#028:三途で候(あるいは、川上からの大なるモノ)
「ぬおおおおッ!! 本当に、本当に大丈夫なのですかぁぁぁッ!! この!! この激流ぅぅぅぅぅっ!!」
母なる大河、メッゾォス。豊穣の証たる雄大にして優美なその流れ。
しかし雨季が終わり、うんざりするほどの水量を湛えうねるその奔放にして怖ろしい流れ。
御一行に先駆けてその音を立てて荒れ狂う水に身を浸す私であったが、思っていたよりも激しく、そして足元の砂も踏みしめるそばから流れ行ってしまうという覚束ない状況にあって、思わず情けなく叫んでしまうものの。
「姫さんの事は何も心配はいらねぇぜ。大将、あんたは自分の身ひとつ対岸へと送りとどけりゃいい」
背後からギナオア殿のそんな余裕を持った声が聞こえてくるが、それがことのほか困難であることをご理解いただいているのだろうか。
「ジローネット。これしきの事で音を上げていては、
それに続く姫様の凛とした声には思わず背筋が伸びてしまうが、伸ばしたところで事態は好転するを見せず、却って体の重心が上ずってしまって、背中からすっ転びそうになる。
しかし、姫様の御声に、年齢相応の無邪気さのような楽しげなる感じ……と言えば良いだろうか。そのようなものが宿ってきたのは、良き事だ、と私は思うのであった。
道なき道をかき分ける道中も、ガンフ殿の背中に守られていながらも、崖道などに臆することなく勇ましき行軍歌などを口ずさんでおられた。王宮に居た時の、どこか抜け落ちていた表情や感情やらを、この大自然の中、早くも取り戻してられておいでのように思える。良き事だ、と再度思い噛み締めるものの、私の身体は限界にほど近い。呑み込まれ流されたのならば、行き着く先は遥かなる大海である。いかんいかん。
「左様でございますよ、ジローネット様。私めなどは、姫様の御荷物を頭に掲げ置いたまま、一滴たりとも濡らすことなく、泳ぎ切ろうとしておりますというのに。足の着くような水場にて、往生するなど……
さらに背後から、含み笑いを伴った軽やかな声がかかる。うねりに巻き込まれないように体を反転させたところで、その黒く大きな瞳が私の無様な姿を見つめているのに気づき、内心ぬぬぬと思わざるを得ない。長い黒髪は三つ編みなる方法にて後ろでひとつにまとめられており、それがまた幼さの残る顔を、さらにあどけなく見せている。そして姫様よりも華奢で折れそうな体躯……だが、私は知っている。そのしなやかなる体は、水の中ではこれ以上も無く、流麗に、まるで飛翔するが如くに躍動することを。
侍女がひとり、モクレィ。姫様の身の回りのお世話をせんがため、我々に同行することになったのだが、私とは幼き頃よりの馴染みの仲でもあり、そんな軽口めいた言葉も飛んでくる。しかし王宮においてはついぞ、まともな会話などお互い避けるかのようにしていたのだが、旅、というものが、どんな者の心も軽やかにするのだろうか。
自然なモクのその歌うような言葉に、私はこの極限状態にありながらも、顔がほころんでしまうのを自認している。私も何か高揚してきた。水中にある両腕を殊更に大きく振り、大股で勇ましく踏み出していく。皆に見せつけるかのように。
愉快なる気分だ。腹から大声を出したいような気分。私はずんずんと力強く歩みを続ける。どうだ、とばかりに未だ河岸に留まるモクの姿を振り返り、勇壮なる笑みを浮かべて見せる。
だが、それがいけなかった。
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