第117話 転機(1)

「なあ、栗栖。」



車で移動中、志藤は萌香に改まって話しかけた。



「はい・・」



「おれなあ。 事業部の本部長、降りようと思うねん。」


突然の告白だった。



「え・・」


さすがに驚いた。



「もう取締役の仕事1本で。 いこうかなって。 事業部はもう斯波でだいじょぶやろ。」


軽く言われて。



「本部長、」


萌香は不安そうな顔をした。




そんな彼女をチラっと見て、


「だいじょぶ。 だいじょぶ。 おれよか斯波のがぜんっぜん勉強してるし。 まあ、リーダーシップがあるかどうかは別やけど。 南もいるしな。 おれはもう何も言うことないって思ってるし、」



萌香はうつむいて黙っていた。



「あれ? ノーリアクション?」


志藤は彼女の反応に少し焦った。



「・・あの、」



意を決したように


萌香は志藤を見た。



「あたしは・・どうすればいいんでしょう、」



「え?」



「もう本部長の秘書は、できないんでしょうか。」




そのことも


気になっていた。




正式には事業部の社員である萌香を


取締役の仕事に専念する志藤の秘書に、というのは


彼女が事業部から秘書課に移籍させないとできないことだった。



「残念やけどな。 おれの秘書は秘書課の子がつくようになると思う。 あ、この話、まだ斯波にもしてへんねん。 もちょっとゆっくり時間とって話したいから。 まだちょっと黙っておいて。」



志藤はそう言って、パーキングに慎重に車庫入れした。



サイドブレーキをグッと引いて、エンジンを止めて車を出ようとしたが


萌香は動こうとしなかった。



「栗栖?」


萌香は顔に片手をかざしたかと思うと


いきなり涙ぐんだ。




「は????」


志藤はいきなりの彼女の涙に慌てる。



「す、すみません・・・」



萌香はそう言うばかりで


その涙の意味は何も言わなかった。




「な・・なんでも・・ないですから。」


萌香はハンカチを取り出して涙を拭った。




女性に関しては


鋭い志藤であったが


このときの彼女の気持ちはどうしても汲み取れなかった。





なんやろ


あんなことで泣くなんて。




志藤はぼーっと


昼間の萌香のことを思っていた。




ひょっとして


おれと離れて仕事したくない~って思ってくれてたりして。


んで、泣いちゃったりとか?




いや~~、困ったなァ・・


いちおうあいつも人妻やし。


おれのことそこまで慕ってくれてるんやろか。




あんな美女が!!




もし


お互いに独身やったら


ぜんっぜんほっとかへんし。



今だって


おれが栗栖と泊りがけの出張に行ったりすると


あの二人はアヤシイとか


社内で噂されちゃったりするくらいやしなァ。



「何ニヤけてるんですか?」


ゆうこの声でハッとした。



「はっ・・?」



「目が泳いじゃって。」


ゆうこはつまらなそうに、いつもより乱暴にお茶の入った湯のみをテーブルにドカっと置いた。




「・・何を・・怒ってるねん・・」


ちょっとドキドキした。



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