湿地 Ⅱ
3日過ぎれば探索も難しくなってくると予想したアーシェラだったが…………
まさに3日目となるこの日になって、その兆候が表れ始めてきた。
「あれ……おかしいですねぇ? この場所、初日に解呪しましたよね? それなのに、なんでまた瘴気の匂いがしてるんですか?」
「確かにっ! この辺ってリーズたちが術札を使って解呪した場所だよね。シェラ、何かやり方間違ってたのかな?」
初日にリーズやフィリルたちが術札を使って解呪したはずの土地で、再び瘴気特有の嫌なにおいが立ち上ってきたのだ。
昨日までは普通に歩けるほどだったのに、なぜ再び汚染の兆候が見られるのか…………リーズは、もしや自分のやり方が何か間違っていたのかと思い焦ったが、アーシェラはゆっくりと首を横に振った。
「いや、リーズたちは別に間違ってはいない。これはね……地面の奥深くまで浸透して、解呪しきれなかった瘴気が地表に登ってきている兆候なんだ」
「おそらく、もうあと3日もすれば、このあたりの土地は再び瘴気に汚染された土地になってしまうでしょう」
「えぇ……」
「だ、大丈夫だよリーズおねえちゃんっ! 何回か繰り返せばそのうち完全にきれいになるから!」
やるだけ無駄というわけではないようで、地下深くまでしみ込んだ呪いが、地上の新鮮な空気と入れ替わるように上ってくるのを何度か解呪すれば、いつかは完全に土地が元通りになるのだという。
ミルカとミーナは、去年開拓村の周辺を解呪した経験があるので、こういったことはもはや慣れっこの様だった。
とはいえ、一度解呪作業をして数日様子を見て、再び瘴気化したら再度解呪するを繰り返すのは、なかなか気の遠くなる話だ。
「なんだか、三歩進んだのに二歩下がったような気分……。でも、これしき程度、魔神王討伐の頃に比べれば何ともないもんね!」
「うんうん、その意気だリーズ! とりあえず、この辺で一回地図を整理しようか。どこを何回解呪したか、書いておかないとね」
「あっ、村長! リーズ様! 西側から気配がしますっ! 応戦準備を!」
何度も立ちふさがる忌まわしき瘴気の霧に相変わらず殺風景な地形、そして時折強く吹く冬の冷たい風は、彼らの心を少なからず憂鬱にする。
また、何度も探索して存在が知られてしまったのか、初日はあまりなかった魔獣の襲撃も相次ぐようになってきた。
しかし、それ以上に問題だったのが、この辺りには食料になる野生動物や魔獣、それに野草や木の実などがほとんどないことだった。
そのせいで、村から持ってきた食材が尽きるとアーシェラが料理を作ることができなくなり、持ってきた携行食糧だけでお腹を満たすことになる。
さらには、ベースキャンプにはお風呂もなく、体の清潔さを保つには、清め術を使うか、さもなくば水温一桁の川で水浴びをするほかない。
冬季の冒険に困難はつきものだが、これが駆け出しの冒険者であれば、ストレスで3日で根を上げることだろう。
だが、リーズたちはそのような困難などものともしなかった。
「ん~、この携行食糧、すごく硬いけど美味しくて飽きないね」
「確かこれ、パン屋見習いのティムが作ってくれたものだったね。うーむ、ここまで見事なのは僕も初めてだ」
「あらあら村長、新入りに対抗意識を燃やしているのですか? 大人げないですよ♪」
「え、い……いや、そんなことは……」
「えっへへ~、シェラも昔から得意分野ではリーズと同じくらい負けず嫌いだったよねっ」
どうやら、まだ携行食糧の味を楽しむ余裕すらあるようだ。
リーズとアーシェラにとっては、お互いに顔を合わせる機会が限られいた魔神王討伐の頃の方がもっとつらかったし、イングリット姉妹も去年の開拓村建設で、この根気がいる作業を繰り返していた猛者である。
そしてフィリルは、そもそも「食べるものがある」だけでも十分力を発揮できる体質であり、草木があまり生えていないような光景も、故郷では日常茶飯事だった。
彼らにとっては、この程度の苦労など、まだ苦労のうちに入らないのだろう。
また、冒険は気が滅入ることばかりではない。
所々に点在する旧カナケル王国時代の遺跡は彼らの興味を引いたし、時々新たな発見をすることもあった。
特に収穫が大きかったのは、探索開始から7日目に、かつて湖の底だったぬかるみを調査した時のことだった。
「シェラ、あそこ見て。あれって
「良く見つけたねリーズ! でも、まさかこんなところで採れるなんて」
「びちゅーめん……て、なんですか?」
「接着剤の材料だよフィリルちゃん。私も羊小屋を建てるお手伝いをした時も、あれを薄く混ぜて塗ったの」
「これはひょっとしなくても大発見ですわね。私的には、早く湖をもとの姿に戻して釣りができるようにしたいところですが、
その気持ちがわずかに揺らいでしまいますわ」
「『わずか』なんだね、お姉ちゃん……」
リーズは、毒が抜けて泥濘となった場所に、一部黒くネバネバした液体がもこもこと噴き出ているのを発見した。それも一か所だけでなく、あちらこちらの泥の中から、鼻を突く臭いとともに黒い粘着液が顔をのぞかせていた。
その黒い液体の正体は「
用途としては、ミーナが言うように接着剤や防腐剤、防水材の原料になるので、建築や造船によく使われる。一応可燃性物質でもあるので火をつければ燃えるが、油と比べても火が強くならず明るくない上に、有毒で嫌なにおいの煙も出るので、燃料として使うことはほとんどない。
しかも瀝青はそのまま採取できる場所が非常に限られており、大抵は山で石炭に似た黒い鉱石を採掘して、砕いた破片から瀝青を抽出するという面倒な方法で調達する必要がある。
そのため、天然の瀝青はなかなか貴重であり、安定して採取できればそれだけで莫大な財産を築けるほどだ。
湿地帯を解呪して川の水を引き込み、いずれは毎日釣りができる場所にするというミルカの野望が、わずかとはいえ揺らぐのも無理はない。
「試しに採取してみたいけど……誰が行く? なんだったら僕が行くけど」
「いいえ、あたしが行ってみますっ! リーズ様と村長さんは、あたしにもしものことがあったときに助けてください!」
「わ、私もやってみるっ!」
「リーズが言った方が安全だと思うけど……二人とも無理しないでね」
泥濘の中の黒い液体の採取には、フィリルとミーナが志願した。
二人は汚れてもいいズボンに履き替え、底なし沼対策の命綱を腰につけ、注意深く泥濘の中に足を踏み入れていった。
臭いもだいぶきついので、口元は布で覆い、念のため解毒ハーブを口に含む。
「どうですか二人とも、深さは?」
「思ったより浅いよお姉ちゃん。でも、すっごくドロドロしてる……」
「
表面からはどれほどの深さがあるかわからなかったが、はじめのうちは意外と浅いようだ。
だが、ミーナとフィリルは油断せずに、杖や棒を使って歩く場所をつついて、深さを測りながら進んでいく。
しばらく進むと、棒も深く沈むようになり、足首程度の深さの泥も、足の付け根辺りまで迫ってきた。
「リーズおねえちゃーん。歩くのはここまでが限界みたい」
「棒の先端にひしゃくを結べば、なんとか汲めるかも」
「無理しなくていいよミーナちゃん、フィリルちゃん。汲んだらすぐに戻ってきてね」
黒い液体までは手を伸ばしただけでは届かなかったものの、フィリルがその場で機転を利かせて、泥の中を探る棒にひしゃくを括りつけ、リーチを長くすることで採取に成功した。
飲み水を入れていた瓶の中に、黒い液体を汲んで戻ってきた二人。
アーシェラとリーズが調べたところ、やはり天然の瀝青に間違いなかった。
「ありがとう二人とも! 泥の中冷たかったでしょ、火を起こしてお湯を沸かしたから、足をあっためてね」
『はーい』
「うん、よくやったね。これは間違いなく天然の瀝青だ。この瓶一本でハンバーグが1000個作れる……じゃなかった、金貨20枚はくだらないだろう」
「ハンバーグ1000個!?」
冒険者時代のような生活が続いていたせいか、手に入れたものを思わず「ハンバーグ単位」で計算してしまったアーシェラ。
だが、リーズにとっては、未だにこの単位ほどしっくりくる基準はないようだった。
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