第三十二話 私は殴りたいの
那間良の右ジャブが次々に放たれる。クリーンヒットを避けようと和美は身体を反らすも那間良は確実に和美の顔を叩いた。単純なコンビネーションにならないよう変則的に左ストレートがやってくる。
(アレをモロに食らうのだけはマズイ)
左ストレートを警戒しつつの避け行動は防戦とも呼べない単なるサンドバッグだ。殴られた頬が熱を増すのがわかる。
離れようと後ろに退くも直ぐ様距離を詰められる。箒を振る間にもならない。
強引に手首を捻って箒で那間良の拳をはたこうとするも簡単に避けられた。
間合いじゃないならと、和美は箒を手離した。右ジャブに対して腕を使って防御にうって出る。掴めれば投げに繋げれるが那間良の手の引きが早い。
顔の代わりに腕が殴られる。ヒットポイントをずらした打撃は痛さとして随分マシになった。それでも何度も殴られれば今度は腕が使い物にならなくなるだろう。
和美の動きが変わったのを察知して那間良も腕の振りを変える。顔面を狙わず、防御する腕を叩く振り。距離が短くなったことで、右ジャブを振る数が増えた。
避ける動作もままならぬ猛攻に耐えがたくなった和美は両腕を交差して前へと踏み込んだ。予期せぬ動きに那間良が身体を後ろに反らした。少しの腰の捻りが入り、右ジャブが外側から弧を描く動きに変わる。
両腕の防御を避けて右フックが飛んでくる。和美はそれを避けることなく防御を解いて両腕で那間良の頭を掴んだ。那間良の右フックが和美の顔を捉えるより先に、和美の頭が那間良の頭にぶつかった。
ごぉん、と鈍い音がなる。強い衝撃に互いに仰け反った。
次の行動を取ったのは和美の方が先だった。
今度は那間良の肩を掴んで、もう一度頭突き。再び、ごぉん、と鈍い音。強い衝撃に目に涙が浮かぶ。
二度の頭突きに倒れそうになる那間良の肩を突き放し、よろめく身体に前蹴りを当てた。那間良はサッカー台に仰向けに倒れこんだ。
頭突きの痛さに頭を押さえ和美はサッカー台にもたれ掛かる。
「だ、大丈夫、高城さん?」
「待って、まだ──」
心配し支えようと近づく矢附を和美は制止する。和美の視線は那間良を捉えたままだった。
「──終わってない」
那間良がのっそりと起き上がる。身体の痛みを気にする素振りもみせず構え直す。
「いいね、高城さん、凄くいい」
「那間良さん? 意識が・・・・・・」
頭突きの衝撃で意識を取り戻した、という訳にはいかない。那間良の瞳はより赤く輝き揺れる。
「私ね、人を殴りたいの。殴りたくて殴りたくて仕方ないのよ」
口角を上げ笑顔を那間良が作る。機械的な量産品の偽物。喜びを滲ませようともしないアイコンのようだ。
「私ね、夢があってね。その夢のために時間を作りたくて仕事辞めたのよ。毎日何十時間も拘束されてたらいつまでも夢を叶えられないって。そうして出来た時間で調整して、私なりに夢のために生きてるの」
腫れた拳を握りしめる。身体全体に赤い光が広がっていく。
「そうした私の考えも努力も、周りはね、あっさり否定するの。それは無理だ無謀だ、夢は夢だ、叶わない。何様のつもりかわからないけど、親切だと自信満々に私を否定するの」
すっ、と鋭く息を吐き那間良の構えは強固な物になった。
「私は人を殴りたいの。殴って殴って、そして、世界一強い女になりたい。高城さん、あんたみたいな強いヤツは殴りたくて仕方ないのよ」
「夢どうこうよりそれってただのジャンキーなんじゃないの?」
暴力中毒とでもいうのか、随分身勝手な考え方だ。同情する余地もない。世界一をかけて戦いたいわけでもない。和美は首を横に振り、構えを取った。徒手空拳の基礎は学んだことがないので、不格好な形になった。
赤い光を纏った那間良の拳は先程より速度を増した。避けられない、そう判断することも既に遅く拳は和美の頬を叩いた。一発で身体が仰け反るほどのクリーンヒット。和美が次の判断をするより先に二発目のジャブが襲う。
頬が強く殴られる。頭が揺れて、目の前が一瞬真っ白になった。左ストレートが来る、痛みと同時に危機感が過る。朦朧としかける意識の中で和美の視線は那間良の左手にあった。
何としても左ストレートは避けなければ。
集中する和美の視界から那間良の左手が消えた。一瞬の出来事に和美は必死に目で追いかけるが、次の瞬間強い痛みが和美の横腹を貫き身を歪めた。
ボディブローだ。
堪えきれず胃液を吐き出した。髪を掴まれ和美は強引に姿勢を上げさせられた。
天井からぶら下がる緑色POPがぼんやりとした視界に映った。僅かな浮遊感が気持ち悪くて顔を下に向けると今度は拳が視界を支配した。
ストレート。
ぐしゃ、と音が耳に聞こえ、鼻から顔面に向かって痛みが広がった。そのまま痛みが後ろへと突き抜けていく感覚と僅かな浮遊感が和美を襲い、サッカー台へと吹っ飛ばされた。勢い余ってサッカー台を滑り落ち床に倒れた。
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