第85話 想い(1)

やっぱり


ビールを注文したものの、ひと口つけただけで斯波はグラスをテーブルに置いてしまった。



「加瀬から・・訊いた。 結婚のこと。」


徐にそう言われた。


「あ、はい、」


ドキンとした。



「ちょっと、びっくりして。 いきなり・・言われたし。 まだ先のことなんじゃないかって思ってたから、」


視線を合わせずにボソボソと話してくる。


「彼女・・ちゃんと考えてくれて。 おれのこと。 びっくりするくらい真剣に・・考えてくれて。」



「そっか、」




その後は沈黙が続いた。



いきなり


文句を言われると思った。


しかし


斯波はいつものように寡黙で、高宮はいったい何を話していいのか迷ってしまった。



「おまえの両親に会うって言ってたけど、」



「はい・・年末の休みにでも。 正直、親のことはもうどうでもいいと思っていましたけど。 彼女と家族になるってことは、あの子が高宮の姓を名乗って、ウチの戸籍に入ることになります。 やはり黙ってはおけないし・・、」



「反対、されてるの、」



「以前、一度だけ両親は彼女と会ったことがあります。 失礼なことばかり言って、彼女を傷つけてしまいました。 それからは、もう、彼女をウチの親から遠ざけたくて。 嫌な思いをさせないように。 だけど、夏希は両親にきちんと会って許してもらいたいって言ってくれて。 おれも彼女を何の隠し立てもなく自分の妻として堂々とさせたいし。 腹をくくりました。」


高宮はふっと笑う。



「年が明けたら、おまえが引っ越した先で一緒に棲むって、」



「彼女がそういう気持ちになってくれたので。 一緒になるつもりで部屋を探そうと思います。 まあ、春までには、」




斯波は声を抑えて話さないと


気持ちが溢れてきて


どうしようもなくなりそうだった。



「でも仕事は今までどおり続けたいと言っているので。 まだまだ斯波さんにはお世話になると思いますが・・」



もう


夏希の『夫』であるように



そんな


言葉を


彼から聞くのが


どうしてこうも


切ないのか。



グラスに残ったビールを全部一気に飲んでしまった。



「そ、そんなに飲んで大丈夫ですか?」


心配になってしまった。



「あいつ。 まだ自分の親にも話してないって・・言って。」



「え?」



「それなのに。 おれに一番最初に話してくれて。 しかも今までの加瀬だったら、おまえからプロポーズされて、どーしよう!って慌てふためいて、頭パニックに陥って。 そんなことおれに言うときは相談される時だと思ってた。 だけど、もう『結婚します』って。 普通に。 もう、自分の気持ちが決まってて・・」



あれ?


高宮は斯波のメガネの奥の目を凝視してしまった。


泣いてる????


うっそ!


確かに目が潤んでいるように見えた。




「もう、心配で。 どうしようもなくって。 ウチの隣から・・出て行って。 おまえと一緒に暮らしてやってけんのか、とか。」



確かに


ビール1杯で


かなり頭の中はぐるぐる回っているようだった。



いつもの彼とは


程遠い。


落ち着きのないそぶりで。



「おれは。 ずうっと彼女が精神的に『大人』になってくれるのを待っていました。 ホントは。 もうつきあってすぐに、彼女しかいないなって・・思っていたんですけど。 もう、ほんっと子供っぽくて。あんまり先のこととか考えてなくて。 志藤さんや南さんからも、まだまだだねって言われてました。 だけど、おれのことを真剣に考えてくれてからの彼女はすっごく大人になったなァって。」


高宮は静かに話をした。



「え・・」


「何て言うんだろう。 前はね、おれの『下』から見上げてくっついてくる感じで。 だけど、おれからのプロポーズを受けてくれた彼女は初めて対等・・いや、もうおれの『上』からしっかりと見据えてくれてる感じがして。 ・・シャンパンを買ってきてくれて。」


話が意外な方向に変わって、斯波は不思議そうな顔で高宮を見た。



「それで。 おれに飲んでくれって言うんですよ。 あれ以来、おれはもう酒は飲まないって決めていたんで。 どうしたんだろうって思ってたら。ヤケになったり嫌なことがあったりして、お酒の力を借りて、おれがまたどうにかなっちゃっても、自分に迷惑を掛けて欲しいって。 そう言ってくれたんです。」



「・・加瀬が?」



「自分もいっぱい迷惑をかけるけど、おれにも迷惑を掛けて欲しいって、そう言われて。 あー、こんな風に考えることができるようになったんだって。 も、なんかね。 心が震えちゃって。」




高宮は少し頬を赤らめて


本当に嬉しそうにそう言った。



「ほんのちょっとだけ。 飲みました。 そうしたら・・夏希は嬉しそうにニッコリ笑ってくれました。」



二人の


二人にしかわからない


その絆は


今はもう


しっかりと結ばれている。



許しあえることが


できるようになったら



きっと


一生


一緒に


生きていける。


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