全員乗れるが、他の一般人で乗馬ができる人はあまり聞いたことがない。

 気が付くと、マントを脱いだロカセナが二頭の馬を連れてきた。いつの間にか手続きをしたらしく、大きめの馬の手綱を握っている。

「僕とフリートが乗る馬に、リディスちゃんとトルが相乗りすればいいだろう。二人乗りでも可能な馬を借りてきた」

「すまないな、ロカセナ。……さて、急ぐんだろう。詳しいことは道中話してもらおうか」

 突然現れた自称案内人に対して上から目線で言いつつ、フリートはロカセナから手綱を一つ受け取った。



 フリートが走らせる馬にトルを乗せ、ロカセナの方にはリディスを乗せた。フリートは自分より大きな相手が前に座っているため、多少走らせにくいが、腰に手を回されるよりはまだいい。

「トル、少し屈んでくれ。そうしないと前が見えなくて、道を踏み外す可能性がある」

「はいよ。まったく……もし俺が馬に乗れたら、リディスと一緒に乗るのに」

 トルが後ろをちらりと見ながら、つまらなそうに呟く。その先には幾分緊張した顔つきのリディスがいたが、後ろで支えているロカセナが口を開くと少しだけ表情が和らいでいた。ロカセナはロカセナでいつも通りにこにこしているので真意は読めないが、嬉しいのではないだろうか。

 フリートにもはっきりわかるくらいに、トルは盛大に肩を上下させて溜息を吐いた。

「あの二人、いい雰囲気だな。羨ましいのか?」

「茶化すな。あまり変なことを言うとここから落として、馬で踏むぞ」

 真顔で言うと本気だと捉えたのか、トルの体がぶるぶるっと震えた。

「おお、怖っ! まあ誰だって、男二人で馬を乗りたくはないな」

「そういう台詞を出すのなら、一人で乗れるようになれ。便利だぞ、傭兵としての仕事が増えるかもしれない」

「考えておくさ。そこまで必要な技術じゃねえがな」

「どういうことだ?」

「この領には馬が颯爽と走れる平野だけが広がっているわけではないってことさ」

 フリートは脳内に地図を思い浮かべた。トルの言うことももっともである。

 ドラシル半島の南側に位置するムスヘイム領は、中央に山脈があり、その間から川が流れている。川は幾重もあり、簡単に飛び越えられる川から、先ほどのように船を出さなければ越えられない川まで大きさは様々だ。

 領の西側は比較的雨が降るため草木で覆われているが、東側は気流や土地の関係上、雨が降りにくく、場所によっては砂漠となっている。そのため馬が使える平坦な道などごく一部なのだ。だから、その環境に応じた様々な移動手段が求められる領なのである。

 そのような移動が面倒なところに、わざわざ姫や王は往路を海上からではなく、内陸移動を指定してきた。あの二人のことだ、理由があってこの道を選んだのだろう。だが、少しはこちらの体力を考えて欲しい。

 移りゆく景色に目を向けつつも、フリートは手綱を引っぱたいて、徐々に速度を上げ始めた。



 一方、リディスはロカセナに支えられて馬に乗り、フリートたちを追う形で進んでいた。初めての乗馬だったが、後ろの青年がしっかり支えてくれるため、落馬の心配をせずに行けそうだ。いつもより彼と近い距離にいるためか、彼の温もりを感じることができた。その事実に気づくと、ほんの少しだけ心拍数が上がる。

(何でこんなにドキドキしているんだろう)

 ロカセナは特に表情を変えずに、フリートたちを乗せている馬と道を交互に見つつ、手綱を用いて速度を調節していた。妙な考えを抱いているのは、リディスだけだと思うとなぜか恥ずかしくなる。気を紛らわすために、適当な話題を口にした。

「ねえ、騎士団に入団するには、馬に乗れることが必須なの?」

「必須ではないけど、見習いの時に習うからほとんどの人は乗れるよ。余程の実力者で騎士団に引き抜きでもされない限り、騎士見習いは誰でも進む道だからね。剣術や体術等の基礎を教えてくれるだけでなく、乗馬の練習や、座学で色々と学ぶ場なんだ」

「見習い……、ああ、あの子もそんな立場だったわね」

 城に入る前に会った、フリートを追いかけている少年クリングのことを思い出した。

「見習い期間はなかなか大変な訓練が続くから、実際の騎士になる頃にはだいぶ人は少なくなってしまうんだ。あと、適度な剣術ができれば町に住む貴族の護衛ができる――そういう事情で鍛錬だけを目的としている人も見習いの中には結構いるから、騎士への試験まで進まない人が多いのが現状だよ」

「そうなんだ。――ねえ、じゃあロカセナはどうして騎士に?」

 何気なく問いながら少しだけ振り返る。視線が合ったロカセナは静かに微笑んだ。

「精神的にも肉体的にも強くなりたいから。そしてある人を捜すために騎士になった。騎士になればミスガルム領だけでなく、今回みたく様々な領に行ける可能性がある。それに城内にいるだけでも情報が入りやすい。――そういうことを考えて、ここに所属していればいつか会えるんじゃないかって思ったんだ」


「その人は……大切な人なの?」

 恐る恐る尋ねると、リディスの考えに反して、ロカセナはゆっくり首を横に振った。

「いや、大切な人というのは行き過ぎているかな。その人を見つけることは、目的を達成するための過程だから」

「そうなんだ……。早く見つかるといいね」

「そうだね。ありがとう」

 話が一区切りついた頃に登り道に入ったため、ロカセナの手綱を握る手が少し強くなる。

 騎士団に入団した理由が人捜しなど、あまり聞かない話だ。情報を得やすい環境だと思うが、同時に動きにくくなったのも事実だ。彼が捜しているのは、騎士団や城に関係がある人なのかもしれない。

 ふと、少し前で馬を走らせている黒髪の青年を見た。

 フリートは貴族の父を持ち、自分も文官の道を歩めたのに騎士になった、珍しい人物と城内では言われている。おそらく、それ相応の理由があるのだろうが、あの堅物な青年が自ら口を開くとは思えなかった。ロカセナに聞けば何か教えてくれるかもしれない。しかし、それは卑怯な気がしてならなかったので、聞きたい感情をどうにか抑えた。

 軽やかに馬を走らせ、坂道を駆け上ると、目の前に広がる景色が変わる。壮大な光景を目の当たりにして、リディスは思わず息を飲んだ。

 どこまでも続きそうな広大な草原。その先に見える小さな山から左右に流れ出ている二本の川。そしてさらに向こう側には薄らと多数の建物が見えた。


「たくさん家が見えるだろう。あそこがヘイム町。自由と商売の町さ」


 トルが腕を組み、胸を張って紹介をする。ヘイム町をそのように述べるのなら、ミ

スガルム王国はさしずめ秩序と政治の国と言えるだろう。

「さあ、とっとと行こうぜ。馬を飛ばせば夕方には着ける――」

「ねえ、あれを見て!」

 トルの声を遮って、リディスは草原の中に広がる異様な光景を指した。緑で覆われた土地の中に一際目立ち、赤くなっている部分があるのだ。そこから黒々とした煙が昇っている。

「火事じゃないの? 消さなきゃ!」

「あれくらいの規模なら大丈夫さ。もしかしたら焼き畑かもしれない」

 トルがリディスの言葉を聞いて、慌てることなく答える。だが、その言葉を鵜呑みにできなかった。

「焼き畑じゃなかったら、どうするの!?」

「それでも大丈夫なのがこの領さ。じゃあ逆に聞くけど、もし消す必要があるなら、リディスは何かできるのか? あれを一気に消せるのか?」

 思わぬ問いに言葉を詰まらす。痛いところを突かれた。指摘をしただけで、そのような力は持ち合わせていない。言葉を返すことができず、視線を下げる。肩をすくめたトルはその様子を眺めていた。

「あそこは通り道の近くだ。少しなら寄り道しても大丈夫だから、行ってみるか。ついでにムスヘイム領が受けている加護を目の当たりにするといい」

「加護?」

「自由とか言いつつも、信じてしまうんだよ、精霊の加護っていうやつを」



 その後、さらに馬を速く走らせたため、すぐに火元へと辿り着けた。地面に足をつけた一同の前には、リディスが危惧していたように、燃え盛る炎が農作物たちを巻き込んでいた。風が吹く度に炎は勢いを増す。

 傍では畑の主の男性が呆然と立ち尽くしていた。それを見たリディスは、表情を変えていないトルを睨み付ける。

「話が違うじゃない!」

「でも俺も、お前らも何もできないだろう。だから待って、それでも無理なら――」

 突然トルの言葉を遮る激しい風が吹いた。

 リディスは屈みながら顔を手で覆い、ごみが目に入らないようにする。しかし上半身に気を向け過ぎていたため、足を滑らしたのに気づくのが遅れた。炎が燃え移っていない畑に落ちる――そう思った時、力強い手で腕を握られ、一気に道へと引き戻される。

 風はすぐに収まり、目を開けると安堵の表情を浮かべている黒髪の青年が目に入った。視線が合うなりすぐに逸らされる。

「……気を付けろ。行く前に服が汚れたら、みっともない」

「ありがとう、助かったわ」

 素直にお礼を言うと、背中まで向けられる。垣間見えたフリートの頬は僅かに赤らんでいた。

 激しい風は吹いたが、消すまでには至らない。火事の規模は変わらないまま、ひたすら燃え続けている。

 しかし、一点だけ違う所があった。畑の手前にさっきまではいなかった、リディスの半分ほどの高さの、長く赤い髪の妖艶な女性が浮かんでいたのだ。豊満な胸に露出の高い服を着ているため、目のやり場に困る。

 彼女は畑の主に向かって語りかけた。

『――畑が惜しいか』

「無くなってしまっては生活できません。すべてを燃やすわけにはいかないのです!」

『そうか、わかった。我、火の精霊サラマンダーの力を用いて止めてやろう。だが次に己の不注意で燃えたとしても何もしないからな』

 そう言い放たれた畑の主の顔は、血の気が引いていた。

 赤い光に包まれた火の精霊は、炎の中心地に向かう。そしてそこから激しい光が飛び散った。

 またも目を守るためにリディスは瞑るが、今度は足をしっかり踏ん張る。

 やがて光が収まり、目を開けると、焼け焦げたくすぶった臭いが辺りに漂っていた。赤々とした炎は消え、かわりに黒焦げた畑だけが残る。

「おっさんの不注意だったとはいえ、火の精霊の加護が働いたみたいだ。良かった、良かった」

 陽気に笑うトルだが、初めて加護を見たミスガルム領の三人は呆気にとられていた。リディスが目を丸くしてトルを見る。

「火の精霊が今回みたく力を貸してくれるの?」

「そうさ。火に関係することは精霊が対処してくれることが多い。雨がそこまで多く降らないから、今回みたいな事故も多いのさ」

「でも聞いている限りでは、必ずしも対処してくれるってことではないようね。精霊の気まぐれによるの?」

「ああ。だから皆、崇めているんだ。いざというときに助けてもらえるように。流れ者は別だが、昔からいる人間は火の精霊を信仰しているのも多いのが領の特徴だな」

 手を腰に付けて、嬉々とした表情で言う。そういう彼も信仰者の一人なのだろうと思った。

 火の精霊の加護を直に目撃した後、再びリディスたちはヘイム町に向かって馬を走らせた。体に当たる風は少しずつ熱気を帯びていき、額にはうっすら汗が浮かび出す。

 次第に暑さや長時間の移動により、会話の数も少なくなってきた。リディスの疲労も溜まってくる。

「ロカセナ、帰りもこんな風に陸路を通るの?」

「聞いた話だと、帰りは海路の予定。ちょうどいい時期に定期便が出るから。フリートには辛いだろうけどね」

「そうなんだ。なら安心――」

 馬に触れていた右手が汗の影響で滑り、そのまま体がずり落ちそうになる。間一髪のところでロカセナが止めてくれた。大きく綺麗な手がリディスの腕をしっかり掴み、元の位置に戻してくれる。フリートよりも華奢に見えるため、力はあまりないだろうと思っていた。だがやはり男。リディスより遥かに力はあった。

「ご、ごめんね……」

「気を付けて。あとあまり無理しては駄目。道端で倒れられたら、こっちも大変なんだから」

「ロカセナ……」

「慣れない道中に疲れているみたいだね。環境が変わると体調を崩しやすい。何かあったらすぐに言って」

「……わかった。心配かけて、本当にごめん」

「僕でよかったら寄りかかって構わないよ。その方が楽でしょう」

 その言葉につられて、リディスは体を後ろに倒すと、背中がロカセナの胸にあたった。背中が何かに対して寄りかかれたことで、負担が軽くなる。同時にすぐ傍にロカセナがいるということも示唆しており、逆に緊張してきた。べとついた肌の存在を気にしてしまうとはどうかしている。

「また坂道だね。しっかり握っていて」

 しかしリディスの想いなどロカセナはまったく気にすることなく、馬を勢いよく駆け登らせる。いつもは仏頂面の青年の傍で穏やかな表情で優しく振る舞っていたため、その勢いの良さは新鮮だった。


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