第17話 わんわんお飼う?



 フィリアと同棲した事により、英雄の食生活は劇的に改善された。

 カレー、カレー、カレー、継ぎ足し継ぎ足しで味噌やらゴボウやら入れている内に一週間後には豚汁。

 サラダはポテチ、ちょっと食べたりない日のおかずは鮭の切り身、一切れ百円(税込み)から解放されたのだ!

 だがそれに伴い、必然的に買い出しの回数が増える訳で。


「フィリアと同棲して一番の利点は、晩ご飯が楽しみって事だな、食後の勉強にも気合いが入るってもんだよ」


「それは嬉しいが。……問題を解く回数より、私の胸元に鼻の下を伸ばす回数の方が多いぞ英雄」


「なんの事ですかね? っていうかバレてた? というかフィリアが綺麗なのがイケナイと思いまーす」


「ふふ、美しさは罪という事か。ならば今度から目隠しをして勉強して貰おうか」


「あ、フィリアが体の線が出ない服を着る。とかじゃないんだ?」


「何故私が配慮せねばならない、これは君の自制心の問題だ。大丈夫、手段はある。私が問題を囁くから英雄は全てを頭の中で考えるのだ!」


「…………たまに馬鹿になるとか言われた事ない? セックスのお誘いかな?」


「愚か者め、私の機嫌をそこねたな。君は待望のチャンスを逃したのかもしれないぞ?」


「マジでっ!? 僕は君の事を見ないから勉強の時間ずっと囁いていて!」


「チョロいと言われた事はないか? 冗談だ」


「男心を弄ばれた!! これは食後に膝枕で耳掻きの謝罪が必要だね!」


「それぐらい、言ってくれればいつでもやるぞ?」


「やった!! フィリアって何て素敵な女性なんだ……、世界一の女の子だよ!!」


 なお、今の二人はぎっしり詰まった一つのエコバック(犬の顔のアップリケ付き)を、一緒に持っている状態だ。

 その様子に散歩中の老夫婦は微笑み、疲れたOLは項垂れる。

 まさに恋人同士、夫婦と言っても過言ではない。

 だが、――二人は付き合っていないのだ。


「お、子犬だ! おー、よしよし、可愛いなぁ……名前なんて言うの?」


「テツジローって言うのお兄ちゃん!」


「可愛いなぁ、僕って実は犬派なんだ、フィリアは――――?」


「どうした? 私に構わず可愛がってやれ」


「君こそどうしたのさ? そんなに離れて……。ああ、散歩の邪魔しちゃったね、ばいばーい」


「うん、ばいばーい!」


「………………………………ふむ、行ったか」


「いつかは僕も飼いたいなぁ、黒柴と白柴と茶柴と赤茶柴のどれが良いと思う?」


「どれも同じ柴犬では?」


「フィリアは分かってないなぁ……ところで質問いいかな? なんでさっき離れたの? 僕があの子犬に話しかけた瞬間、すっごい勢いで離れたよね?」


「ふむ…………拒否権はあるか?」


「もしかしてアレルギー持ち? それとも単に怖いだけ?」


「聞いてどうする、私をからかう気か?」


「いや、アレルギーだったら今すぐ何処かで手を洗おうかと」


「そうか、なら帰ってからにするといい。私はアレルギーではない」


「なるへそ」


「では会話は終わりだ、帰ろう」


 沈黙が訪れる、二人は先程と同じように歩き出して。


「あ、また可愛い犬。ヨークシャーテリアかな?」


「もう少し君と歩いていたい、少し遠回りしても良いかな?」


「今度はダックスフンド」


「もっと君と歩きたい! 公園を通ろうか!」


「あ、ボールで持ってこいしてる! はー、長いリードがあるんだ。メモっておこう」


「喉が渇いたな、ちょっと公園から離れてあっちの道に行こうか!」


「今度はゴールデンレトリバー!」


「おっとすまない、買い忘れたモノがあった。スーパーに戻るぞ」


「あ、反対側からポメラニアンが」


「しまった! ここは敵地だったか!! 逃げ場のないキルゾーンだ!」


「…………素直に怖いって言ったら?」


「私に、怖いものなど――――あ、蝶々が飛んでいるぞ?」


「目、閉じてるよね? 思いっきり僕に抱きついているよね?」


「気のせいだ、ああ、ずっとこうしていたい気分だから家まで誘導してくれたまえダーリン」


「ハニー? ほっぺにチューしてくれたら考えても良いよ?」


「よしきた、チュー」


「僕に任せろ、フィリア。君を全てから守るナイトにならナイト! ナイトだけにね」


「――……、ああ、君のおかげだ。今平気になった」


「何で平気になったのっ!? 正直に言って! 親父ギャグ寒かったってさ!!」


「寒いから体を暖める為に、私はこれよりランニングをして帰る、――では家で会おう!!」


 ぴゃー、と綺麗なフォームで走り去ったフィリアに、英雄は曖昧な顔で微笑む。


「意外だなぁ、フィリアにこんな弱点があったなんて。…………でも、楽しくなってきた!!」


 そして帰宅した英雄であったが。


「お帰りなさいご主人様わん!」


「なんでだよっ!? 苦手なんじゃなかったのっ!!」


 部屋で待ち受けていたのは、見慣れたジャージ姿のフィリア。

 いつもと違うのは、犬耳、リード付きの首輪、雑にガムテープで固定された尻尾。

 その姿で四つん這いになり出迎えた美少女だった。


「ふふふ、甘いな英雄。犬を苦手だと知った君が何をするか私は手に取るようにわかる――舐めるなよ!!」


「それで何でそんな格好してるのさ……あ、尻尾振ってみて?」


「その手には乗らん、いやらしい目で見るつもりだろう、この――ケダモノがっ!!」


「ケダモノになってるのは君じゃないのっ!? というかホント何でそんな格好なのさ!?」


「ふっ、この私が君に知られた弱点をそのままにする訳がなかろう、――敵を知り、己をしらば百戦危うからずという諺をしらないのか?」


「フィリアはまず、敵を知る前に自分を知る必要があると思うんだけど……、あ、これ運んでくれる?」


「了解したワン」


「手で持たないで口でくわえるの? 重くない……? ってああ! 冷蔵庫にしまうのにも口でするのっ!? 僕がやるからステイ! おすわり!」


「ワン!」


 座布団に犬のように座るフィリアを横目で眺めながら、荷物をしまった英雄は彼女と向き合う。

 いったい、何がそこまで彼女を駆り立てるのだろうか?


「うーん、凛々しさと可愛らしさを併せ持つ、可憐な金髪ポニテジャージ美少女のわんわんスタイル。控えめに言って倒錯的だね」


「やはり、美しさは罪という事だな」


「ポジティブすぎぃ!? 誰かに見られたら僕の社会的地位がヤバイよ!?」


「安心しろ、君に強要されたと証言する準備は出来ている」


 そう言うと、フィリアはスマホを床に置きアプリを起動する。


「これが証拠だ『フィリア』『犬』『の』『格好』『を』『しろ』――どうだ」


「どうだじゃないよ! 僕の声を録音してたのっ!?」


「『勿論さ』『フィリア』『は』『最高』『の』『女の子』『だ』『愛してる』」


「それで会話しないでっ!? というかどれだけパターンあるのさ…………」


「実に苦労したぞ、君が寝た後コツコツ作っていたからな」


「フィリアが作ったのっ!? ぜんっぜん、気が付かなかった。とうかそのコスプレ道具どうしたのさ」


「ああ、これはさっきメイドに届けて貰った。彼女の私物なのだが。ひとつ疑問があってな」


「メイドさんにツッコミたいけど、何?」


「尻尾の部分がな? 数珠繋ぎの縄の様なモノが付いていたんだ。どうやって使えば良いか分からないからガムテープを使ったんだが……使い方を知っているか?」


「………………、えーと。消毒したとか聞いてる?」


「ああ、何故かアルコール消毒をしてるとか言っていたな、こんな玩具にまでアルコール消毒とは。そんな潔癖性では無かった筈だが」


「あー、玩具だから消毒したんじゃないかな? まあ、もし仮に機会が訪れたらそれの使い方を教えるよ。今はそれで大丈夫、でもそのメイドさんには話があるって言っておいてね?」


 英雄は酷く曖昧な顔で笑みを浮かべた。

 彼女の言うメイドも、彼女の性知識も、いったいどうなっているのだろうか。


「話は変わるけど、子供の作り方知ってる?」


「突然セクハラとは、もしや思春期か?」


「僕ら年齢的に思春期だよ? セクハラじゃなくて確認、ちょっと不安になっただけさ」


「むむ、馬鹿にしているのか? 昔はキャベツ畑からコウノトリが運んでくれると信じていたが、小学校の授業でも中学以降の保健体育でも習った、流石に知っているぞ」


「それを聞いて安心した、じゃあ僕のエロ本を読んだ事は?」


「君に失望したくないからな、読んでいない」


「オッケー、変な事聞いた。じゃあそろそろ気が済んだだろ? それ外して」


「いや、まだだ! 私はまだ犬の気持ちが分かっていない!」


「犬の気持ちが分かったら、怖くなくなるってもんじゃないと思うけど」


「大丈夫だ、私の信頼するメイドがこうすればバッチリと言っていた」


「そのメイドさん、今すぐ呼び出してどうぞ?」


「すまないな、彼女の業務時間はもう終わっている。さっきも無理を言って呼び出したというのに、満面の笑みで来てくれてな……私は得難いメイドを持って幸せ者だ」


「メイドさんへの信頼感が厚いっ!!」


「さあ、私を飼い犬と思って躾るのだ英雄!」


 仕方ないので、英雄は手を両手をワキワキさせて言った。


「じゃあ全部脱いで全裸になって? 犬が服を来ているのは変だし、犬は散歩から家に帰ったら手足と体をタオルで拭くんだ」


「止めよう! この方法は間違っていたようだ!」


「分かってくれて嬉しいけど、とても、とても残念だよ」


 耳と尻尾を外した彼女は、珍しくしょぼくれた顔で項垂れた。


「君は犬が好きだろう、私も是非とも平気になりたかったのだが……」


「落ち込んでる? 大丈夫さ、いつか一軒家に住むようになったら一緒に子犬を飼おう、こういうのはそうやって慣れた方が確実さ」


「絶対だぞ! 約束だからな!」


「ああ、勿論だ」


「言質は取ったぞ! もう取り返しはしないからな! 破ったら訴えるし、君を殺して私も死ぬからな!」


「大袈裟だなぁ、そうだ、今夜はゲームじゃなくて犬の可愛い動画を探すか映画を見ようよ」


「良い提案だ、ではその後は将来どんな家に住みたいかも話し合おうじゃないか」


 二人は立ち上がってエプロンを付けて、もうそろそろ夕食の支度をしなければならない。


「そうだ、白い犬が主人公の和風ファンタジーのゲームがあるんだけど」


「うむ、是非それもやろう」


「そうこなくちゃ!」


 その日、二人は深夜遅くまで犬の話題で盛り上がったのだった。


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