船
一方その頃、リーズの家族たちを乗せたヴォイテクの船は、風が穏やかな海にめいっぱい帆を張り、北の方角を目指していた。
彼らはアーシェラの予想通り、港町ルクリアに向かっているのだ。
「旧カナケル王国の港に行くのですか」
「えぇ、王国領はもとより、南部諸侯も安全の保障ができない以上、我らは海を経由してリーズ様のいる場所を目指します。運が良ければ、向こうから迎えてくれるでしょう」
行き先を説明するヴォイテクに対し、ストレイシア男爵次女――リーズの姉ウディノはやや不安そうな顔をしていた。
母親からは単純に「リーズの友人の知り合いの商人」としか聞いていなかったマリヤンから急に呼び出されたと思ったら、何の支度もないまま突如馬車ごと船に乗せられてしまい、そのまま宛なき船旅に連れ出されたのだから、温厚なウディノと言えども不満はたまっていく一方だ。
むしろ、母親マノンのように全く動じていない方がむしろ異常と言える。
「ギリギリまで行き先を明かさず申し訳ない。信用しろってのは無理かもですが、もうしばらくのご辛抱ですよ」
「信用してない……ってわけじゃないんだけど」
決して誘拐や暴行目的でこの船に乗せたわけではないということは、今までの行動からわかっている。
それに何より、一番危険を冒しているのは目の前にいるヴォイテクなのだから。
「そうですわね。待てば海路の日和あり…………私は、待つのは慣れておりますので」
相変わらずのんきにそんなことを言うのが、母親のマノン。
雑な洗濯しかできないせいで、貴族にもかかわらず服がだいぶよれよれになってしまっているが、どっしりと落ち着いた様子は、変わらず高貴な印象を保っている。
「モズリーちゃんも、そろそろ飽きてきた頃かと思うけど、もうちょっとの辛抱よ」
「いえいえ、ご主人様の傍にいられれば、私は満足ですとも!」
連れてこられた唯一の使用人にして、第三王子のスパイのモズリーの顔は掛け値なしに晴れやかだ。
(飽きてきた頃なんて、とっくの昔に過ぎてるってーの)
船の上で波に揺られているうちに、モズリーも今更色々悩んでも無駄だと悟ったのだろう。
それに、今の彼女には暇しないもう一つの理由があった。
「やっほーーーーーオネイチャンたちぃーーーー! なーーにはなしてるのー!」
「おおっと!?」
突然彼女たちの後ろから、少女が一人、帆のロープに逆さにぶら下がって降りてきた。
その見た目はかなり異様だった。
まず肌の色は濃い褐色。南方諸島の所謂「異民族」は非常に健康的な褐色肌を持ち、少女もそういった民族の出身であることが一目でわかる。
冬の海の上にもかかわらず、服は殆ど肌着同然で、赤と緑の情熱的な色の布がその健康的な肢体をさらに際立たせている。
少女の名前はイムセティ。
船長ヴォイテクが仲良くしている島の有力者の娘だが、面白そうだからという理由で勝手についてきてしまったのだ。
「ねぇねぇセンチョー! うみが見えないくらい大きいシマってまだー?」
「おぅ、たぶん今日中には見えるだろ。楽しみにしてろよ!」
「ヤッターーーっ!! じゃあフネのてっぺんからみえるかなっっ! オネイチャンいっしょにみよーっ」
「わーっ!? わかった、わかったからぁ! ちゃんと運んでぇぇ!」
生まれてこの方、海に囲まれた小さな島々で暮らしていたイムセティは、ヴォイテクが話す「海が見えなくなるくらい大きな島」を一目見ようと、モズリーをわきに抱えて片手だけでロープをするする昇って行った。
小さい体にもかかわらず、勇者リーズ顔負けの運動能力の持ち主のようだ。
(色々危なっかしいけど……この子がいると暇しなくていいなぁ)
モズリーは使用人に変装している手前派手に動けないが、もともと彼女も非常に身軽な身体能力を持っており、その気になればイムセティのようにロープを軽々伝ってマストに昇ることはできる。
振り回されている体を取りつつも、じっとしているより動いていた方が幾分と気が楽だった。
それに、イムセティの天真爛漫な性格にモズリー自身シンパシーを感じており、もし自分が普通の人間だったら、心の底から仲良くなれたのではないかとも思っている。
「あ、あーーーっ!! オネイチャンみてみてーっ!! ほら! おっきなシマがみえるっ! むこうのほうぜーーーんぶシマっ!
「お……おおお! 本当だ! 大陸が見える!」
マストの上にある見張り台に上った二人は、行く手のはるか彼方にうっすらと陸が広がっているのが見えた。
王都アディノポリスの港を脱出して約1か月……彼らはようやく本土に帰ってこれたのだった。
と、ここでイムセティはさらに何か見つけたようだ。
「あれ? あそこで何かトんでるよー」
「なになに? どこどこー?」
「ほらあれっ! あの
「にーなむ……ってたしか青、だっけ? 海の上でよく青色の物がわかるねぇ。っていうか青色のドラゴンって、ひょっとしてお使いに行ったっきり帰ってこなかった人かな?」
あまりにも遠すぎる上に、海の上で青色の物を見つけるなど正気の沙汰ではないが、どうやらイムセティが見つけたのは、かなり前に船から飛び立ったまま帰ってこなかった船乗りのボスコーエンに間違いない。
ということはつまり――――――
「船長ーーーーーっ!! 見つけました! 大陸でーーす!」
「お、ようやく見えたか! っしゃあ、少し不安ではあったが方角は間違ってなかったな!」
「しかも、飛竜乗りの人が遠くに見えるってイムセティが言ってます!」
「マジか! ボスコーエンが! うおっしゃああぁぁっ!! ツイてるな俺! 今だけは俺をめちゃくちゃ褒めてやりたいぜ!! うおおおぉぉぉぉぉぉっ!!!」
見張り台から大声で叫ぶモズリーの報告を聞いたヴォイテクは、自分の賭けが大成功したと確信し、思わず大声で叫び、全身で喜びをあらわにした。
命がけの脱出に、勇者リーズの家族を抱えながら、行ったこともない土地めざして不確定な航海を続けた船長の不安は相当なものだった。
部下やリーズの家族の前では堂々とふるまっていたが、その裏では何度も頭を抱えたし、日によっては尿に赤い血が混じることもあった。
今この瞬間、全ての苦労が報われると思うと、喜ばずにはいられなかった。
だが、まだ確実になったわけではない。
港に錨を下ろし、マノンたちをリーズに会わせるまでは油断できない。
「エミル! 反射鏡を用意しろ! ボスコーエンに連絡をする!」
「承知しました船長」
エミルと呼ばれたヒョロ長の水夫が、ヴォイテクの指示でコロ付き台車の上に乗った大き目の鏡を運んできた。
まだだいぶ距離はあるが、はるか彼方にいるはずのボスコーエンに向かって、反射光による信号を送り続けたのだった。
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