第三十五話 矢附、頑張ります
「もうおしまい? そんなもんなの高城さん?」
床に倒れる和美にじりじりと近づく那間良。和美は何の反応も示さない。
「何、本気? 気でも失った? 面白くない」
言葉とは裏腹に那間良は警戒を解かない。一歩一歩と近づいて和美の不意打ちに備えた。途中、落ちていた箒を和美の手の届かない位置へと蹴り飛ばす。
「良い相手に巡り会えたかと思ったのだけど、言って女子高生か、まだ成長途中ね。相手としては高望みだったかな?」
ついには和美の側にまで那間良が辿り着いたが変わらず和美は何の反応も示さなかった。那間良は舌打ちをして和美の腹部を踏みつけた。
和美は苦痛の声を漏らし息を吐き、そして吸い込んだ。呼吸が定まらない中、ようやく目を開けると那間良の姿が映り事態を把握する。
「おはよう、高城さん。そして、さようなら」
那間良が足を上げる。和美の顔を踏もうという軌道を取る。気付いた和美は身を動かして避けようとするものの、身体は痺れて言うことを聞かなかった。
踏まれる、と和美が目を瞑った瞬間、かしゃんと音と共に那間良の影が遠ざかった。
「う、うわぁぁぁぁ!」
力弱い叫びを矢附が上げる。威勢を込めるのに馴れていないのか少し棒読みに聞こえる叫び。買い物カゴを必死に那間良に投げつける。
「ちょ、うざっ! あんた、先殴られたいの!?」
近くにあった買い物カゴをありったけ投げつける矢附。腕で防いでいた那間良はそのうちその投げつけの力弱さに手で払いのけ始めた。
「と、とりゃああああ!」
払いのけ返された買い物カゴを拾い上げ矢附は前面に構え走り出した。バレーボール部に所属している割には運動は苦手なのか、ドタバタと足を動かす。目を瞑り頭を下げての弱々しい買い物カゴタックル。
那間良は鈍重なそのタックルをストレートで殴り返した。ふぎゃ、と言って矢附は後ろに押し返され化粧品売り場の商品棚にぶつかり倒れた。
「うざいうざいうざいっ! 弱いくせに私の邪魔をするな!」
那間良は周りに転がる買い物カゴを次々と蹴り飛ばし、矢附へと近づいていく。
「し、仕返しをしようって手を掴んだんです」
「は?」
背中を打った痛さを堪えながら床に手をつき矢附は身体を起こす。その手は震えていて止めようにも、恐くて仕方なかった。
「た、助けてくれるって手を掴んだんです」
「さっきから何言ってんの、あんた?」
矢附は商品棚を支えにして立ち上がった。
「う、嬉しくて、こ、恐くて、で、でもさっきまで忘れてて。掴んでくれたのに、掴んでくれてるのに、忘れてて──」
那間良は矢附の言葉の意味がわからず首を僅かに傾げ、どうでもいいことだと思い直し腰を捻った。那間良の間合いにまで近づいていた。
「──悔しかった」
矢附が手を振り上げた。その手に掴んでいた何本かの口紅が那間良に向かって飛ぶ。
那間良が咄嗟にそれに反応して身を逸らした。ジャブのモーションからの軌道修正は身体を酷使したが今の那間良には然程問題ないことだった。ぶちっ、と筋繊維が切れた音がしたが問題ないことだとした。
身を逸らした那間良の顔を矢附の手が追いかける。那間良の瞳に映るその手はスローモーションがかかったかのように遅く避けるには造作もないことだ。
矢附の手には香水の容器が掴まれていて、那間良の瞳に向かって噴射された。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
那間良が痛みに悶絶する。片手で瞼を抑え、もう片手を振り回し始めた。矢附は慌てて横に避けた。
「うざい! うざい!! うざいぃ!!!」
「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
箒を構えた和美が那間良の背中を突いた。強い衝突に那間良は先程まで矢附が背にしていた商品棚へ突っ込んだ。どがしゃぁ、と音を立て連結した棚を巻き込み倒れた。
全身の痛みに気が狂いそうになるほど苛立つも那間良は身を翻すのがやっとだった。呼吸は荒く天井を見上げる。嗚呼、殴ろう、殴ろう、殴ろう、殴ろう、殴ろう殴ろう殴ろう殴ろう。
数秒か数分か。呼吸が定まらないまま那間良はようやっと身体を起こした。殴ろう殴ろう殴ろう殴ろう。怒りが鎮まることなどない、殴りたくて殴りたくて仕方がない。そうだ、この目の前の女。高城とかいう女、こいつを。この目の前の──。
「めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!」
和美は箒を縦一直線に振り下ろした。強い打撃に箒は耐えきれず、ぱきっ、と音を立てて折れる。 声も出せず那間良は白目を剥いて気を失った。
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