職務質問されました

 

 さて、スーパーに走ったはいいが、ミコトはとある面倒に巻き込まれていた。


 目の前には一人の警官がいる。

 腕を組んで見つめられる一方、こちらは気まずそうに視線を逸らす。まるで家出娘が声をかけられた構図だ。


「君、こんな大雨なんだから出歩かない方がいいよ。ましてやこんな大きな犬二頭をノーリードって逃げられちゃうかもしれないだろう?」

「いえ、これはそのう……。すみません……」


 一瞬、説明を考えるものの、都合のいい取り繕い方が思いつかなかったので溜め息で終わらせる。

 店の軒下でローブの水をはたき落とし、ゲリとフレキにはここで待つように言いつけようとした矢先、この警察官に声をかけられたのである。

 二頭がそんなことになるわけはないが、一般的な犬を考えれば仕方のない危惧だ。


 正直、失敗した。

 ワタリガラスの認識阻害をグウィバーに預けた分だけでなく、こちらにも作っておけば未然に防げただろう。

 下手なことに発展しないよう、ミコトは粛々とした対応を心がける。


「住んでいるのはこの近く? ひとまず、学生証みたいな身分証明書を見てもらえるかな。親の迎えが無理なら、パトカーで送ってあげるから」

「保護者はですね……」


 今、真横で猛烈に身震いしてぼさぼさになっている二頭ですとは言えない。

 こんな時に備えて大学生を装うための身分証明書はいくつか所持しているものの、それを見せてすぐに終わるものでもなさそうだ。


 どうしようか。いっそ、この警官を倒して逃げた方が楽な気もしてきた。

 物騒な思想が過っていたところ、ゲリが服の裾を引いてきた。


 目を向けるとフレキがパトカーで待機しているもう一人の警察官に向かってわざと視線を投げて誘導してくる。あちらは何やら車内無線相手に困り顔を浮かべていた。

 原因はこの二頭である。

 何故かは知らないが、伝達阻害で無線を妨害しているようだ。


 このような行動を取る理由はあるらしい。それを理解していたところ、目の前の警察官がずいと詰め寄ってきた。


「君、聞いているかい? ひとまずそのバッグの中身を見せてくれるかな?」


 それは大変、面倒だ。

 このショルダーバッグにはまじないや付与のための素材を詰めている。ただの鉱石や薬草のみならず、一部には骨や幻想種の目玉なんてものもあるのだ。

 こんなものを見せたら驚かれるどころではない。ますますもって、「ご両親が迎えに来るまで署で話を聞けるかい?」と補導されてしまう。


 そういう場合、身元引受人を代行してくれるのは封律機構の誰かということになるだろう。

 非常に心苦しい。そんな展開だけは御免だ。


 それにゲリとフレキの行動がきになる。何かあってのことだろうと目を向けていると、二頭が動いた。


「あっ、待って!?」


 警察官が危惧した通り、二頭が急に逃げ出す――そんな体で動き出してくれたので、ミコトは慌てた振りで追う。


「こっ、こら。待ちなさい!」


 警察官はぎょっとした様子で追ってきた。

 彼我の速力の差は圧倒的だ。そもそも警察官は個人用無線機まで付けている。足が速い一般人程度の走りでも十分に距離を稼げるだろう。


 彼らの目を掻い潜れる路地裏に逃げ込んだ瞬間、完全に撒くための行動に移る。

 ゲリとフレキともども建物の壁を足場に三角跳びの要領で跳躍し、建物の屋上まで逃げてしまえばこっちのものだ。一般人の逃げ方を想定して追ってきた警官は路地の向こうへと走り去っていった。


 それを上から確認したミコトはショルダーバッグからワタリカラスの羽を取り出し、認識阻害のまじないを構築する。

 息を吐いた後、ゲリとフレキの前に屈みこんだ。


「ごめんなさい。無警戒が過ぎて面倒ごとになりそうだったね」


 反省しますと正直に項垂れる。

 こんな時、普段の二頭なら「だから言った」「油断大敵」などと言いつつ粗雑に肉球を押し付けてグニグニされるものだ。


 けれども二頭は首を横に振る。そういえば彼らも警察に対して何かを感じていた様子だった。それが関係しているのだろうかとミコトは首を捻る。


「我らが狙われたわけではない」

「だが、『ミツ』とやらを探している様子だった」

「え、蜜……?」

「発音は同じ」

「何を差す『ミツ』なのかは不明」


 ミコトは顎を揉んで考える。

 警察は一般人に聞き取られても不安を与えないよう、ある程度は独特の用語を使っていると聞く。例えば足跡=ゲソと言ったりするアレだ。

 ヤクザが使うそうな言葉と被っていたりもするので、一部は聞き覚えがある。けれども『ミツ』という言葉には聞き覚えがない。


「うーん。そもそも私、職務質問をされるくらいに不審者かなぁ?」


 単に雨除けのローブを羽織り、大きなショルダーバッグと杖を持ち、狼二頭をノーリードで連れ歩くだけ……。

 そこまで考えたミコトは頭を抑える。

 確かに現代社会では浮いた存在になりそうだ。


 けれども、一つ気がかりだ。単なる注意を装っていたものの、パトカー内のもう一人は無線で『ミツ』とやらについて仲間と交信しながら様子を窺っていたようだ。

 それについては気がかりである。地中に感じた何者かの気配といい、これは偶然とは思えない。

 ゲリとフレキもその辺りを気にしているのだろう。こちらに視線をくれていた。


 買い物をして帰るつもりだったが、予定変更だ。ミコトは再び携帯端末を取り出す。


『――ミコトさん、何かありましたか?』

「はい。買い物をしようとした時、警察官に職務質問をされかけたんですけど、その際に『ミツ』という気になる言葉を聞いたので何かを知らないかなと思いまして。この辺り一帯に関して、そちらが把握している事態の情報を提供してもらえませんか?」

『上に確認いたします。折り返し連絡させてもらってもいいですか?』

「待っているので手早くお願いします」


 こういう場合は大抵、十分程度で返答があるものだ。

 携帯をしまったミコトはひとまずゲリとフレキに目を向ける。


「よし。あらためて買い物に行って待とうか」


 呼びかけると二頭は尻尾を振って応えるのだった。

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