第一章 三つの魂

スラムの少年 ルイス

〜ハスエラ市街スラム・路地裏〜

「モグ・・・パサ・・・。」

僕は今日も、ライ麦パンを齧りながらゴミ捨て場を漁る。そして、まだ使えそうなゴミを集めて色々なところを回り、二束三文でそれを売る。そうして生計を立て、僕は生まれてからの9年間をこのスラム街で過ごし続けてきた。このスラム街で生きている人々は、1日1食、「何かを口にする事ができれば良い1日である」という事が常識だと思っている。そして僕も当時は、そう思っていた。なぜなら、この近辺から外に出た事が無いからである。

このスラム街は一応、「ハスエラ市街地」という市街地の一部に入っているらしいが・・・実際に僕達の生活は、本当に「市街地」と呼べる場所で生きる人々に比べて何十分の、いや、何百分の一も貧しい生活だった。「早くスラム街から出て真っ当な教育を受け、社会に貢献したい」などと言い、本当にスラム街を離れた人もいたが・・・そんな人はスラム街から出た瞬間に「臭い」、「汚い」、しまいには「人の形をしたゴミ」なとと揶揄され、そのままどこか連れ去られて嬲り殺しにされてしまっているようだ。何故、外のことを知らない僕達がその事を知っているのか。理由は簡単である。このスラム街からいなくなった人々の遺体が、「ゴミはゴミ箱へ」という具合にこのスラム街へと返される・・・もとい、捨てられるからである。故に、僕達はこの街から出る事すらも許されていないという事なのだ。

どの道、僕達に救いは残されていなかった。それでも・・・そんな絶望的な人生しかし待っていないと分かっていても、僕達はいつか救われる事を夢見て神に祈りながら、「治安は悪い、生活水準も最低かそれ以下、オマケに汚い」と三拍子揃ったスラム街で、自身にとって本当に明日が来るかどうかもわからないような安定も何も無い日々を、精一杯生きていた。

しかし、そんな僕達の前に、ある1人の男が現れた。彼は自らを「預言者 トルア・ギーク・ミランドラ」と名乗り、人々の前で数頭の山羊を惨殺した。そしてその肉を振る舞うと共に、山羊が流した血を真っ白な浴槽のようなものに溜め、人々に「血の洗礼」なるものを授け始めたのだ。

初めは皆戸惑っていたが、1人、また1人と洗礼を受け始めた。もう、救われるかもしれないなら藁にもすがる思いだったのだろう。僕だってそれは皆と変わらない。

しかし、僕がその洗礼を受ける事は無かった。

スラム街のさらに端っこの辺りに、「ミハイル・ハルトマン」という物知りな老夫がいた。僕はかつて、その老夫と偶然知り合ってしばらく話をした事があるのだ。ハルトマン氏は元々ここで生まれた人間ではなく、市街地で経営していた会社が破綻してスラム街での生活を余儀なくされた人間らしく、普通にここで生活していては、一生、知るどころか聞くことすらできないような知識を持っていた。そして、その一部を教えてもらった僕は、「山羊は悪しきものの象徴である」という事も知っていたのである。故に、洗礼を受けた者達が「洗礼を受けた瞬間から元気が湧き出て止まらない」だとか、「難病が治った」だとか・・・そんな事を言っていても、僕は誘われても、自ら洗礼を受ける事を拒んだのである。

それに・・・洗礼を受けようと、預言者に群がっていた人達も、洗礼を受けた人達も・・・皆、様子がおかしかった。視点が合っていないような・・・。そんな具合だった。こんな皆の様子からしても、やはりあの洗礼は胡散臭すぎる。

そして今日。やはり僕の判断は正しかったのだと、身をもって自覚する事となった。

血の洗礼を受けた人達・・・つまり、様子がおかしくなってしまった人達が、次々と雄叫びのようなものをあげた直後に暴れ始めたのである。そして、僕と同じように洗礼を拒んだ何人かの生き残りは、洗礼を受けておかしくなった人々・・・通称「信徒」に敵と見做されたのか、次々とあの時の山羊のように惨殺されていった。もちろん僕も例外ではなく、僕を見つけるや否や、色々な姿をした信徒達は人間とは思えないほどのスピードで向かってくる。

襲ってくる信徒の中には、「人間だった頃の原型をある程度保ったゾンビのようなもの」、「竜人のような姿をしているもの」、「死神のような姿になってしまったもの」など、その姿には元となった人の「邪心」が反映されているのか、人ならざる姿の信徒が多く見られた。

僕は逃げた。必死に逃げた。襲いかかってくる信徒達から逃げた。走って、跳んで、近くにあるもの全てを利用して、信徒達から逃げ続けた。それでもスラム街を埋め尽くすほどの信徒達は、逃げても逃げてもそこら中から湧いてくる。

「もうそろそろダメかな・・・。」

僕がそう呟いた、その時だった。

「ウオオオオオオオオ!!」

見慣れた姿の老夫が、戦斧を振り回して信徒を蹴散らし始めたのだ。

「ハルトマンさん!?」

そう。その老夫とは、僕にいろいろな知識を与えてくれたあの老夫・・・ミハイル・ハルトマン氏であった。

「儂なら大丈夫だ!戦闘技術には自信がある!この程度の奴らにやられたりはせん!早く安全なところを探して逃げるんじゃ!」

「で、でも・・・!」

「いいから早く行くんじゃ!儂を信じろ!」

「・・・うん。ありがとう。ハルトマンさん!」

僕はハルトマン氏が信徒達を抑えてくれている間に、さらに遠くへと走っていった。

「ハァ・・・ハァ・・・。」

僕は逃げた。走って逃げた。安全な場所を求めて、どこまでも。

そして、僕は信徒から逃げつつ、いろいろな場所を巡っていく中で、2つの物事の結論に辿り着いた。それは、「人々の信徒化は『血の洗礼』が原因である」という事と、「どうせ逃げるなら聖職者が多い場所の方が良い」というものだった。まず1つ目の結論に至った経緯としては、「信徒化しているのは、さらっと見ただけでも血の洗礼を受けた人々だけ」で、逆に血の洗礼を受けていない僕やハルトマン氏はその影響を受けていなかったからだ。そして2つ目は、「聖職者が非公式の洗礼を受ける訳が無い」と考えたためである。預言者トルアは、「預言者」と言う割に、神からの御言葉みことばを何も語っていなかった上、「各地を回って(血の)洗礼を授けている」と言っていた。逆に考えれば、ただ、人々が信徒化する原因となった血の洗礼を授けていただけなのである。それ故に、僕は預言者トルアからは聖職者の匂いを感じなかったのだ。という事は、血の洗礼が非公式である可能性が高いという事である。それが何を意味するかはここに書き記すまでも無いだろう。・・・さあ、そうと分かった以上は、まずは教会に行かなくては。そして早く、聖職者達に現状を伝えるのだ。

この状況で、一体、何人が無事に生き残っているかは分からないが・・・1人でも多くの生存者が無事である事を祈って、僕は、「ハスエラ大聖堂」へと走っていった。

〜ハスエラ大聖堂・礼拝堂〜

僕は信徒達を何とか撒き、ハスエラ大聖堂の裏口へと到着した。

「よいしょっと・・・!」

そして、その裏口の引き戸を引いた僕は、急いで教会内へと入って辺りを見回した。

良かった・・・。どうやら、僕と同じ事に気がついた数百人の生存者が、ここへ逃げ込んで来ていたようだ。もちろん、神父やシスター達も無事であった。

「おお、君は!ハルトマンさんから話は聞いているよ!」

僕が胸を撫で下ろしていると、神父の方から僕に話しかけてきた。ハルトマン氏から話を聞いているという事は、僕がスラム街の人間だという事も知っているだろう。それなのに話しかけてくるとは、物好きな人もいたものだ。いや、ただ単に「隣人愛」というやつだろうか?

「あなたが、ここの神父さんなんですか?」

「ああ!僕の名前は『マーク・パリィ・スタイン』!20年前からここの神父をやってるんだ!ここに来たからにはもう大丈夫!ここにいる皆は、例の怪しい儀式は受けてないからね!」

「そ、そう・・・なんですか・・・。良かった・・・。」

マーク神父は机の中から十字架が付けられたペンダントを取り出し、僕の首にかけてくれた。

「これは僕たち教会関係者が作ったお守りみたいなものさ!君にも、祝福がありますように!」

「マーク神父・・・。」

長きにわたるスラム街での生活で疲れきった心に、マーク神父の深い愛は僕に、9年もの人生の中で、これ以上に無いほどの安らぎを与えた。

そして僕も、避難してきた人々に混じって、ここでしばらく生活する事にした。街の方では宗教騎士団の人々や、血の洗礼を拒んだ人々が万が一にと備えて作った自警団に所属する一部の人々により結成された「討伐隊」によって、信徒の「駆除」が行われているらしいが・・・正直、信徒化がその程度の対策で何とかなる数で収まっているとは思えない。それでも僕は・・・いや、ここにいる僕達全員は、その人達が無事に信徒達を片付けてくる事を祈って、討伐隊の帰りを待ち続けるのであった。


〜トピック〜

スラムの少年ルイス

年齢9歳。生まれてこの方、「信徒化」の事件が起こるまでスラム街の中から出たことが無かった。しかし、その外からスラム街にやってきた知り合いの老夫の影響により、最低限度の常識はある。また、運動神経が良く、幼い頃からスラム街を走り回っていた事もあり、パルクールの腕前は折り紙付きである。少し精神が安定しないようだが基本的には純粋な性格。だが純粋である故に、自らの障害となるものは徹底的に切り捨て、負の感情を覚えた存在に関しては、絶対的な敵対心を示し、行動に移す。また、こんな状況にも関わらず、もう少し話が進むと、とある修道女に好意を寄せ始めるが・・・それはまた別のお話。

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