狂気は血を以って贖え

〜ハスエラ大聖堂・バルコニー〜

あれから何時間経っただろうか。僕はハスエラ教会のバルコニーから、信徒達が闊歩する市街地を見渡していた。

「物騒なもんだねぇ・・・」

すると、後ろから僕に話しかけながら、1人の老婆が近寄ってきた。

「うん・・・。お婆ちゃん、名前はなんていうの?」

「アタシかい?アタシは『エマ・ハイデルン』。ここの神父とは知り合いだね。一応、教会内の警備をやらせてもらってるよ。これでも若い頃は、騎士学校で戦闘技術だけはずっと最高評価をもらっていたからね。年頃の男にだって、負けた事は無いさ。・・・就いた仕事は、ただの縫い物屋だったけどね。」

「へー!エマさん、すごく強いんだね!」

「ああ。昔は・・・ね。今じゃ筋力も衰えて、あの時の感覚も失いつつあるけど・・・。まあ、どのみちアタシにゃ戦うことしかできないからね。ババアだって、こういう時くらい若いモンを少しくらい支えてやりたいもんさ。」

「ふーん。エマさん、何歳なのー?」

「こら、ボウズ。あんまりレディに歳を聞くもんじゃないよ。デリケートな問題なんだから。」

「あ、そうなんだ。ごめんね、エマさん。」

「ま、こんなババアが言ったところで、何の可愛げもないだろうけどね。アンタ、ガキにしては結構顔立ちが良いからね。今だって、それなりにモテてるだろう?それなりに。将来のためにも、今からそういう事を勉強しといた方が良いよ。」

「そんな事ないよ。それに僕、そんな事してる余裕無いし・・・。」

「何でだい?」

「・・・この話を聞いたら、どうせ僕の事を人間だなんて思わなくなっちゃうと思うよ?」

「・・・よく分からないけど、アタシは小さい事は気にしない主義なんだ。怖がらずに話してみな。」

「うん、わかった。・・・僕は生まれてからずっと、スラム街の中だけぇ生きてきたんだ。親はいないよ。だから、物心ついた時からずっと、近所のお爺ちゃんにいろいろ教えてもらいながら、ゴミを拾って生活してきた。・・・恋なんてした事無いし、考えた事もないよ。」

「アンタ・・・スラム街の子かい。そうかい、そうかい・・・大変だったんだねぇ。」

そしてその老婆は僕と目線を合わせるようにしゃがみ、頭を撫でてきた。

「エマさん・・・。」

「安心しな。アタシもマーク神父も、そんな事気にしたりしないよ。」

「・・・ありがとう。」

「別に感謝されるような事じゃないさね。・・・ところでさっき、お爺さんがどう・・・とか言っていなかったかい?」

エマさんが首を傾げる。

「うん。『ミハイル・ハルトマン』さんっていう、物知りなお爺ちゃんだよ。」

「・・・チッ。アイツ、そんなところに隠れてやがったのかい・・・。」

エマさんは舌打ちをする。

「ハルトマンさんがどうかしたの?」

「・・・アイツは、アタシの元夫さ。」

「えっ!!?」

僕は衝撃の事実に、思わず大きな声をあげてしまった。

「まあ、ちょっとしたモメ事とアイツの破産が原因で、アタシはアイツを見捨てるように離婚しちまったんだけどね。」

「そうだったんだ・・・。」

「今考えてみりゃ、あん時のアタシはちょっと冷たかったのかもしれないねぇ・・・。」

エマさんは肩を落とし、左手で自身の後頭部を掻いた。

「・・・で、ボウズ。アンタ、アイツが今どうなったか知ってるかい?ほら、今はこんな状況だろう?離婚したとはいえ、一時は同じ釜の飯を食ってた男・・・少なからず心配になっちまうのさ。アイツがあんな胡散臭い儀式に惑わされるようなヤツじゃないとは思うけど、最悪の場合、信徒になってるかもしれないだろうしねぇ。」

「・・・ハルトマンさんは・・・僕が信徒達に殺されかけた時、その僕を守るために信徒達の注意を引きつけてくれたんだ。・・・あれ以降、どうなったかは分からない。」

僕は俯きながら、最後に見たハルトマンさんの顔を思い出した。涙が出そうだったけれど、長年のスラム街生活で、辛いことや理不尽な差別に慣れてしまった僕の目からその滴が溢れ出す事はなかった。

「・・・そうかい。無事ならいいんだけどねぇ。」

「そうだね・・・」

「・・・あの信徒バケモノ達が、少し前までは普通にこの街で生きていた人間だったなんてねぇ・・・。まったく、世界ってのは残酷なもんさね。」

「うん。ほんとにね・・・。」

それからも、僕とエマさんの話はしばらく続いた。お互いにお互いの生活についね話したり、信徒達について情報交換をしたり・・・僕にとってこの時間は、束の間の信頼できる人との安心できる時間だった。しかし・・・警備をしていた騎士の断末魔と同時に、その時間は終わりを迎えた。

「マーク神父!北口の第二防衛ラインが突破されました!」

「なっ・・・!?最終防衛ラインは!?どうなっているんだ!?」

「そちらもすでに危うい状況です!突破されるのも時間の問題かと!」

「・・・くっ。」

「ヴヴヴヴヴヴヴヴ!」

信徒達の唸り声が聞こえる。奴らは本当に、すぐそこまで迫っているらしい。

「・・・エマさん。皆の避難を頼む。」

マーク神父は机の引き出しから1本の杭を取り出した。

「ああ。分かったよ。アンタは・・・やっぱりここに残るのかい?」

「そのつもりさ。僕はここの神父だからね。最期までこの大聖堂と運命を共にするつもりだよ。」

「・・・そうかい。アンタがそう言うなら、アタシは何も言わないよ。じゃあね、マーク。アンタに神の祝福がありますように。」

「ああ。じゃあ、また。エマさん。」

そう言って、マーク神父は、突破されかかっている最終防衛ラインのある北門付近へと向かい、そこで戦闘態勢をとった。

「皆!モタモタしないで、早くこっちに来な!」

エマさんはそう言うと、南側にある裏口の扉を開き、避難してきていた皆を誘導した。

「エマさん!マーク神父は・・・マーク神父は逃げないの!?」

「・・・アイツは自分の居場所を守ろうとしているだけさね。口出ししてやるんじゃないよ。」

「でも!」

「・・・死に場所くらい、選ばせてやりな。」

エマさんの目が、今まで以上に真剣になる。そのエマさんの目を見た僕は、これ以上マーク神父を引き留める気にはならなかった。それが決して正しくない選択だったとしても、彼にとってそれで良いなら、僕もそれで良いと思ったからであった。

「さ、行くよ。ボウズも逃げるんだ。・・・なぁに。安心しな。いざとなったらアタシが守ってやるよ。」

「・・・うん。ありがとう、エマさん。」

そして僕はエマさんに誘導されるがまま、教会の裏口から路地裏へと向かった。

〜ハスエラ市街地・路地裏〜

「ねぇ・・・本当にここを行くのぉ?」

「大丈夫かしら・・・」

「怖えよお・・・母ちゃん・・・。」

皆が怯えながら、路地裏を通り抜けていく。エマさんが言うには、この先に広場があるんだとか。

「皆!大丈夫かい!?信徒を見つけたら、すぐに言うんだよ!」

先頭を歩くエマさんが皆に注意を呼びかけながら、広場を見渡す。

「・・・よし!安全確認完了だ!広場は大丈夫みたいだよ!」

それに続いて、皆が続々と噴水広場へと顔を出す。そして僕も、路地裏を抜けて広場へと到着した。ここが第二の避難場所となるようである。

「はぁ。老体にこの忙しさは響くよ・・・。」

「大丈夫?エマさん。」

「ああ。・・・だけど・・・。」

「?」

「・・・もうそろそろ時間切れみたいだね・・・アタシはそろそろ立ち去らせてもらうよ。」

「・・・へ?」

エマさんはそう言うと、噴水広場と外部を繋ぐ門を開き、一人、広場の外へと出て行こうとした。

「エマさん?なんで・・・なんで行っちゃうの・・・?」

僕は当然、意味不明な行動をするエマさんを追いかけた。しかしエマさんは右腕の袖をまくり、明らかにたっぷりの血が中に溜まっているであろう真っ赤なイボのようなものができている二の腕を僕に見せつけて、

「・・・アタシはもうダメみたいだ。おかしくなっちまいそうなんだよ。この場所にいても、もうアタシは役に立たないどころか、皆を殺しちまうかもしれない・・・。そんな狂気に呑まれちまったババアに居場所なんて無いのさ。じゃあね、ボウズ。」

そう言い残し、暗闇の中へと消えていった。

「エマさん・・・?エマさん!!エマさあああああああああん!!待ってよ、エマさん!扉を開けて!ねえ!」

僕は必死に、エマさんが去り際に鍵を壊し、開かなくなった門を叩く。

「(・・・ごめんよ、ボウズ。アンタまで死んじまうよりはマシだ。生きてるヤツは、1人でも多い方が良いからね。アタシはこの街の片隅で、自分の血と狂気に溺れて死ぬとするよ。)」

そして、エマさんの姿が闇に呑まれて見えなくなるまで、僕は門を叩き続けた。涙は出なかったが、それでも僕は、必死に鋼鉄製の門を、手から血が出る程叩き続けた。

「う・・・うう・・・エマさん・・・エマさん・・・」

まただ。ハルトマンさんも、マーク神父も、エマさんも。僕に理解を示してくれてた人は、僕が心を開いた人は、皆、どこかへ行ってしまう。離れ離れになってしまう。誰が生きているのかもわからない。ハルトマンさんも、マーク神父も、エマさんも。誰一人、生き残っていないかもしれない。

「ぐええええええええ!」

僕が嘆き悲しんでいると、遠くから、ついさっきまで側で聞こえていた老婆の断末魔のような声が聞こえた。

「エマさん・・・嘘・・・でしょ・・・?嘘だよね?エマさん!?エマさん!!」

エマさんが去っていった道の奥から、赤黒い血が石畳を伝って流れてくる。

「え・・・あ・・・。」

僕は膝から崩れ落ち、鋼鉄の門を再度叩き始めた。

「・・・うああああああああああああああああああ!!」

暗闇へと消えたエマさんは、僕からは決して見えない場所へと離れていってしまったはずだった。しかし、僕は今、この瞬間・・・誰かに頭を撫でられたような気がしたのだ。ついさっきも撫でてもらったこの感触・・・すごく鮮明に覚えている。

「エマさん・・・?」

「・・・フフッ。絶対に、生き延びるんだよ。」

耳の奥で、そんなエマさんの声が聞こえたような気がした。

「うああ・・・。」

僕は門を叩くことをやめ、頭を抱えてその場で震えだした。

「エマさん・・・何で・・・何で・・・僕が心を開いた人はみんな・・・!みんな・・・!」

僕の目には涙が溜まり、今にもそれが溢れ落ちそうな程であった。しかし、物心ついた頃には泣き方を忘れてしまっていた僕の涙は、やり場がどこにも無かったのである。

「うう、ううう・・・」

僕はまた、一人ぼっちに戻ってしまった。誰も、何も、虫の1匹すらも、僕に構うことは無い。

そして、リーダーもいない避難民達が集まる閉鎖されたこの噴水広場で、僕は少しずつ、心が削ぎ落とされていくのであった。


《エマ・ハイデルン》

狂気による発作(大量出血)により死亡


〜トピック〜

信徒

自らを「預言者トルア」と名乗る謎の訪問者によって人々に施された「血の洗礼」という儀式により、悪魔のような醜い怪物へと豹変してしまった生物達。当然だが個体によって姿が異なり、その基準として、元となった人間が秘めている野心や邪心が関わっているようだ。ざっくりとした姿の分類としては、竜人タイプ・獣人タイプ・魔人タイプ・巨人タイプなど。主に儀式の対象とされた生物は人間だが、他の動物達も、飼い主と共に施されたり、トルア自身がその他の動物を無理矢理血の底に沈めるかたちで儀式を受けさせたりしたケースも少なくないため、それに巻き込まれた犬や猫、トカゲやカラス、ネズミや豚などといった生物が元となっている信徒も存在する。

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