第38話 逃走の話
リシャール監視塔から脱出したソフィアたちは追っ手に追われる事もなく逃げ切る事に成功した。
イーノ村へ向かう途中の森の中で野営をしているのだが、まだ革命軍の勢力下にある場所なので、火を使わずに野営していた。
監視役の者を数人立て、リシャール監視塔からあるだけ持ってきた食料を皆で分ける。
イーノ村までは後二、三日かかりそうだが持ってきた食糧がイーノ村まで持つかはギリギリの所だった。
「トゥユ隊長は無事ですかね……」
ルースが何気なく一言呟くと、
「無事に決まっている」
「無事に決まっているでしょ」
ソフィアとロロットに同時に反論された。ソフィアとロロットは同時に言った事が可笑しくなり笑い声を上げてしまうと、
「ここはまだ敵陣の中だ静かにした方が良い」
ワレリーが辺りを警戒しながら注意されてしまった。注意されてしまったのはルースのせいだとソフィアはルースを睨もうとするが、危険を察知したルースはいち早く逃げ出していた。
その時、木に登って哨戒をしていたエイナルから合図があった。
エイナルとは事前に何パターンか合図を決めており、今回の合図は誰かが近寄ってくると言うものだった。
ソフィアたちの間に緊張が走り、息を潜めて森と同化する。エイナルの指の合図によると、どうやら森の道を歩いている者が居るようだった。
遠くの方から松明の明かりが見えると、その松明はどんどんこちらに近づいてくる。
ソフィアが手でゆっくりと姿を伏せるように合図をすると、兵たちは音を立てないように姿勢を低くする。
どうやら近づいてくるのは革命軍の兵のようだが、わざわざ森の中に人が居るかまでは確認してくる事はない。このまま行けばやり過ごせると思いソフィアは息を呑んで隠れていた。
カーン!!
隠れていた兵が少し動いた所、他の兵の剣に鎧が当たってしまい辺りに金属音が響いてしまった。
極限の緊張状態で身じろぎした事で剣にぶつかって音がなってしまったのだが、今はそれを責めている暇はない。
「音がした! 誰か居るぞ! 警戒しろ!」
物音を聞いた革命軍の兵は松明を物音のした方に向けると、茂みの中に居た数名の兵が見つかってしまった。
ソフィアはすぐに革命軍の兵を倒してしまおうと命令をしようとするが、緊張していたためか声が出なかった。
このままでは革命軍を逃がしてしまう。その焦りが喉を締め付け、更に言葉が遠のいた。
「全員攻撃しろ! 誰一人として逃がすな!!」
ワレリーが見かねて指示を出すと隠れていた者たちが飛び出し、革命軍の兵に迫っていく。
革命軍の兵は全員で五人おり、襲撃があった場合の行動を初めから決めていたのだろうか、三人が盾役となり、二人がレリアたちが居た反対側の森に逃げ始めた。
五人対五十人の戦いなので殺される事はないのだが、この戦いは殺す殺さないではなく、革命軍の兵が逃げ切れるか逃げ切れないかで勝敗が決まる。
茂みから飛び出した兵が逃げた二人を追おうとするが、残った三人に邪魔をされ、すぐに追う事ができない。
更に後ろに隠れていた兵たちが加勢に来た所でやっと革命軍の兵を倒し、逃げた二人を追う事ができるようになったのだが、二人は既に森の中に入ってしまっている。
数名の兵が逃げた二人の後を追って森の中に入って行こうとするが、その兵たちにストップがかかる。
「止まれ! 森の中に入られてしまった以上、追う必要はない!」
ワレリーの命令に、森に入ろうとしていた兵はその場で足を止め、恨めしそうに森の中を見つめる。
「ワレリー殿申し訳ない。私がもっとしっかりしていれば敵兵を逃がす事などなかったはずなのに……」
やっと緊張の解けたソフィアがワレリーの所までやってきて頭を下げる。
「何、気にする事はない。ソフィア殿はずっと副官をやっておったのだ、いきなり隊長の代わり等誰にでもできる事ではない」
ワレリーはソフィアの肩に手を当て、頭を上げさせると微笑んで罪悪感を払拭させようとする。
ソフィアは改めてトゥユの凄さを感じていた。あの少女は何の経験もなしに隊長の役割をちゃんとこなしていたのだ。
自分など何年も副官をやっているだが、いざ、代わりを務めようとしたらこのざまだ。自分の無能さとトゥユの有能さの差にソフィアは全てが嫌になりそうになる。
「ソフィア殿、なるべく早くここを離れた方が良い。何時敵が来るかも分からんし、場所が割れた以上、留まっているのは危険だ」
ワレリーの言葉に我に返ったソフィアは頷いて指示を出す。
「まだ夜が明けてないが出発するぞ。今のうちにここを離れイーノ村へ向かう」
ソフィアの指示を聞いた兵はすぐに準備を始め、ほんの数分で出発する準備を整える。
「準備はできたな。それではイーノ村に向かって出発する!」
ソフィアの小声の号令に、大きな声が出せない兵は頷いて応答し、イーノ村に向かって進行を始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
二日後、ソフィアたちはイーノ村の前まで来ていた。
この人数でいきなり押し掛けてはイーノ村の人も驚くだろうと思い、兵をその場に待機させ、ソフィアとワレリーの二人がイーノ村に向かって歩いていった。
イーノ村の入り口では物見櫓から連絡を受けていた自警団の二人とマールが立っていた。
「そこで止まってくれ。この村に何の用だ?」
マールが声を掛けると村の前で止まったソフィアが応答する。
「私たちは王国軍の兵でトゥユの部下の者だ。トゥユにこの村にマールという人が居ると聞いてここに来た。マールという人に合わせてくれないだろうか?」
マールたちは聞き覚えのある二つの固有名詞が出て来た事で顔を見合わせると、村に入れても問題のない人物と判断する。
マールは王都にも居た事があるので知っている人が居ても不思議ではないが、この村でトゥユの名前を出すのはトゥユの関係者以外ありえないと判断したからだ。
ソフィアとワレリーを迎え入れると村長の家に案内する。
村長の家に通されたソフィアとワレリーは応接室で待っていると、マールに続いて老人の男性、それに、何処となく高貴な雰囲気の感じられる若い女性が入ってきた。
三人はソフィアたちの前に座ると、老人の男性が口を開いた。
「儂がこの村の村長をしておるウーログじゃ。今回はどのようなご用件で?」
ウーログの丁寧な物言いにソフィアも姿勢を正して答える。
「私は王国軍のトゥユ隊の副官をしているソフィアと言います。村に入れて頂きありがとうございます」
ソフィアが頭を下げるのと同じくしてワレリーも頭を下げる。
「隣に居るのはワレリー百人長でトゥユの戦友であります。今回、村を訪れたのはトゥユにこの村に居るマールと言う人物を頼るように言われ訪れた次第です」
ソフィアがイーノ村に来た理由を述べると、マールが口を開く。
「俺がマールだ。トゥユちゃんの事はよく知っている。この村に居た時は俺の家に泊まっていたからな。それで肝心のトゥユちゃんは今何処に?」
ソフィアは何処まで言って良い物か悩んでいたが、ワレリーに「全て話して大丈夫だろう」と言われたので知っている事を全て話す事にした。
トゥユによって助けられた事、そしてトゥユの副官になった事、トゥユが隊長になって隊を率いていた事、そして、トゥユの生死が不明な事。
「そんなはずはない! トゥユちゃんは強い子だ! きっと何処かで生きている!」
マールが席を立って声を上げる。ソフィアもその気持ちは良く分かるが、あくまで冷静に答える。
「私たちの全員、トゥユは生きていると思っています。だからトゥユの命令を守りこの村に来たのです」
しっかりとマールの目をを見つめると、マールは落ち着いたようで椅子に座り直した。
「そうか、トゥユちゃんには返しきれん恩がある。儂はトゥユちゃんが来るまでこの者たちが村に滞在する事を許可しようと思うがどうじゃろう?」
村長の提案にマールも女性も異論はなく、レリアたちは村に滞在する事の許可を得た。
「もう一つお聞きしても?」
村長達と一緒に座っていた女性が恐る恐る聞いて来るが、「知っている事なら何でも」とソフィアが答えると女性は質問を続けた。
「私はレリアと申します。今のお話では王国はかなり押されているとの話でしたが、父は、兄はどうなったのでしょう?」
父や兄と言われてもレリアと言う女性を始めてみたため、誰のことを言っているのか分からなかったが、村長が補足を入れる。
「こちらにいらっしゃるレリア様は王の長女に当たるお方じゃ。今はこんな辺鄙な村にいらっしゃるが、身分に間違いはない」
ソフィアもワレリーも、そしてマールさえびっくりしてしまった。こんな所で王族の方に出会うとは思っていなかったからだ。
ソフィアとワレリーは椅子から飛び降りると片膝をついて首を垂れる。
「王女様とは知らず申し訳ありませんでした!」
急に臣下の礼を取った二人をレリアは困った顔で見つめると、
「そんな畏まらないで下さい。私は王女かもしれませんが、存在は秘匿とされており、実際には存在しない王女なのです。それに今はイーノ村の村民でもあるのです」
ソフィアたちが顔を上げると、レリアは嬌笑を浮かべると「座って下さい」とお願いした。その笑顔は見る者が見たら一目で恋に落ちてしまうような笑顔だった。
ソフィアたちが未だに畏まりながらも席に着くと、自分たちの知っている王国の現状を離し始めた。
「そうですか。エリック兄さんはもう……」
話を聞いたレリアは悲しげに視線を落とすと黙ってしまった。
「我々の力が足りないばかりに申し訳ありません」
「いえ、貴方方のせいではありません。それに最後にこんな良い人たちと一緒に戦えたのです。兄も幸せだったでしょう」
ソフィアが力不足を謝罪するが、レリアは気丈に答えて見せた。
「ソフィア殿、一旦兵たちの所に戻って村に誘導してはどうだろう?」
ワレリーが外で待っている兵たちのことを心配し、ソフィアに進言すると「そうだな」と答え、一旦席を外して兵を呼びに行く事にする。
兵たちの総数を合わせると村人たちの人数より多くなってしまう。そんな人数の家屋などこの村にはないので、兵たちは村に隣接する所に簡易的なテントを作り雨風を防ぐ。
女性はソフィアとロロットだけなので、村長の家に泊めてもらう事になり、取り敢えずの居住を手に入れた。
ただ村に滞在しているだけでは食料も心許ないため、ルースは部下を率いて村の狩人と一緒に森に狩りに出かける事にする。
エイナルはその料理の腕を発揮するため、村で一軒しかない飲食店で働く事にし村人たちの胃袋を満足させている。
一番村人たちに重宝されたのは以外にもアルデュイノで、元々綿花の栽培が盛んな土地と言う事もあり、その服飾の技術は村の特産品の作成に大いに役に立った。
他の者達も自警団の手伝いをしたり、畑の手伝いをしたり、各々できる事で村の役立つ仕事をしていた。
ソフィアは全軍の指揮、ロロットは医者として働いていたが、余った時間はレリアとトゥユの話をして盛り上がっていた。
三人ともトゥユが大好きなので、尽きる話などなく、レリアはこの村に居た時以外のトゥユの活躍に興味津々だった。
ソフィアたちが村に滞在し始めた数日後、村の入り口に革命軍の兵がやって来た。
人数が増えた自警団を率いる事になったワレリーとソフィアが村の入り口で対応する。その姿は鎧を脱いでいるので村人と区別が付かなかった。
「イーノ村に何かご用ですか?」
ワレリーが自警団を代表して革命軍に質問すると、
「我々は元革命軍、現ミクトラン軍の兵士である。マヤウス領であるこの村もミクトラン独立国の庇護下に入るように伝えに来た」
「元革命軍? ミクトラン軍?」
──革命軍は知っているのだが、『元』が付いているのは何故だ。後、ミクトラン独立国とは……
ワレリーが疑問の顔を浮かべていると、
「あぁ、こんな辺鄙な場所では知らないのも無理はないが、ヴィカンデル王国はなくなった。それで元革命軍が新たに国を立ち上げ、その名前がミクトラン独立国と言う訳だ」
王国がなくなった事を聞いたワレリーは多少ショックを受けつつも、あの状況ではそうなるだろうと納得をしていた。
「王は? 王はどうなりましたか?」
何時の間にか来ていたレリアが父親の無事を確認する。
「ん? あぁ、王族の全員は死んだよ。ペドロの首は帝国に渡ったが、それ以外の王族の首は元王都であるトシュテンに晒されてある」
その言葉を聞いたレリアは気を失ってしまった。駆け付けたソフィアがレリアを村長の家に運び、ロロットが介抱をする事になった。
ワレリーは村長と相談し、ミクトラン独立国への恭順を表明し、ミクトラン軍の兵には帰ってもらう事にした。
数日後、目を覚ましたレリアだったが、その瞳には力がなく、食事も取らない日が続いていた。
そんな姿を見かねたソフィアが声を掛けるが、生返事をするだけで効果はなかった。ロロットも心の傷までは癒せないので手の施しようがない。
村長の家の外に出たソフィアは大きく溜息を吐くと、空を見上げ、
「トゥユ、生きているなら早く帰って来てくれ」
と呟くと力なく歩き始めた。
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