夜の訪れ③ 『異常の騎士』


 暗い森の中を一人の少女が駆ける。白いドレスに身を包んだ、姫様のようなその少女はこの森とは酷くそぐわない。光り輝く金色の髪は、暗い森では主張が強い。その有様が、森がまるで少女を異物として扱っているようだった。その少女は……深窓の令嬢というような相貌なのだから。


 少女は目に涙を浮かべながら、ひたすらに走っていた。


「はっ、はっ、はっ……」

 緑の匂いが漂う。凍てつくような外気を、必死に取り込んで、吐いて。ドレスを持ち上げながら、懸命に少女は走る。


「はっ……あっ!」

 転がっていた小石に躓いて、少女は転ぶ。受身の取り方も分からず、顔を地面に擦った。白いドレスは土に塗れ、可憐とは言えなくなった。


「……んんん! ぁぁ……立つのよ、私。逃げるの……っ!」


 そのときだ。


「――どこに逃げるんですかなぁ? 麗しい王女さまを一人、こんな暗い森に彷徨わせるなど、不安で仕方ありませんよ~」

「……っ!」


 少女は、転んだ姿勢のまま、顔を後ろに向けた。そこには、剣先を弄ぶようにしながらゆっくりと近づいてくる男がいた。

 そして同時に、少女はあることに気づく。顔が、青ざめていく。


「――ベルス、は?」

「ベルスぅ……? ああ、あのメイドのことですかな? ――くそ畜生が!! 汚らしい下等生物の分際でッ!! この我を! 侮辱したんだあああッ!!」


 急に、狂ったように喚き散らす男を、少女はただ呆然と見守るしかできなかった。この隙に立ち上がり、逃げようというような考えは、どこかに霧散していた。


 それほどまでに、目の前の男が異常だった。


「忌々しいぃぃぃ!! 急いでいなければ! もっと甚振って! 目をほじくり出して、煮え湯を飲ませて!! あらゆる苦しみを与えてやったというのにッ!!」

「……」

「あああ!! 我は優しいのだ……。あの下等生物は恐怖に怯えていたからなぁ……一瞬で殺してやったよ。くそがッ!! くそがッ!!」

「――――」


 少女は、その事実を認識して、悲しみに暮れる。

 その間も、男は地団駄を踏みながら、罵倒を繰り返す。


「――はぁ……というわけですから、殿下。今すぐ一緒の所に送って差し上げます。悲しいでしょう? 悔しいでしょう? 今、優しい私が、ね?」


 突然、冷静になる男。少女の目には、男が狂っている化け物にしか見えなかった。

 それでも、少女は、負けていない。心は屈していない。少女は男を、キッと睨み続ける。


「……っ!」

「――なんだその目は。弱者がしていい目じゃないだろうがッ!! 泣き喚け!! 震えろ!! 我に許しを請えッ!! 生まれながらに王族というだけの、この、このッ!! 小娘がぁッ!!」


 男が剣を振るう。少女の周囲を、銀閃がきらめく。


 少女のドレスは切り裂かれ、玉のような柔肌が晒され、下着姿となり、あられもない格好へと変わった。

 少女はその間も、男を見ていた。瞬きすら、しなかった。


「ふはははっ!! 王族の娘も、こうなっては形無しだな!! こんな小娘よりも、我の方が王に相応しいではないかッ!!」

「――貴方が、王に?」

「あ?」


 少女はなおも、男の目を見つめ続ける。


「浅ましい。貴方が王になど、なり得ない」

「……どいつもこいつも……」


 少女は決意の目で、宣言する。


「もう一度言いましょう。――浅ましい! 貴方は、王の器ではない!」

「――馬鹿にしやがってえええええええッ!!!」


 男の剣が振り下ろされる。少女の目には、それがスローモーションに見える。


 それでも、それを見届けることはない。

 少女は、目を閉じた。晴々とした気持ちだった。



______



 ――――ギィン


 剣の音。

 目を閉じていても、いつまでも、体に痛みは走らなかった。


 恐る恐る目を開けてみると、目の前に立つ人がいた。中肉中背。茶色の地味な外套に身を包み、紫の剣を持つ、一見、ただの冒険者。ただ、この暗い森に溶け込むような、漆黒の黒髪。それが、一瞬で印象付けられる。


「間に合った……」


 この人は、息を切らしながら、私とあの男の間に割り込んできたんだ。


「あ、貴方は……?」

「姫さん……でいいのか? って、なんて格好してやがる」

「きゃっ……」

 その冒険者が、私を見て、慌てて着ている外套を放ってきた。それは、頭から被さるようにして降ってくる。


「下がってな」

「な、なんで……」

 その冒険者は、私を、見守るような慈愛の目で、見ていた。


「ん? なんでもなにも、女の子が危ないところだったら、助けるのが普通だろ」

「――――」


 私の中の、何かが溶けていく。緊張、恐怖、覚悟。そして――安堵。今までの全てが、虚勢だった。


 私は今、心から安心してる。

 涙が出て、嗚咽が止まらない。


「ふぅぅぇぇぇ……」

「お、おい……今はとりあえず、下がるんだ。大丈夫。お兄さんがなんとかするから……」

「私の兄さんじゃないいいぃぃぃ」

「そ、そうだけど……よしよし」

 頭を撫でられる。不躾だ。失敬だ。でも、不愉快じゃない。普段はされない、そんなことが、どこか安心をもたらしてくれる。


 私は、体を引きずるようにして、後ろの木に背を預ける。外套が、少し暖かい。少し臭うけど、それも、どこか安心する。


 私の目に、対峙する両者が映った。



______



「貴様……その声、あの時の男だなッ!?」

「あんたこそ、あの時の馬鹿か」

「――――」

 なんか身悶えしながらモスキート音を出してるんだけどこのおっさん。馬鹿っていうか、ただの狂人じゃねえか?


 その半狂乱状態が急に治まり、剣を構えた。そして、柔和な笑みを浮かべて言う。


「王女様を渡してください。私の目的は彼女なんですよ。私は無駄な殺生はしたくないのです」

「……」

 あの子、貴族の娘かなんかかと思ったら、王族かよ……。なんで王族がこんな内々に王都へ行く計画になってんだか。


 ……この男、多重人格かなんかかな。無駄な殺生したくないって、あのメイドを殺したのはこいつだろうに。


「渡す気はないですか?」

「まあね」


 その返事をしたときだった。


 ――ヒュン


 男が消え、真正面、剣を突くような動作で、迫っていた。


「ぅおっ」

 驚きの声が漏れるが、すぐに剣を動かす。相手の動きが早く、身のこなしでは回避できないと判断した。


 キィンっという剣戟が鳴り響き、火花が散る。男の突きを、剣の腹で受けたのだ。振動が腕に伝わってくる。

 火花の先、男の体が揺れる。そして、突きをまた繰り出してきた。狙いが読みづらい。下、か。


 足に力を入れ、後ろに飛び退る。一旦距離を取らないと……


「――逃がしませんよッ!」

「っ!」

 冗談きつい。後ろに全力で後退したのに、ぴったりと男が張り付いてきている。そして、また突き。

 厄介だ。身体能力の高さ、そして、行動の先読み。また、奴の攻撃が、防御や回避がしづらい突きってのが苦しい。


 攻撃を捌き続ける。剣戟が鳴り続ける。攻めに転じれない。


(こいつ、対人慣れしてやがる……!)


「私は貴族として、剣術の教育を受けていますからね! ほらッ! 足! 腕! 肩! 甘い甘い! 弱い癖してよくも馬鹿にしてくれたなぁッ!?」

「くっ……」

 捌ききれないので、致命傷にならない攻撃をそのまま見過ごす。足、腕、肩に切り傷ができたのが分かる。防具がついていないところを的確に突いてくる。こいつ、頭は悪いが、技術は本物だ。


 そして、段々と体勢が崩れてくる。やがて、足の踏み込みに十分の力が入れられなくなった。まずい。


「リーフ!」


『――衝撃波インパクト!』


 相棒の名を呼ぶ。リーフはすぐにその場に現れ、両手を男に差し向け、自然魔法を使って敵を吹き飛ばした。


「――ぉおおッ!? なんだ、今のは!!」


 男が吹き飛び、受身を取りながら叫ぶ。相手からしたら、見えないところから衝撃が襲ったようなものだろう。


「リーフ、こいつ、恐ろしく強い。援護頼むぞ」

『うん』

「ガキがッ!! 今何をした!!」


 男は怒り狂ったように飛び込んでくる。段々、男の動きを目で捉えられるようになってきた。

 その場で、後ろに飛び退る。俺のいた場所に、とてつもない勢いで剣が振り下ろされた。


「逃げるかッ!! 恥を知れ!!」


 左手の弩を男に向けて、右手で弦を解放する。勢いよく矢は放たれた。


「なっ!? フンッ!」


 男は剣でその矢を切り上げる。しかし、その一瞬、剣を振るうことに意識が向いた。


「リーフ!」

衝撃波インパクト!』


 男の背中に向かって、リーフが衝撃の魔法を放つ。


「がぁ――」


 男が俺のほうに向かって、体勢を崩す。俺はもう既に、剣を振るっていた。


 もらった。確信した。


 その時、男の顔が歪んだ。

 それは、痛みを感じていたり、恐怖を感じていたりではない。それは……勝利を確信した、下卑た、余裕の笑み。


 直感で、この行動はまずいと理解する。だが、もう遅い。剣は、男の首を狙って振り下ろしている。



 男は、口を動かした。


卑貴の剣ブランディッシュ


 男が体勢を崩したのは、わざと。俺に、決定的なまでの近距離に踏み込ませるための、布石。



 男の体がぶれる。俺の目には、剣光が三度閃いたのが見えた。


 直後、襲う衝撃。プレートアーマーに凄まじい衝撃が三度、走る。猛烈な痛みは、運動エネルギーとなる。


「――がっ」


 とてつもない力を叩き込まれ、吹き飛ぶ。その勢いは止まらず、後ろの木に激突するまで、止まらなかった。


 ――ゴッ


 背中から木にぶち当たり、内臓に衝撃が来る。肺から急速に空気が漏れ出て、口から無理やり吐き出される。同時に、口の中に血の味、鼻の奥の鉄の臭い。


 地面に落下する。なんとか受身を取るが、腕が震えている。


「――おやぁ? どうしたのかな? 我に啖呵を切った癖に、雑魚がッ!!」

『ソラク!』

「ああっ!」

 姫さんとリーフの声が聞こえる。聴覚には異常はない。


「カハッ! ……はぁ……はぁ……」

 大丈夫だリーフ。まだやれる。

 目、大丈夫。全身の感覚、異常なし。でも、胸が痛い。


 胸を見ると、プレートアーマーがへこんでいた。斬撃の跡が三つ。あの一瞬で、三度の斬撃。あれがスキルの力……。

 下手したら、あばらの骨が折れてるかもしれない。少し動かすだけで、ズキズキする。ジジイに防具を貰ってなかったら、今頃死んでる。剣もだ。


 はあ。悔しいが、技術は向こうの方が上だ。格上。対人戦の経験の差を強く感じる。つーか、あいつ貴族かよ。剣術習ってたとか……対人専用だろ? 無理ゲーじゃん。


「お前はもっと苦しめてから殺してやろう! それがいいな。まずは右足から壊して。次は次は……」


 まるで子供のように、俺の壊し方を考える男。


「ははっ……まじで狂ってんな」

 実際にやられそうだ、と自虐の笑みを浮かべながら、剣を構えなおす。


 あれを試そう。やるしかない。


「リーフ、試そう」

『分かった。いくよ!』

 リーフが剣に魔力を送り始める。


 ジジイが言っていたことだ。この剣は影の鉱石で出来ている。魔力に順応していく剣。そして、魔力には種類が存在する。元々の、何も含まれていない純粋な魔力と、詠唱や魔方陣などの工程を踏まえ、


 考えていたことだ。もし仮に、属性魔法に使う魔力を剣に込めたらどうなるか……。


 一番得意な、風の魔力。



『ん~~!』


 リーフが剣に両手を当てて、魔力を流し込み続ける。やがて、剣は光り輝いていく。徐々に刀身全体が光りに包まれていき、光からは、微風が漂い始めていた。


 ――――ヒュゥゥ


 一際強い風が発生して……そして、光が収まったときには、翠の剣がそこにはあった。淡い光を、風を纏った、剣。


烈し風纏いソードオブウィンド


 構えた剣からは、確かな力を感じた。


「何をしたんだ? 無駄な抵抗か? いいぞ。弱者の努力を認めてやるのが、我の優しさよ……」


 男は剣を構えながら、言った。

 俺は、守りに入ったら負ける。技量で負けているからだ。なら、最初から……攻める。


 足に力を込める。そして、一気に目の前へと駆け出した。


「ほうッ!」

 男が腰を落として、受けの体勢を取る。


「うぉぉぉおおお!」

 上段から、振り下ろし。なんの工夫もない、全力を込めた攻撃。


 男は、回避も何もせず、正面から受けるつもりだ。実際、やろうと思えば最小限の動きで避け、反撃に転じられたでだろうその攻撃を、剣を横にして、受ける。


 つまり、なめている。好都合。


「ふん! 雑魚の攻撃など――――!?」

 剣がかち合う。火花が散り、拮抗状態が生まれる……かと思いきや、剣から風圧が生まれる。それは、俺の後押しをするように、剣に勢いをつけていく。加速していく。


「お、重くなっていく!?」

 風の出力が高まる。その間も、俺は力を込め続ける。この拮抗状態をそらしたらダメだ。今、ここで押し切る!


「うぉぉぉおおお!!」

「く、くそがぁぁああッ!!」

 剣が落ちていく。相手の強固な守りを打ち破る。段々と、相手の体勢が崩れ、足に踏ん張りが利かなくなっていく。


自然よネイチャー!』


 リーフの声が響き、周囲の植物が伸びてくる。そして、男の足を掬った。


「な――――」

「おぉぉおらあああ!!」


 相手の剣に込められた力が無くなる。好機。剣の刃を横向きにして、相手の剣を左へ弾き飛ばす。

 そして、相手を守るものは、鎧のみ。それに守られていない頭めがけて、剣を振り下ろす。風の力を纏った、最高速度。それは、確かな軌跡を描き、真っ直ぐと……。



『――――』


 何かが、聞こえた。

 構わず、男の頭に剣を滑らせる。そして、肉に切り込み……弾かれた。


「え――――」


 そして、戸惑う時間すらなく、状況は一変する。

 男の体から、まるで風船が破裂したかのように風圧と衝撃が吹き荒れる。


「ぅぉぉぉおおお!?」


 吹き飛ばされるが、何とか受身を取る。すぐに立ち上がり、男のほうを見る。



「あーーーきゃぐぁぁっわあああ お前らのせい 我はおおぉおぅうおうお ぐあうごああああ ふざけごぁああああ」


 男の目が上下左右、ところ構わず揺れる。口からはもはや人間の言語ですらない、意味不明な音の羅列が聞こえてくる。男の四肢は暴れまわり、手は己の口を裂いていた。


 全身から、血が流れ始める。

 なんだ……ガチで狂ったか? やっべえ……人ってここまでなるんだ。


 どこか平和ボケした思考をしつつ、踏み込めずに、様子を見続ける。明らかに異常だ。いや、この男が異常なのは最初から分かっていたが、これは……人間の範疇を超えた何か……。嫌な予感がする。ずっとしているが。もう、最悪だ。この依頼を受けたときから、嫌な予感が大きくなるばかりだ。


「ぷぎょおおおおああああ ああああああああああ 魔王様あああああああああ」


 男は天に向かって張り裂けた口を大きく開け、何かを叫んでいた。とてつもない、悪寒。鳥肌が立つ。

 周囲の魔力が揺れる。あの男を中心とした渦のように、激しく動き回っている。


「……」

 俺は剣を鞘に入れて、急いで少女の元に向かった。木に寄りかかるようにして、ずっとこちらの様子を見ていたようだ。急に走ってきた俺に驚いたような表情をしている。なんだこの子めっちゃ可愛い。顔面偏差値高い。


「え? あの、あの男は一体……」

「逃げるぞ。やばい予感がする。くそ……あばらいてぇ……」

「あ、あの、私、足が震えて……」

 それを聞いて、迷うことなく少女を抱える。お姫様抱っこ。王女さんらしいからお似合いだろ。うわ、肌が柔らかい。


「きゃあ! ちょ、お兄様……」

「悪い。余裕がないんだ。今すぐここを離れよう」

 少女を抱えたまま、全力で来た道を戻る。あの男に構わない。恐ろしいからだ。


 目線を向けなくとも、魔力感知でびんびんに感じている。あの男から、澱んだ魔力が生まれ始めている。恐ろしいほどの、強大な魔力が、何か悪質なものに変わっている。今まで、こんなもの感じたことがない。


「しばらく我慢な」

「は、はい……」

 顔を赤くしている少女。たぶん、マジでそんなこと考えてる余裕ないぞ、今。


 そして、俺は振り返ることなく、キャラバンがある広場へと駆けた。


 森が、ざわめいていた。

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