第九章   蒼き時の彼方に  六

 緊張感を細く長く吐き出すと、知らずのうちに硬く強張っていた体から、ゆっくりと力が抜けていった。

 磯部の手が背中に回されると、ざわついた心も次第に冷静さを取り戻していた。

 野手陣も集った円の中で、磯部の口から大胆不敵な作戦が告げられた。

「どうやら、敵さんはトリック・プレーを仕掛けるつもりだ。つまり一塁ランナーが飛び出して転倒する。そうすると、つい捕手は反射的に一塁に投げる。その隙に二塁ランナーは三塁に駒を進めるわけです。そう簡単に嵌められてたまるかっつうの!」

「確信的に行うプレーだから、大和が一塁に送球した瞬間に、上手く二塁ランナーがスタートを切れば成功の確率は高い」と上野が言葉を添えた。

 ぐるりと輪になった面々を見渡す磯部の目線が、セカンドを守る富岡の前で止まった。

「それで、大和の作戦とは?」上野が急に声のトーンを落として尋ねた。

「先手を打ちましょう。こっちもトリックで目眩しだ。隠し球で二塁ランナーを刺す!」

 押し殺した声で悪巧みを吐く口元に、思わず息を呑んだ。

 すぐさま「危険すぎるだんべぇ」と反論する上野に、磯部がわずかに首を横に振った。

「まず、りゅう兄ぃが富岡さんに牽制球を投げます。ボールをキャッチしたら、ピッチャーに返球したと見せかける。ランナーが気づかないまま、再びリードを取ろうとベースを離れたら占めたもの。すかさずタッチアウト、という訳です」

 磯部の視線が富岡の同意を求めていた。

「アイデアは…いいがなぁ」

 口籠る富岡と気持ちは一緒だったが、やらずに後悔するより、思い切った磯部の危険な賭けに乗る決心をした。

「確かに危険ですが、一か八かは敵さんも同じです。やってみる価値はある!」

 熱のこもった磯部の説得が続いた。迷っている時間はなかった。

「富岡さん。今やらなければ、こちらがやられるまで。ここは運を天に任せて、いっちょ二人で大芝居を演じてみますか」

 暫し沈黙のなか、富岡の決断を待った。

「わかった。やるべぇ」

 全員が一斉に頷き、無謀な企みを胸に秘めた八人の兵隊たちが持ち場に散っていった。

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