光を頼りに進む道(4)

 リディスはファヴニールが他者を値踏みしている様子と、緊張気味のフリートを見比べた。どちらも相手の出方を伺っているようである。

 程無くしてファヴニールがマントを翻し、リディスたちに背を向けると、フリートが慌てて声をかけた。

「待っ……」

「詳しい話はあとだ。まずはリディスを休めさせる必要があるだろう。近くに俺が泊まっている宿があるから、そこまでついてこい。そこで寝ている男たちは、通り道に詰め所があるから、捕まえるよう伝えておこう」

 有無を言わせない様子に、あのフリートが押されている。彼はたじろぎながら首を縦に振った。

 リディスはぼんやりとファヴニールの大きな背中を眺めた。

「リディス、あの人と知り合いなのか?」

 立ち上がると、フリートに不思議そうな顔で囁かれる。

「ええ、私のショートスピアに還術印を施してくれた人。その後も基本的な還術の仕方を教えてもらったり、時々町に寄ってくれた際には稽古を付けてもらったわ。だけど、しばらく連絡が取れなくなって……半年ぶりというところかしら」

「なら、腕利きの還術士というのは間違っていないようだな……」

「ねえ、城に再び迎え入れたいって、どういう意味?」

「そのままだ」

 素っ気なく返されて、少しだけ頬を膨らませた。腹を殴られた衝撃や還術するのにかなり集中していたため体力は減少気味だが、まだ動ける範囲ではあったため、リディスは一人で歩を進め始める。そんなリディスに対してフリートはすぐ横に、ロカセナは後ろに付いて歩く。そしてぼそっとフリートに呟かれた。

「あの人は昔、ミスガルム城の専属の還術士として仕えていた、三年前まで」

 初耳だった。

 だが今、詮索をしてもファヴニールに置いて行かれるだけ。ぐっと言いたいことを飲み込んだ。

 暗がりの静かな路地裏を出ると、明るく騒々しい表通りに出た。今さっきまで、この裏で戦闘を繰り広げていたというのに、この様子を見ると拍子抜けしてしまう。逆に言えばあの時モンスターを逃してしまったら、この明るい空間は、恐怖に満ち溢れた空間に変貌したのかもしれない。

 恐ろしいことを察しつつも、ゆったりとした歩調で進んでいるファヴニールの後を追った。


 表通りを抜け、人の往来が少なくなったところに、ファヴニールが滞在している宿はあった。少し寂れた宿で、リディスでも存在を知らない建物である。

「寝るだけの宿だから、リディスには少し居心地が悪いかもしれないが、いいか?」

「構いません。座れれば今はそれでいいので」

 宿に踏み入れ、ベルが置いてある無人のカウンターの脇を通り、一番奥にある部屋へ進む。ドアを開けると、ベッドと机、椅子が一つずつ置いてある、簡素な部屋が広がっていた。

 リディスはベッドの端に座り込み、壁に寄りかかって呼吸をする。思ったよりも疲労が溜まっていたらしい。安全な場所だと認識すると、全身に一気に重力が伸し掛かってきた。心配そうな表情で男たちは見てくるので、リディスは静かに微笑み返す。それにつられて三人はやや表情を緩ませた。

 ファヴニールはリディスから視線を離すと、椅子に座り込む。そして腕を組んで、緊張気味の表情で立っている二人の青年を見た。その目つきは、リディスに向けるような優しさが密かに込められているものではなく、完全に警戒しているものだった。

「さて、話の続きを一応聞こうか。格好からすると、お前らはミスガルム城の騎士団員というところか」

「そうです。第三部隊のフリート・シグムンドと」

「同じく第三部隊のロカセナ・ラズニールです。ファヴニール様の噂は、第三部隊長や姫様からよく聞いています。還せないモンスターは存在しないほどの腕前だとか」

 フリートは直立不動のまま、ロカセナは愛想のいい表情でファヴニールの出方を伺っている。

「姫様……か。元気か? 昔よりさらに綺麗になっただろう」

「ええ、年々お綺麗になっていますよ。そんな姫様もファヴニール様が去った後は、非常に落ち込んでいたそうです。……どうですか、一度お顔を見に来られませんか?」

「断る」

 即答をされ、フリートの眉間にしわが寄った。ロカセナも続けようとした言葉が止まってしまう。ファヴニールは目を細めて彼らの様子を見ていた。

「俺は城に戻るつもりはない。それは散々隊長格の人間に言ったはずだ。わざわざ探しに来たのはご苦労なことだが、残念だったな。早く城に戻るがいい」

 それで終わりだと言わんばかりに、ファヴニールは立ち上がり背を向ける。交渉が決裂して重苦しい空気が漂うが、それを打破するかのように、フリートは黒い瞳でファヴニールを見据えた。

「それは――」

 次の言葉を聞いて、リディスは目を大きく見開いた。


「還術ができないからですか?」


 数瞬、沈黙が続く。フリートはファヴニールの背中を見つめたまま、回答を待つ。

リディスは壁から体を離し、信じられないような想いで見つめていた。誰が見ても羨むほど非常に鮮やかに、そしてどんなモンスターでも還していた人が、まさか――。

「……根拠は」

 振り向きもせず、ファヴニールは低い声で淡々と問いかける。

「貴方は一度もご自分のことを‟還術士”と言っていないことだけでは、根拠としては弱いですか? ――貴方と出会った直後の言葉、モンスターを追い詰めるという表現を使っていた。還術士なら還すという言葉が真っ先に出るのではないですか? そこから違和感を抱きました」

 たしかにファヴニールと再会した時、彼が喋った言葉に少しだけ引っ掛かりがあったのは、リディスでも感じ取っている。だが、そこから還術が使えないという突飛な考えまでは及ばなかった。

 ファヴニールは頭をかいて、フリートの方に振り向いた。薄らと笑みを浮かべている。

「ただの平としては頭が回るんだな。直球過ぎる聞き方じゃなかったら、諜報役としても使えそうだ」

「……お褒めの言葉として受け取ります」

ファヴニールは肩をすくませて、視線を天井に向ける。

「お前の言う通りさ。俺は還術ができない、ただのちょっと剣術が上手い男に成り果てた――」

「どうしてですか? 強力な還術印を施せるほど、凄い腕をお持ちなのに!」

 リディスは驚きの告白に、反射的に言葉を発する。それを諫めるかのように、穏やかな表情を向けられた。

「事情はわからないが、武器に光がまったく灯らなくなったのさ。異変を感じたのは三年前。還せる時と還せない時がでてきた。それは日に日に悪化して、このままだと完全に還せなくなると思い、事情を話して城から去ったのさ。そして半年くらい前に、完全に還せなくなった……」

 ファヴニールはポケットから魔宝珠を取り出し、片刃剣のファルシオンを召喚させる。刀身は短く身幅が広い、刃は弧を描いているが峰は真っ直ぐで、先端寄りに重心が置かれている刀剣だ。乱雑に布で巻かれたそれを一番近くにいるフリートに渡した。

「拝借させて頂きます」

 フリートは畏まりながら布を取り外し、刃の部分を見た。光沢で刃の部分は煌めいている。だがそれだけだ。

「どうだ、何か感じるか?」

「何も感じません。一般的に売られている剣と変わりありません」

 口を一文字にして、フリートは黙り込む。

リディスはよろよろと立ち上がり、フリートの隣に行くとファルシオンを持たされた。還術印が施されていれば、微かに温もりが感じるはずだが、彼の言うとおり何も感じなかった。

「いつも使っていた武器に還術印がなくなった。それなら他の武器に印をもう一度施せばいいって思うだろう。だがな他人に施してもらっても、俺自身が還術できなくなっていたから意味がなかった」

 ファヴニールはリディスからファルシオンを取り上げて、魔宝珠に戻す。

「……還術ができないって……どうして……」

 どうにか振り絞って言葉を出した。ファヴニールはしゃがみ込み、リディスの頭を撫でながら、視線を合わせる。

「前にも言ったが、還術は生まれ持った感覚でそれなりに良し悪しが変わる。そのため術士の中でも感覚派と努力派で分かれる傾向がある。俺は典型的な感覚派。何らかの影響で感覚が狂ったと思えば、還術ができなくなってもおかしくない」

「何らかの影響って何ですか?」

「わからない。だから俺は探している、還術ができなくなった根本的な原因を」

 ファヴニールは腰を上げて、横目で窓の外を見た。ちょうど夕陽が窓から射し込み始めている頃で、ファヴニールの顔を赤く照らしている。

「還術については知らないことが多すぎる。モンスターを還した先さえもわかっていない。おそらく還すために必要な魔宝珠、そしてそれを生み出す樹が、還術には大きく関係していると思っている。さすがに消えた樹を探すのは無理だが、樹について残っている伝承を探れば、『還術とは何か』を知れる可能性がある。それを知れれば、できなくなった原因も推測できるはずだ。そういう理由があって旅に出ている」

「還術について調べる……」

 根本的なことを理解すれば、還術で苦しんでいるリディスの状況も変えられるかもしれない。

 いつもは多少自分で考えてから質問をするが、今は思ったことをすぐに言葉にした。

「あのファヴニール先生、還術をする時に、術者に対して副作用のようなものは起こりますか?」

 リディスの横にいるフリートが目を見張っている。ファヴニールは怪訝な顔をしていた。

「副作用? 体力や精神力が削られるくらいだろう。膨大な集中力を使うんだから」

「いえ、違くて……。還した直後に悲鳴のようなものが聞こえたり、惨劇が脳裏をよぎったり……」

 なるべく意識をしないようにリディスは淡々と言うが、脳内にあの光景が染みついているのか、途端に蘇ってきた。下がっていた視線が震えている手を捉える。両手を強く握りしめて、少しでも抑えようとした。

 ファヴニールを見上げて反応を伺うと、軽く首を横に振られた。

「そんな話は聞いたことがない。リディス、そんな状況になったのか? いつからだ?」

「数日前に結界を張り直した時に還してからです。何か心当たりはありますか?」

「つまり最近か。残念だが俺にはわからない。……仮に俺が還術できなくなったのと、リディスが妙な現象にあったのが同じような原因というのなら、何かの前触れかもな」

「還術に関しての?」

「還術だけでなく、モンスターにも関連している何かだと俺は考えている。最近やつら強くなっていないか? 全体量や人を襲うモンスターの数が増えている。徐々に加速するかのような増え方は異常だ」

 ファヴニールは軽く腕を組んで、視線を横に向けた。

「その事実に城は気づいているから、俺を探すよう言われたんだろう、騎士のお二人さん」

 フリートとロカセナが首を縦に振る。ファヴニールはフリートたちの横を歩き、通り過ぎたところで背中越しから顔を向けてきた。

「俺としてもシュリッセル町やミスガルム城、そして他の町村に住む多くの人たちを守りたいという想いはもちろんある。だが還術ができなければモンスターは還せず、根本的な原因を除去することはできない。だから俺は再び還せるようになるために、引き続き各地を回る。――森の奥地までもな」

 ファヴニールの瞳の奥に灯っている火を垣間見て、リディスは背筋を伸ばして声を前に出した。

「私に対して起こっている不可解な現象も、還術について知ればどうにかなるのでしょうか」

「わからない。だが、知れば何かが見えてくる可能性はある」

「なら――」

「駄目だ」

 ファヴニールはリディスが発しようとしていた言葉を即座に遮った。

「探すのなら俺とは違うやり方で探せ。俺は自由奔放に各地を駆け回る。それを共にするのはお嬢さま育ちのリディスには辛いだろう。なんなら――」

 フリートとロカセナを見渡してから、リディスに視線を戻した。

「まずは城に行ったらいい。あそこは色々な人が入り込んでいるから、ここよりもたくさんの情報を得やすい。俺は城から飛び出してきた身だから連れて行くことはできないが、騎士なら簡単に連れて行けるだろう」

 その内容を隣にいる黒髪の青年にも言われたのを覚えている。何かを知るにはまず城下に行けということか。

「それか、もう還術しないのも手じゃないのか?」

 ファヴニールから提案される、優しさとも受け取れる言葉。しばらくは夢を見る度にうなされる日々が続くが、日が経てば何事もなかったかのように、生活ができるかもしれない。

 また還術士ではなく、結術士に転向するのも有りだろう。還術士でも結術士でも町の人たちをモンスターの脅威から護るのには変わりない。

 だが、果たしてそれらの選択をするのが、リディスにとっては最良なのだろうか。

 強化した結界を張るのはたしかに重要だ。しかし現実問題、度々結界が破られたり、結界の隙間からモンスターは侵入してくる。結界だけでは完全にモンスターの脅威から逃れることはできない。

 実際リディスもモンスターに襲われ、殺されかけた時があった。幸運にも偶然町を訪れていた還術士が還してくれたため、大事に至っていない。

その時、初めてモンスターに対して多大なる恐怖を感じた。同時にリディスの不安を鮮やかに消し去ってくれた還術士、に強い憧れを感じた瞬間だった。リディスはその時の出来事と当時決意したことをふと思い出す。


 人々を護るために還術士になりたい。そして還術士として生き続けたい。

 そのためには、自由自在に還術をできる状態でなければならないし、もっと強くならなければならない。

 だから――。


 リディスは緑色の瞳でファヴニールを見て、一音一音はっきり口を開いた。


「――いえ、還術はし続けます。かつて決意した私を裏切らないためにも。けれど今の状態では他人に迷惑をかけるだけです。だからその状態を改善するために、自分で解決策を見つけ出します。――フリートにロカセナ、私を城下へ連れてって。多くのモンスターを還し続けて、人々を護るために」


 リディスの決意の言葉に、フリートは力強く頷き、ロカセナも穏やかな表情で頷いてくれた。視線を戻せばファヴニールが腕を組んで、体ごとリディスに向けている。その表情はどこか嬉しそうだった。

「さすが俺の弟子と言ったところか、いい返事だ。二人ともリディスを頼むぞ。俺の方でも何かわかったら、家か城に匿名で手紙を送るさ。――しかしリディス、オルテガさんにはどうやって説得する気だ。典型的な貴族の考えを持っている人だろう。町の外に出るなんて許してくれるのか?」

「そ、それは……とりあえず話をしてみないと……」

 町を出るための最大の難関を思い浮かべ、しどろもどろにリディスは答える。

何かを思いついたのか、ファヴニールはにやりと笑みを浮かべた。

「いい言い訳があるぞ。この前のモンスターの攻撃で体に悪影響が及び、子供が産めない体になったから、それをどうにかするために――」

「誤解を招くような、変な言い方はやめてください!」

 即座にファヴニールの考えを打ち切った。

 だが極端すぎるくらいの理由がなければ、オルテガを説得することは難しい。難しい顔で考え込んでいると、ロカセナが不敵な笑みを浮かべてリディスの肩を軽く叩いた。

「まあそこら辺は心配しないで。僕に任せてよ」

 この微笑みの貴公子は口も達者なのかもしれない、と感じた瞬間だった。


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