第83話 敗戦の話


 トゥユの振るった戦斧をエヴラールは簡単にいなしていく。エヴラールの握っている剣は左右の長さが違っており、右手が長剣で左手が短剣になっている。小回りの利く短剣で敵の攻撃を防ぎ、威力のある長剣で相手を攻撃するのがエヴラールの戦い方だった。

 普通の短剣でトゥユの振るった戦斧を受け止めるなどできるはずはないのだが、エヴラールはそれを事もなくやってのける。それはエヴラールが長い時間をかけて会得した剣術の賜物だった。


「何、それほど難しい事ではない。貴様の攻撃をよく見て適切な角度で剣を構えれば受けられない攻撃などないのだ」


 それはエヴラールにとってはと言う意味で、すべての人間がエヴラールの剣術を会得したとしても決してできる物ではなかった。

 トゥユの戦斧をはじいたエヴラールは今度は自分の番だとばかりに攻撃を仕掛けてくる。短剣の方でフェイントをかけたと思ったら長剣の方で攻撃してくる。これは何とか防ぐ事ができたが、今度は逆に長剣の方でフェイントをかけてくる。

 変幻自在の攻撃にトゥユは防戦一方になるのだが、戦斧全体を使って何とか回避していく。


 ──今までの二刀流の人とはレベルが違うわね。私の攻撃する隙が全然できない。


『あぁ、これだけの攻撃はなかなかお目に掛かれる物ではない。二刀流での戦い方を極めていると言った感じだな』


 長剣がウトゥスを掠め、トゥユの横を抜けて行く。今の攻撃も首を捻ってなければトゥユの顔を貫いていた事だろう。トゥユも攻撃をしたいのだが、手数で上回るエヴラールはその隙を与えてくれない。


「貴様の力はこの程度の物か。所詮は人間。期待した方が間違いなのか」


 落胆の表情を浮かべるエヴラールだが、トゥユにも意地がある。一瞬の隙をついて距離を取るとやっと戦斧を十分に振るえるだけの距離が開いた。

 これを好機と見たトゥユは一気に攻勢をかける。長大な戦斧を短剣のように素早く振り、エヴラールに攻撃をする隙を与えない。


「これで!!」


 力を込めて振るった戦斧はエヴラールの右腕を切裂いた。右腕からは動脈を切裂いたのか大量の血が噴き出しているが、エヴラールの表情に変化はない。

 その変化のない表情の理由はすぐにトゥユも分かった。あれだけ噴出していた血が見る見るうちに止まっていくのだ。

 何とか一撃を加えたとトゥユが安心した表情を浮かべていたのだが、血が止まったのを見て驚きの表情に変わっていった。


「驚くことはない。瘴気も使い方を知ればこれぐらいはできるようになる」


 泰然自若たいぜんじじゃくとした態度でトゥユを見つめるエヴラールは何度か右腕を振ると動くことに支障はないのを確認する。


「そんな事もできるんだね。これは困ったな、どうすれば良いんだろう」


 思わずもれた呟きにエヴラールは端的にそして、明快な答えを提示してきた。


「悩むことはない。俺を殺したければ首を刎ねるか心臓を潰せばそれでよい。いくら瘴気を使った所で首を刎ねられたりしたら生きていられんからな」


 全く持ってありがたくもないアドバイスだった。そんな事が簡単にできるならトゥユもここまで苦労をする事はない。


「素敵なアドバイスをありがとう。期待に応えられるように頑張って貴方を殺してあげるわ」


 そうは言ってみた物のトゥユに明確な作戦がある訳ではなかった。双剣の、特に短刀に対する攻め手が全く見つかっていないのだ。何とか入れた一撃も瘴気によってすぐに回復されてしまうと無駄な攻撃とさえ思えてきてしまう。

 それでもトゥユは床を蹴ってエヴラールに向かって戦斧を振るっていく。弱気になった所でやられてくれる相手など何処にもいないのだ。

 何度打ち込んでも防がれてしまう戦斧だったが、トゥユはどこか違和感を感じる。その違和感の正体はすぐには分からなかったが、戦斧を振るっていく内に違和感の正体が分かってきた。

 それはエヴラールの癖だ。癖と言ってもそんなはっきりしたものではなく、エヴラールが防御をしてから攻撃に転じる時、一瞬だが右腕の筋肉が動くのだ。その動きは非常に小さい物で目を凝らしてみても本当に動いているかどうか怪しいほどだったが、トゥユは間違いないと確信する。


 ──ウトゥスは分かった? あの人が攻撃する時に一瞬だけ筋肉が動くんだけど?


『そうか? 我にはそのようには見えなかったが?』


 一応ウトゥスにも確認を取ってみたのだが、どうやら分からなかったらしい。だが、その時、ウトゥスに異変があった。


『クソッ! ティートの奴か。ごっそり瘴気を持っていきやがって』


 ──どうしたの? ティートに何かあったの?


 急に声を上げたウトゥスにびっくりして確認をしてみると、どうやらティートの方で何かがあったようだ。


『いや、何があったかまでは分からんが、ティートが瘴気を持ってくって事はかなりピンチなんだろう』


 師匠と戦っているティートに何があったか気になる所だが、トゥユの方も余裕がある訳ではない。それならば先ほど感じた違和感を信じ、再度攻撃を行ってエヴラールが反撃してくるのを待つ。


「来た! ここだ!!」


 戦斧を防いだ瞬間、エヴラールの右腕の筋肉が動いたのが分かった。今までは何とか避けていた攻撃が今回は余裕を持って避ける事ができる。心身共に余裕が持てた事でトゥユはまず短刀を弾くために戦斧を薙いだ。

 攻撃する体制になっていたエヴラールはトゥユの戦斧に反応する事ができず、握っていた短刀が弾かれてしまった。


「何!? 馬鹿な!!」


 ここまで余裕のある表情だったエヴラールが初めて焦りの色を浮かべた。トゥユはこの機を逃すまいと素早く体勢を立て直すとエヴラールの首に向かって戦斧を繰り出した。


「嘘!? 有り得ない!!」


 トゥユの振るった戦斧は確実にエヴラールの首に向かっていたのだが、エヴラールは短刀が弾かれた左腕を自分の首と戦斧の間に差し込んできた。丸太のように太い腕だったが、トゥユの戦斧なら腕ごと首を刎ねる事は可能だった。

 だが、現実はエヴラールの首を刎ねるどころか、腕さえも斬り落とす事ができなかった。戦斧は腕を少し切った所で止まってしまっていたのだ。


「なるほど。俺の体に傷をつけるなんてシショウの奴が言うだけの事はあると言う訳か。だが、残念だったな千載一遇のチャンスを生かせなかったのだ」


 腕で戦斧を押しのけると、エヴラールは短刀が転がっている場所まで飛び退き、ゆったりとした動きで短刀を拾い上げると腕の調子を確かめるように何度か振るった。

 この時にはすでにエヴラールの腕から流れていた血は止まっており、腕には傷が残っているのみだった。

 トゥユはいまだに信じられないと言った感じで、エヴラールを攻撃した場所から動けなかった。戦斧を腕で防がれたのは獣化した時のティート以来で、その時はティートの体に針のような体毛があったからで、生身の状態で防がれた事など今まで一度もなかったからだ。

 ヒュユギストにも防がれた事はあるが、あれは骨で防いだので今回の場合とは少し違った。


『トゥユ、来るぞ! 早く構えるんだ!』


 あまりの事にその場で動けなくなっていたトゥユの元にエヴラールが迫ってくる。何とか戦斧で攻撃を防ぎはしたが、戦斧を握る手には力が入っておらず、吹き飛ばされてしまった。


『トゥユどうした! しっかりするんだ!!』


 ウトゥスの必死の呼びかけにもトゥユはノロノロと立ち上がり、何となく構える姿は魂が抜けているようだった。

 そんなトゥユの姿に少し落胆したようなエヴラールだったが、そんな事で手を抜く事は絶対にしなかった。気の抜けたトゥユに向かって猛攻を仕掛けるエヴラールだが、トゥユはほぼ反射神経だけで躱していく。


『何をしているんだ! そんな気の抜けた動きではやられてしまうぞ! 気合を入れ直せ!!』


 ──そんな大きな声を出さなくても分かってるよ。でも、さっきの攻撃が防がれちゃ勝てる気がしないんだよ!!


 駄々をこねる子供のように癇癪かんしゃくを起こしながらトゥユはウトゥスに応答する。


『何を言ってるんだ! 勝てない訳がないだろ。気持ちを落ち着けるんだ』


 エヴラールの攻撃を受けるたびに吹き飛んでしまうトゥユの姿にウトゥスは声を掛け続けるが、トゥユは死なないようにしているだけで、まるで覇気が感じられない。

 だが、その動きのおかげでエヴラールから決定的な攻撃を受ける事はなかった。普通の兵なら一撃で倒しきれるのだが、なまじ攻撃が防がれ、吹き飛んで距離を取られるため、殺しきる事ができなかったのだ。


「チッ! 面倒臭い動きをしおって……」


 舌を鳴らしてしかめ面を浮かべるエヴラールは予想外のトゥユの動きに苛立ちを覚えた。諦めてしまったのならそのまま大人しく死んでくれれば良いのに無駄に粘るせいで手間が増えてしまうからだ。

 吹き飛ばしたトゥユの元に一直線で向かうエヴラールは自分が防御をすることなど考えず、ありったけの力を込めてトゥユを押し込む。

 このまま押し込み続ければ、いずれはエントランスの壁に到達し、身動きが取れなくなるだろうという考えだ。そうなってしまえば一撃は何とかなるかもしれないが、連撃を防げぎきる事はほぼ不可能だ。


『トゥユ! もう後ろがないぞ! 回りこむんだ!』


 その声が聞こえていないのかトゥユはとうとうエントランスの壁際まで押し込まれてしまった。これでエヴラールから距離をとるには回り込むしかないのだが、今のトゥユにそれを行う気力はなかった。

 エヴラールの長剣を防いだ所で、何気無しに振るった戦斧は短剣に防がれてしまった。再び繰り出そうとする長剣にトゥユは戦斧を戻して防御をしようとするのだが、戦斧を引き戻すことはできなかった。


 ガチッ!


 鈍い音がするとエヴラールは短剣を戦斧の刃と柄の間の隙間に差し込んでトゥユの攻撃を止めたのだ。それはただトゥユの攻撃を止めただけではなく、同時に戦斧の動きも制していた。


『トゥユ逃げろ! 奴の攻撃が来るぞ!』


 ウトゥスの叫びも虚しく、エヴラールの放った一撃は見事にトゥユの胸を貫いた。胸から流れ出た血が長剣を伝い、鍔の部分にまで来ると粘り気のある血がゆっくりと床に零れ落ちた。

 剣をエヴラールが引き抜くと、支えの失ったトゥユはスローモーションのように倒れていく。その時目に入った鎧には穴が開いており、折角新調してもらった鎧を早速壊した事で「マールさんに謝らなくちゃ」と思いながら床とキスをした。

 床に倒れこんだトゥユはピクリとも動かなかった。胸からは今も血が流れ続け、後もう少しすれば全身の血が流れきってしまうのではないかと思えるほど大量の血が床に池を作っていた。


「俺に傷を負わしたのだ、良くやったと言うべきか」


 エヴラールは腕に付いた傷を見ながら独りごちると、その場を後にしようとトゥユに背を向けて歩き出した。だが、その歩みはすぐに止まってしまう。なぜならトゥユから大量の瘴気を感じたのだ。

 慌てて後ろを振り向いたエヴラールが目にしたのは、黒い靄に全身が包まれて倒れているトゥユの姿だった。魔の森にいた時にも目にした事がない光景にエヴラールは、


「なん……だ……これは……」


 何とか言葉を搾り出したがこれ以上は言葉が出てこなかった。全身に鳥肌が立ち、無意識の内に震えている指先はいくら命令しても震えが止まらなかった。

 得体の知れない恐怖を感じていたエヴラールが更に目を丸くするような事が起こった。それは黒い靄に包まれていたトゥユの指先が動いたからだ。

 手応えとしては間違いなくトゥユを殺したと思っていたのに、トゥユは指先を動かしただけではなく、地の池が広がる中、全身を赤で染め、仮面を着けた少女が倒れていた体勢から立ち上がってきたのだ。


「馬鹿な! 貴様は死んだはずだろ!!」


 ありえない光景に思わず叫び声をあげるが、トゥユは反応しない。だが、トゥユを覆っていた黒い靄がトゥユの中に消えていくとトゥユは顔を上げた。

 その瞳は先程まで戦っていた時のどこか虚ろな目ではなく、生気に満ち溢れ、エヴラールを殺してやると言う意思の入った目だった。

 トゥユは床に落としていた戦斧を拾い上げるとそのまま構え、エヴラールの方を睨みつける。


「ごめんなさいね。私はまだ死ねないの。だってまだ私は何も成し遂げてないもの」


 落ち着いた低い声がエヴラールの腹に響く。明らかに今までとは一線を画す雰囲気に背中を伝って汗が流れるのを感じる。この感じは初めて師匠と会ったとき以来だろうか。

 エヴラールは今まではどこかトゥユの事を見下していた。だが、今、目の前に居る少女は明らかに自分と同じぐらいの力を持っているのが分かる。それは決して油断のできる相手ではないが、エヴラールの実力を持ってすればまだ勝てるだろうと思っていた。


「そうか。なら今度こそ引導を渡してやる」


 地面を蹴ったエヴラールの長剣がトゥユの戦斧と交わると、金属がぶつかる高い音が響き、エントランスに再び音が戻った。

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