予定調和の世界
グウィバーは再び大きく息を吐いた。
アルヴィンは〈妖精の耳〉という技能を持つだけでなく思慮深いために意味ありげなことをよく呟く。
それこそ当事者でもなければ何も推し量れないものを言ってきた。少なくとも今回はベネッタにとって関係がある何かを口にしたらしい。
彼女は怒られるのを恐れるような目でこちらを見ている。
まったく、どうしたものだろう。
竜とは試練や困難の象徴。拳で語り合うことの専門家であって、細やかな配慮は苦手なのだ。
ベネッタが口下手なところといい、不器用なところは親子共に似てしまったらしい。
「すまぬな。ウェールズの白い竜といえば侵略と敗北の象徴。ベネッタにはそれに依らぬものを与えてやりたかったのだが、妙なところが似たか」
「違うっ! あなたは私に
「ふむ……」
とりあえず謝るのが鉄則。そんな教えに従ってみてもこれだ。
ならば何故そんなに苦しそうで、泣きそうな顔でこちらを見つめているのだろうか。
理由を問いたくも思うが、聞かない方がいいことなのかもしれない。さて、これは一体どちらに連なる事態なのか。そんな迷いを抱くとどうしても安易には言い出せなくなってしまう。我ながら、赤子を前に惑う父のようだ。
今は優先すべきこともある。状況も見えることに期待して、様子見がいいだろうか。
ばさりと翼を広げ、ミコトから頼まれた仕事に備える。
「ひとまずこれらを里へ連れていくとしよう」
声をかけてみるものの、ベネッタは一歩を踏み出すことを迷っている様子だ。
この場に飛んでくる以前も同じく躊躇っていたことが思い出される。
「どうした?」
「私には、グウィバーに乗る資格がない気がしている」
これも答えることはないだろうかと思いきや、彼女は返答してきた。
国に仕える竜騎士でもあるまいに、一体何の資格が影響するというのだろう。少なくともグウィバーとしてはそんなものを設けた覚えはない。
「送り人でなかろうとも、構わぬ。ベネッタは我が御子だ。それだけでも理由は十分だろう」
彼女がアルヴィンのように竜の大地に身を置いていないのは理由がある。
黒竜を前に身を抱いていたことが答えだ。
あの竜は人間を酷く嫌う上、特別に強力で送り人として役目を負っていた時のベネッタには手に負えなかった。自分も含め、黒竜を止めようとはしたものの、力尽くで止めれば憤死すらしそうな勢いだった。
そんな時こそ有効になるのが送り人に与えられる聖刻だ。
あれは恩義と応酬の盟約。至竜を地脈に還すごとに溜まり、竜全体から魔力を借りることもできれば、この地の竜に対しては特別に効果的な拘束術としても使える。だからこそ当代の送り人の証として受け継がれてきた。
だがそれを以てしてもベネッタは力及ばなかったのだ。
けれどもベネッタは無茶をしてでも黒竜を止めようとし続けた。だからまだ幼いながらも望みのあるミコトに望みを託そうと、勘当同然に役目を剥奪してしまった。
そしていざとなれば黒竜を殺すつもりでミコトに挑ませ――彼女は結局手懐けてしまった。
そのことが尾を引いたのだろう。竜の大地の外から手助けをする位置に落ち着いてしまった。
里帰りはしてくれるとはいえ、この古傷はどうにも消えないらしい。
「……すまない。待たせた」
けれども騎乗については先程もした手前がある。彼女はとんと跳ねて背に乗った。
以前はたてがみに埋もれるようにしがみついてきたものだが、ちょこんと乗っただけというのが悩ましい。
ともあれ、下手人が目を覚ましても面倒なのでこの二人は足で掴んで飛び上がる。
無言が痛々しい。
そんなことを思って飛んでいたところ、ベネッタが口を開いた。
「グウィバー。さっきのことを問い詰めないのか?」
アルヴィンの余計な一言のことだろう。その影響で彼女がより気落ちしているのかと思うと少々腹が立ってくる。
木の棒ではたき倒されていなかったら尻尾で一度くらい弾き飛ばしていてもおかしくなかったかもしれない。
「言いたいことがあるならば聞こう。そうでないならば聞かぬ」
「それが悪いことでも?」
「気にせぬよ。ベネッタ、逆に問うがそれはお前の心を偽ったことか?」
「違う」
不安がって問いかける割に、こんなところだけは即答してくれる。
扱いづらい性格ながらもやはり根は真っ直ぐなのだ。そこは小さな頃から全く変わらないと理解できただけ安堵できる。
グウィバーは笑って答えた。
「ならば良い。表層世界ではいざ知らず、ここは我らの世界だ。幻想種は一人のために世界を滅ぼすことすら許容する。その心が我らを生かす物語たりえる。遠慮をして歩みを鈍らせることこそ無粋だ」
道理があって、無理となる。それなら歯噛みして耐えるしかない口惜しさはどうしてきたかという話だ。
願って願ってやまないものを、人はせめて物語としてきた。人の世で許されなかったからこそ思い描かれた世界だというのに許されない願いなんてあろうものか。
だからこそ一人のために世界を滅ぼすことすら許容される。
それを口にしてみるとベネッタの表情には呆れが混じった。
「聞くほどにとんでもない世界だ。今日の今日までよく存続したと感心するよ」
確かにそこには異論がない。
尋常ならざる力を持った生物が感情のままに生きているのだ。事と次第によっては世界が滅んでもおかしくない。
表層世界の為政者はそんな不安定さを嫌ったから幻想種を世界から追い出した。
だが――。
「不安定ながらも世界には正す力があるのだよ。それが予定調和。勇者や英雄というものであり、もしかするとミコトもそういったものかもしれぬ」
全ては人間が望んだ姿と存在なのだ。
涙もあろう。滅びもあろう。
だが、そのままに閉じられる物語はそれほど多くないはずだ。
だからこそ断言できる。人々の幻想から生まれた存在、そしてこの世界であれば、その先に何かがなければおかしい。希望的観測かもしれないが、少なくとも幻想種という存在はそういうものと捉えて生きている。
「……私も、そちらが良かったよ」
「何ぞ口にしたか?」
「いや、別に」
ごうと吹き付けた風を翼で受けた時、ベネッタは何か呟いた気がしたのだが否定される。
「グウィバー。私はお前を愛しているよ。この竜の大地も、師匠やミコトたちも」
「我にとっても愛しき御子だとも」
今さら何を言っているのだろう。そんなものは普段からの態度でよくわかっている。外で働く必要があると考え、そちらに尽力しているというなら満足だ。
ようやく吹っ切れた様子なので良しとすべきだろう。
「ところで、その怪しき企みに我の翼はいらぬのか? ミコトの補助は他の竜やアルヴィンでも事足りる。遠慮などする必要はないぞ」
「悪いけれど、それはできない」
「ふむ、そう言うならば仕方がない。励めよ、ベネッタ」
「無論だよ、グウィバー」
きっと、ここが何かの分岐点であろうことは察せられる。利口であるのならば、別の道も選びうるのだろう。
しかし、一つだけわかっていることがある。
利口な選択としてベネッタから送り人の証を剥奪したのは大きな古傷を残すこととなった。利口であるならば必ずしも全員が救われるとは限らない。
ベネッタの縁者であるなら、彼女の傷がより深くなるような選択肢は過ちなのだ。
故に、気がかりではあるが止めはしない。ベネッタのために世界が揺らぐなら、それもまた良しだ。
さて、何がどうなるものやら。深謀遠慮は苦手ながらもグウィバーは状況を見据えようとするのだった。
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