第65話 暗雲(3)

「もう何を言い訳したって! おまえは社長から言われたら言いなりなんだろ! 社長からお嬢の面倒を見てくれって言われたら断れねーんだろ! サイテーだな、おまえ! お嬢にも加瀬とつきあってること隠してるし!」


八神の怒りはもうどこまでも行きそうなくらいであった。



「隠してなんかいません!」


高宮は負けずに言い返す。



「おまえがヘンに気を持たせるから! お嬢がおまえにべったりなんじゃねーかっ! いい人ぶりやがって! 気にいらねえ! なんで加瀬を傷つけて平気なんだ? ほんっとコイツ、アホだから! おまえのこと信じきって! この前はかわいそうなのはおれだ!とか言ってたけど。 結局おまえは加瀬のこといいように振り回してるだけだっ! 」



八神は拳にぎゅーっと力を入れて、その怒りをやり過ごそうとしたが



その怒りの終着点は


高宮の頬に飛んできた。



「八神さん!!」



夏希はいきなり高宮を殴りつけた八神に驚いた。



「いっ・・」


その衝撃でヨロけて高宮はデスクに手をついた。



八神はもう自分の気持ちを止めることができず、尚も高宮の胸倉をひっつかみ



「おまえなんか、加瀬とつきあってる資格なんかねーじゃねえかっ! このまま加瀬と結婚するようなことがあっても! コイツはずっと・・ずうっとこんな思いしなくちゃなんねーじゃねえか! わかってんのかよ!」


泣きそうな声でそう言った。



「や・・八神さん・・。 やめてください、」


夏希は胸がいっぱいになってしまい、八神を止めようとした。



その騒ぎで社長室で仕事をしていた真太郎がやって来た。



「ど・・どうしたの・・」


二人の様子を見て驚く。


さすがに八神もハッとして高宮から手を離した。



そして


黙って早足に部屋を出て行ってしまった。



「だ、だいじょうぶ・・?」


夏希は高宮を心配した。


「うん、」


口の端に血が滲んでいたので、夏希は自分のハンカチを出して拭いてやった。


「なんか、あった?」


真太郎が心配して聞いた。


「い・・いえ。 なんでも・・ないです。 ほんと、」


高宮は気まずそうにそう言って何も言おうとしなかった。




「ほんと。 ゴメン。 おれ・・この前約束したのに、」


高宮は夏希と帰る途中、そう言った。


「え・・」


「前に真緒さんを部屋に入れたときもあんこを買うときに彼女の紹介だったことも。 夏希に言わなくて。 でも、今回もまた・・」



そんなに謝らないで・・



夏希は胸が痛くなる。


「言えなかったんだ。 昨日のことは真緒さんから一緒に行って欲しいって頼まれて。 断ろうと思えば断れた。 でも・・ほんっとなんか心配で。 粗相があったら大変だしって。 社長から命令されたわけでもなくて自分で行こうって決めちゃったから。 また夏希に誤解されたくなくて。 ・・食事も二人きりじゃなくて社長の奥さんも一緒で。 ホントは早く帰りたかったけど奥さんから誘われてしまって、やっぱり断れなくて。 八神さんの言う通りかもしれない、」


「隆ちゃん・・」


「夏希とつきあっていることを彼女に隠してるんじゃなくて。 聞かれてもないのに言うのはおれがヘンに彼女のことを意識しているんじゃないかと取られるのがイヤだったから。」



夏希は


うつむいたまま何も答えなかった。


彼女のマンションの前まで来てしまった。


高宮は足を止めて、


「部屋・・行ってもいい?」


と、小さな声で夏希に言った。



夏希はあんこを入れたキャリーバッグをぎゅっと抱きしめた。



「ごめんなさい。 今日は・・、」


うつむいたまま


目も合わせてくれなかった。



「え・・」



高宮はとまどいの表情を見せた。


「ごめんなさい、」



夏希はもう一度謝って、小走りにマンションのエントランスに入っていってしまった。



・・・え。



高宮は


何とも言えない虚無感に襲われた。



彼女がすごくすごく遠くにいるようで。


こんなに距離感を感じたのは初めてだった。




部屋に帰った夏希は


ぼんやりと座り込んだまま動けなかった。


あんこがそんな夏希を心配したのか、クンクンと鼻を鳴らしながらまとわりつく。



本当に


ただただ


ぼんやりと


時間だけが過ぎて行った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます