第49話 貧民街の話


 トゥユとナルヤは再び帝都に向かって歩いていた。

 ナルヤの村に向かう時も時々、ウルルルさんにナルヤを乗せて馬に乗る練習をしていたのだが、やっと形になり始めた。


「ご主人様! やっとちゃんと乗れるようになれました」


 ナルヤが嬉しそうにウルルルさんに乗りながら駆け回っている。正直、ウルルルさんは他の馬と比べても乗りやすい馬なのでもう少し早く乗りこなせても良かったはずだが、トゥユは黙っておく事にする。

 調子に乗ったナルヤを戒めるためか、ウルルルさんが急に前脚を上げて立ち上がると、ナルヤはウルルルさんから落馬してしまった。


「いったーい!!」


 地面に腰を打ち付けたナルヤをウルルルさんは「ほれ見た事か」といった表情で見つめる。

 トゥユたちがもう一度帝都に向かっている理由は、前回ナルヤの件があった事で見逃してしまった月星教の本部を見ておくためだ。

 行きの時に立ち寄った村以外の村を立ち寄りつつ帝都に着いたのは夜になってからだった。


「遅い時間になっちゃったけど、何とか帝都に着く事ができたね」


「じゃあ、ご主人様、私は宿を探してきます」


 ナルヤがトゥユをその場で待たせると、帝都の中心部に走っていった。

 奴隷という身分だったが、買われたときに帝都の街を見る事があったので、どこに宿があるか知っているらしい。

 しかし、いくら待ってもナルヤが帰って来る事がなく、心配でトゥユは街の中を見に行くことにする。


 トゥユが暫く街の中を歩いていると、路地裏でナルヤが男性に絡まれていた。

 何をしているのかと溜息を吐きながらナルヤの所に近づいていくと、仲間の男性に行く手を阻まれた。


「ここはガキの来る所じゃねぇ。とっとと帰りな」


 そんな言葉を気にする事なくトゥユは男の隣を抜けていくと、ナルヤの元に辿り着いた。


「しっかり見張ってろ! まあ、良い。お嬢ちゃん、俺たちはそっちのお姉ちゃんに用事があるんだ大人しく帰りな」


 見張りの男を叱りつけると、男性はナルヤを指さし、トゥユに帰るように言ってきた。

 トゥユとしては旅の疲れもあり、早く宿に行って寝てしまいたいのだが、大人しく返してくれる様子はない。


「ナルヤが貴方たちに付いて行きたいって言うなら私も何もする気はないけど、ナルヤはどう?」


 トゥユの問いかけにナルヤは首を激しく振って付いて行く気などないのを表現する。


「どうやらナルヤは貴方たちに用はないそうよ。それでも貴方はまだ何かあるって言うつもりかしら?」


「そっちのお姉ちゃんが用はなくても、俺たちが用があるんだ! 大人しくしろ!」


 いきなり殴りかかってきた男だが、トゥユに拳が届く事はない。この程度のスピードでトゥユに拳を当てようなど馬鹿げだ話だ。

 だが、トゥユがギリギリの所で避けているので、男は後少しで拳が届くと勘違いしたのか攻撃を止めるつもりはない。

 何度繰り出しても当たらない拳にイラつきを覚えた男は、腰に帯剣していた剣に手を掛けた。

 トゥユの中では拳で殴ってくる分には喧嘩の範疇だが、剣を引き抜いてしまえばそれは殺し合いとしてトゥユも本気で相手をする事になる。

 男の方もその雰囲気を感じたのか、剣を手に掛けたまま引き抜く事ができない。


「止めな!」


 声のする方を向くと、そこには赤い髪が特徴の女性が立っていた。

 男たちが少し安心したような、それでいて見つかってしまったバツの悪い複雑な表情をして女性の元に駆けていき頭を下げる。


「サーシャ様、お、俺たちは……」


 パン! パン!


 男たちの言葉を遮り、乾いた音が夜空に響くと、女性はトゥユの方に向かって歩いてきた。


「ウチの男たちが迷惑かけたね。付いて来な、何もないがお茶位は出そう」


 そう言って歩き出した女性の後をトゥユはウルルルさんを連れて歩き出した。


「あの、ご主人様、大丈夫なのでしょうか?」


 ナルヤは心配そうに付いて来ているが、トゥユはまるで心配した様子もなく付いて行く。


「大丈夫だよ。多分、あの人は良い人だよ」


 トゥユたちが連れてこられたのは貧民街にあるボロボロ……風通しの良くなっている家だった。


「遠慮せずに入ってくれ」


 サーシャに続き、トゥユたちが入っていくと、後ろから付いて来ていた男たちは家に入らずドアの所で見張りをし始めた。


「私はサーシャだ。ウチの男たちが迷惑をかけた。許してやってほしい」


 椅子に座るなり謝り始めたサーシャだったが、トゥユはすぐに頭を上げさせた。


「私はトゥユ、こっちにいるのがナルヤよ。私は気にしてないから大丈夫よ。剣を抜かせなかったのは良い判断だったわ」


 ナルヤも気にしていないと頷くと、サーバーが頭を上げた。


「どうしてこんな場所にいたんだ? 帝都の者なら危ないって分かっているので近づいてこないはずだが?」


「私たちは帝都の人間ではないわ。ナルヤがどうして貧民街に居たのかは知らないけど……」


 トゥユはナルヤの方に目を向けると、ナルヤは申し訳なさそうに口を開いた。


「ご主人様に宿があったのを早く報告したくて、近道をしようとしたら知らない人に捕まってしまいました……」


 意気阻喪したナルヤの姿を見たサーシャが急に立ち上がった。


「君はもしかして奴隷なのか? それならば……」


 と、ナルヤからトゥユに視線を移すが、


「元奴隷よ。私も名前で呼んで欲しいんだけど、ナルヤがどうしても呼び方を変えなくて」


 トゥユの顔を見たサーシャは嘘を言っているようには思えなかった。実際、ナルヤの首や手には枷が付いておらず、逃げ出そうと思えば何時でも逃げ出せるのだ。


「済まない。勘違いをしたようだ」


 サーシャが落ち着きを取り戻して席に座ると、再び頭を下げた。


「私たちはこんな所に住んでいる事もあって奴隷商に捕まって売られる者も多いのだ。それに対抗する為、私たちは自警団……とまでは行かないが、集団で奴隷商から守るようにしているのだ」


 帝都の貧民街は帝都から弾き出された者たちが住んでいるのだが、今の帝国の景気の良さに支えられ食料が全く手に入らないと言う事はない。

 皮肉なもので、それが『状態の良い』子供を作ることになってしまい、奴隷商の格好の狩場となっているのだ。

 そんな話をしていたからだろうか、ドアが急に開くと一人の男が入ってきて、


「サーシャ様、大変だ! 子供が奴隷商に連れて行かれた!」


 サーシャは何も言わず家を飛び出すと、男の道案内の元、子供が連れて行かれた場所に走っていった。

 話し相手もいなくなってしまったトゥユは仕方がないので席を立って宿に向かおうとしたが、震えているナルヤの姿が目に留まった。


「怖い?」


「怖いのもあるんですけど、子供たちの事を思うと……」


 そう言って黙ってしまったナルヤをみて、トゥユは溜息を吐いた。


「皆からは危ない事をするなって言われているけど、仕方がないわね。助けに行きましょう」


 ナルヤの顔が花の咲いたように明るくなるのを見てトゥユはナルヤをウルルルさんの後ろに乗せるとサーシャを追いかけた。

 トゥユが現場に着くとサーシャが一人の男性を相手にしていたのだが、男性の後ろには逃げていく二人の影が見える。


「ここは構うな! 奥の二人を追ってくれ!」


 トゥユはナルヤをサーシャに向けて放り投げると、


「この子をお願い!」


 と言ってウルルルさんをジャンプさせる。ナルヤは無事にサーシャにキャッチされたのを空中で見届けると、ウルルルさんは男の頭を踏み台に更にジャンプする。

 男は頭を踏み台にされた為、果物が潰れたような音がして悲鳴を上げる暇もなく崩れ落ちた。


 逃げていた二人は一人がその場に立ち止まりトゥユの足止めを買って出た。


「俺が残る! お前は子供を連れて逃げるんだ!」


 子供を抱えている男性が走りながら頷くと、残っている男がトゥユに向けて件を構えた。

 無謀にもウルルルさんを恐れる事なく真正面から向かってきた男に、トゥユはウルルルさんを止める事なく、巻いてあった布を取って戦斧の刺先を突き刺した。

 見事男の喉元に突き刺さった戦斧をそのまま肩口に構えると、前方で逃げている男に狙いを定める。次の角を曲がられてしまえば逃げ切られてしまう可能性が高い為、突き刺さった男を外している余裕がないのだ。

 トゥユが戦斧を逃げる男に向かって投擲すると、男が刺さったままの刺先が逃げる男の太ももに突き刺さり、二人の人間を地面に串刺しにする。男が倒れた影響で子供を空中に投げ捨てており、トゥユはウルルルさんをそちらに走らすと子供を無事にキャッチした。


「いてぇ! お前何やってるんだ! 離れろ!」


 地面に串刺しにされた男は、逃げていた男が抱き着いて来て倒されたと思い、退く様に言うが一向に退く様子はないし、なぜか左足が動かない。

 不思議に思った男が視線を上げると、戦斧が突き刺さっているのが見えた。それは残っていた男の喉元を貫き、さらに自分の足も貫いていた。

 状況を認識してしまった男は一層大きな悲鳴を上げる。


「男の癖にだらしないわね。体が串刺しになった位我慢しなさいよ」


 子供をウルルルさんに騎乗させて降りてきたトゥユは乱暴に左右に戦斧を振って地面から引き抜く。


「うがぁぁぁぁ!!」


 傷口を抉られるように引き抜かれた為、男は口から泡を吐き気絶しそうになるが、トゥユが傷口を蹴とばすので気絶する事ができない。

 そうして居る内にサーシャがトゥユの所にまでやってきた。


「トゥユは何者なんだ? 三人もの男を一人で倒してしまうなんて……」


 驚いているサーシャだが、トゥユは全く気にする事なくウルルルさんを連れてくると救助した子供をサーシャに引き渡した。

 子供はサーシャに抱きかかえられると安心したのか大声で泣き始めたが、サーシャは優しく頭を撫でるだけだった。


「この男の人はどうするの?」


 トゥユが男の足を蹴とばしながらサーシャに聞くと、「こちらで預かろう」と言って男をどこかに運ばせた。

 サーシャがお礼がしたいと言う事と、夜ももう遅いので宿を用意するというのでトゥユは付いて行くことにした。

 トゥユはボロボロになった家に案内されると、何かの動物を焼いた肉が運ばれてきた。

 これは貧民街の中ではかなりのご馳走でよほどの事がない限り出されない物らしい。


「トゥユはこれからどうするんだ? と言うか帝都には何か用事があるのか?


 トゥユも色々合った事で自分が何をする為に帝都にやってきたか忘れていたが、サーシャの問で思い出した。


「そうそう、私は月星教会を見に来たんだよ。忘れてたよ」


 トゥユは照れ笑いをして忘れてた事を恥じるが、サーシャは目つきが鋭くなる。


「トゥユは月星教の信者なのか?」


 少し緊張感のある声でサーシャが聞くが、


「違うわ。私は月星教の教えなんて知らないし、知る気もないもの」


 トゥユが信者でない事が分かるとサーシャの緊張は解かれ、先ほどまでの調子に戻った。


「信者でもないのに何故、月星教会になんて?」


 トゥユは一瞬言い淀んでしまった。ここでトゥユのやろうとしている事がバレてしまうことを心配したのだ。


「トゥユ、君は私達の恩人だ。君たちが何をしようが私たちは邪魔をしない。だから何をするつもりなのか教えてくれないか?」


 トゥユが一瞬言い淀んだのを見逃さなかったサーシャは人の上に立つ者に相応しい洞察力だった。

 トゥユがナルヤの方を向くとナルヤは話しても良いと頷いた。


「私は帝国と月星教を許さない。必ずこの手で潰すわ。その為の視察よ」


 サーシャは何処か納得したような表情をしていたが、ナルヤは自分の思っていた以上の話に狼狽えてしまった。


「ご主人様、私は月星教は許せないですけど、帝国までは言ってないのですけど……」


「ナルヤには言ってなかったわね。でも、ちょうど良い機会だから話してあげる。私は元王国軍の兵士よ。今、私たちは新しい国を作ろうとしている。その目標は王国に変わってできたミクトラン独立国、トルガロフ帝国、月星教の殲滅よ」


 ナルヤもサーシャも言葉が出なかった。想像していたより何倍も大きなスケールの話をされてしまったからだ。

 どれか一つでも成し遂げるのが難しいのに、トゥユはその全てをやってのけると言うのだ。

 そんな夢物語のような事を言ってくるトゥユだが、サーシャはトゥユならやってのけるのではないかと思えてくる。


「話は分かった。私にできる事は多くはなさそうだが、明日は月星教会を案内しよう」


「私は何があってもご主人様に付いて行きます。ご主人様のお世話は私が責任をもって」


 二人に笑顔を向けると夜も更けていた為、トゥユたちは就寝することにした。

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