第66話 脇部こころ



 時は少し前に遡る。

 英雄とフィリアの父である勇里が、珍妙な遣り取りの後にパンイチになった頃。

 手を洗ったいるフィリアは、隣の洗面台に見知らぬ人物が居るのに気が付いた。


 ――背が低い、長い黒髪の女性。

 童顔で年齢が分かりにくいが、母カミラと同じくらいだろうか。

 誰だろうかと考えた一瞬、背中に鋭い何かを突きつけられて。


「問うわ、貴女が英雄の恋人ね?」


「…………英雄の母だとお見受けする。そんな物騒な真似をして何の用だ?」


「私が誰でも良いでしょう? そして質問を質問で返さないことが貴女の為だと思うわ」


「では、――私が英雄の恋人だといったらどうするのだ義母さん?」


「貴女にまだ、義母さんと呼ばれる筋合いは無い」


「これは手厳しい、だが此方の問いにも答えて欲しいのだが」


「それは簡単な事よ、ストーカーさん? 私が聞きたいのはただ一つ。――――貴女の目的は何? 十年以上あの子を、いいえ王太もストーカーして。知らないとは言わせないわよ、証拠は握っているんだから」


 義母こころ眼光は鋭く、どこか見覚えのあるものだった。

 然もあらん、それは母の姉のそして鏡に映った自分自身のそれ。

 愛という泥沼に頭まで浸かった、……狂える女。

 ひとつ言葉を間違えれば、刺し殺される確信があった。


「…………まいった。私とは年期が違う、何故気づいたんだ? 隠蔽工作は完璧だった筈だ」


「いえ? カミラが貴女がストーカー始めてすぐに教えてくれたわよ?」


「裏切ったな母さんっ!? というか始めからバレていたのかっ!? なんで英雄に言わなかったんだっ!?」


「不思議な事を言うのね、我が子とはいえ気づかない方が駄目なのよ」


「教育方針がシビア過ぎるっ!? しかしそれならば何故私は脅されているのだっ!?」


「この世は弱肉強食よ、愛だって同じ」


「その心は?」


「ウチの旦那の事も調べてたんでしょ? その資料全部寄越しなさい、王太を監視して良いのは私だけ」


「…………私は貴女の大事な息子をストーカーしていたのだぞ?」


「英雄は王太との愛の結晶で、私の半身だし確かに大切だけど。優先順位が違うもの」


「よくそれで英雄はグレなかったな?」


「あの子も分かってるもの。家族への愛と、伴侶への愛は違うって。ちゃんと小さな頃から言い聞かせてたから。――それより王太の資料よ、あの人ってば監視も盗聴も禁止するものだから。あの子が産まれてからコレクションに穴が開きっぱなしなのよ!」


「もしかして、私のストーカー行為を見逃していたのは…………」


「ええ、貴女は王太の事も調べていたでしょう? 癪に障ったけど、泳がせておけばいつか手に入るだろうって」


 鏡越しに義母のにこやかな笑みを見て、フィリアは大きく安堵と困惑のため息を一つ。


「…………もし、私が英雄を諦めていたらどうするつもりだったのだ?」


「不思議な事を言うのね、カミラの子でしょう? 運命を感じた相手を諦める筈がないでしょう。それに、もしそうなら貴女を破滅させてでも手に入れていたわ」


「義母さんが? 私を破滅させる? どうやって」


「私を甘くみない方が良いわ、カミラ以外にも伝手は色々あるんだから。数分時間を貰えれば、貴方達の通う学校の恋愛事情を全て丸裸にしてみせるけど?」


「出来るのかっ!?」


「カミラから聞いていないの? ローズちゃんとロダンさんの結婚を陰からサポートをしたのは私よ? 貴女が日本に帰る後押しをカミラがしていたのは気づいた? それを手伝ったのも私」


「義母様っ!! どうか私を弟子にしてください!!」


 するとこころはフィリアの背中に突きつけていた玩具のナイフを離して。


「カミラの子が私の弟子に……それは面白そうね。では入門書の代わりに、この押すと引っ込む玩具のナイフを授けましょう」


「す、凄い……っ!! 本物そっくりの重量感と質感だが確かに玩具だ!」


「この血糊と共にいざと言うときに使いなさい、例えば英雄を人質に取る時とか、自殺騒ぎで攪乱する時とか」


「いやに具体的ですが、実践済みですか?」


「残念ながら王太には全て見破られたけど、カミラに教えた時は見事に勇里さんを欺いてみせたわ」


「…………よくも貴女の様な人から英雄のような良い男が育ちましたね」


「英雄は良くも悪くも王太に似たのよね、何故かしら? 大きくなるにつれ、私のあしらい方が上手くなって……複雑だわ」


 英雄が何故、愛衣の気持ちを見抜いたり自分の事を上手く愛するのか。

 フィリアはその理由を垣間見た気がした。

 這寄家の女性に負けず劣らずの愛を持つ母が側に居れば、自ずとコントロール方法も身につくのだろう。


「おお、義母さん……いえ、貴女が神かっ! よくぞ英雄をあんな風に育てて……私は貴女を誇りに思うっ!! 是非子育ての秘訣を教えて欲しい師匠っ!!」


「弟子にはするけど、義母さんでいいわ。だってあの子のお嫁さんになるんでしょう」


「義母さん!! ところで義父さんの資料は大きな段ボール四つ分と、英雄のに比べてかなり少ないのですがよろしいですか?」


「…………フィリアちゃん? 大きな段ボール四つが少ないって、英雄のはどのくらい集めたの?」


「控えめに言って、彼のアパート一室が天井まで埋まるぐらいでしょうか……?」


「カミラもそうだったけど。それだけ出来るのなら、私が教える必要ないのでは?」


「いえ義母さん、その手の技術もですが。お袋の味というのも是非とも教えて欲しいのです……」


「あの子の愛されてるわね、それで、子供はもう出来た? たぶん王太と同じで、ちょっと目を放すと変な所に就職したりするから。早めに子供作って重石にしおいた方が良いと思うの」


「しかし義母さん、英雄はそう言う事を見越して釘を差し。きちんと避妊をするのです」


「あの子、王太と私の子だっていうのに。変な所で真面目なのよねぇ、困っちゃうわ」


「お二人の子だから反面教師で育ったのでは?」


「やっぱりそう思う?」


「はい、人生エンジョイ勢と自分で言うわりには。保険をかけて動いたり、世間一般で言う普通な恋愛しようとしている節があります」


「アンバランスねぇあの子も、――そうだ、さっき勇里さんがまた女装させられてるのに遭遇したんだけど。あの子は大丈夫?」


「また母さんに女装させられていたのですか? いえ、それより大丈夫とは?」


 義母こころの声のトーンに不穏な物を感じ取り、フィリアは視線を鋭くする。


「そう言うって事は、英雄のトラウマ聞いてないのね。私の口から言うのも何だし、後で聞きなさいな」


「分かりました、そうします」


「で、簡単に言うと。あの子ったらナマで女装した男みると蕁麻疹が出るのよ、着せられると失神するから注意してあげてね」


「分かりました、女装した男を見かけたら排除します」


「駄目よフィリアちゃん、陰から、排除するの。それが直接的であれ間接的であれ、そういう行為を見せないのが女の嗜みだわ」


「勉強になります義母さん!!」


「お正月の間はここに泊まる事だし、カミラと三人で伴侶の愛を勝ち取る方法を話しましょうか」


「はい! 義母さん!」


「では行きましょうか、そろそろ食事の時間でしょう」


「そうだ、実は隣の男子トイレに英雄が入っているのです」


「あら、じゃあもう出てるかもしれないわね。大変だわ探検してないといいけど」


「大丈夫です義母さん、ちゃんと言ってありますし。万が一に備え、お互いの位置が分かるようにスマホのGPSを、這寄グループで独自に作った地図アプリで連動させています」


「……ものは相談なんだけど」


「水くさいですよ義母さん、勿論データはお渡しします。義父さんと使ってください」


「流石カミラの子ね、貴女がお嫁さんに来て私は誇らしいわ!」


「義母さん!」「フィリアちゃん!」


 二人はがっしり握手して。


「今度、あの子の子供の頃の服を送りましょう。存分に堪能しなさい」


「本当ですかっ! ありがとうございますっ!!」


 仲良く女子トイレを出た途端、そこにはパンツ一丁の勇里と英雄が腕を組んで。

 フィリアは思わず叫び、こころは楽しそうに笑ったのであった。


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