夜の訪れ⑤ 『降臨する悪魔』
黒い瘴気が蔓延する。ただでさえ宵が回ろうとしているというのに、一層、この森は暗く、闇を深くしている。木々が風に揺れ、瘴気は更に拡散される。
足の震えが止まらない。今すぐに目を閉じたい。逃げ出したい。しかし、ちっぽけな自尊心が、逃げることを許さない。いや、分かっている。逃げてはいけない。逃げることを許してはいけない。
「その瘴気に近づくなよ……吸い込んだら、体が中から腐敗していくからな……」
「「……」」
シュードさんの警告に答える余裕はない。嫌な汗が止まらないし、目が泳ぐ。全身の神経が尖っているのを感じる。アルフィーも同じなのだろう。
前に進む。前に進むたびに、瘴気はより多くなり、本能はより、逃走の意思を強くする。
周囲の魔力が……普通なのが、逆に恐ろしい。不気味さを増している。なんなんだ。なんでこの、呼吸すらもしづらい重苦しい空気で、こんなにも普通で、異常なんだ。気が狂いそうだ……。
……近づいている。恐ろしい深淵の中央に。
そして、辿り着いた。
その中心部の地面は黒く。そして周囲の木々は何かが爆ぜたように、なぎ倒され、黒くなっていた。しかし、それは炭化したわけではない。魔力によって、黒く変色したのだ。その場所に、一切の自然はなく。ただただ、闇の到来を告げるように、暗闇と虚無が存在している。
瘴気が、空気の代わりに存在していた。重苦しい。体に重圧を感じる。星の引力ではない。もっと、のしかかるように、それを感じる。
「ハアッ!!」
シュードさんが、抜剣し、正面の宙を切る。赤い剣は、燃えるようにその存在を主張し、瘴気を払った。
そして、瘴気が消えたその先に、見えるもの。
その血肉は、金属の鎧と剣を包むように、地面に溜まっていた。もう、人の原型すらない。それらは、徐々に黒くなった地面へと吸い込まれている。そして、その血肉の上、宙に浮かぶ人影。角、羽、尻尾……そして、放たれる強烈な悪性の魔力。
そして、その者は声を発した。艶のある妖しい声。耳から入り、直接心を撫でられるような、内側を弄られるような、快感である不快。
『あらぁ~もういらしたの? 相変わらず、早いのね……ゾクゾクしちゃう』
宙で己の膝を抱えながら、こちらを見下ろすそれ。
角、羽、尻尾……。ピンク色の髪と、真っ白な肌。そして、吸い込まれそうな赤い瞳を除けば、全てが黒い。体を強調するように、露出の多い服を着ていて、そこから覗かせる艶美な肌。女性らしい体つきを強調し、人を誘うような態度で、それは顕現していた。
その悪魔は、元の宿主だったであろう、血肉を指につけ、口元へ運ぶ。その動作も、艶かしい。しかし、劣情は刺激されない。それ以上に、この存在に恐怖しているのだから。まるで、深淵。暗い魔力が、今もなお、豪風のようにあたりに吹き荒れているのだから。
恐怖の存在に、刺激される。耳を犯され、目を眩ませられる。なのに、本能はずっと警鐘を鳴らす。不快。全身に不快感が走る。
「悪魔ッ……やはり!」
振った剣を正面に構え、そいつを見据えるシュードさん。すごい。彼はこの悪魔と対峙して、何も揺らされていない。強い心を持っている。
「……マジで耳塞ぎてえ。目も」
対して俺は、今すぐに逃げ出したい。耳から入り、心を撫でるような声。全てを惑わすような扇情的な見た目。全てが不快である。ていうかあれ、服なのか? 生態の一部なのかな? くそ。この、暗い雰囲気がなければ、ただのエッチなコスプレしてるお姉さんって感じなんだがな。はあ、怖い。
「ぅぅ……やっばい……この存在感……!」
アルフィーを見ると、同じように震えていた。よかった、お前と一緒の感性で。
うぅ……身震いが。魔性体になった影響か、この悪魔の魔力が、脳内に流れ込んでくるみたいだ。怖い怖い怖い怖い。
「……ふぅ」
深呼吸して、感情の整理をつける。
大丈夫。大丈夫。大丈夫じゃないと、ダメなんだ。今は。怖がるのは、死ぬ直前にしやがれ、俺。
「……リーフ」
『……』
リーフを呼ぶ。その頼れる相棒は、すぐに俺の前に現れた。そして、その目線を悪魔へと注いでいる。
そして、悪魔の赤い双眸が、俺を向く。
『……精霊を使役してる人間なんて、珍しいわね。あら? あらあら?』
悪魔は、自分の唇に手を触れ、嘗め回すように俺を見て言った。そして、わざとらしい喋りで、何かを疑問に思っている。
『――あなた……私たちと一緒じゃない?』
一緒……? どういうこと――
「――フンッ!!」
その悪魔を見て、思考をしている最中、突然悪魔の後ろにシュードさんが現れていた。そして、迷わず剣を悪魔の首へと振るっていた。全身がぶれるほど、素早い跳躍と攻撃。目で追うのがやっとの、圧倒的な速度。これが、A級冒険者。
悪魔は、顔を前に向けたままだ。つまり、気づいていない。
『――――不躾ね』
空中で、シュードさんの剣は、止まっていた。その剣先に、幾何学模様の壁。それは、悪魔を中心として、球体を象っていた。
障壁。一見したものを一言で表すならば、それは障壁だろう。よく見ると、魔力が実体化したものだ。それを自分を囲うように展開している。
恐ろしいのは、その表面積で展開するには、かなりの魔力を消費しなければならない。加えて、維持するのにも。そして、それをいとも容易く発動させ、加えて、シュードさんの攻撃を防ぐほどの耐久性を持ったもの。
大魔法、と言ってもいい。それでもなお、悪魔の持つ魔力は減っていないのだ。
シュードさんは攻撃が弾かれて、空中で無防備に。そして、悪魔がシュードさんに向けて、右腕を向けた。
『私が躾けてあげる』
――――まずい。そう思って駆け出そうとする俺を押しとどめるように、シュードさんがこちらを見ていた。
俺は大丈夫だ。そう言ってるように見えた。
そして、スローモーション。悪魔の右手に、濃密な魔力が集まっていく。瞬時にそれは、破壊の力へと変換されていく。
暗闇。闇の力が、レーザーのように放出された。凄まじい力の奔流に、空気が揺れる。シュードさんはその力の中に消え、そして、その力は地面と激突し、水流がはじけるように、あたりに闇の破片を飛ばした。
「シュードさん!!」
アルフィーが叫ぶ。
「……大丈夫だ。俺たちは攻撃の準備をするぞ」
「え……大丈夫って……」
そして、悪魔の声が、やけに強く響く。
『あらら、避けられちゃった』
悪魔の視線の先は、闇の破壊が行われた場所ではなく、全く違う方向。その方向を見ると、シュードさんは剣を構え、前傾姿勢になっていた。つまり、もう既に攻撃態勢に入っている。
「フッ!!」
シュードさんの力む声を合図に、化け物同士の戦いが始まる。
人影がやっと見えるか、という速度でシュードさんは飛び回る。そして、悪魔に向かって突進するたびに、剣が何かに弾かれる音、魔力障壁が活性化される。そのたびに、悪魔はその方向へと闇の力を放つ。それを避け、再度高速で駆け、跳ね、幾度も攻撃を重ねていく。何度も何度も。
これが、ヤムチャ視点というやつか。リアルで見れるとはな。正直ついていけない。
だが、やれることはある。
「アルフィー」
「分かってる。別々で……」
魔法による攻撃。アルフィーは、共同で何かをやるより、別々でやったほうが良いと判断した。なら、従おう。
「分かった。リーフ、やるぞ」
『うん。全力で』
リーフに右手を差し出す。そこに重なるように、リーフの両手が乗る。お互いの魔力を、その接点に集中させていく。
目を閉じる。攻撃にのみ意識を向けろ。今は、魔力をただ練るんだ。あの人を信じろ。今は……。
隣のアルフィーの魔力も、急激に高まっていく。今まで感じたことのない魔力の変化だ。その量も凄まじい。
俺たちは、後衛。ただ、攻撃にのみ徹するのだ。
そして、目を閉じていても感じる。それが、迫ってくるのが。
『――――坊やたち、何してるの~?』
耳元から、聞こえてくる。近い。悪魔の魔力が揺らぐ。攻撃されそうになっている。でも、信じて魔力をひたすらに増幅させていく。
そして、信じる人は来る。
「こいつらには、指一本触れさせない」
また、耳元から。地面を踏みしめる音、そして、風切り音。次いで凄まじい剣の音が響き、風が吹き荒れる。
『きゃ!』
悪魔の魔力が、何かに弾かれるように遠ざかり、爆発したような音が隣から聞こえる。シュードさんが剣で悪魔を飛ばし、そして追いかけていったのだ。目を閉じていても、分かる。
『――――ラ』
リーフが、何かを口ずさむ。どこかで聞いた、月明かりに歌っていた。リーフから流れる魔力が急激に増える。魔法は、段々と構築されていく。
その間も、遠くで剣戟のような音は鳴り響く。それがリズムのようになって、リーフの言葉を、歌へと昇華していく。
俺の魔力が、増幅していくのが分かる。リーフと共鳴して、高まっていく。
やがて、完成した。目を開け、振り向くと、アルフィーもこちらを向いていた。そして、頷いた。アルフィーの杖の先端にはめ込まれた、魔石が、光り輝いている。濃縮された魔力を感じる。
「シュードさん!!」
「おうッ!!」
声を張り上げ、シュードさんに攻撃の準備が伝える。そして、シュードさんが飛び回るのをやめて、地面に立ち、剣を天に突き刺すように掲げた。
次の瞬間、シュードさんの剣から、炎の柱が迸る。それは、天を突かんとばかりに高々と噴き上がり、己の力を主張していた。
悪魔は、ただ呆然とそれを見上げていた。
炎の柱は、燃え上がるのをやめた。その炎を固定し、変化させ、それは一つの巨大な剣となった。暗い空を、森を赤く照らす、一筋の光。
「
シュードさんの怒号と共に、炎の剣は一直線に悪魔へと振り下ろされた。
凄まじい熱風があたりに吹き荒れ、地面に蔓延っていた暗闇は、炎の明かりによって浄化されていく。次いで、地面がその熱によって溶けていく。
『これは……かつての……!』
悪魔は悲鳴に似た声をあげ、両手を落ちてくる炎の剣に向けた。
『
そして闇の力を放出する。今までよりも太さが増した、深淵を思わせるレーザー。
炎の剣は、闇の力を正面から両断していく。空に向かって、二又に分かれた闇の線が走る。徐々に、炎の剣は闇の奔流に逆らい、沈んでいく。
そして、悪魔の障壁へと辿り着いた。
「うぉぉぉおおおッ!!」
『んん……やば……っ!』
炎の剣が障壁に接し、お互いが揺れる。揺らめくたびに、少しずつ、障壁に罅が入っていく。
――――パリン
障壁が、割れた。宙に幾何学模様の破片が舞い、一部が割れたことによってか、障壁が実体化し、そして消失した。
同時に、炎の剣は障壁が破れた衝撃で折れる。剣先が宙で炎へと変わり、熱風を発して消える。やがて炎は、赤い剣元へと収束し、シュードさんの手元に収まった。
体勢を崩しながら、シュードさんが叫ぶ。
「いまだッ!!」
アルフィーとリーフ、そして俺が息を大きく吸い、ここに叫ぶ。宣言する。力の顕現を。招来を。今、此処に。
『燃え尽きる運命』
『『
俺とリーフの繋いだ手から、太陽が生まれる。アルフィーの杖から、先ほどのシュードさんが放った炎の柱と見まがうほどの熱線が放たれる。
太陽は俺を包み、アルフィーを包み、周囲の木々を浄化し、そしてシュードさんを包んだ。そして、熱線を後追いするように、あたりを光で包んでいく。
そして、全てを燃やし尽くす熱線が、太陽の光を巻き込み、収束していく。炎と光が絡みついた一つの力の線となって、真っ直ぐとその悪魔へと向かっていく。
『人間風情が……ッ!!』
悪魔が初めて怒りをその顔に滲ませる。そして、両手を合わせて、深淵のような闇の力を、放出した。
正面から、力がぶつかり合う。闇を作る存在と、光を作る存在の衝突。それは、拮抗状態を生み出して、中心部で力の爆発を起こす。
周囲に闇と光が飛び散り、そして霧散していく。その間も、お互いの力はぶつかり合う。地面は消し飛び、空気すらもそこに飲み込まれていく。
だが、拮抗状態は破られる。
太陽が肥大化し、陽光で辺りを包み始める。炎と光の熱線を後押しするように、太陽は膨れ上がる。徐々に、闇は消えていく。浄化されていく。
『ふ、ふざけるなッ! この、セレナード様がッ! こんなところで……!』
太陽は無慈悲だ。そして、慈悲の光だ。光は、万物に与えられる。強制的であり、そして、救い。
闇を飲み込み、そして、悪魔すらも、光に包み込む。
『あ――――』
空間に、光が満ちた。
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