第五十二話 笠沼正太
ただ、殺してみたかった。
笠沼正太はその興味を幼い頃から抱いていた。いつから、何をきっかけにそう思いだしたのか、そう思い描いたのか、笠沼正太自身にも思い出せないし、わからなかった。ただその興味は淡く微かなものではなく、明確に存在するものであった。確かに存在して、幼い笠沼正太には抑えるには煩わしいものであった。
それは今も変わらない。小学五年生の少年にはその明確に把握している感情を抑える理性は備わっていなかった。
だから小動物から殺すことにした。野良犬や野良猫、いやもしかしたら誰かが飼っていたペットがたまたま街を彷徨いていただけかもしれない。
犬や猫は簡単になついてくれた。笠沼正太は幼い頃から何故か動物に好かれる体質だった。知らない人にはなつかないのに珍しい、と何度言われたことかわからない。殺す対象を物色してる際に散歩中の飼い主に微笑みを浮かべながら言われたものだ。
それから犬や猫を殺したところで新たに別の動物を殺すとどうなのかと興味が出てきた。例えば、達成感はあるのか、とか。例えば、爽快感はあるのか、とか。例えば、背徳感などと聞き馴染みの無い感覚はあるのか、とか。例えば、後悔はあるのか、とか。
ただ、殺してみたかった。
その興味が削がれることはなかった。殺せば殺すほど新たな興味が湧いてくる。鳩や烏を殺したり、蟻や蜘蛛を殺したり、すぐに試せるものはどんどんと試していった。犬や猫より簡単に殺せた。死体の処理は問題で面倒だったが、案外と簡単に誤魔化せたりした。
だから、母親ですら笠沼正太が好き好んで手を真っ赤に染めてることに気づかずにいた。気づかれたら、バレたら面倒だと、自分の楽しみを、興味を人に仄めかすことも、同級生に自慢することもしなかった。
ただ、殺してみたかった。
笠沼正太の抱く興味はその一点から連なるものであり、自尊心を埋める為や劣等感への反抗など浅はかなものでも深層にあるようなものでもなかった。
ただ、殺してみたかった。
その興味の対象が人に向けられるのは、小学五年生と幼く短く見える年齢であるようで、笠沼正太にとっては長い長い殺しの果てにあった事象だった。当然の帰結、当然の行く末だと笠沼正太は感じていた。本当は最初から殺してみたかったものは人だったのかもしれない。ただそこに辿り着くには自分はまだ幼すぎたのだ。遠ざけていたのは理性ではなく怯えだ。対象に対して抵抗されるという怯え。
殺せば殺すほど死は軽く扱われる。身近な存在であると理解する。殺した自分は、いつか殺される存在であると実感する。犬や猫は必死に反抗しても笠沼正太を傷つけられても殺しは出来なかった。鳩や烏、蟻や蜘蛛には傷つけられることすらなかった。
人はどうだろう? 幼き子供に殺されそうになったとき、人はどう抵抗するのだろうか?
自分と同じく、殺すことを選択するのだろうか?
ただ、殺してみたかった。
浮かんだ疑問の答えを知りたくなって笠沼正太は行動に移した。
怯えはいつしか無くなっていた。それは幼さから解放された故ではなく、殺し続けた末の麻痺だったのかもしれない。
ただ、殺してみたかった。
ずっと抱き続けたその興味はついに人に牙を剥いた。母親が仕事から帰ってこない時間、放課後、夕日が沈み街が影に染まっていく時間。
笠沼正太は黒いレインコートに身を包み、影へと溶け込んでいった。母親と観たカートゥーンアニメのヒーローが着けていたマントみたいだとねだって買ってもらった黒いレインコート。夜道じゃわかりづらいから危ないからダメだと購入を渋られた黒いレインコート。返り血が思ったより目立つんだなと気づいた黒いレインコート。
ただ、殺してみたかった。
名前も知らない中年男性の胸を刺してもその興味は削がれなかった。こんな夜道に子供一人で危ないよ、と獲物を物色していた背中に声をかけられた。笠沼正太は振り返り様にナイフを中年男性の胸に突き立てた。心臓の位置がどのあたりかはわからなかった。刺してから感触で確かめようと考えていた。刺したけれど感触は不確かなものだった。
中年男性、だというのも振り向いてからわかった。服装からランニング中だったらしい。少したるんだ腹がどよんと揺れて、中年男性は言葉にならない声を出して後ずさった。笠沼正太は刺したナイフを抜こうと掴んだが簡単には抜けなかった。痛みに大量の汗を垂らし驚きに目を開いて笠沼正太を見る中年男性を、笠沼正太はじっと見ていた。
ただ、殺してみたかった。
中年男性の目を見つめてもその興味は削がれることはなかった。解消されることも、満たされることもなかった。
笠沼正太は体当たりするように中年男性に肩をぶつけてナイフを強引に抜き取った。勢いよく抜いたので血が吹き出して黒いレインコートに飛びかかった。黒いレインコートを叩くバタバタという音が中年男性の最期の言葉を遮った。
ただ、殺してみたかった。
終わらない興味を抱いた笠沼正太の瞳は、倒れゆく中年男性を見つめながら緑色に輝いていた。
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