第11話 保健室での遭遇

 

 朝陽の通う学校は二学期に大きな行事が集中している。

 その一つが夏休み明けの文化祭であり、二日にわたって開催される催しはクラスごとの出し物によって作り上げられ、一般参加の来校者も交えた一大イベントになっていた。

 しかし、一年生の出し物は展示系と決められており、上級生が展開する縁日や飲食店の前に、いまいちノリきれないのが例年のことらしい。


 そしてもう一つは、中間テスト後に待っている球技大会だ。

 男子はサッカーとソフトボール。女子はバスケとバレーで他クラスと競い合い、優勝するとちょっとしたご褒美が用意されているとか。さらには種目別のMVPに贈られる特別な賞品にとある伝説が存在しているなど、生徒間で盛り上がりに欠けることはない。


 男子としては異性への格好のアピールチャンスでもあり、運動部を中心に学校全体が異常な熱気に包まれる。


 朝陽のクラスもその例に漏れず、練習から相当な気合が入っていた。

 もしかすると、文化祭の鬱憤を晴らす意味もあるのかもしれない。


「それにしても、練習から顔面ブロックとか気合入りすぎじゃね?」

「……うるぜえ」

「おい、無理に喋ろうとすな。口に血が入るだろ」


 お前が喋らせたんだろ、と文句を言いたくなるのを抑えて朝陽は大人しく口を噤んだ。

 隣を歩く千昭のお喋りは止まらず、付き添いの人選を間違えたと今更ながら後悔する。


 その間にも、鼻から流れる血は止まる気配がない。

 親指と人差し指で何とか塞き止め、保健室へと急ぎ足で向かう。


「いやー、あのシュートの威力はえぐかったな」


 千昭が引き攣った苦笑いを浮かべるが、当事者である朝陽としては笑顔の欠片すら浮かばない。

 

 球技大会を一週間後に控え、体育の授業は各自参加予定の競技を練習することになった。他クラスとの合同授業とあって、前哨戦として練習試合を行う流れに。

 朝陽はサッカーのディフェンスとして素人ながらに奮闘していたのだが、前半のロスタイムに強烈なシュートが顔面にクリーンヒット。

 その相手がサッカー部だったこともあり、鼻から派手に出血した朝陽は問答無用で保健室送りとなったのだった。


「この辺でいい。お前はもうすぐ出番だろ」

「そろそろ後半か。絶対に生きて戻ってこいよ、俺は待ってるからな」


 別れ際に壮絶なフラグを立てていった千昭だが、たかが鼻血で人生の幕を閉じるとなると死んでも死にきれない。


 貧血によるものか、若干ふらふらする足に力を入れ、鼻を押える手を真っ赤に染めながらも何とか保健室に辿り着く。


「失礼しま……す?」


 ガラガラガラ、とスライド式の扉を開けた先の光景に朝陽は目を丸くした。

 保健室の先生は白衣を着た白髪のおばあさんのはずが、視界に飛び込んできたのは長い黒髪に青色のリボンが印象的な体操着姿の少女だ。


「なんで氷室がここにいるんだ」

「あなたと同じですよ、怪我をしたに決まっています」


 どこか覚えのあるやり取りを挟みつつ、まず朝陽は手についた血を水道で洗った。

そして、ソファーに座っている冬華に視線を向ける。

 怪我をしたというのはどうやら右手首のことらしく、わかりやすく腫れているのが見て取れた。


「それ、どうしたんだ」

「バスケの練習中に少し捻りました」


 特に意識していなかったが、合同授業の相手は冬華のクラスだったらしい。

 男子がグラウンドで練習試合をしている間、同じように女子も体育館で前哨戦が行われていたのだろう。そこで何かしらのアクシデントがあったというわけだ。


 氷嚢ひょうのうを当てている細い手首は青紫色に滲んでいて、時々冬華は苦痛に顔をゆがめていた。


「何かお前、ここ最近災難な目にあってばかりだな」

「それは否めませんね……」


 発熱で倒れたり、手首を怪我したり。

 何かとツイていない冬華は小さくため息をつき、それから目を細めて朝陽の顔を見た。


「鼻血、どうしたんですか」

「サッカー部の全力シュートが顔面に飛んできた」

「あなたも随分な災難ですね……」


 実際の場面を想像したのか、冬華が顔をしかめる。

 どちらかというと冬華のほうが痛々しい気がするが、自分の怪我とはまた違った感覚なのだろう。


「あっ、血が床に……」

「やば、垂れてきた」


 成り行きで話しているうちに、止まりかけていた血が再び流れ始める。


「保健室の先生は?」

「先生宛の電話がきたらしく、職員室に呼び出されてそれっきりですね」

「マジか……まあいいや、それなら自分でやる

 勝手に引き出しや棚を漁って自ら適当に処置を施していく。

 あとはこれ以上の流血を防ぐために詰め物をすればいいのだが、目的の物が見当たらない。


「ガーゼがねえ……」

「右下の棚です」

「本当だ、助かる」


 思わぬ援護射撃に礼を言いつつ、朝陽は慣れた手付きで止血を完遂した。


「よく位置わかったな」

「保健委員なので」

「へえ、立候補?」

「まさか。じゃんけんに負けました」

「なるほどね」


 委員会の所属は強制ではなく、クラスから数名の抜擢となっている。

 やる気のある生徒がいれば円滑に話が進むが、ほとんどは週一かそれ以上の活動に部活や遊びの時間を奪われることを嫌い、最終的にはじゃんけん大会に発展するのだ。


「あの時、グーを出すべきでした」


 恨めしそうに呟く冬華に思わず笑ってしまうと、すぐさま鋭い視線が飛んでくる。


「間抜けな顔ですね」

「うっせ、鼻血だしたら誰でもこうなるわ」


 鼻の穴にガーゼを詰めた朝陽を見て、今度は冬華が遠慮なしに鼻で笑った。

 それは渾身のグーを笑われたことへの反撃だったのだろう。そして同時に、朝陽に対する態度の変化をよく表していた。


 きっかけは間違いなく、スーパーでの一件だ。

 あの日以来、冬華は朝陽への態度を軟化させていた。

 マンションですれ違う際は短く挨拶を交わすようになったし、今のように何気ない会話もそこそこ続く。


(他の奴にも同じようにすればいいのに)


 言葉や態度が冷たく素っ気ないのは変わりないので、気を許されたと考えるのは思い上がりだろう。

 しかし、そうとわかっていても距離感の違いに不思議な気がしてならない。


「また私の顔に何かついていますか?」

「いや……ちょっと気になることがあって」


 無意識に冬華を見つめていると、またしても冷たい視線が飛んできた。

 やはり、ここら辺の厳しさは変わらないらしい。


「その怪我、球技大会に間に合いそうなのか?」


 冬華から目を逸らし、朝陽は誤魔化すために話を変えた。


「間に合うかはわかりません」


 質問をすれば答えが返ってくる。少なくとも、そのくらいの関係は築けたようだ。


「とりあえず、一週間は必ず安静にしろと」

「本番ギリギリか」

「そう、なりますね」


 ふと冬華の端整な顔が曇る。

「当日は参加できるといいのですが……」

「意外だな。あまりこういうイベントに興味ないのかと」

「……バスケは好きなので」


 カラメルの瞳が痛々しい患部を映す。


 冬華がバスケを得意とすることは聞いていた。

 今回の球技大会も気合が入っているらしく、帰宅部ながらも冬華への周囲の期待は高いらしい。


「早く治るといいな」


 もう少し気の利いた言葉は言えなかったのか。

 表情を暗くする冬華を見て、そう後悔しても遅い。


「ありがとうございます」


 冬華は端的にお礼の言葉を述べ、それから口を閉ざした。


 会話が終わり、沈黙が訪れる。

 治療を終えた朝陽としては保健室に残る必要はない。

 冬華に背を向けて、再び保健室の扉を開ける。


「お大事に」


背中越しに届いた気遣いの言葉に朝陽はこそばゆい思いがした

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